和気カルデラ(コールドロン)について

約8千万年前、和気アルプスは阿蘇山なみの巨大カルデラの中央火口丘だったそうです!

201710月に周匝にできた“地球史研究所”の乙藤洋一郎所長からメールをいただいたのですが、それによると、80007300万年前の中生代白亜紀末期のティラノサウルスが北米大陸を歩いていた恐竜時代で、日本列島がまだユーラシア大陸の1部分であり、“イザナギプレート”(約2500万年前頃に消滅。)が大陸に衝突しながら北東に運動し、中央構造線の下半分と上半分の“付加体”( 堆積物が海洋プレートから剥ぎ取られて大陸プレートに付加したもの。)が合体したばかりだった頃で、白亜紀から新生代にかけて形成された付加体である四万十帯がジュラ紀の付加体の下に潜り込み、内部では火山活動が活発であった時の話ですが、

 

(ちなみに約7000万年前の地図では、色のついた部分が陸で、赤い点が当時のカルデラ(噴火口)です。中央構造線から下にカルデラができるのは、これよりだいぶ後の約1450万年前 で、東北地方のカルデラができるのはさらに後の約800万年前で、約100万年前から50万年前に蒜山火山群の活動期があり、約40万年から数万年前にかけて阿蘇山のカルデラができたり、東西約26km 南北約20kmで日本最大の屈斜路カルデラができたり、富士山や大山が頻繁に噴火したりしており、日本アルプスのフォッサマグナが本格的に隆起するのも、最近になっての約2万年前の最終氷期です。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

和気カルデラ」というのがあったそうです。それは、現在のJR和気駅を中心とした南北23q、東西15qの大きさで形成されており、(有名な阿蘇山は南北25km、東西18kmで国内2位ですが、それに準ずる規模です。)すぐ東隣には「赤穂カルデラ」(約8300万年前〜8200万年前、東西約21km、南北約16km)もあったとのことです。そして、和気アルプスはカルデラができた後に、最終的に噴火した結果形成された中央火口丘であると推測されており、(この仮説は1999年に石原舜三博士と今岡照喜博士によって発表されました。)現在では、削剥と侵食によって陥没してできた地形が失われたコールドロン(火山性陥没構造の総称)となっているのだそうです。

以下は、2018616日に「和気コールドロンと前島の古第三系」と名をうって地質巡検をした際のパンフレットより抜粋させていただきました。―――

 

和気カルデラ」仮説

 JR和気の北には標高172mの和気富士が見えます。和気富士から尾根は北に連なり、鵜飼谷温泉から尾根は東に向きを変え、370mの神ノ上山まで伸びています。このミニ山脈を和気アルプスと呼んでいます。このアルプスは流紋岩溶岩から作られています。

 南を眺めると216mの愛宕山が福富の集落の上に見えます。その奥の左手にある319mの論山まで尾根は連なっています。この山も流紋岩溶岩でできています。吉井川を挟んで北西を見てみましょう。手前の山は189mのいもり岩で、その右手奥に191mの城山が見えます。これらも流紋岩溶岩でできています。東を見ると275mの向山や283mの石仏山が見えます。その山麓も流紋岩溶岩でできています。それらは白亜紀末期に形成された火山岩です。

 流紋岩溶岩の山を越えてもっと遠くの山は、白亜紀末期の流紋岩質の大規模火砕流が堆積した火砕岩です。南南西にある熊山頂上付近にもこの火砕岩が分布しています。山頂の熊山古墳を構成する岩石も火砕岩です。JR吉永駅〜三石駅の間で南北に見える山々を作っているのも火砕岩です。

 JR和気駅の周辺の地質は、JR和気駅の近傍に流紋岩溶岩が分布し、それを取り囲むように火砕岩が分布していると、記述することができます。さらにその外側には、白亜紀の流紋岩や大規模火砕流の火砕岩より古い時代に形成されたペルム紀・三畳紀・ジュラ紀の堆積物が点々と分布しています。

 

 この地質の様子を考えて、石原舜三博士と今岡照喜博士が、和気を中心とするカルデラが過去にあったことを提案しました(Ishihara and Imaoka, 1999)。これが「和気カルデラ仮説」です。

 

 和気アルプスのカルデラの中心はJR和気駅近傍です。そして今見ている流紋岩溶岩は、カルデラの中心の溶岩ドームです。カルデラの東端は、JR三石駅あたりです。今から見学に行く三石のろう石の鉱山はカルデラの縁に当たります。西端は山陽道の瀬戸パーキングエリアの手前です。北は佐伯のあたりです。そして南は片上あるいは伊坂峠となっています。カルデラの大きさは南北23q、東西15qと考えられています。カルデラは8000万年〜7300万年前の、白亜紀の末期にできたものです。阿蘇山の外輪山は南北25km、東西18kmですから、和気カルデラはほぼ阿蘇カルデラに匹敵する大きなカルデラだったことになります。

 

 「和気カルデラ仮説」を導く証拠は、下記のように挙げられています。

(1) カルデラを作るに要するだけの、大量の流紋岩質の岩石が分布している。

(2) 三石付近で観察されるろう石の分布が、カルデラ壁を示す弧状の形をしている。

(3) 北のカルデラ壁のある岸野では、カルデラ形成に伴い地質的な弱線が形成され、そこに貫入した安山岩の岩脈群を観察することができます。

(4) 日生付近には、カルデラ壁の基部によく観察される直径10mを超える巨大礫が分布しています。

(5) 火山灰(凝灰岩)層は、JR和気駅より東では西に傾いた構造を示し、JR和気駅より西では反対に東に傾いた構造を示します。このことはJR和気駅を中心とした盆状の構造を示唆しています。JR和気駅のまわりの流紋岩溶岩はカルデラの中心部の溶岩ドームです。

(6) 南西域にはカルデラ形成時に生じたリング状の断層に貫入した石英斑岩や斑岩が分布します。

(7) 伊坂峠には、カルデラが形成された後、カルデラ内部の低地にできた湖で堆積した湖底堆積物を見ることができます。

(8) 三石から片上には、カルデラ形成時にできたリング状の断層に沿って、下部の流紋岩火砕岩層が分布します。

 

 

3 和気周辺の地質図(Ishihara and Imaoka,1999より)

和気カルデラの中心部は溶岩で,外側は火砕岩(凝灰岩)からなる.数字は見学地点.

 

↑なんかすごいですね。たしかに白岩様やチンネ・スラブは、どう見ても粘性の高い溶岩(流紋岩は粘性が高く溶岩ドームができやすい。)が流れてきて固まったのが分かりますし、穂高山はトロイデ型火山の山頂ドームそのものですし、竜王山バットレスのある谷とダイレクトルンゼのある谷はすり鉢型で、これらは水蒸気爆発した噴火口みたいに思えますが、長い年月には近隣でいろんな巨大災害や変動があった訳ですから、8000万年も前の地形としては、かなりハッキリしていると思います。もしかしたら、和気アがジオパークになるかもしれません。(もちろん入山規制などは無しでお願いします。)“和気カルデラ”説は、和気アルプスにまた一つ魅力が追加されたようで嬉しいです。

 

「今、自分は白亜紀の火山の中央火口丘に立っている。」

「今、自分は白亜紀の溶岩に抱きついてクライミングしている。」

 

登山者やクライマーの皆さんにも“白亜紀末期の巨大カルデラの中央火口丘とその溶岩”を意識してもらい、

思いを馳せて、雰囲気を味わっていただけたら嬉しいです。

 

ちなみに―――

私は噴火口内で生まれ、噴火口内で育ち、噴火口内に家を建てて、噴火口内で子育てをし、今日も噴火口内から会社に通っています。

噴火口内生活も、もう56年になります。なんちゃって(笑)。

 

 

 

*ご注意:いくら恐竜時代の岩とはいえ、その当時は火山の噴火口と溶岩だったのですから、どんなに和気アを発掘しても恐竜の化石は出てきません

岩を叩き割るなどの破壊行為はしないでください。

(化石探しなら岡山駅構内の大理石の壁がお勧めで、アンモナイトのカットされたものなどが結構見られるそうです。)

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