四角形吹き出し: 警告スルゾ!おえ!

ほんまに

読むんか?

 

「おん。ワシゃあ、読みてーんじゃあ!」

という方は、下へスクロールしてください。

そうではない方は、今すぐ戻った方がいいです。

(不治の風土病“和気アルプス中毒”に感染します。)

 

 

 

 


わははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは。

 

 

 

 

 

 

 

おお、スクロールしてますね。

絶対に後悔しますよ!

 

 

 

ううむ、覚悟はよろしいですか?

では、・・・・

 

 

角丸四角形吹き出し: 自己紹介します。         

 

 

名称未設定-13月大山にて

 

私は地元和気町に住む昭和37年生まれの会社員です。子供の時から乗馬に明け暮れ、和気閑谷高校ではインターハイ優勝、岡大では馬術部で国体7位と全日学7位になり、全関西学生のトップライダーだったこともあります。やり尽くした“馬”を引退し、しばらくは黄昏ていましたが、96年から“山”をはじめ、大山山系を踏破した後、地元の和気アルプスのすばらしさに気づき、清掃と登山道整備とルート開拓をしております。

和気鵜飼谷温泉ができた後、97年に神ノ上山系は和気アルプスとよばれるようになり、和気町によって温泉新道が整備されました。98年、神ノ上山頂が展望のために伐採され、ハイキング大会(毎年4月の第1日曜日)が開催されるようになりました。(町の財政難?で04年から中止になりました。)

この大会が思いのほか盛況で、大勢の参加と賞賛に私も感激し、それならもっと面白くしてやろう。と思い、99年に独断でおりたたみノコ1本だけで一ヶ月かけて廃道を復活させ、鵜飼谷北稜ルートと命名いたしました。このルートを歩いてもらいたくて、地図を作って配置しました。

00年のハイキング大会ではこのルートを また大勢の方が歩かれて、面白いルートだねというのを耳にし、すっかり舞い上がり、また二ヶ月かけて愛宕尾根神ノ上北林道ルートを廃道復活させ、さらに産業振興課の許可をとって、まったくの新道ザイテングラードを整備し、勝手にピークハント21なる企画まで実行しました。(完全に暴走しております。)おまけに会社でも“オハヨー山岳会”を設立し、労組に承認されました。01年からはバリエーションルートを開拓しようと思っています。

ここでお願いがあります。和気アルプスは松茸山ですので9月1日〜11月30日は入山しないでください。地主とのトラブルで登れなくなったいい山の話も聞いております。ご理解の上、よろしく御協力お願いします。(以前は登山者自体が少なかったため大目にみてもらっていただけです。私のPRのせいもあって今では登山者が多くなりましたので、きっちりとした規制が必要になった次第です。)

 

01年5月1日、ついにご覧のホームページをつくりましたが、まだまだ未完成です。写真ももっと載せたいし、エピソードやトピック(ぼやき)も山のようにあるので、思いつくままに以下に発表していこうと思います。(注意:手前の方のものは情報としては古いです。)

 

*エピソードとトピック

松茸テープ:これを無くすことが私にとっての課題です。個人だけでなく、地区によるものもあるので難しいのですが、理想はまず登山者が山へ入らないように徹底し、証明してみせれば地主も今ほど神経質にテープを張らなくなるのではと思っています。和気アの熱心なファンの方が時々清掃登山されていて、古くなったテープを回収されています。本当にありがとうございます。01年3月には “HAT.Jおかやま”の催しで田部井淳子さんも歩かれて、“いい山なのにテープが残念だ。”とおっしゃられていました。

イノシシの捕獲オリと防獣フェンス:和気アは全山鳥獣保護区なので許可されたハンターだけが害獣駆除をしています。登山者の安全もしっかり配慮したベテランのハンターだけですので、事故の心配はありませんが、麓にある捕獲用のオリには近づかないでください。また、登山口によっては季節により防獣フェンスが設置されますが、壊すと田畑に深刻な被害が出るので注意してください。(通行止めではありません。通った後は元に戻して閉めてください。

野生動物:和気アにはイノシシ、鹿、猿、キツネ、たぬき、いたち、がいます。平日の早朝や夕方、一人静かに歩いているとよく彼らに出くわします。もし、出くわしたくなければ、適当におしゃべりしたり、コップをカランカランさせればよいのですが、ご心配なく、(保障はしないけど)彼らは逃げるだけで、襲ってきたりはしません。

泥浴び場:粘土の窪地に水が溜まっていると、きまってイノシシの“泥浴び場”になっています。これは意外と多く、登山道の脇にもあります。1つ紹介すると、観音山とエビ山の鞍部で東側の林の中にありますので、探してみてください。なお、よくあちこちの登山道脇が掘りかえされていますが、これはイノシシが草の根(どうも甘いらしい。)を食べた跡です。

キツツキの巣:00年末、神ノ上山頂直前の所に太さ25cmくらいの枯れ木が登山道を横切ってたおれていました。見るとキツツキがいくつもの穴をあけており、1つは洞状になっていました。“キツツキの巣”とマジックで書き記しておいたのですが、01年ハイキング大会の前に輪切りにされてしまいました。大会に先立ってハイキングコースのみ業者の方が倒木を切断したり、登山道脇を柴刈りされているようです。

和気観音堂:和文字焼きの観音山中腹にある高床式のお堂。なかなか風情があります。ふもとの老人ホームそばのお墓から登れます。8月16日は地元消防団がここからとりついて類焼防止に散水します。(実は私もしている。)和文字は夜8時に点火します。きれいなのはわずか20分くらいですが、見応えがあり、すぐ続いて花火が打ちあがります。音が山にこだまして迫力ありますよ。

宗堂池:竜王山の東側にある四角い大池です。南の安養寺の脇から車で土手前まで入れます。この土手の上から見ると、山の岩肌が池に映えていい絵になります。池の東岸には散策道がついていますが、先は行き止まりです。

サイクリング遊歩道:91年6月30日 片上鉄道が廃線になり、いまでは車道並にりっぱな遊歩道になっています。01年5月現在 北は佐伯天神山山麓の天瀬(あまぜ)集落まで舗装されています。天瀬、新田原井堰、金剛川鉄橋の眺めはいい風情があります。また、町役場前の金剛川河川敷も“水辺の楽校”として整備されています。縦走後の復路に歩いてみてください。なお、温泉そばの交通公園(手作りアイスとパンが食べれます。)でレンタサイクルもできます。

鎖場練習場:“山の学校”の登山口そばにあり、簡単な岩場に20mの鎖が3本付けられています。“山の学校”の遊具の1つだったのではないかと思っています。初心者のための予備練習やアイゼンでのクライミング練習で感覚をとりもどすのに最適です

季節による藪の違い12月、松茸山から開放された山はカヤっぽい。落葉が登山道をわかりにくくしていて、玄人好みの静かな山行ができます。2月になると(虫も蛇もいないので)冒険的な藪漕ぎができ、藪も枯れて、“はるか過去の踏跡”も発見できます。(私にとって新ルート開拓には絶好の時期ですが、雪山やスキーの誘惑に耐えるのがつらいです。)

展望:“和気アは他所にはない景色がある。”といわれたので詳しく聞くと、“吉井川が蛇行して流れていくのと、電車が走っていくのがいい。”とのこと。私自身には当たり前な景色が、実はあまり見ることのできないすばらしいものだということを教えてもらいました。なお、神ノ上山頂から那岐山が見えるのは(なぜか経験上)晴天より、曇り空の方が多い気がします。

険しさのレベル:私が整備したルートは自分の独断で一般道とバリエーションに分けて紹介しています。しかし、兵庫県 雪彦山の地蔵岳ルートは一般道としていていいものかと思うくらい険しかった。(もっともここは日本のクライミング発祥地だから当たり前といえなくもない。)また、大山の振り子沢ルートも険しくて雪渓登攀でバテました。(大山では崩落した危険なルートを意外にも多くの人が歩いている。皆すごい人ばかりなので、うかつにマネしないことを願う。)山の“険しさ”の評価は山によっても人によってもまちまちで、じつに曖昧です。和気アにおける私の判断が平均水準的判断といえるのかどうか悩むところです。

ミチオルート:剣峰のザイテングラード(側岩稜)につけたルート名ですが、じつは元登山家である私のオヤジの名です。当時最後の高峰であった剣峰は開拓しようとしても麓からの道は見当たらず、迷いピークからもたどりつけませんでした。迷いながら、槍ヶ峰から見える山頂近くまで続く側岩稜をアプローチに決めましたが、なかなかとりつきが見つけられませんでした。藪の枯れる2月にやっと見つけてなんとか剣峰にたどり着くと、赤テープが残っていて、たどると迷いピークから才ノ峠まであっさり行けました。このルートを廃道復活するために何度もザイテングラードを登り降りして作業するうち、西尾根伝いに新町集落に降りるルートより、この作業用の踏跡を整備した方が面白いと思い、産業振興課の許可をとって、まったくの新道ザイテングラードを整備しました。和気富士から縦走して来て最後にもう一度岩稜を歩いてしめくくりたいという願望を満足させれるルートだと思います。

山岳犬タロー:私が飼っている柴犬です。飼い主に似て山が好きですが、救助はしません。そのかわり私がラッペルしていると上からたくさん石を落としてくれます。ダニにたかられるので、冬しかパーティーが組めません。

taro

1万円のデジカメ:写真をスキャナで取り込むのは現像代と手間が掛かるので、思い切ってデジカメを1万円で買いました。38万画素というのがどの程度のものか分からず、懐事情でこれが限界といえるものを買ったわけですが、いい景色も最悪の写りになるので、とりあえず分かりにくい登山口の様子くらいを写していこうと思っています。

ああ〜暑い!:5月26日30℃以上の炎天下の中、HPのためにバリエーションルートのダイレクトルンゼの写真を撮りにいきました。藪が茂ってとりつきを間違えて一番奥の岩壁を間ノ峰に登ってしまい、結果開拓してしまいました。バテていましたが、続けて再挑戦し、なんとか撮影できました。おかげで完全にバテました。おまけに毛虫や漆にかぶれています。続きは12月にした方がよさそうです。 

コージツ岡山駅前店、新保店:皆さんご存知の登山用品店です。和気アに取り組みだした当初から、店長さんに無理をいって拙い和気アのパンフレットを置かせてもらっていました。遅れ馳せながらこの場をかりて、店員の皆さんにもご迷惑をかけましたことをお詫びし、温情に感謝いたします。

ホタル:6月には下水道整備のおかげか日笠川に限らず、和気町ではあちこちでホタルが見れるようです。サイクリング遊歩道の金剛川鉄橋から東側を見下ろせば(町明かりがジャマで見えにくいけれど)金剛川にもたくさんホタルが飛んでいるのが見えます。

更新記録:面倒でつけていません。このHPはまだまだ完成にはほど遠く、表現が気に入らず、文章の訂正などはひんぱんに行っています。すみませんが、山行直前に再チェックしていってください。“おおっ!新ネタだ。”ということがあるかもしれませんよ。

周辺の山:今は本に出ている2つしか紹介していませんが、他にも論山、観音寺山、衣笠山、空山、イモリ山、室原山、ほじくると次々出てきて本当キリがないです。調査にはだいぶかかると思います。静かな薮山を好む方からは“HPには紹介しないでほしい。”という声もあります。7月4日にゲンコツ岩を調査していて石仏山に整備された登山道を見つけてしまいました。外国山同様に歩かねばならないようです。

周辺の岩:対象としているのはある程度の大きさがあり、クライミングもできそうな岩場や岩塊ですが、これまたほじくると次々出てきて本当キリがないです。取り付くのに山ごと調査しなくてはならなくなったりして、やはり時間がだいぶかかると思います。

周辺の沢:和気町にある3つの滝を紹介していますが、他にも渓谷美がたのしめる沢をさがしてあちこちの谷をうろついています。思いがけず林道を発見したり(これはこれで新しいたのしみもあるけど)、せっかくの沢が堰堤で作り変えられていたりしてなかなか気に入った沢が見つかりません。水量のある沢はみんな整備(破壊)されているようです。コージツの店員さんも“岡山県には沢登りの対象になる沢はありません。”といっていましたが、ほじくり続けるつもりです。隣の兵庫県は岩と沢が豊富なのにな〜。

身投げ岩:穂高山から南の天神尾根の先にあり、大田原の県道沿いにある怪獣ゴルゴス(誰も知らない?)みたいな岩です。鎌倉時代に武士の妻が夫の死を悲しんでここで身投げしたといわれています。当時、岩元は金剛川の淵だったようです。天神尾根は途中にあった遂道が、いまでは切り崩されて寸断されています。南端からこの岩に登ることができますが、やると子供っぽくて周囲から丸見えなのでちょっとはずかしくてまだ登っていません。

登山道の今昔:和気の山を調べていて思ったのですが、昔の道は谷沿いについていて、今の道は尾根伝いについているようです。昔は展望がなくても山菜が多く、分け入りやすかった沢沿いがよく歩かれていたのが、今は登山を楽しむために展望のいい尾根伝いにつけ換わったようですね。皮肉にも谷の道は薮に埋もれたり、崩れたりして消えやすく、尾根道は削れてクッキリしてきます。薮の静まる冬に谷をうろつくとコケむした古道をみつけられます。

保安林の標識:“ええ!こんなところにもある。”と思ったことが何度もあります。特に谷の薮の中が多く、前人未踏だと思ってワクワクしながら分け入っていて、この黄色い看板をみてガッカリしたことがホント何度あったことか!かつて人は山と想像以上に深い付き合いをしていたことを思い知らされます。

山は史跡の宝庫:山中に祭られているいろんな祠(ホコラ)から古代の和気町が想像できます。大田原地区の山中には極めて多くの祠があり、どうも大田原が和気の最初の中心地だったのではないかと思っています。それが神ノ上山を中心に少しづつ東に移って藤野に和気氏が庁舎を建て、さらに和気神社ができたと考えたのですがいかがでしょうか。山中でホコラをみつけるとつい気分がインディー=ジョーンズになる私です。

梅花藻?:トップページに歳時記のようにコメントを入れているのですが、“初瀬川に梅花藻が…”となっていましたが、梅花藻は花びらが5枚で、15℃以下の水にしか生えないというのが気になり、調べてみると黒藻でした。すみません。訂正します。でも、川中のお花畑はなかなかですよ。

和文字焼きの裏方話1:私は消防団員なので8月16日は炎天下夕方4時からホースをかついで観音堂ルートを登ります。ふもとの小川からポンプ車で水をくみあげ、登山道脇の中継ポンプで再加圧することで山頂から散水しています。しんどくて大変ですが、そばで点火を見守り、花火を上から見下ろしながら涼んでいる時は爽快です。花火が終わるとヘッドランプを灯して下山しています。

和文字焼きの裏方話2:和文字の点火をしたこともあります。散水後 薪にかぶせていたビニールをはがし、灯油をしませたボロ布を薪の下につめておきます。8時のフエの合図で1辺につき1人の割り当てで一斉にチャッカマンで点火していくのですが、隣の燃え上がる熱で風がまきあがり、私に渡されたチャッカマンがガス欠気味だったので吹き消されてしまい、一人だけ点火できずひどく焦ったのをおぼえています。

山火事:8月6日夜11時、岩山の山頂が落雷で火事になりました。夜中で危険でしたが、東備消防と和気町消防団員総勢100人が水を担いで観音堂から登り、午前4時までかけて消火しました。おかげで、山頂の10m四方が燃えただけですみました。本来なら夜中の山火事は遭難の危険があるため火が民家に迫っていない限り消火活動は見送られ、被害が大きくなりがちです。今回のようにホースの届かない2山越えた山頂に人海戦術で水を運び上げたのはすごいことです。皆バテバテでした。消防団員の皆さん本当にありがとうございました。かくいう私もわずか2時間の睡眠で出社となりヘトヘトです。

事実上、山火事は山を焼き尽くした後、ふもとまで火がきて初めて有効に水を掛けれる場合がほとんどで、山中で消し止めることは困難と危険で不可能に近いといえます。大好きな山を守るには、なによりも火の用心です。

まだ燃えてた!:8月7日朝鎮火を確認し、昼前には雨も降ったのですが、翌8月8日夕方3時になってまだ燃えているとの通報で、見ると煙がのぼっていました。再び総勢50人が水を担いで登り、夜7時までかけて消火しました。現場にはまだ炭になった木が地面に厚さ20cmくらい積もっているのでまた出火するかもしれません。なんともやっかいな火事です。正直マイッています。と、ボヤいていたら本日8月9日朝9時にまた煙が出て、東備消防だけで消火したそうです。夕方にはまた雨が降りました。もう終わりにしてほしいです。(後記:願いが通じてこれで終わりました。ヤレヤレ。)

いよいよ松茸シーズン:8月22日、シーズンに先駆けて白テープ廃絶を訴えた入山禁止の札を全登山口に設置しました。(モロ民家の軒先を通過する権現様鳥居の登山口は犬がとうせんぼしていて事実上通行不能ですので、ここのみ札は設置していません。東へ竹林を回り込んだ登山口には設置しています。)黄黒ロープをはり、ラミネートした入山禁止の札をガムテープでつけたのですが、とうせんぼできる場所でなくてはならないので、登山口によっては設置場所がある程度入った山の中になっています。(観音様の石段登り口のみあまりにも登った所なので手前にも札だけを設置しました。)はたしてどれだけ白テープ廃絶に効果があるか疑問ですが、ダメで元々、やるだけやるのみです。なお、12月になったらすぐに、かたっぱしから全ての松茸白テープを撤去するつもりです。

熊山 勢力ルート:お隣の熊山(ここもルートによっては長々と松茸テープがあります。)は論山など尾根の一部は和気町にかかっているので、9月はじめ、まわりの山の調査として比較的涼しいと思えるこの沢沿いルート(このルートは熊山町ですが)を歩いてみました。地形図に書いてあるルートは薮にうもれていますが、沢沿いに根気よく赤テープをたどると、源頭まで詰めた後 T字路を左にいって山頂付近の池のそばのハイキング道に抜け出れます。私はなんども迷いながら一度抜け出た後、“これはイケる。”と思い、後日フェルトワラジでザブザブいくとこっちの方がはるかに楽チンで快適でした。小滝ばかりで、3回右にまいただけでほとんど直登で行けました。ロープ等は不要です。源頭手前から踏跡歩きになりますが、約2時間の岡山県南では貴重な沢登りルートといえます。山陽HWができる前の昔なら白稜中学横地点から入渓できたのにと思います。水量が少ないので雨の後がおすすめです。ただし、9月後半からは松茸のせいか立ち入り禁止になっています。

論山(ろんざん)にトンネル!:登山道は薮におおわれているが、なぜかファンがいる熊山山系の山です。現在、熊山町側から農免道の工事がされていて、山頂南の和気町境が300mのトンネルになり、養鶏場の裏に通じます。完成は平成26年とのこと。

ブラウザ:10月8日、無料でダウンロードできるインターネットエクスプローラーの6.0バージョンにアップデートしたところ、あんばようおえりゃあせんがな!タイトルが“和気ア・プス・ホー・ページ・・。”と表示されるので、ちょっと見栄えがしないけど今までの飾り文字をやめました。ほかの人のHPでも写真がうまく見えなくなったりしています。こうなると、たいしてメリットがないような気がするし、アップデートしなきゃよかったかなあ。OSでも98バージョンからMeにアップグレードしたものの機能を損なったアプリケーションもあるし、たいしてMe対応のソフトも出回らないうちにもうXPバージョンが出そうです。

山ナスビ11月になり、紅葉のたよりをききますが、和気アは色づきはじめたばかりでまだまだです。たいてい11月15日から12月初めまでになります。入山禁止が私にとって辛いのは紅葉ではなく、子供のときから食いつけている豊富な山ナスビが食べれないことです。山ナスビとは中部以東ではクロマメノキといわれているブルーベリーの仲間です。どこの山にもありますが、和気アには特にいたるところにたくさんあって、捜すまでもないので、これがある時期は食料も水もなくても平気です。先日、熊山で1本だけ見つけて大喜びでむさぼりました。

熊山の登山道:県南で一番有名な山のせいか、いろんな人がいろんな踏み跡をつけていて迷うこともあります。まだすべての道を歩いたわけではないのですが、有名ルートはやたらトラバースばかりして、ピークや岩場をさけて、変化がなくて平坦です。三角点や山名があるピークですら巻いています。稜線を忠実にたどり、岩場へ立ち寄る和気アとはえらく対照的です。和気アの登山道がハイキングを楽しむ目的で作られているのに対し、熊山は神社参拝のために少しでもラクなコース取りをしようとして作られた参道なのがわかります。登山道は熊山町よりも備前市からの方がはるかに豊富で、送電鉄塔も多く、参道や送電整備道が複雑に交差しています。備前ハイキングクラブが道標を整備しています。送電整備道は地図に載っていないけど有名ルート以上に整備されていて、地形を無視して急坂に強引に付けられていることもあり、むしろこっちを辿る方がハイキングとしては変化があって面白いと思います。

ライバル:私がもっともライバル視しているのが兵庫県播磨アルプスこと高御位山です。播磨には雪彦山や倉沢など岩山や沢が豊富で、沢や岩山の少ない岡山とはえらい違いです。面白い山が多いので、私の山岳会でもよく播但道(この道路は不親切!ICをなんど通過したことか。)を走っています。県こそ違えど、和気アは播磨の流れを汲んでいるのではと思っています。

山の調査:HP完成のために調査しなくてはならないことが多いのですが、よく脱線していろんなことをやっています。今秋は(一部松茸山で通行止めですが)熊山を徘徊しています。涼しくていい季節になりましたが、日が短くなったのがくやしいところです。特に冬は私には忙しいシーズンです。薮山を行くのもよし、雪山もよし、スキー(優れもののショートタイプの山スキーを持っています。)も楽しい。おまけにネオプレーンの沢タビをかったので、冷たい薮沢も楽しめそうです。12月から3月までは休みがいくらあってもたりません。ちなみに私の行動パターンは、春は岩登りと残雪歩き、夏は沢登りと遠征、秋は適当にハイキングとなっています。

ネイチャリスト:岩魚を釣ってさばき、きのこや山菜をとって食べれる人に憧れます。今の私は岩と雪が恋人で、樹木や草花はまだまだです。どこでも行ける冒険家でありながら食料調達もできる万能のネイチャリストになりたいです。サイクリングやスキーの他にもカヌーやパラグライダーも面白そうだし、山(自然)との接し方はあまりにも多様で、全てを習得しようと欲張るとライフワークになります。今の内でないとできないであろうことからやっていきましょう。まだ体力気力のあるうちはアドベンチャーを頑張ります。しかし、確実にデブッています。おたがい年はとりたくないですね。

セオリーのあてはまらない熊山:道が分からなくなったら沢へは降りず、ピークや稜線に登ると道があって助かるといわれてますが、(先にも書きましたが)熊山ではトラバースばかりしていて、ピークに道がない場合が多いです。逆に丸いピークなどは迷った踏み跡がゴチャゴチャついていて、かえってよけいに迷わされてしまいます。こうなるとどんなベテランもコンパスと地図の両方がないと大変なことになります。(実は私も迷ってあせりました。)皆さんもお気をつけ下さい。

おお!7ページ:このページを印刷したところ、なんとボヤキも積もり積もってなんと7ページ!いい加減にしょーもないコラムを整理しなくてはとおもうのだが、めんどうくさい。どおせだあれもよんどらんじゃろうし。このままいくぞ!うん。と、いうわけでまだまだ増えていきます。(正直いってこのページが一番ひんぱんに更新されています。どうでもよい情報ばかりでしょうが、私の哲学が時折まざっています。もし、ここまでとばさずに読んだ方がいれば判ってもらえたと思います。)

私の登山道論その山が面白いかどうかは登山道しだいである。道は人が通らないと薮にのまれて消えてしまうが、通りすぎると掘りかえされるので、保全にお金と人手をかけてまるで公園のような遊歩道に作り変えられることが多い。初心者(観光者)の中にはこれを望む人もいるだろうが、私は残念でしかたがない。得てして、山を知らない人が山をいじると公園に作り変えてしまいがちだ。どうすればその山らしさを保てるか真面目に考えてから作業してほしい。例えば、階段などは極力避けて、斜面そのままに木片チップや砂利を敷くようにしてほしい。中傷するつもりはないが、有名な山に階段歩きに終始するルートがある。私はウンザリして、いい景色もヘチマもどうでもよくなった。こんな山をすばらしいという人が和気アに来たら、あらためて“山の面白さ”を考え直さされることになるだろう。和気アの面白さは自然の面白さである。あえて階段など整備せず、ザレた急坂を皆でワアワアいいながら降りるから面白いのだ。

いよいよ開山1130日夜、全ての入山禁止の札を撤去し、121日、朝5時半から取り付いて6時の夜景と7時の御来光プラス雲海を見ながら調査をする。実は午前中は子供達の学習発表会を見に行き、午後からまた登りなおす。鷲ノ巣では勤労者山岳会の方にルートを確認できて、やっと鷲ノ巣のHPが完成できました。

白テープ取り:松茸テープはPE(ポリエチレン)やPP(ポリプロピレン)で、どちらもヨーグルトやプリンのカップに使われている無害な素材です。(有害なダイオキシンが出るのはPXC(ポリ塩化ビニール)です。)したがって、古くて糸状になったものは放っておいても大丈夫で、地面に埋まったものはかえって土砂崩れ防止になります。モスラの幼虫にやられたゴジラのような樹木も雨風や紫外線に任しておけば3〜5年できれいになりますし、見苦しくないものはコースサインとして残しておいてもいいでしょう。撤去するなら新しいテープを撤去するべきです。うまいことに新しいテープは撤去しやすく、比較的ラクに見た目もかなりよくなります。山をきれいにするのは効率よくやらないと大変です。とにかく新しいテープを張らないようにさえすれば自然にテープは消えます。

ウイルス:やられました!変だと思いながらも、知人からのメールだからと警告を無視して添付ファイルを開けたのがまちがいでした。ワームバッドトランスBこんちくしょお!。プロバイダーの無料サービスを利用して午前2時まで夜更しして治しました。はじめてのウイルス汚染でした。私のドジでたくさんのメール仲間にウイルスをまいたと思うと辛いです。みなさんは大丈夫でしたか?1130日夜から123日まで山を整備してまわり、くたびれていたところへこのウイルスです。4日に感染し、6日午前2時にやっとウイルスを削除しました。この2日間はろくに寝ていません。ヘトヘトです。

コースタイム:へろへろさんや、うちの会社のK常務にも指摘されたのですが、ザイテングラードの下降コースタイム20分で登山口は無理とのこと。実は私はザイテングラードを13分で、ほとんど駆け降りています。これは通い慣れた私のタイムであり、しかも涼しい季節に軽装でのタイムです。こういった急坂ルートでは体調、気候、装備によってかなりタイムにバラつきが出ますので、よく考えればこの設定はちょっとキツいと思います。すみません。コースタイムの設定は長めにしておくべきですね。

これより02年。

もっと休みを!1210日、前ノ峰から涸沢峰までの白テープを取りました。1216日には三宅さん御夫婦が涸沢峰から北稜ルートの白テープを取ってくださいました。感謝いたします。そして、本日123になって竜王山の白テープを取りました。あとはエビ山から前ノ峰だけです。ほかにも自分が張ったガイド用の白テープも黄黒のトラロープに付け替えたいし、読みにくいイノシシプレートも書き込みたいし、このHPも完成にむけて調査や取材をして更新したい。(知人からは、やたら字が多く見づらいとのクレームもありますのでその点も直したいです。)でも、やらなくてはならない家のことや家族サービスもしなくてはならんし、スキーにもいきたい。冬はほんとうに忙しいシーズンです。

アクセスカウンター:マイナーなHPのくせにアクセスカウンターを設置し、1000人を越えたときはすごく喜びました。今が低山を楽しむにはいい季節であるせいか、1月から2月にかけて多くの登山者が歩いたようで、地図のなくなるのが早く、登山道もかなり踏まれています。この分でいくとHP誕生1年目の51日には何人になっているか楽しみです。マイナーな低山にもかかわらず、大阪から新幹線でこられたり、広島からバスをチャーターしてこられたりと、遠方から足代を費やしてわざわざ和気アにこられる方もいますし、県内から何度もリピートして通われている方もおられます。より風情のある山にして皆さんをお迎えしたい!思わず松茸テープを取る手に力が入ります。

和気が一番寒い訳NHKの天気予報で、冬になると和気の最低気温が津山や千屋より低いのは、おそらく那岐山をこえた北風が400Mクラスの台地状の山の上をすべって南下し、500Mの熊山に堰き止められるため、和気が冷たい空気の溜まり場になるからではないかと思うのですが、いかがでしょうか。

実は単に温度計がめげてるだけだったりして。

松茸期間が山の休養日:登山者が増えている現在、夏は暑くてあまり人が入らないので6月から11月末までの半年が山の休養時期として大事なものになっていると思います。冬春のあいだにオーバーユースで登山道が荒れても、夏秋のあいだに植物は踏まれて痛んだ根をはりなおし、落葉を積もらせて登山道という傷に包帯をして治療しています。和気アが松茸山で入山禁止期間があることは、むしろ山のいい風情を保つために役立っていると思うのです。12月、開放された登山道は落葉がフカフカとしてまさに天然の錦のカーペットが敷かれたようです。シダの緑にも映えて風情万点、フカフカ感が心地よく、この時期に歩くことは最高の贅沢といえます。こんな贅沢を味わえるのも松茸山だからなのです。なお、紅葉は登山道沿いは松ばかりでよく見えません。負け惜しみでなく、むしろ麓から見上げた方が綺麗です。また、12月初でも穂高山から南の谷底をみると紅葉が見れます

早く完了しなくっちゃ:松茸テープを取るぞ!と言い放ったのが12月。三宅さんファミリーの御協力で、あとはエビ山から前ノ峰だけなのに、なかなかはかどりません。インフルエンザで寝込んだり、スキーに行ったりして2月はすぐ済んでしまった。ああ〜あ〜。なんとか4月7日のハイキング大会までには完了しなくては!“ねえ、父さん。松茸テープって何?”“あったなあ。昔そんなのが。”といえる山にするぞ!

岩と木立の調和3月の大山で元谷小屋を確認してから、8月に行くと小屋がない!崩落で無くなったのかと思っていると木立の中に埋まって木の葉で隠されていました。落葉の時と木の葉が茂っている時では想像以上に劇的な変化があるものですね。2月の和気アも今まで無かった(木立に隠されていた)古い道が出現したりします。雪と同じく視界を奪い登山道を隠す木立ですが、木立が無い低山はどんなにリッパな岩場があろうと山とはいえず単なる不整地です。雪が高い山をよりそれらしくしているように、木立が低山を山らしくしているのです。木立なんてなければ眺めもよく、迷うこともないのにというのはとんだ見当違いです。どんないい眺めも変化がなければすぐに飽きますし、迷うかもという恐れは山歩きにはなくてはならない冒険的要素で、ラーメンにかけるスパイスのようなものです。何事もいい味に仕上げるには塩加減が大事です。和気アがより味わい深い山になるように岩と木立の塩加減を大事にしていきたいです。

wakealpsmark 

和気アルプスのロゴマーク:なぜかデザインしたくなり、いのししの顔をモチーフにしてWAKEの文字もカッコつけてみました。このHPに彩りをそえさせる他にも、なにかいろいろ使えそうです。自己満足以外のなんでもないですが、いかがですか。カッコ悪い?でも愛嬌あって気に入ってます。しばらくトップページでおひろめです。なんじゃこりゃ〜の声が聞こえるようです。

inosisi

マスコット:HPができる前に、ピークハント21ガイドに書いた手書きのイラストのイノシシですが、マスコットキャラクターとして、名前をつけました。瓜坊、ウレシイ(ウレピー)をあわせて、その名も“うりぴ”です。HPだけでなく、新しい企画(新イベントを構想中です。)にも登場して活躍すると思います。どうぞよろしく。

やったぞ!!ついに本日02316日、松茸テープを取り尽くしました。我ながらよくやったと思います。ああ、疲れた。思えば田部井淳子さんから“松茸テープが残念だ。”といわれてから丸1年。この間いろいろ悩み、考え、とにかくすべて私がまいた種だからと、投げ出すこともできず苦しみました。

もともとあまり登山者のいなかったこの山を勝手に廃道復活させ、地図をばらまき登山者を呼び込んだ上に、ピークハント21を準備するためヤバいと思いながらも松茸期間中も歩きまわり、(実際、おととしの松茸時期にはかなり多くの登山者が歩いていました。)かつて少ないからと大目に見てくれていた地主をすっかり怒らせてしまいました。たちまち登山道脇はテープが延長して張り巡らされました。これ以上地主を刺激してはいけない。登山者のためだけを考えていたことが、へたをすると閉山の憂き目をまねきそうになりました。地主のためにも松茸時期は登山者を規制しなくては。いままでうやむやだった入山禁止を徹底しなくては。もはや実行あるのみです。去年の秋は全ての登山口にロープをはって閉鎖しました。“登山者を入れないからテープをはらないで。”とフダをつけました。その上で、今回堂々と松茸テープを取ってまわりました。これからも入山禁止を徹底し、はられたテープは12月早々に撤去していきます。やがてテープがはられなくなるその日まで。とにかく今回はかなり以前からの古いテープもまてめて取りましたので、ゴミ袋10杯くらいになりましたが、次回からはだいぶ作業は楽になると思います。要領も得たし。

じつは、私一人がテープをとったのではありません。このプロジェクトを決意させてくれた恩人がいます。その方こそ以前から家族ぐるみで瀬戸町からきては松茸テープを取っておられました。今回も約半分のテープはこの熱烈な和気アルプスファンの御家族の尽力により撤去されました。ここにその名を記し、御礼申し上げます。三宅 泰正さん御家族の皆様。誠にありがとうございました。おかげでいい山になりましたよ。

ほかにも、たなびいたテープをちぎってまとめておいてくれたり、取り去ってくれた登山者のみなさんにも御礼申し上げます。

なお、本日はアシーズブリッジ御一行をはじめ広島から多くの方がこられていました。ピヨさんとタロさんにもお会いしました。みなさん遠路ありがとうございます。これからもこの山を御愛顧よろしくお願い致します。

まだまだやることいっぱい:さて、あとはと、樹海のガイドテープを黄黒トラロープに張替えなくてはならんし、21プレートを書き直したいし、北林道の登山口の防獣柵に注意書きを着けたいし、HPの取材もしたいし、新ルートも整備したいし、ううむあるあるいろいろと。やや!観音山の山頂がゴミだらけではないか!早く清掃しなくては!

今年のツツジは早いかも:ここのところ初夏並に暑いせいか、つつじのつぼみがはやくもピンクになっています。ハイキング大会のある47日がもしかして満開時になるかもしれません。

まよわないピーク319日ザイテンから神ノ上まで松茸テープまがいの白いガイドテープ(私が張ったものです。)をトラロープに張替えにいくと、まよいピークの北面の植林帯が間伐されていました。12月にはなんともなかったのにすごい変わりようで、随分とあかるい雰囲気になりました。実は北林道ルートも開通した後すぐに東側が間伐されて、鬱蒼とした道があかるくなりました。何十年も手付かずだった神ノ上山の北面の植林帯が今になって手入れされています。剣峰へのルートがすごく明るくわかりやすくなったので、ガイドテープを取ってコースサインの金テープだけにしました。実際、黄黒のトラロープをはりめぐらすと工事現場みたいになっちゃいますので、できるだけポイント的にしたいです。それにしても文明の利器はすごいです。チェーンソーでがんがんやられたら、どんな低山もすぐにただの不整地になってしまいますね。折りたたみノコしか武器を知らない私には脅威です。張替え作業はまだ途中で、まよいピークまでしかできませんでしたが、もはや“まよわないピーク”になっています。

神ノ上山頂にトイレは無い。:神ノ上山頂にはトイレを思わせる建物がありますが、関西電力(?)の施設であり、トイレではありません。トイレは鷲ノ巣方面登山口の“山の学校”にボロボロの扉のないトイレがあるだけです。山頂周辺の伐採された樹木が倒れている中にはティシュが多いです。また観音山同様ゴミ拾いをしに来なくてはなりません。それにしても、山頂にはいろんな登山者が記念に残した登頂プレートがあったのに、私がユーモアで縦走路につけたミステリーホールのフダと同様なぜか撤去されています。残念ながらゴミ扱いしている方がいるようです。プレートの中にはその人の感激の思いがつまっています。私個人としては大事に残しておきたいです。それで、氾濫するようなら専用のフダ掛け場を設置してやりたいくらいです。

もうツツジが咲いてます。320日 リビングおかやまの取材山行があり、北稜ルートから南を縦走しました。すると、もうツツジがあちこちで咲いています。充分花見になります。もしかして4月前に満開になってしまうかもしれません。とにかく今年は異常です。つぼみの着き方も例年よりかなり多く、見応えがあります。特に和気富士登山道はスゴイです。ゆっくり歩いて、じっくり楽しんでください。それにしてもちゃんとテープを取ったつもりなのにまだまだ残骸が多いです。また改めて残骸取りをします。予想時期よりかなり早くツツジは咲くし、まいったな〜。

なお、420日のリビングおかやまに和気アが紹介される予定です

ガイドロープ張替え完了321日 今まで自分がガイド用に張っていた神ノ上山中の白テープを黄黒のトラロープに張替え完了しました。また、山頂のティシュも全部拾いました。古いのは綺麗(?)になっていますが、中にはまだ新しくて汚れたものもありました。汚れたティシュを各自が持って帰ればいいのですが、ちゃんとした入れ物がないとなかなかできないでしょう。入山前にまず用を足す習慣を身につけてくれると助かります。JRなら和気駅に、車なら温泉のロビー奥に綺麗なトイレがあるのでぜひ利用してください。和気中学校体育館横にもトイレがあり、土、日、祝日なら利用できます。また、山の学校のゴミも拾いました。さらに間伐された植林帯の様子を見に行き、北林道のゴミも拾いました。さあ、あとは観音山だ。と、いうことで327日 観音山のぼろぼろの青シートやゴミも拾いました。

また3月22日はコージツ岡山駅前店の和気アルプスツアーにゲストとして参加させてもらいました。思いがけずへろへろさんにもお会いできました。あっちがおすすめですとかいって結果2時間もよけいに皆さんを連れまわしてしまいました。とんでもないゲストでした。ごめんなさい。

新ルート:去年は地主を刺激しないようにルート開拓を見送っていましたが、今年は一般道としてはかなりハードなルートが出来そうです。冒険好きの方はお楽しみに。完成したらまた報告します。ルート名:チンネ・スラブルート。

ラティスを神ノ上山頂に:和気アの最高峰 神ノ上山には幽霊がでそうな関電の建物と三角点があるだけで、山頂碑も方位盤もありません。登頂記念にプレートを自作持参された登山者が適当な木につけて帰られています。山に残してよいのは足跡だけなのですが、正直いって私はうれしいです。ああ、大阪からこの日に来られていたのか。おお、こっちは神戸からだ。と、新しいプレートを見つけるたびによろこんでいました。かくいう私自身はコースサインの金テープやトラロープ、道標からイノシシプレートとやりたい放題です。スミマセン。でもやはり問題があるみたいで、清掃ボランティアによっていつのまにか和気富士から神ノ上まで(竜王山は無事です。)のプレートが撤去されてしまいました。私が設置したもので撤去されたのはミステリーホールだけ(たしかにこれはふざけていました。)でしたが、ああ、なんと非情な!イノシシプレートだけのがらんと淋しい神ノ上山頂でクシュンです。よそにはひどい虚栄心むきだしのプレートが山を台無しにしている所もあるようなので、撤去されるのはたしかに正解です。悪くいえば街中のスプレー落書きみたいなものですから。(雪彦山の出雲岩の落書きはまさにそのもので、いい山なのに残念です。)でも、和気アのプレートはちょっと違うと思うのです。おそらくこの山に感激されたから、さりがたい気持ちを自分の代わりのプレートに残していかれたようにも思えるのです。とにかく私は遊び心を失うくらいなら死んだ方がマシだと思っていますので、マナーとモラルを守りながら楽しくやれる方法を考えました。(ああ、いつも思うが仕事もこれくらい取り組んでいれば今頃は−。)まず、プレートをつける専用の場所をつくり、そこ以外はつけないようにさせれば、ちらからないし自然にもやさしく、神社の絵馬のようになれば見た目にも面白いと思いました。はじめはアルミの脚立を考えていましたが、実物を見ると興ざめしました。やはり趣のある木製のものでなくてはつける気になりませんし、かえって山の粗大ゴミになってしまいそうです。ホームセンターを歩き回り、ガーデニングのバックボードにしている木の格子枠のラティスを見て、これだと思いました。畳ほどもありながら1980円(特売でした。)の安さもうれしいです。2枚買い、スキーのように背中に2枚のラティスを背負って登り、41日に神ノ上山頂に設置しました。景色の邪魔にならない、いい場所になかなか洒落たものができました。はじめに頭で描いたもの以上の出来です。これを設置した趣旨も書いておいたので、おそらく撤去はされないと思います。はじめての試みでどうなるかやってみないとワカラないというところですが、皆様のご理解と御協力をお願い致します。楽しい結果を期待しています

2代目イノシシプレート:イノシシプレートは1年だけもてばいいと思っていたので、ベニヤにニスをスプレーしただけのものです。案の定、吹きさらしの観音山のはやたら痛みがひどくバラバラになりそうだったので、4月1日、これのみ耐久性のある新プレートに更新しました。どんなものかはご自身の目で確認してください。ウチの末娘がひどく気に入ってました。

4月1日、整備完了:とりあえず、ハイキング大会までにやっておきたかった整備と清掃(いろいろごちゃごちゃやったので、内容は省略させてください。)を完了しました。ご報告まで。さあ新ルートにとりかかるぞ。あっとHPの取材もしなくては!でももう夏並に暑いぞ!どうしよう。

見方によると:堅苦しい話になりますが、はじめは松茸テープをガイド用に張られていると勘違いしたこともあり、ちがうと知ったあとも まあいいや初心者にはいいガイドテープになるからなんて思っていました。山には見苦しい存在だと思いながらも撤去はしていませんでした。それどころか自分の開拓したルートのガイド用に同じ白テープを張ったりしました。ほんとに人のやることはその時の見方でよいと思いながら悪さもするのですね。トラロープに張替えましたがこれもいいことなのかどうか先にならないとわかりません。でもその時はまた対処できます。後悔しているのはマジックで木の幹に直接書いた道標です。消えると思っていたら6年たっても色あせていません。完全な失敗です。ごめんなさい。今回、ラティスをプレート掛けとして設置するというのも後になって見方が変わればどうでしょうか。でもひとついえることがあります。たとえ後でまちがっていたことだとされても、よかれと思って真剣に取り組んだ結果ならしかたがないということです。なにかやろうとすれば必ず否定する要因はあります。それを悲観してやらないよりもやりたくてたまらないなら、正しいかどうかの判断は後の世にまかせて実行したほうがたとえ失敗しても諦めがつきます。なんと強引で無責任な!でもホントですよ。だって人類の歴史はそういうことの繰り返しじゃあないですか!!話がデカすぎるのでいいかえると、本当はいけないゴミだって迷った時にみつけると、ほっとさせてくれるでしょう。それと同じです。(ゴミすてを賞賛してはいませんよ。)なにが良くて悪いのかは状況(見方)しだいです。私は極端(一方的)なことはできるだけ控えて、どの立場にも理解を求める方法を提案実行していきたいです。う〜ん、難しい!ついてこれた人いますか?

おたのしみノートを和気富士登山口に44日、大山の避難小屋にあるノートをイメージして、名目上“入山届ノート”としておたのしみノートを和気富士のお稲荷さんに置きました。遭難などする山ではないのですが、なにかあった時に登山届代わりにもなるのでぜひ皆さん落書きして行ってください。またいつか貴方や御家族、知人が読みに来られますように。じつは温泉にも置きたかったのですが、これは断られました。

なお、何年かしてプレートでいっぱいになってボロくなったラティスとこのノートは私が回収し、宝物として大切に保管致します。

回収する時は事前にHPで発表し、比較的新しいプレートは新しいラティスに移し変えます。ご希望でしたらメールでアポイントくだされば保管中のものをお見せします。

また、もしうまくいったら、和気富士や槍ヶ峰(ここにもプレートがよくついていたので)にも小ぶりなラティスを設置したいです。

専門業者:すごく太い倒木などもぶつ切りにして除去しておいてくれているのは誰なのか産業建設課に電話で伺うとやはり業者さんでした。ハイキングコースのみ大会前に登山道脇を刈り払ってすれちがえれるように山専門の業者に委託しているそうです。何百人もダンゴで歩くとなると追い越しなどがスムーズにできなくてはなりませんから過剰整備はしかたのないことです。ちなみに私が開拓したルートは対象外で、一人が通れるだけの狭いままです。

吸殻:ゴミで多いのがティッシュと意外にもタバコの吸殻です。ティッシュは入山前にトイレを済ませることで減らせます。繰り返しになりますが、JRなら和気駅に、車なら温泉のロビー奥に綺麗なトイレがあるのでぜひ利用してください。和気中学校体育館横にもトイレがあり、土、日、祝日なら利用できます。それにしてもタバコの吸殻には閉口します。私が最も恐れる山火事の元だからです。銘柄が同じなので特定の人物でしょうが、愚かな人がいるものです。自然愛護だけでなく山火事の消火活動がどれだけ大変か身にしみてますので、森林警備隊を結成して巡回させたいくらいです。林道脇の産廃も困っています。ビンなど少量なら拾えますが、トラック一杯くらいあります。鷲ノ巣岩元への植林帯の中にはエアコンが不法投棄されています。よくまあこんなところまで運び込むものです。産廃撤去も未だ手付かずの課題です。ほんとうに次から次にいろいろありますね。

許可と黙認:私がやった新ルートの開拓はほとんどが廃道復活であり、純然たる新ルートはザイテングラードだけです。

ザイテンのルート整備は町役場で地主を調べ、そこが個人でなく地区のものであり、県の保安林に指定されていることを確認し、保安林については産業振興課にいって許可をもらいました。本来なら県へ申請しなくてはならないことですが、人一人が通れるだけの下草と枝払い程度のことで、土砂崩れを誘発するなどの問題がないなら伐採許可は要らないでしょうということで、温情により口頭で許可をもらいました。この時はこれで全てOKと思い込んでいて、区長さんへのお願いをしていませんでした。あとで知ったのですが、県の保安林に指定されている場合は開拓整備するには地主と役所の2つの許可が要ります。

廃道復活のほうは地元の老人や同級生から子供のころはあそこに登山道があったと聞いた上で、不明な箇所や難攻する箇所などにアドリブを入れてはいますが、もともとあったものを元にもどすだけだからかまわないだろうと勝手にやってしまいました。これも本来なら地主に許可をもらわないといけないことだったと今更ですが反省しています。松茸時期の登山者にたいしてはクレームがつきましたが、幸い刈り払った行為については地主は黙認してくださっているという状況です。しかし、今回“リビング岡山”というマスコミにも取り上げられた以上、黙認のままではなく、近い内に区長さんを通じてお詫びと報告をしていくつもりです。ただのファンだったのに暴走してしまい、いつのまにか“和気アの主”や“人気の仕掛け人”に出世しています。出世したら仕事もふえるものですね。

地主:町役場で教えていただいたことですが、山の地主は個人の他に、地区のものだったりします。特に地区で管理している松茸山は入札で個人(たいていは同じ人)に松茸期間限定で落札されます。ですから個人が張っている松茸テープはご遠慮願えても、地区の松茸テープは張らざるを得ないようです。区長さんにお願いだけはしてみますが難しいでしょうね。

木は太る:道標をつけられた木が太って、ロープや針金がくいこんでいたりします。中には完全に一体化して ゆるめられない木もありますが、次回から消えかけたマジックを上書きする時にゆるめていこうと思います。またコースサインもきつくなったものは更新していきます。

ところで、どんな道標がベストなのでしょうか。私は木切れにマジックで書いたものを錆びないステンレスの針金で木や枝につけています。プラ板は意外とモロいので、木切れの方が風情もあってゴミにもならずいいと思います。針金はゴミになりますが、どんな太さの木にも方向性をもたせてつけれるし、ゆるめたりしやすいので今のところこのままでいこうと思います。マジックは(岩場の黄ラッカーもそうですが)日陰のものはもちますが、日当たりがいいと1〜2年で消えます。これは定期的に上書きするしかないようです。メンテナンス不要のしっかりした道標(フダではなく杭になります。)は個人的には作れないし、むしろ今の手作り感のあるフダの道標が和気アには似合っているようにも思えるのですがいかがでしょうか。

なお、コースサインは金テープ(田んぼに張っている防鳥テープです。)を使っています。落ちるとゴミになり、日当たりがいいと1年で透明になってしまいますが、歯で噛み切れて太い木にもつけれ、なによりもよく目立つので愛用しています。古式ゆかしい赤テープは意外と目立たず、辿るのに苦労します。じつは山をはじめたばかりの頃、単独で4月の雪の大山(地獄谷)に初めて入り、迷った時この金テープに助けられたことがあるのです。あの時は雪山自体も初めてで、引き返すこともできず大変な冒険でした。なんとか振り子沢を登攀し、元谷へ下山し、人生で始めてのヒッチハイクをして三ノ沢まで戻りました。

区長さん:4月26日、私がいじった地区になる泉・大田原・益原・日笠下の区長さんを訪ね、今まで勝手をしたことをお詫びし、報告をしました。事後承諾でありますが、みなさんに聞き入れてもらえました。ほんとうにすみませんでした。そして、ありがとうございます。これでこころおきなく新ルート(チンネ・スラブルート)の開拓整備にとりくめます。また今日は、はじめて“身投げ岩”にも南の岩場から登ってみました。けっこうキツく、はっきりいってハイカーには無理です。なんとか登りきり、ギザギザの切り立った岩場を乗り越えて北側の薮をこいで降りました。短くてお手軽すぎるように思えますが、実際登るとかなりクル、面白い岩場なので、これもぜひ整備したいです。さらに区長さんからその区の人しか知らないような山の神様についてもいろいろ教えてもらうことができました。鷲ノ巣は“白岩(しらいわ)”が正式名称で、その岩元のホコラは“山上様(さんじょうさま)”といいます。また、お酒とつまみを供える“地鎮様”があちこちにありますし、お遍路さんの札所である“御大師様”もあり、そこを現在、泉区で展望所を整備しています。完成すればまた報告します。

いよいよ開設1周年:このHPも02年51日で開設1周年になります。先日420日の“リビングおかやま・くらしき”にトップ一面の特大記事で紹介されて、一気にアクセス数が増え2300を越えています。驚くことに、このクソ長い文字ばっかりのコラムまで読んでいる御仁がいるのです。(今これを読んでいる貴方のことですよ。)うかつにボヤケないじゃあありませんか。そのせいか、ここのところやけに理屈っぽくなっています。おまけにこのHPのための取材が進んでなく、このコラムのボヤキばかりが爆発的にふえています。これじゃあ和気アのHPじゃあなくて藤本のボヤキのHPです。1周年だし、このコラムも整理するかと思いましたが、もやもやした考えをきっちりさせたり、いつのことだか思い出すのに便利なのでまだまだこのままいきます。いくらなんでももうここまでは読んで来ないでしょう。うん!(貴方、もしかしてまだ読むつもりですか。ストーカーの素質がありますね。)

予告:新ルート チンネ・スラブルートはショートルートですが、じつはクライマーの踏み跡を整備したものです。スラブは皆さん知っているでしょうが、チンネはハイカーには?!でしょうね。クライマーならよくご存知で、北アの剣岳山頂北側にある岩場で、鋸状の胸板、また その尖峰の意味です。今回整備中のルートは鷲ノ巣の東隣にある100m以上におよぶ斜度35度のザレた一枚岩のスラブを攀じ登り、ボルトの打たれたピナクルをまわりこみ、ピナクルと岩壁に両手両足をつっぱって1.5m上にチムニー登攀し、さらにへつった後1.5m上に登攀し、厚さ30cmくらいの板岩がそびえる高度感のあるチンネを越えていくものです。西隣に鷲ノ巣が奇岩として迫力満点の眺めが楽しめます。登山道が網目状になるのはイヤなのですが、このショートルートは利用価値の高いルートだと思います。ところで、まだの人は今のうちに、鵜飼谷北稜ルートを温泉から槍ヶ峰まで往復してください。次にザイテングラードを新町集落から剣峰まで往復してください。次に鷲ノ巣南端ルートを登攀してください。(できれば下降用の2ヶ所の迂回ルートを利用して往復してくださると技量的に太鼓判です。)以上のショートトレーニングをこなした方でないとこの新ルートはおすすめできません。特にパーティー登山の場合は必ずリーダーが先に単独で偵察した上で判断してから取り付いてください。初心者には補助ロープがあった方がいいですし、先行者の落石にも注意させてください。なお、このチンネ・スラブルートと鷲ノ巣南端ルートを組み合わせると短いながらかなり本格的な岩場(悪場)歩きのトレーニングができます。この夏は早朝や夕方を利用してぜひチャレンジしてください。

薬剤散布:登山口にいきなり入山禁止の札が設置されたので読んでみると和気町からの薬剤散布のお知らせでした。松くい虫がどんなものかも説明しています。

2年ぶりの新ルート620日、ついにチンネ・スラブルートが完成しました。地図も久々に更新しました。スラブは100mあるトラロープをのばして距離を計ると110mありました。西側の尾根上が一番なだらかですが35度の急坂です。東側のトイ状の中央部では45度の登攀になります。立ち木を支点にすれば補助ロープを使って難所を安全に通過するロープワークの練習にいい所です。このスラブだけで結構足にきますが、チンネになるともっとハードで、下降用に固定ロープをつけたら、ロープの連続になりました。登る時はできるだけロープに頼らず頑張ってみて下さい。慣れると下降もロープ無しで出来るようになりますよ。チンネは奇岩で面白いけど短く、すぐチンネの頭に着きます。ここから先は凡化して林の中をのぼると登山道に出ます。ところが、登山道の手前の林の中でやたら虫の羽音がいつもワンワンとなっているのです。花も巣らしき物もないのにかなりの羽音です。地下に巣をつくる恐ろしいオニスズメバチだったら大変なのでトラロープをはって、羽音の方に行くな!と札をつけました。羽音の正体を調べるのは危険なので止めておきます。

夏のショートルートはこれできまり!:鷲ノ巣南端ルートはたしかに面白いけど下降は難しいし、これを登るだけではちょっと短いという感がありました。しかし、すぐ隣に下降もできるチンネ・スラブルートができたので、これをチンネの頭までピストンし、セットで回るとドラマチックで手頃なショートルートになり、朝の涼しい時期に充実した訓練山行がたのしめます。詳しくは新しいコラム、“チンネ・スラブルート ご利用の手引き”で開通記念企画“本格岩場料理”とシャレて紹介しています。注意を再三うながしますが、一般道としては雪彦山並にハードですので、初心者は経験者と共にお越しください。スラブでは先行者が落とす落石と滑落に注意です。雨天での通過はご遠慮ください。

またも予告:和気アの次の開拓目標は“屏風岩”です。どこのことか詳しくは出来てからのお楽しみです。これが完成すれば和気アは播磨の岩山たちに勝るとも劣らぬ山になるでしょう。それにあわせて楽しい新企画も構想しています。チンネ・スラブはさっさと片付けておけ!来年の和気アはもっとすごくなる!これは予告しておきます。

神ノ上山頂から海が見える!626日、鷲ノ巣周辺の整備をしたついでに山頂までいくと分岐のトラロープが通行止めのように間違ってはられていた。いたずらなのか何なのか。よくわからんが直しておく。今日は季節はずれの涼しさで、汗もかかず快適だ。空は曇っているが、山頂ではおかしいほど那岐山が近くに見えて、違う山では?と錯覚するほどだった。たいていはシルエットだけくらいなのに、今日は尾根のはりぐあいまでよくわかる。南を見ると片上方面に小豆島が見える。白い巨大観音像まで見える。こうしてみると370mの眺めもなかなかだ。和気の町並みとぐるりまわりを占める低いくせにどこまでも続く山波。いいじゃないか。うん?!な、なんと。片上方面の山の一番低い山の鞍部から小豆島の間の海面が見えているではないか!これはびっくり。山の神さまからのありがたいプレゼントに感謝して下山しました。

そういえば水引の滝が国道374号から見えるというのも先日確認しました。(コラムは直してないけど。)なんとロータリーのある金剛川の橋の上からも見えています。

この夏は:オハヨー山岳会で沢登りばかりしていました。滋賀県 比良山の八淵の滝まで日帰り遠征し、小滝から墜落して滝壷ドボン。ずぶぬれになり、ひらきなおって後は泳ぎました。県北の山乗渓谷も淵と釜を片端から泳ぐと足の立たないものもあり、なかなか面白かったですよ。泳げる時期の沢は最高です。

家族サービスで黒部・立山にも行きました。天気がよくて最高の眺めでした。やっぱ北アはすばらしい!長女と2人で立山に登りました。高山は朝晴れても昼から雨になったり、やたらお腹がすいたりするので雨具予備食は欠かせないこと、すぐ息切れするのでゆっくりペースを守ることなどを痛感しました。

おかげでこのHPの更新が7、8月は全然されていませんでした。91日。雨の中を登山口を閉鎖してまわり、今ごろ更新している次第です。

エメラルドグリーンの池:宗堂池がなぜきれいなエメラルドグリーンなのか?山の緑が映っているのかと思っていたら、妻が黒部立山アルペンルートの大観望でコミカルな物売りのお兄さんから聞いたことを教えてくれました。それによると“あの緑色はバスクリンをまいているのではなくて岩の成分が水に溶けて緑色に見えるんです。”とのこと。和気アの宗堂池は北アの黒部湖と成分が同じなんでしょうか。

負け惜しみ:それにしても北アのすばらしさには嫉妬しています。和気アが北アから遠くて幸いでした。もし隣に剣岳でもあったら和気アなんて見向きもされないでしょう。しかし、それはたとえ剣岳でもヒマラヤの5000mクラスの無名峰の中にあったら見向きもされないのと同じです。山のすばらしさはその山のおかれている環境次第です。遠くにある他の山と比較などせず、素直にその山のおかれている環境を踏まえて、その山のすばらしさを見つめていこうではありませんか。低山には低山の良さがあるんだからね。うん。うん。ああ、それにしても北アはいいなあ。くそ〜。

なんとヤマケイJOYに!:以前からなんとか山と渓谷社誌に投稿して和気アをPRしたいと思っていたのですが、なんと先方から依頼があり、電話取材されて“ヤマケイJOY 冬号”に和気アの記事が載ります。困ったのは写真で、いろいろ捜しましたが、地元でいつでも見れるため、あえて写真を撮ろうとは思わないこと。写真の趣味がなく、持ってるカメラがボロい。インターネットでは他の皆の方がすばらしい写真を公開している。――などの理由で、今年はまったく撮ってなく、ロクなのがありませんでした。和気アルプスには見所が多いので、これからは真面目に写真も撮ってみます。

ちなみに私が山をはじめたのは本屋さんで旅行雑誌を立ち読みしていて山と渓谷社の北アの空撮本を見たことがきっかけです。旅行好きだったので燕山荘に泊まりたくてしかたなく山を勉強しました。しかし、大山と和気アで満足していて、未だにいってません。それにしても人は変わるものですね。興味がなかったころは“山なんて登るやつの気がしれん。まるでバカじゃで。ましてクライミングなんてするやつはキチガイじゃ。”なんて思っていたのが、こうしてのめっているんですから。学生から結婚前まで筋金入りの山男だった私の親父は厳冬の北アで遭難したこと(遭難の内容をきいても本人はしゃべりません。したということを叔父さんや叔母さんから聞いてるだけです。)があり、“息子は絶対山にやらない。”といっていたそうですが皮肉なものです。

わがままなお願い:和気アは薮と岩の複合体で、登山道は自然の山道です。したがって 皆さんに歩いてもらわないと薮が茂って道は廃道になってしまいますが、その反面 歩きすぎると地面が堀れたり、岩場(岩がもろく簡単に踏み砕かれます。)が様変わりしてしまいます。“和気アは低山だがしっかりした靴でないと大変です。”といっていましたが、これは“初心者に限り”ということにさせてください。テクニックがあれば装備は減らせます。ベテランの方はできるだけ靴底のやわらかいもの(ふつうの運動靴など)を履くようにしていただけませんでしょうか皮肉なもので、装備(特に靴)は必要度の高い初心者ほどお粗末で、必要度の低いベテランになるほど充実していくものです。“ある程度経験もつんだので、雪山も行けるオールラウンド革靴を4万円もはたいて買ったぞ!”という方にはまことに申し訳ないのですが、あなた様なら あらかじめ親指の爪を切っておけば和気アは千円の安売り運動靴で充分大丈夫です。景観を守るためにもどうかよろしく御協力ください。ちなみに私は2万円のキャラバンと5〜6万円のハンワグ(アンナプルナ)を持っていますが、自分一人の時は千円の農耕地下足袋です。はじめは親指が痛みましたが、今では爪がへしゃげて痛まなくなりました。特にルート開拓時は、紐がほどけたりせず 薮ゴミも入らず 惜しげもないのでこれに限ります。

装備:装備はとにかく食料につきます。(和気アでは、2時間くらいのショートルートで、めしの前に下山し、寒くて喉が渇かないならザックはいらない。子供の頃はそうだった。)低山では水のウエートが高く、高山では食料のウエートが高くなります。(立山では やたら腹が減って 朝食の弁当(おにぎり3つだけ。)が ぜんぜん足りなくて腹ペコでかなりツラかった。しかも、水はしっかり持っていったのに のどはほとんど乾かなかった。)背中が軽いと山が楽しいだけでなく、登山道へのローインパクトになりますので、とにかく装備は極力切りつめる心得を養ってください。山の書籍は中部山岳地帯を前提として書かれていますので、低山しかない西日本の日帰りルートでは完璧に過剰装備です。ズケズケいうと、ここ西日本での理想の日帰り登山スタイルは2千円の安物のデイパックに食料と水、あとは小物で 地図、コンパス、ペンライト、爪切り、ティッシュだけの軽装で、足元は履き慣れた運動靴です。もし山の道具として最初に買うなら靴やザックや雨具ではなく、濡れても冷たくない新素材の肌着と靴下です。これがあれば沢登りや雪山でも重宝します。賞賛されている2万円のゴアのカッパよりも数千円のこれらの方がはるかに重要で大事です。(雪山で遭難して服が濡れたが、これらのおかげで耐えられた話を知っています。)なお、私の場合はルート開拓で薮漕ぎをするので足元は農耕地下足袋で、コースサイン用の金テープ、マジック、黄ラッカー、折り畳みノコギリ、作業用皮手袋、カットバン3枚が付け加わります。また沢登り時や岩場で遊ぶ時はスリング各種、カラビナ数枚、エイトカン、8mm径の補助ロープ20mまたは30m、だけで充分通用し、結構楽しめます。(じつはハーネスやピトン、ナッツ、キャメロット各種、クライミングロープ9mm径、11mm径などホンチャンでも充分な装備一式を持っているがほとんど使っていない。)実際、買ったがザックに入れたことがない装備は結構あるものです。使わなくてもひととおり買って持っていれば、何を持っていくかではなく、何を置いていくかという実に意義深い選択ができます。必要品の不足事態は苦労をあらかじめ覚悟しておくだけです。覚悟を決めてしまえば背中が楽でローインパクトです。装備は懐が許す限りガンガン買って、ドンドン家に置いて登りましょう。たとえ同じ千円の運動靴をはいてても その動きでベテランと素人は見分けがつきます。特に和気アはベテランと素人が動きですぐに解ってしまう所なので気にせず安上がりで惜しげのないスタイルで来てください。ちゃんとした技術があれば、西日本では一般に装備らしい装備がいるのは厳冬の雪山かホンチャンのクライミングルートだけでしょうね。(ちなみにオハヨー山岳会ではマリンブーツに軽アイゼンで3月の大山に登っています。悪天候や本当のアイスバーンになっていない限り、和気アでフラットフッティングをマスターしておけば大丈夫ですよ。)

ロープワーク:鷲ノ巣でクライミングの練習をしていて習得できました。(クライミング自体はヘタです。)普通のハイカーは登山道という線の上しか行動できませんが、このおかげでほとんどの山中を自由に行動できるようになりました。“道がないけどあそこの岩の上に立ってみたい。”などという願望が満たせるようになり、ひいてはルート開拓などをやるようになったのです。私のようにクライミングがヘタでもロープワークを知っていればたいていの沢登りが行けますし、雪山でもすごく心強いです。なにより急坂に慣れて、歩行技術が格段にアップします。結局はロープなしでもたいていの岩場は行けるようになってしまい、今ではオハヨー山岳会のロープワーク講習会でしかロープを使っていません。“テクニックがあれば装備は減らせる。”です。

予告の続き:構想段階で予告をとばして、内心しまった!と思っていましたが、なんとかメドがたちました。イベントのHPもほぼ完成したので先行して予告編を公開します。ピークハント21を踏破して和気アを満喫した気分でいる方に“まだまだだね。”というくらいのかなりスゴイものになってしまいそうです。来年2月開通予定の“屏風岩トラバースルート”は正直いってまだ調査もしていません。(おいおい!)麓から見てなんとか なりそうだと思っているだけです。このルートと共に2つのバイパス道をつくればイベント準備完了です。

他にも どうしても作りたいのがザイテングラード“マサミチルート”です。遅れ馳せながら報告しますと、当初から ザイテンの登山口の側溝のフダが小さくて分りづらいとのクレームがあり、“もっとちゃんとした道標にしなおしてほしい。”という地主さんや区長さんからの要望がありましたので(登山口を捜しまわる登山者が迷惑になっていたのでしたら、すみませんでした。)9月下旬に大きめなフダに交換しました。道路工事が完了し、県道が温泉に直結したのでここからの入山者がこれから増えると思います。さらにこの“マサミチルート”ができたらますます魅力的な登山口になるでしょうね。

そして さらにつくりたいのは皆さん待望(?)の“バットレス奥壁・クーロアールルート”です。今はバリエーションルートですが、これを一般開放するには登山者の技量もある程度ないと事故の元です。今 予告中のイベントを踏破すれば、皆さんかなり技量アップできますので、まあ楽しみに待っていてくださいね。

もう一つ ついでにバラすと 未だ手付かずの神ノ上東尾根も垂直壁の岩場(はじめはこれを屏風と仮称していましたが、改めて神ノ上 東壁とします。)があり、それに付随する岩場にもルートをつくる予定です。8月に取り付きを確認しています。地元の方の話では昔、鷲ノ巣と同様にクライミングゲレンデにしようとしたが、岩がもろくて中止になったということで、昔は谷沿いに登山道があったそうです。

ピーク:今02年11月現在、ピークハント対象はまだ21のままですが、もうじき22番目 薬師山(ハゲ天神)、23番目 前剣(別山)、さらに24番目 M2(まよいピークU峰の意)ができます。もしかしてまださらに増えるかもしれません。地理的理由でピークハント対象にいれてませんが、整備予定の身投げ岩(道路の切通しで尾根からカットされている。)や和気中学そばの地鎮山(これも造成で尾根からカットされている。)や泉区の大師山(縦走路ではつながってない。)は秘密基地みたいで面白いので機会があれば登ってみてください。権現岩とハゲ山がピークハント対象に入っていてなぜこれらが入ってないのかといわれてしまいそうです。

構想:M2まで開拓したらめぼしい開拓は終了です。これで和気アは全国から泊りがけで来られても充分満足して楽しめる名山になるでしょう。もしかして北の涸れ沢にルートをひいたりするかもしれませんが、あとは少々の手直しやささやかなショートルートだけになります。もちろん和気ア以外にも和気町には いじりたい山がたくさんあるので退屈はしません。ゆくゆくは和気アを中心に和気町をアルパインハイキングのメッカにしたいです。

“アルパインハイキング”とは私の造語で、ハイキングなんだけど妙にクライミングめいているルートを行くもので、天然のフィールドアスレチック場めぐりツアーみたいなハイキングのことです。そもそも沢登りは、日本独自の山行スタイル(それをするのに自然条件が整っていただけでなく最適な履物“ワラジ”があった。)だと思っていますので、アルパインハイキングも和気ア独自の山行スタイルとして確立したいなどと野心をいだいております。

それにしてもこんなことをたくらみながら山をオモチャにしている私は我ながら筋金入りの遊び上手でしょうね。天然記念物も希少動植物もないただの里山ならではの自由な山遊び、子供の頃よくやった秘密基地づくりを大人バージョンでしているだけで、決してボランティアをしている訳ではありません。いたずら心もあって、皆がそろそろバテてくるであろう所でワザと笑いをとるために“ミステリーホール:ゾンビの墓穴。うそだよー。”などとカマしたりしました。(今では遊び心の理解できないボランティアによって撤去されていますけど。)リビング紙やヤマケイ誌でとりあげていただき、馬鹿がますます舞い上がっております。上司には呆れられ、妻にはクサされていますけど、なんとかクビにもならず離婚もされずに済んでおります。これからもマナーとモラルを守りながら私の山遊びはまだまだエスカレートしますので皆さんもおおらかに見守っていただけると幸いです。私のやってることは最低限ではありますが、単なる自然破壊行為です。(誰も利用しなくなれば自然に戻りますけど。)ですが、有意義さ(面白さ)と引き合いにしてみていただければ納得してもらえると思います。

鎖の設置:固定ロープとしてコブ付きトラロープをザイテンのカニのタテバイ下と、チンネの難所4箇所に設置していますが半年ごとに交換しなくてはならないので、耐久性のある鎖に付け替える予定です。重い鎖よりコブ付きロープの方が登山者にとっては扱いがいいのですが、ご了承ください。

なお、現在のチンネのロープはちょっと過剰整備ぎみなので鎖では簡素化いたします。本当は“鎖などはかえってジャマになることが多く、登山者も技量が身につかない。たいていの場合、鎖やロープはあえて無い方が何倍も面白い”と思っていますので、これからも極力 鎖の設置は控えていきます。原則として鎖や固定ロープは下降用です。鷲ノ巣南端ルートや身投げ岩天神ルートなどの登坂専用的なルートは下降用の鎖はつけません。つけると、落下距離が長く、事故を誘発し、かえって危険だからです。

ピクナル:結構ながいこと 尖峰はピックみたいなのでピナクルをこう勘違い(読み違い)していました。これも私が人(耳)から習わず、本(目)から習ったせいでしょうね。友人に指摘されて赤面したのを憶えています。懸垂下降もラッペルか、ラペルか迷っています。“ゴエテとは俺のことかとゲーテいい。”という川柳があります。ラッペルとラペルはどちらでもよいでしょうが今はペッツルがペツルにハンワーグがハンワグになったように短くするのが はやりというか正解みたいです。ラッセルと聞き違いしそうですが私はいいなれたラッペルを固持しています。また、書物でクローブヒッチがグローブヒッチと誤植されていたことがあり、どっちが正解か悩んだこともありました。さらに、もやい結びは今では消防団でもボウラインのことになっていますが、本当は巻き付け結び(クローブヒッチ)のことで、現に舟を波止場に舫う(つなぐ)ときはクローブヒッチであり、古いクライミングの書物にもクローブヒッチをもやい結びと書いてありました。でもなにが正解かではなく どれが採用されているかなんですね。豆腐と納豆はどうみてもテレコですし、相撲の雲竜、不知火もテレコになっています。伝承者である偉い人の中には結構いいかげんな人もいたんですね。

岩肌の思い出6年前、はじめてドームに立ったとき、ドームの岩肌は風化してまるでウロコのようにフレーク状になっていました。上を歩くとパキパキと割れて 砕けていました。“ああ、これは何年も人に踏まれてないなあ。”と感慨深くなったのを覚えています。ザイテングラードもおそらく誰も踏んでいなかったのでしょう同様にフレークがひどくて滑落しかけたことが何度かありました。誰にも踏まれていないフレークだらけの岩肌をパキパキ踏むのは快感で、ルート開拓時のたのしみです。また、剣峰の山頂に はじめて到達した時は 約30年前の空き缶(不二家ネクター)がころがっていて、今はもう見かけない(売っていない?)ジュースだったので ゴミなのにすごく懐かしくて うれしくなりました。これも廃道復活時のたのしみです。30年前、子供の頃、私の遊び場は吉井川の川原やこの和気アでした。和気橋の下を秘密基地にして花崗岩の急な土手をまさしくフリーソロでクライミングして遊んでいました。先日、河川掃除があり、ためしに登ろうとしましたがさっぱり登れませんでした。子供ならではの身軽さと小さな運動靴のつま先でないと拾えないホールドとスタンスにあらためて昔の自分がすごいことをして遊んでいたのだと思いしらされました。秋になると和気富士の山頂の笹にオオカマキリがふわふわとした卵をうんでいたのでよく取りにいっていました。今では捜しても解らなくなっていますが、“ベンケイの足跡”と“馬の足跡”という足の形そっくりなくぼみのある岩がありました。風化して消えたのでしょうか。空身で登り、風で汗を乾かし、山ナスビを食べて遊んでいました。権現岩やハゲ山も秘密基地で、ツツジの咲く頃は家族で弁当をもって登っていました。当時のレクリエーションはこの程度で、東京ディズニーランドまでお出かけする現在とはえらい違いです。

はじめての大山現在、大山の縦走路は完全に通行禁止になっていますが、山を始めた6年前、5月25日に大山山頂で一泊し、翌朝 友人Tとラクダの背を越えて縦走しました。本当は怖くてたまらなかったのに、まったくの初心者であった私は“この程度は皆こらえて行くものなんだろう。”と思って突破したのです。まったくバカさかげんの極みでしたが、なんとか無事に生還できました。私には全日学や国体の野外走行以来の恐怖で、逆に忘れていた闘争心に火がつき、大山にのめりこみました。ただし友人Tは1週間悪い夢にうなされたということです。

セルフコントロール:クライミングではいかに恐怖心を抑えるかが大事で、怖くなったら(できることもできなくなり)オシマイです。じつは馬術の障害飛越も同じことでしたから私は恐怖心をコントロールするのがうまいのではと思っています。とはいえ、もともとは病弱で臆病者でした。それが鍛えられて、今では5人のヤンキーをまとめてどやし上げるは よっぱらいはぶんなぐるはでかなり好戦的です。恐怖心を制御するには自信を取り戻すしかありません。苦難にくじけそうになった時のためにツェルトとヘルメットには私の愛馬の名を書いています。“BLACK HEAD”これを見ると勇気が湧いてきます。“そうだった。私は何度も死線を突破して生還した男ではないか。こんなもんがなんじゃい!”といったところです。この精神は冒険には大切な私の“装備”です。

山に関係ない話:これは現在農学部教授のSさんが馬術部のコーチをされていて、主将だった私に教えてくれたことです。“藤本。こんまえ話し合い(飲み会)でおめえの名前が出てなあ。(部活に専念して)就職活動しとらんから、院へ行くようったが駄目じゃあ。先生方がそれはこらえてくれっちゅうて、留年されるんもたまらんから卒論できとらんでも単位をきせて卒業させるようったで。まあここまできらわれた学生も珍しいで。自分のところの院受けて落ちるヤツもお前がはじめてで最後じゃろ。”

案の定、面接試験で牛乳の成分すら答えられない私は“キミはもう一度1回生からやりなおした方がいいね。”などと笑われ、院を落ちました。そして、なんでもいいからと30分で卒論を書き上げ、発表では猛烈な他部署からの質問責めをウチの教授がガードし、ついにいくあてのないまま卒業証書を受取ることに。お世話になったT教授が一言“キミにこれを渡すのは気がすすまんが。”といいました。見ると卒業証書には“貴殿を農学士と認む。”とあり、私も何かすごくきまりが悪かったです。当時は馬術部の猛者達は学内でも一目おかれていて、OB達は岡大を卒業したのではなく岡大馬術部を卒業したのだと笑いとばしていました。ともあれ岡大を末席で卒業し、温情でオハヨー乳業に拾っていただき、転属した先々で部長にたてつき、“お前クビになるぞ。”と課長から3回も言われながら、フダつき社員として今にいたっています。“この世で一番エライのは私の女房だな。”と、つくづく思う今日このごろです。

山のことは山から教われ:これは私のモットーです。最近、我が娘(小5)も私の悪影響で山好きになり、“山を教えて。”といってくるのですが、いつもこういっています。じつは昔 馬術をやりぬいていた頃 後輩達に“馬のことは馬から教われ!”といっていたのです。馬術とはいかにいい馬に育てたか、いかに馬を理解しているかを競う競技ですので、いい馬とのめぐり合いまたは発見を大切にしてその馬を理解しようと努める事が大事だといっていたのです。山をはじめてから私は本を読みまくって、独学でいろいろ手を広げてきました。裏山である和気アに鷲ノ巣というクライミングゲレンデがあったことも幸いでした。おかげでノーマルなハイカーにとどまらずロープワークまで習得できました。和気アは私にとって自分と共に成長する愛馬(相棒)のようなものです。で、師匠はというと大山です。この山がなかったら私は山にのめっていなかったでしょう。この山は私に山の楽しさ、恐ろしさ、すばらしさを教えてくれました。山の神様なんて勝手に人が考え出したものでしょうが、もし本当にいたら“ありがとうございます。”といいたいです。話すと笑われるのですが、じつは大山で“山の声”を感じたことは何度かあります。詳しくはまたいずれ話す機会があるでしょうが、でもね。すこしは謎のままであるのもいいものですよ。

思い返しても、私は未だに人に山に連れて行ってもらった事はありません。全て自分で計画し、実行し、思い悩み、哲学しています。はじめこそ不安感から友人をさそっていましたが、自分の趣味(冒険)に他人をつきあわすのが酷におもえたので単独山行になりました。でもリーダーとして他人(初心者)をガイドできてこそ一人前なのではないかと考え、今では人を連れて行っています。オハヨー山岳会ではハイキング未経験者を本人の熱意に負けて沢登りに連れて行きました。とんでもないリーダーだといわれるでしょうね。でも、かつての自分はどうだったか。たとえ理論上は無茶でも“行きたい!”という本人の強い気持ちが困難を困難でなくさせる大事な要素であり、それを踏みにじりたくなかった。自分ならそれを叶えてやれるのではと思ったのです。そして、これも“私のリーダーとしての度量が試されている。”と自分にいいきかせての“冒険”でした。

ルート分け:ありがちな質問にどれが初心者でどれがベテラン向きのルートですかというのがあります。強いていえば温泉から登って南の和気富士までは小さな子供連れでもおすすめで、北稜ルート、ザイテン、チンネ・スラブ、鷲ノ巣、これからできる屏風はベテラン向きです。でもあえて何々向けと規定したくないのです。“え〜。そんなの困るう。”といわれそうですが、本当にヤバイ箇所のみ但し書きをつけます。そうでない箇所は踏み込んだらその時で、スリルを存分に楽しんでください。山は冒険的要素が命です。自分をワクにいれないで、和気アでハメをはずして冒険してください。それが成長になります。何度もいいますが、和気アを踏破すれば必ず技量アップし、初心者は初心者ではなくなります。とにかく怖さより面白さの方が上ですから不安がらずに楽しんでくださいね。

ボラギノール軟膏:私は寝不足だと尻が痒くなります。この状態で山行すると尻タブがマタズレヒリヒリです。(本当に痛い!)本来 痔の薬ですがマタズレが翌朝にはウソみたいに治ります。早朝からの山行やくたびれている時や泊りがけの時は朝一番に尻に塗っておくとマタズレしません。当然、靴ズレにもいいでしょう。腕のひっかき傷につけましたが、すぐに痛みが消え、出血も止まり、速効性で助かりました。女性のデリケートな部分にもすこぶるいいです。(これは妻の談。)粘膜まで塗布できるので目以外はどこでも使えるまさしく万能の傷薬です。ちょっと図太さが必要ですが雪山でリップクリーム代わりにも使えます。アクチが切れた時や手指のアカギレにもOKです。山の傷薬はこれ1本です。(う〜ん。わかっていても口中に塗るには勇気がいります。こればかりは他人のは使いたくないよね。)

21ピークのネーミング:今更ながら白状すると、そもそも竜王山バットレスに感激し、これに名前をつけたくなったのがきっかけで、はじめは鬼の擂鉢と考えたのですが、なにかダサく、アルペン的に素直にバットレス(崖壁)としました。(南ア北岳だけでなく大山の別山もバットレスといわれています。)つぎに鵜飼谷北稜ルートは、これの開通により温泉からのルートが2つになったので区別するために、加藤文太郎終焉の地、槍ヶ岳の北鎌尾根を意識してこう名前をつけました。その中の17の槍ヶ峰は私が初めてつけたピーク名で、益原の老人もルート上に馬の背という岩場はあるが、あそこに名前はないというので、はじめは砦岩(とりでいわ)にしようと思っていましたが、やはりシマラない。アルプスならがなくては!という思いから槍ヶ峰にしました。これ以降、アルプスを意識したネーミングに統一しようと思い、最後の21 剣峰は開拓する前からこれにしようと決めていました。開拓するためザイテンを初登していて山頂をみあげると、岩が起立していてネーミングに恥ないものになっていたので安心しました。ザイテングラード(側岩稜)は北アの涸沢カールのを意識し、だからという理由だけで、この岩場にわざわざカニのタテバイとヨコバイをつくりました。その他、名前をつけるにあったては、あらかじめ名前がないか地元の人に聞いてまわり、無いと判断されてからつけました。名前があったのは21ピーク中 1、2、3、4、5、6、8、13、19だけで、7のエビ山は丸山でもよかったのですが、間ノ峰からみると海老みたいな形に見えたからです。9の前ノ峰、10の間ノ峰、は11の穂高山を意識してつけました。実はこの穂高こそもっとも悩んだ名前でした。槍や剣なら一般的ですが、ホダカはさすがに露骨です。しかも北アの重鎮。これを名のるにはある程度の資格がいります。でもやはりホダカがほしい!和気アで一番の岩山にあえて、笑われるのを覚悟でつけました。穂高ならやはりドームです。うまいぐあいに南端がドーム型の山頂なので別名もドームにしました。ハクをつけるためにこの山には、バリエーションルートも開拓しました。12の涸沢峰は穂高に連なる涸沢岳からです。14の子竜王は槍や大山の矢筈山にある子槍、子矢筈からです。15のジャンダルム(前衛峰)と16の奥ノ峰は奥穂高のをセットでパクりました。18の白岩山は白馬ではなく、ただ本当に白い岩場があるからというだけです。20はあえてそのまま迷いピークとしました。00年の秋、21世紀を迎えるイベントはできないかと考えて、ちょっと低いが権現岩とハゲ山をいれると一般道が通り地形図で確認できるピークがちょうど21になり、途中の分岐で立ち寄ることになるが、ただの1本道を行くより頭を使う分、面白いだろうと思い、目印としてイノシシプレート(和気アは本当に猪が多く、私は何度も出会ったのと、和気清麻呂が猪に助けられた伝説があることから、北アの雷鳥よろしく これをマスコットにしました。)をつけました。イノシシプレートは、目つきをいろいろにして、最初は“笑ったのはどこにいるかな。一ヵ所だけじゃないよ。”と、21全部を回らないと正解できないクイズまでつけたパンフを設置しました。

こだわりの22番目のピーク名:今度のイベントで一般開放しますが、バリエーションルートのページで“天神尾根ルート”というのがあります。穂高山から南に続くこの尾根上のピーク南側手前に天神様の小さなホコラがあるからこう名前をつけました。ピークを地元の老人は“ハゲ山”とよんでいましたが、これはbQにもあるので私は“天神山”としていました。しかしこれも佐伯の天神山と勘違いされがちなので変更し、2つ合わせて“ハゲ天神”とします。でもこれも別名といたし、正式名は“薬師山”とします。深田久弥が南アの秀峰を“この山は地形図にある“東岳”ではなく、ガイドの猟師がなにげなく言った“悪沢岳”と呼んで欲しい。”とあがいたように、私もちょっとこだわっています。じつはまわりをひとまわり高い山にかこまれているものの この山が妙にリッパなのです。以前から“なだらかで長大な展望バツグンの山頂は薬師岳のイメージがあるな。”と思っていました。そしてこの夏、立山から見た薬師岳の姿は剣以上にインパクトがあったので、この山(名)も和気アにほしくなったのです。うまい具合に南端の身投げ岩との間の尾根上にりっぱな薬師堂がありますので、充分納得してもらえると思っています。なお、23番目に予定されている前剣は剣峰の西側にあり、最初はこれを平凡に“別山”といっていましたが、別名とし、“前剣”を正式名とします。

自慢のルート:“男は特定の山やルートに恋をする。”というのを読んだことがありますが、私にとって思い入れの強いルートは、初めて本格的に整備し 皆さんから賞賛された鵜飼谷北稜ルート。(手間をかけて悩みながら作った自慢作です。)そしてこれまた面白いと絶賛されているザイテングラード直登の“ミチオルート”。(一般道としてはキツ過ぎるかと思っていたら皆は面白がってくれました。なお、新たに岩層伝いに斜上する“マサミチルート”もつくる予定です。)また、鷲ノ巣で唯一 ハイカーでも登れる“鷲ノ巣南端ルート”も やはり名ルートだと思っています。(実際、かなり皆に踏まれています。)そしてこの前完成した“チンネ・スラブルート”も短いですがハードさは極めつけで自慢のルートです。(できればピストンしてほしいです。)どのルートも“こんなルートは他所にはなかなか無い。”と思っています。そしておそらくこれまたお気に入りになるであろうルートが一般化整備予定の“天神尾根ルート”と開拓予定の“屏風岩トラバースルート”です。そしてこれら6つのルートを踏破するイベントこそ今度開催予定のイベントなのです。(あ〜あ、バラしちゃった。)でも以前予告していますように、まだまださらに新ルートは増えるんですよ。面白そうなのがね。そしたらさらに極めつけのイベントをします。さてはて乞う御期待です。

クロマメノキ:以前 山ナスビはクロマメノキと同じだといっていましたが写真をみるとなんか違うみたいです。でも同じツツジ科の植物でブルーベリーの仲間であるのはまちがいないようです。ブルーベリーの黒い色素にはアントシアニンという目の機能を高める作用をする物質が含まれていて、速効で目が良く見えるようになるそうです。遠くの景色が見たい時は山ナスビを食べるとよく見えるようになるかもしれません。

山に関係ない話2:私ならではの宝物があります。それは岡大馬術部の追いコンでもらった皆からの色紙です。なんで私ならではかというと、書かれていることが“自分を抑えろ。”とか“人を認める。”とか“自分は2番。”などと戒めたらたらで、えらく説教めいた色紙だからです。こんな卒部の寄せ書きは他にはないでしょうね。今更ながら自分がどんな人間だったかよくわかる証拠物品です。結婚式の披露宴でも恩師のH先生がヘベレケになりながら“私が新郎をしごいたのではなく、しごかれたのは私の方です。云々。会社にはこれからも随分ご魅惑をお掛けするでしょうが、どうか宜しく面倒をみてやってください。”などと祝辞をいただき、私は大爆笑。さすがは先生!私の未来をみごとに言い当てました。

私の冒険論:“もっと早くから山をやってればよかった。”などと後悔している人は意外に多いかもしれません。中高年から山を始めた人はたいていそうではないでしょうか。若ければもっといろんなこと(冒険登山など)ができたのにということでしょう。かくいう私も“若い内に冒険をしておきます。”といっていましたが、これは冒険は年をとると“やるのがつらい”というだけで、“出来ない”というのではありません。むしろ、年をとってから山を始められた方はなにかにつけ賞賛されます。なぜなら山はやりづらいほど(年をとっている人がするほど)、冒険としてスゴミを増すことになるからです。たとえば60歳の手習いでハイキングをはじめたとして、70歳で富士山に登ったとなればこれはなかなかのもので、80歳でエベレストなら世界最高齢の快挙です。そうなると、60歳から始めたことが“よくその年で発起したものだ。”と、より感心されるネタになります。要は若者なら何をやれても当たり前。でも、高齢者がやれば大冒険として賞賛されるということです。(ちなみに80歳で和気アの全ルートを踏破してもこれはかなり凄いですよ。)また、病気や体の不自由な方も同様のことがいえます。ガン患者であったり、目が見えなかったり、(これらの方が実際に和気アを歩かれています。)たとえ両足がなくても、それがかえってスゴミを増すのです。巡礼者が聖地カイラスをひれ伏しながら何ヶ月もかけて一周するのと同じように、和気アの全ルートを這って登ったとなれば、それはもの凄いことです。長年 山をやっているベテランは年齢にあわせて目標を変更して、それなりの冒険を楽しんでいます。発想を変えて、今の自分なりの目標を設定すれば、“生涯現役の冒険家だ。”といえます。だいたい初心者のころ、自分では大冒険をやったつもりでも、成長し技量アップした今からみれば大したことではなかったと思うことが多いのです。冒険はその時に自己満足できればなんでもいいんですよ。

情報収集:山の情報は、まず本などでその山の存在を知ることに始まり、インターネットで検索して細かい情報を集めるのがおきまりでしょう。本だけの情報では既に変更されていることが多いからです。実際、和気アのことでは神ノ上山頂には展望がなく、松茸期間も915日から1115日までとなっています。当然私が整備したルートなどは載っていません。大山もいまだに縦走できるように書かれたままだったり、星山と櫃ヶ山の縦走路もないままですし、毛無山も土用ダムへ下山できると書かれているが、地主が通行止めにしていて、白馬山から下山できるルートができています。一昔前、北アなどは台風直撃で大打撃をうけて通行不能な箇所が多発したこともありました。本当に道は生き物です。道路でも高速やバイパスが新たにできてあちこち様変わりしています。山の情報は流動的で、たとえインターネットでも完全なものは得られません。でもそれもひとつの冒険的要素でいいのではないでしょうか。山は冒険の舞台ですし、“装備は必要。しかし不十分でいい。”ともいわれていますから。情報は参考にとどめ、現地の現状況で自己判断することです。

山は数より中身:私は山屋としてはおそらくあまり山に通っていない方だと思います。しかも日帰りの低山ばかりです。それでも和気アの主としてエラソーにしているのは少ない数でも内容が冒険的で濃いからです。岡大馬術部では“試合の一鞍は練習の百鞍に相当する。”といわれています。全て自分で計画し実行してきた私の山行は、ただリーダーについて歩いているだけの山行の百回分に相当していると思っているので、山岳会の仲間にもできるだけ自分なりに計画した山行を独自でやるようにいっています。リーダーに基礎を習ったら、あとは“山のことは山に教えてもらえ。”ということです。山をより楽しむためには多少なりとも技術が必要です。効率よく技量アップして“山遊び名人”になるには“遊べる岩場”が多い和気アで冒険するのがお勧めですよ。

期待:視野を広げて見ると、雪線以下の低山しかない日本の登山家がヒマラヤなど世界中でつぎつぎと快挙をなしとげています。また国内でも、岩場が少なく低山ばかりでありながら岡山にはOCC(岡山クライマーズクラブ)という日本屈指の岩場 奥鐘山西壁にルートを開拓したツワモノ達がいます。(中でもメンバーの重廣恒夫さん(山口県生まれですが、山自体は山口も岡山もそう差はありません。)はテレビや本でおなじみです。)これらは高山や岩場が無いがゆえに、かえってそれらに強い憧れをもち、かりたたせられた結果なのではないでしょうか。人はないものがほしくなる“ないものねだり”の生き物です。また、高山や岩場に恵まれたヤツ等に負けたくないという“ハングリー精神”もあるでしょう。さらに、低山しか知らないからこそ、高山にたいしては用心し、謙虚に“もっと腕をみがいてからにしよう。”と、より切磋琢磨したのではないでしょうか。そもそも“低山は山の学校。”ともいいます。高山ではやりにくいこと(たとえば冒険ごっこ。)もできるからです。そうしてみると、日本有数の低山地帯である岡山県南こそ、これからも将来すごい登山家の出現が期待できます。もし、その人が“和気アルプスで腕を磨きました。”なんていってくれたら最高です。(ムシがよすぎますか?)

届出:山で遭難死するのを英雄のように思って憧れている人は結構いると思います。(皆さんおなじみの岩崎元郎さんもそうです。)ぜひ、山と渓谷社の丸山晴弘著“遭難のしかた教えます”を読んでみて下さい。爆笑しながら考えが変わります。そうです。遭難なんて暴走族の事故と同じで迷惑千万!絶対してはいけないのです。ただ身につまされるのが入山届です。正直なところ私は書いたことがありません。(すみません。)自分が今までに行って、届を出して然るべきポストのある山は大山、雪彦山、八淵の滝くらいしかなかったせいもありますが、厳密にいえば私の場合はたとえ些細な山でも届けが必要でしょうね。その代わり、家族(妻)にはちゃんと山行内容を伝えてからいっています。というか黙っていくと怒られて山に行かせてもらえなくなるのです。いままでに、つい遅くなってえらく心配をかけたことが何度もありましたので、今では携帯電話を持たされています。下山したら真っ先に妻に電話です。

おこがましいですが:国内有数の岩壁の初登ルートを次々開拓された東京雲稜会 南博人さんのインタビュー記事を読んで、すごくその気持ちがわかります。ハイキング版ではありますが、自分もルート開拓者のハシクレだからでしょうか。自分と南さんには共通点がいくつもあります。なにを言われようと自分のスタイル哲学に自信をもっている。ルートをひく場合に自分なりのこだわりがある。ルートを皆が喜ぶ面白いものにしようと努めている。なによりイタズラ心(遊び心)がある。機会があれば人を驚かせてやろうなどとたくらんでいるわかる人にだけわかってもらえればそれで満足。などです。これらはルート開拓者なら誰もがもっていることでしょうね。というか こういう人がルート開拓をするんですよ。きっと。

ヘルメット:馬術部の新人はある意味で軍人スタイルの象徴であるカッコイイ革長(革製長靴)に憧れをもっていたりします。(とりあえず最初は安いゴム長を買っているので、よけいに革に憧れるのです。)同様に、山屋で革製重登山靴を持ってない人は革靴に憧れやこだわりをもっているでしょう。(私もそうでしたので、とことんこだわってプラブーツ並のこともできる最高級のものを妻のお怒りと軽蔑を受けながら買いました。おろす前にしっかり防水油を塗っておけば手入れは思いのほか楽で、手入れしながらニヤニヤしておりました。)しかし、私は馬術部の新人に“長靴よりもまず猟騎帽(ヘルメット)を買え。”といっていました。それまで皆で使いまわしていたのをやめさせ、個人で持つようにさせました。安全に対する心構えをつけさせるのもありますが、馬もろとも はね転んで重傷を負うことがよくあったからです。同じことが山屋にもいえて、クライミングムーブを楽しむ競技として人気があるフリークライミングの場合は、前斜壁なので落ちても頭をうちにくく、落石もない状況でやるので(と、いってもホントはズレたら直せなくて困るからで、本来はちゃんとかぶるべきです。)、ヘルメットをかぶっていませんが、もし沢登りやアルパインクライミングをしてみようかという人がいたら、足元装備よりも先にヘルメットを買ってください。私はゼッペキ頭でヘルメットがグラついて困るので、頭にフィット調節する機能があるペツルのヘルメットを8千円で買いました。でも構造的には千円の安物ドカヘルとあまり変わりません。構造からいって、あくまでも落石対策であり、壁に頭をぶつけたらスリ傷はカバーできても、やはりケガをしそうです。(墜落の衝突にまで対応するとなるとバイクのフルフェースタイプをかぶるしかないでしょう。でもそれでは重くて、汗だくで大変です。)でも、岩や沢では落石こそが最大の恐怖なのです。50m上から消しゴム程度の小石が落ちても、頭に直撃すれば大惨事になりかねません。(ナイフブレードを落として、下に誰もいなくてほっとしたこともあります。)安物でもいいからヘルメットが要るということ、その必要性をご理解ください。(落石ではなく落岩ですが、大山の無名滝まで一人で沢登りをしていて、どこから岩が落ちても自分のところへ転がってくる状況の狭い谷底で、軽自動車くらいの大岩が最近落ちてバカッと2つに割れているのを見て、なんともいえない恐怖をあじわったこともあります。ここまでくると、ヘルメットは本当に気休めですけどね。)なお、沢登りでは足が冷却されているので汗をほとんどかきませんから、穴などなくてもヘルメットはムレません。薮をこいで岩に取り付く時も、穴のない安物ドカヘルの方が枝がひっかからず重宝されています。また、ランプホルダーははっきりいって要りません。岩や沢ではランプを灯しながら行動するのは危険すぎて、皆ビバークするからです。ランプをつけるとしたらケイビング(洞窟探検)くらいでしょう。(ケイビングでもランプを落とすとオシマイなのでホルダーはあてにせず、ガムテープでガチガチに固定したほうがいいです。)近い将来、和気アをアルパインハイキングのメッカにできたら、その理想の山行スタイルは“通常のハイキングスタイル+ドカヘル”というニューファッションになるでしょう。“千円のドカヘルはちょっと恥ずかしい。”というなら、マジックでドクロマークでも書いて山賊気分でツッパリましょう。いつもはデイパックにカラビナでつるして歩き、難所ではちゃんとかぶってくださいね。ドクロマークの他にも“南無阿弥陀仏”なんてのもけっこうイケテルと思いますよ。思いっきり罰当たりなことを書いて、さあ、おじいちゃんもおばあちゃんも和気アでワルガキ時代に戻りましょう。

思い込み:ベテランでも結構 道に迷います。道に迷って現在地が分からなくなった時でもたいていは“ここら辺のはずだ。”という見当(思い込み)があると思います。初心者ほど思い込んだら多少おかしいと解かっていても行動を続けていっそう迷い込みます。ベテランはすぐに行動を中止します。実はこれができそうで、なかなかできないことなんです。しょっちゅう遭難まがいのことをやっている今の私の場合、“またか。”とボヤいて、まずザックをそこへおろしてしまいます。そして、休憩しながらやってきた方角を確認し、コースサインなど無いか見渡します。ザックから地図とコンパスを取り出しますが、現在地を特定するにはいたりません。おかしくなった所と東西南北を確認するだけです。そしてザックをおいたまま空身で偵察します。パーティーの時はすぐに皆に休憩を宣言し、待機させて、自分が一人で空身で納得いくまで偵察します。散開して皆で偵察することはしません。こうすることでたいていは道がみつかったり、現在地が判ったりしてピンチから脱出できます。脱出してから、思い込みの間違いに気づいて目からウロコというのがいつものパターンです。すぐ行動を中止すると、引き返す距離もロスタイムもしれているのであせりません。わかっていても出来ないだろうからいいますと、とにかく、さっさとザックをおろしてください。これが第一です。そして空身で偵察です。装備を手放すのは勇気がいりますが、こうすることで、残したザックが拠点になり、これ以上迷い込むのを防げます。(もちろんザックに戻れなくなるまで遠くに偵察してはいけません。たいていは戻れる範囲内で解決できるものですよ。)空身だとバテませんし、これ以上迷わないとなれば少しは落ち着いて判断ができます。あとはあなたの運しだいです。(おいおい!)でも本当です。

文化活動:乗馬は いちスポーツ競技で、馬術は“いい馬(もともとは軍馬)を創造すること”を目的とした文化活動です。もちろん今では“いい馬”とは“スポーツ競技で勝てる馬”のことですが、いくら馬がよくても乗り手がヘタでは勝てない(いい馬だと証明できない)ので、人も乗馬を練習しているのです。フリークライミングは現在スポーツとしてできるだけ安全を確保しておこなわれていますが、もともとは冒険登山で、よりスピーディーに登攀するためにやっていたものです。冒険登山におけるクライミング(アルパインクライミング)では、いかに危険地帯を早く通過できるかが生死を分けるカギになる場合があり、時間をくうプロテクションなどをあえて設置しないでランナウトしたまま決死のフリーで大胆に突破したりしていたのです。そのうちルートの残置支点が目に余るものになってくると、できるだけフリーでとおすことが賞賛されるようになり、池田功さんに代表されるようにフリーでクラシックルートをリードする時代になりました。そして、アクロバット的なクライミングムーブでどこまで突っ張れるかを競う 手軽で楽しいパフォーマンス的なスポーツ競技になって独立しました。この競技のことをクライミングコンペティション略してコンペといいます。いまではこれがブームです。ただ悩むのはフリー崇拝者がボルトやエイダーをメの敵にして“俺たちは岩をキズつけないし、エイダーなどの装備はテクニックのないやつの象徴だ。”と吹聴したことです。たしかに、ランニングビレイにフレンズやキャメロットを使うクラックルートにおいてはその通りでした。しかし現在フェースにルートを求め出してからは(落ちることを前提としているため)ボルト以外安全な支点が得られず、皮肉にもかえってやたら強靭なボルトが打ちこまれています。フリークライミングはうまいにこしたことはありません。でも抜ける恐れの高いホンチャンのプロテクションでのアクロバットは達人でない限りすべきではありません。本当に実用的なクライミングはクライミングムーブがうまいこと以上に、いかに確実なプロテクションを早くとれるかではないでしょうか。自分で支点がつくれないのでは冒険はできません。人工壁しか知らない人が自信満々で岩場にいって事故を起した例は多いと思います。とにかく、クライミングにはやたら哲学的な部分があり、スポーツ志向と冒険志向のどちらを取るかで、まったく別のものになります。(池田さんの場合は2つが混ざっているようでしたが。)フリー化に悩んでいるアルパインクライマーの方はあまり気にせず、今までどおり双方のいいところをうまく使いこなして自分のスタイルで難関を突破すればそれでいいと思います。そもそもボルトは半永久に残るというのは私にいわせれば大間違いです。人が設置したものは所詮じきに朽ちてしまいますし、気に食わなければボルトでも横からぶんなぐればちゃんと抜けるか折れるかします。また、岩の表面なんてすぐに風化し、穴もわからなくなります。私は純粋なクライマーではありませんが、冒険登山でアルパインクライミングを長年してこられて、やればやるほど冒険の舞台が無くなっていくジレンマに加え フリーの台頭で現在哲学的に行き詰まりを感じているロートルクライマーにエールを送ります。冒険登山(アルパインクライミング)はスポーツ競技ではありません。“危険を突破して生還すること”を目的とした文化活動“究極の遊び”です。遊びは面白ければそれでいいのです。“冒険登山は所詮自己満足の世界なんです。”というのを読んだことがあります。正直に自分のやりたいことをやって自己満足できるクライミングをしてください。関東はどうか知りませんが、日本の近代クライミング発祥の地である雪彦山ではエイダーをあやつって華麗に登っているクライマーがまだ健在ですよ。

(ああ疲れた。自分でも複雑で難しく思える部分をかなり簡素化して文章化したのでクタクタです。舌足らずだったり、間違っているかもしれませんが、“似非クライマーのたわごとだ。”と笑い飛ばしてください。)

早くこないかな。:また最近やたらこのページの言いたい放題が増えています。じつは1130日に発売されるヤマケイJOYの取材で2時間に及びしゃべったことが“自分でもいいこともいろいろ言ったな。”と思って書き留めていたのです。そしたら急に持前の屁理屈がやたら頭にあふれだして、これも書き留めていると、出るわ出るわ!あっというまにこんなになりました。どうだ!さすがにここまでは誰も着いてこれまい。むむ、もしかして貴方読んでます?本当に懲りない人ですね。ともあれ早く発売日がこないかな。るんるん。

自然:自然の生態系をピンチにしている最大の要因は子供の虫取りや魚とり(メダカは今 希少種になっているようですが、)ではなく、人類がもたらす環境破壊であり、これをくいとめることが一番重要であるといわれてます。しかし、実は太古から地球の自然環境自体はかなり激変してきていたのです。地球温暖化といっても恐竜時代はもっと暖かかったですし、そもそも太古の地球は酸素濃度が低く、現在のようになったのは 今では石油になっている藻類が世界的に大繁殖したためといわれています。宇宙事情だけでなく、古代生物によっても地球環境が変化させられたからこそ今の我々がいるのです。本来 生物にとって毒物である酸素を代謝している我々人類にかわり、我々が猛毒と称している物質を代謝するような生物が登場し、人類が作り変えた未来の環境に順応した新人類が登場することこそ“自然の摂理”だといえなくもないのです。大きな視点で見れば、人類のあらゆる行為(良いことも、悪いことも)も結局のところは地球の自然の一部なんです。そして、いつかは必ず人類にも地球にも太陽系にも宇宙にも終わりの時が来て、全ては諸行無常になります。(う〜ん。話がデカ過ぎて考えがおよばん!心配せんでも その時はその時のヤツがどうにかするさ。うん。うん。)

とりあえず現時点で人としてやれることはやってみるけど、それでも希少生物や人類が滅びるならそれが自然というものでしょう。所詮、誕生したら滅びるのは“定め”です。―――――と、坊主のようなことをいっても、人類があっさり滅ぶのは なんだかシャーレの中でエサを食い尽くして死滅するアメーバーや三葉虫と同じみたいで やはりちょっとシャクなので、ここは人類らしく あえて“自然の摂理”に逆らい(弱肉強食という摂理には既に逆らっています。)、たとえ気休めにしかならなくても 多少は悪あがきをして、希少生物ともども 少しでも滅びる時期を先送りしてみましょう。(我ながらひでえ言い方!なお、私の哲学では、行く末が無に帰すとも、そんなことはどうでもいい。すべて(自然を守ることも)は、ただやりたい(やった方がいいと思う)からやるのです。)

話がデカくなり過ぎて、自分でも何が言いたいのかよくわからなくなってきたので、身近な山の自然を守る話に路線変更します。とりあえずは、植物採取などの盗掘をやめましょう。ゴミを拾いましょう。山火事を防ぎましょう。地面が掘れる靴は控えましょう。どれもよくわかった当たり前のことばかりですね。でも、“単なるススキ一本 持ち帰ってもいけないのか。そんならいっそのこと人が山に入ること自体を禁止してしまえ。”といわれると急に複雑になります。あらゆる場合を解説していくと六法全書になってしまいますので、ここは私らしくあっさり片付けてしまうと“人としての良心で判断しろ。”です。でも山岳会などではトラブルを避けるためにもキチっと“どんな場合もダメです。”と生類憐みの令みたいなセチカライことにせざるを得ないようです。ただ、山ナスビを食べるくらいは子供の虫取りと同じ扱いにしてほしいです。(このコラムは、実はこれが言いたかっただけ。)

身投げ岩縦断ルート:身投げ岩を南端から岩場づたいに登るのはハイカーには無理がありましたが、一部左側(西側)に回り込むだけで登れることがわかり、地主さんの許可を得ましたので、近日中に、ルートを整備します。左にまいていても 急なツルツルスラブを横壁をつかんで登ったり、4m程のチムニー状の急な岩場を攀じ登ったりと結構ハードなので、この正式ルートを“チャレンジルート”と称し、初心者や年少者のために、さらに左側にまいた“無難ルート”を作ります。チャレンジルートは登り専用で下降不可です。無難ルートなら下降できますが初心者や年少者にはお勧めしません。切れ落ちた岩稜づたいに最高点を越えて北上し、縦断してください。今度のイベントではこのルートがスタートになります。チャレンジルートを登るだけでも 和気アの面白さと私の哲学がなんとなく理解できると思います。なお、この身投げ岩は松茸区域ではありませんので年中遊べます。

この身投げ岩縦断ルートと、天神尾根ルート(バリエーションルートとしていますが、登るだけなら大丈夫です。)をセットにして、正式な“身投げ岩天神ルート”になります

報道:11月30日発売の“ヤマケイJOY 冬号”のカラーページに全国のアルプス特集で、和気アルプスが紹介され、私のインタビューと写真が掲載されています。マスメディアに取り上げていただき、和気アはマイナーな低山から脱皮しつつあります。“面白い穴場だったのに、人だらけになる。”と、オーバーユースを嘆く方もいるかもしれませんが、和気アの木立は元気ですし、ブームがすぎれば また静かな藪山に戻りますよ。とりあえず今は、快く皆さんを迎えるべく、自然の風情を大切にしながら、たとえ遠方から泊まりがけで来られても満足してもらえる“楽しい山”をめざして頑張ります。

はっきりいって 自信があります。 “和気アルプスほど楽しい山は滅多にない。周りに風情を感じながら、面白い岩場を次々に越えていく。しかもやさしいルートから険しいルートまでいくつもの登山道があり、全てのルートにそのルートならではの見所がある。いろんな山の面白い所だけをかき集めたような 何度でもリピートしたくなる コンパクトで楽しい山である。”と、自分にハッパをかける意味で、皆さんに言いきっておきます。

さあ、今期も張り切って松茸白テープを撤去し、清掃し、整備し、新ルート(地主さんの了解は取得済みです。)の開拓整備と2月スタート予定のスペシャルイベント(HPはほぼ完成済みです。)の準備をしていきます。その上、今冬は山スキーも本格的にやってみたいので、このHPのやりかけページが完成するのはまだまだ先になりそうです。すみませんね。やりたいことができたら、我慢しないようにしてるんですよ。山では“やる気”が一番ですから。

思えば、阪大ワンゲルの主将だったイトコから“お前みたいなのが一番危ないんだ。”と言われて早6年。この性格で何度も冷や汗をかきましたが、その分成長して 今現在に到っております。

121:いよいよ和気アのシーズンです。今日はさっそく観音山に登り、ゴミを拾うとすぐゴミ袋がいっぱいになりました。(タバコの吸殻がやたら多かったです。)いったん下山し、鵜飼谷温泉駐車場まわりの林の中のゴミを拾い、すぐに温泉新道から登りなおして前ノ峰からエビ山までの松茸テープを撤去しました。(エビ山ではテープがはりめぐらされていましたが、あとはポイント的にしか張られておらず、作業はすごく楽でした。)エビ山からひきかえし、前ノ峰からは去年取りこぼしたテープ(日当たりの悪い所のみ、まだ目立っていました。)をとりながら涸沢峰までくると誰かが竜王山までの鞍部に張られたテープを取ってくれていました。結局のところ、縦走路は奥ノ峰までテープはまったく張られていませんでした。東肩で休んでいると先ほど涸沢峰と竜王山の鞍部のテープを取られていた女性二人の方が来られたので、お礼を言うとテープはあの鞍部だけだったことが判りました。東肩から先もポイント的にしかテープはなく、北稜ルートを下山すると、ここもポイント的にしかテープはありませんでした。ゴミも拾いましたが、ゴミ袋1つ分にもなりませんでした。テープをとってくれた女性の方(お名前を伺っていませんでした。)と、今回ご理解 御協力いただいた地主さんや登山者の皆さんに心から感謝申し上げます。どうも ありがとうございました。なお、PM3時、私はジャンダルムを過ぎたところで突然 鹿に遭遇(こっちへ駆けってきた。)しましたが、大声を出すと、鹿は私の目前で右の薮に飛び込んで消えました。(ああ驚いた。)また、本日は天気もよく、大勢の登山者に会うことができました。皆さん今日が松茸山開放日なのをよくご存知で、とても楽しそうでした。皆さんのうれしそうな様子が私の励みになります。あすは由加神社から竜王山までのテープを取って作業を早くも完了します。本当に去年とはえらい違いです。ちまちまと まだ他にもいろいろやりますが、これで新ルートにも早く着手できます。なお、ピークハント21のイノシシプレートがボロボロに風化していましたので、近日中に全て更新致します。

12月2日:竜王山登山道にも、松茸テープは張られていませんでした。皆さんの思いやりに 改めて心が温かくなり、感動しました。去年取りこぼしたテープを取っただけで全ての白テープ撤去作業を完了しました。それにしても想像以上に早くできました。去年は本当に大変で、3月までずれこんでしまったのに比べると凄いことです。取りこぼしもかなり なくなったので、来年はそれこそ1日で完了できるでしょう。竜王山、子竜王のイノシシプレートを新しいものに更新しました。

123:ちょっとお疲れでしたが、ザイテンから神ノ上山頂周辺と、権現岩周辺を清掃整備し、イノシシプレートを更新しました。また、ザイテンのカニのタテバイのロープも鎖につけかえました。鎖がちょっと短めですが、ガマンしてください。連日の作業登山でくたびれているせいか はかどりがとても悪く、動きが緩慢で、高山なら完璧にヤバイ状態でしたが、それでも屏風岩やマサミチルートの偵察もしました。改めて こんなところに一般道がひけるだろうかと不安になりましたが、なんとかなるでしょう。(おいおい!)ご心配なく。これくらい不安になる場所の方が、ルートは地形の弱点をついてひかれたものになり、最高に面白い傑作ルートになるんです。ところで、今回 ヤマケイJOYに掲載され、また肩書きが長くなりました。“和気アルプス代表者兼広報担当兼整備担当兼ルートセッター”の藤本です。どうぞよろしく。編集部の若菜さんによると、他のアルプスはすでに過去の人によって開拓されているため、こんな感じで現在も開拓が進んでいるアルプスは和気アだけらしいです。また、私みたいなことをやっている人物も今ではとても珍しい と、まるでシーラカンスのようにいわれました。じつは単なる時代遅れのオッサンなだけだったりして。くだらんこと書いてないで寝よう。明日からはまた仕事です。整備の続きはまた今度。整備と清掃がてらイノシシプレートとチンネの鎖のつけ替えも今月中には完了し、来年からは新ルートの開拓です。開通したら、また登山地図も更新です。ああ、いそがしいなあ。でも早くやりたい。もっと休みを!”毎年冬になるとこのセリフが出ます。

ハンター:和気アは休猟区だからハンターは入らないと思っていたら、12月15日、鷲ノ巣から登山道をおりていて、8人ものハンターの御一行に遭遇しました。軽トラを山の学校まで乗り入れて、しとめたイノシシを運んで帰っていきました。あちこちで野生動物が問題になっているニュースをききますので、害獣駆除の依頼でもあったのでしょうか。とにかく、銃声はしていませんでしたが、トラブルのないことを祈ります。そういえば先日、鹿に遭遇した後、発信機を首につけたビーグル犬にも遭遇しました。今思うとあれは猟犬で、鹿は追われていたのですね。

イノシシプレートの21全部を新しいものに:12月20日、清掃がてら21プレートの更新を完了しました。ピークハント21は、もともと01年の年越し企画でしたが、23年たった今の方が歩く方が増えてきているようです。初代のプレートはニスをひいたベニヤだったので、まる3年目の今冬では日当たりのいいものは完全に剥離して、のっぺらぼうになっていました。また、4月1日に観音山のプレートだけは更新していましたが、なんとこの半年だけで組み木の継ぎ目が割れてボロボロになりました。トールペイント(家の庭のタローボードは3年たっていますがまだ健在です。)と同じ組み木の板にニスをスプレーしておいたのですが、山中では傷みが激しいようです。今回の新作プレートは普通の板にニスをひいたもので、ボロボロになる継ぎ目はありません。そのかわりちょっと小さくなっています。また、今回の一連の整備で、フダをつけている針金が木にくいこまないようにゆるめてまわりました。なかには木にとりこまれてゆるめられないものも2つくらいありましたが、これからもちゃんとゆるめていきます。コースサインも踏み跡が明瞭化して不用になったものは撤去したり、大事なものはゆるめに更新したりしました。そして山中の白テープの残骸とゴミもかなり拾いました。(烏帽子岩では途中にひっかかっていたボンベを命がけで拾いました。下まで落ちたゴミだけはロープがないと無理なので次回です。)アプローチの遊歩道のゴミもひどかったのである程度拾いましたが、拾いきれていません。林道沿いの産廃同様、アプローチで歩く道路も少しづつでも拾っていきます。俗な下界のことは気長に(気分まかせに)やっていくつもりです。何年かすれば全て撤去できるでしょう。さあ、あとはチンネの鎖の付け替えと鷲ノ巣のゴミ拾いで整備は終了です。さっさとすませて、身投げ岩から新規開拓整備していくぞ。なお、拾ったごちゃ混ぜのゴミを快く引き取ってくれた温泉と北川病院にお礼申し上げます。

年かな:丸一日 山で作業すると背中や腰がいたんで、翌日は肩こりからかひどい頭痛がします。(今そうなんです。)これでまた無理をすると いよいよ過労状態で、本調子に戻るのに4〜5日かかってしまいます。やっぱ40歳をこえると昔ほどタフではいられないものですね。タフさが無くなるとどっか悪いんじゃないかと不安になります。でも人生のほぼ半分はもう済んでいますから、どこかにガタがきても当たり前でしょう。なにもしなくても体は時間とともにどんどん老いていきます。いまさら体を惜しんでも無意味なので ガタがこようと とことんコキ使ってやります。それにしてもこの根性が趣味じゃなくて仕事にむいていたらなあ。(ホント。ホント。)でも仕事にこの根性をむけていたら今の和気アも私も無かったわけで、むしろこれでよかったと思っています。好きなんですよ。今の自分が。自分らしくてね。偉大すぎる親父(社交的でタフでやり手の町長でした。)に対して、自分のいたらなさに自己嫌悪になった時もありましたが、私は私なりの凄さを私のやり方で証明するまでです。最近では知人皆(社内でも)に自分のスタイルをうらやましがられています。私の心に火をつけてくれた“山”と山が縁で知り合えた皆さんに心から感謝しています。よし!元気がでてきたぞ。頭痛はしてるけど気分は巨大怪獣だ。さあ いっちょやるか!ガオー(意味不明)

地図:今月12月になってからいちだんと無くなるのが早くなっています。温泉ではなんども無くなってしまい、需要に供給が足りてないことがしばしばありました。すみません。それにしても和気アの人気がますます上昇しているのを実感します。このHPのアクセス数も4600を越えました。それにしてもいかんなあ。こんなコラムばかり更新して、肝心なコラムが更新されてないではないか。このページは今では印刷すると31ページになってしまいます。途中で補給しないと用紙切れしそうです。ひどいHPになったものだと私自信もあきれています。ホントにすみません。でも“面白い。”といってくれる凄く暇で物好きな読者(ズバリ 貴方です。)もいるので、まだまだひどくなると思います。

1223日、ズッシリとした17mの鎖を担いでスラブをよろけながら登り、やっとチンネの取り付きまできて一息。ジャラジャラとのばすと最初の崖部分の所だけでぴったり17mを使い切ってしまうことになりました。“ありゃあ。こんなに距離があったのか。”じつは17mあれば全てをまかなえると勘違いしていたのです。(20m買って、3mはザイテンに使用済み。)残り3箇所をチェックすると、また改めて15mの鎖を担いでこなくてはならないことが判明しました。“うえ〜。”おもいやられます。しかし実質15mもある鎖の下降なんてコブ付きロープに比べると重いし滑るし ちょっと危険で、かえって事故を誘発しそうです。鎖ももったいなく思え、下降用のルートを薮の中に付け直そうかとも思いましたが、せっかくスラブから続いている岩場を薮中に回避するのが何かシャクで、不必要に薮をはらうのもイヤなので、“ここは初心者向けの場所じゃあないからこれでいいか。”ということで、和気アでは唯一の鎖場らしい鎖場になりました。こんな箇所が1つくらいはあってもいいでしょう。うん。下降時はどうか一人づつ順番を待って通過してください。登りは持たなくても行けます。(できれば下降も持たずに行ければいってみてください。)

1229日、朝は家の窓拭きをして、昼から鎖とロックハンマー(45年前に親父が使っていたホープの650gのものです。)とリーフピトン(これまた親父が愛用していた軟鉄製の赤塗りされたものです。)とジャンピングセット一式をかついでチンネにヨロヨロと辿り着き、残りの3箇所のロープを鎖につけかえました。ボルトは使わず、リーフピトンを3本打ってうまく設置できました。(ザイテンの時はヘタで、ボルトを打ちましたが)今回はじっくり2センチ間隔でリスを抜き差しして捜し、うまく根元まできめることができました。打ち込むにつれキンキン音がキュン、キュン、とピトンが歌いだし、根元まで入りきるとなんともいえない満足感があります。知らない人が見たら、何もない岩にピトンがささっているようにしか見えず、どうやって刺した(打ち込んだ)のか不思議に思うくらいです。

これで今期の清掃と整備作業は全て完了しました。はれて新年からは新ルートの開拓にかかります。そうそうに下山し、消防の夜警の買出しをし、深夜2時半まで夜警。30日は髭ボウボウで出勤。夜はまた深夜1時まで夜警。クタクタになっていましたが、31日は親父の手伝いで丸1日野良仕事。只今、紅白を見ながらHPを更新しております。元旦はまた出勤です。みなさん、よいお年を。(よい子のみんなは こんなオジサンのマネをしてはいけないよ。過労で死んじゃうからね。オジサンは化け物だから大丈夫。)

これより03年。

山スキー:今年(03年)はやたら雪が豊富で、恩原へスキーにいきました。雪質が良くて滑りやすく、連続ショートターンも自信がつきました。1月17日にはオハヨー山岳会で鏡ヶ成周辺を山スキー(フリートレックというショートタイプ山スキーですが。)でスノートレッキングしましたが、レンタルのスノーシューやクロカンの方がいいくらいでした。新雪の緩斜面をシールをはずして下降しようとしてもぜんぜん滑らず、シールは条件がそろわないと下降でもはずさないものだということを後で知りました。また、よほどのことが無い限りスキーははずさず、はいたまま通したほうが正解だということも納得しました。先日、本屋で新ルート岡山の山百選なる本を発見し、以前へろへろさんが取材しているといわれていた笠杖山のことが載っていたので、つい買ってしまいました。読むと、いままでインターネットでしか情報がなかった那岐山の沢や恩原からの山スキールートなどの紹介もあり、さっそく1月26日、長女と2人で第2リフトから恩原牧場の端まで2時間半かけて往復しました。(他の家族はゲレンデでスキーです。)天気がよくて遠くの山まで見渡せて最高でした。シールをつけたままで滑走し新雪にシュプールを描いて自己満足です。本格的とはいいがたいですが、やっと山スキーらしい山スキーができました。でもまあ、沢登りの時もそうでしたが、独学で新しいジャンルに挑戦する時ははじめはみんなこんなものです。(ちなみにこのページ最初の写真はゲレンデスキーにセキュラフィックスという踵があがるアタッチメントとシールをつけて大山に登った時のものです。結局、山頂台地でしかスキーは使用できず、ずっと背負ったままでした。)

開拓情報:さて、もうじき身投げ岩が開通します。コンパクトですがこれだけでも結構楽しめます。また、屏風岩の調査もおわり、作業用のザイテン・屏風バイパス(ザイテンの足元へ縦走路から15分で降りたてます。)も半分までできてます。屏風岩は大屏風と小屏風があり、取り付きに下降するだけでもザイテンもどきでおもしろく、宗堂池の眺めは最高クラスです。縦走路に戻る前にもうひとつ奥の岩場にも立ち寄ります。特に大屏風は100mくらい水平に続く切れ落ちた崖淵をつたうもので、よそにはないシチュエーションです。場所は奥ノ峰東肩の中腹で、いままではここから先は林の中か。と惜しまれた場所ですが、これからは屏風岩を通れば、しばらくは岩場より静かな林を歩きたくなるくらいです。大屏風への下降はザイテングラードのように宗堂池まで開通させるつもりです。完成すればザイテンクラスのルートまで2本になり、いいところに眺めもいい面白いルートができて和気アはすごいものになります。乞う期待です。でも完成は2月末になりそうです。

チェーン規制:2月1日、大山にスキーにいきました。米子自動車道がチェーン規制で、久世でチェーンをつけさされました。ところが、いけどもいけども道路に雪はなく、延々と溝口まで(じつに走行距離50キロ!)雪のない道を時速70キロ(はじめはゆっくりだったが、途中からもう半分ヤケ!)でゴゴゴゴゴゴ・・・と粉塵をまきあげて走り続けました。こんなドライブ経験ははじめてで、チェーンが切れないか心配でしたが、イタリア製のチェーンは多少磨り減ったものの持ち主に似てとってもタフだったのには感心しました。でも、私は振動でシビレてハンドルもつ手がバカになりました。路面も掘り返されてガザガザのデコボコになっています。こんな場合はどうすべきか会社のスキー狂のI氏にきくと、“そりゃあおえんわ。ふつうチェーンがきれるで。適当な路肩で止めて、はずしていかにゃあ。”とのことです。違反にならんかときくと、“チェーンは切れるはフェンダーはめげるは道路はいたむは粉塵はまきあがるは手はあほうになるはじゃ はずすしかねかろう。せえでゴチャゴチャぬかすならどねえせえいうんじゃ。”ごもっとも!“こりゃのうてもいけるおもうたら、路肩によってはずすんじゃ。せえで、やぼうなってから路肩によってつけなおしゃあええんじゃ。どうせチェーンは走行中に何度か路肩によってしめなおさにゃあおえんのじゃからおんなじこっちゃ。しめなおすフリしてつけはずしすりゃええんじゃ。”なるほど!たいへんよい勉強になりました。もしチェーンが切れていたら何万円も損害をこうむったでしょう。“どちくしょお!日本道路公団!”とわめきちらして料金所で暴れていたかもしれません。

板切れ:私が道標にしている板切れはイノシシプレートのみ購入したもので、あとはすべて地元の正信製材所からもらってきた廃材です。先日も、“今度の新ルートに全部で30枚程要ります。”と、お願いすると、快諾していただきました。遅れ馳せながら御礼申し上げます。

ところで、新ルートですが、全ての予定ルートの調査が完了し、いよいよ整備にかかります。宗堂池に降りる思わぬ掘り出しルートを発見して大喜びしているところです。詳しくは後ほどお話します。(今はくたびれて説明するのがツライだけ。)それと大屏風のトラバースルートは別名“日電歩道”です。これも完成してから歩けば納得してもらえるでしょう。

ルート発見:新ルートを開拓していて思いがけずしっかりした踏跡を発見し、こんなところにこんなルートがあったのかと、感心することがあります。

実は今回の新ルートはほとんどがこの発見によるものなのです。はじめの構想では、神ノ上山本体にかかるところで縦走路から山腹をトラバースしてザイテングラードの取り付きへバイパス道を作ろうとしていたのですが、取っ掛かりの尾根上で踏跡を発見し、古びた松茸テープをたどるとあっさり下山できました。ザイテンの取り付きよりやや下で合流しますが、急な尾根上を一気に下ってわずか15分でザイテン下につけます。地元の人にきくとやはり昔はここを歩いていたそうです。

また、はじめは大屏風から山腹をトラバースして鷲ノ巣の西尾根にいくバイパス道を作るつもりでしたが、これも大屏風取り付きルートに踏跡があったのでたどるとだんだん明瞭になり、これまた古びた松茸テープがはられてあって、最後は完全に整備された登山道になって宗堂池まで下れました。松茸山として地主さんが手入れされたようで、5年前にここへ踏み込んだときは倒木だらけで閉口したのにえらい変わり様でした。特にこのルートは変化があり、眺めもよく、どうしてこんな面白いルートが廃道になっていたのか不思議なくらいです。私としては作業が楽なのでうれしいような、先を越されたようでちょっと残念なような複雑な気持ちです。

鷲ノ巣へのバイパスにするため、行き止まりだった池の奥から尾根に上がる道を調べると、これまた踏跡を発見でき、たどると岩場もあってなかなかいいルートで、あっさり登山道に合流できました。途中の丸山は宗堂池から鷲ノ巣へ登る途中のピークですが、鷲ノ巣やチンネがきれいに見える展望所もあり、 これまた なんでこんなにいいルートが廃道になっていたのかといぶかるくらいです。(それをいえば鵜飼谷北稜ルートもそうでしたが。まだまだ和気アには面白いものが埋もれているんですよ。)

というわけで新ルートといえるのは大屏風から奥ノ岩を経てザイテンへのバイパスに合流する部分と小屏風ルートだけです。

はじめはこれらも、ジャンダルムの手前からトラバースして岩場をたどるルートにするつもりで、丸1日中 ジャンダルム周辺の薮の中を泳いでまわりましたが、思いのほか薮がひどく、岩場が続かなかったので、また別の機会に別のルートにするかもしれません。

結局、宗堂池ルートの踏跡のおかげで小屏風を発見できました。大屏風は捜しても見当たらず、ひどい薮漕ぎをして奥ノ岩に辿り着き、そこからはやさしい薮漕ぎで縦走路にもどれました。後日、麓から大屏風はもっと下にあったことを確認し、2回目になんとか発見できました。トラバース終了点から縦走路に戻るより、先日の奥ノ岩経由のほうが楽に戻れるのでルート設定もそうしました。今回の開拓ははじめの構想とはかなり違ったものになりましたが、かえっていいものになった気がします。

トラバース道:和気アには横着できるトラバース道はありません。和文字の中を行くルート同様、かえって険しいものばかりです。クライミングでは一番面白いのはトラバースだといわれていますが、今回の屏風岩ははっきりいって 意味のない“ただ面白いだけ”の険しいルートです。こんなルートがある山も珍しいでしょう。“まったくこんなルートを作ったヤツの顔が見たい。”という声がきこえるようです。だったら私も言い返します。“こんなルートをたどるヤツの顔が見たい。”と。

順番が違う25番目ピーク:今回の新ルートでおもいがけず御大師様の裏山を開拓したので、このピークを“丸山”とします。じつは前剣(23番目)とM2(24番目)はすでにイノシシプレートを作ってあるので、先に開拓してしまいますが、丸山は25番目です。なお、ゆくゆくは御大師様もルートをつなげるつもりですので、26番目ピークは“御大師山”です。

急がないと:なんとか3月の中旬までには新ルートを完成し、イベントを実行可能にするつもりです。

でも、今回のイベントはチャラけたわりにとんでもなくハードです。暑い時期にはとんでもないです。実行可能なのはせいぜい4月末まででしょう。(わずか一月チョイ!)ううん。これまたピークハント21のように本格的に皆が歩いてくれるのは来年からかな。PR不足から結局ピークハント21は02年になってからよく歩かれています。そうするとパスワードやヒントの札もまた更新しないとダメだな。うん。いままで新ルートの整備は人気のない暑い時期にやっていましたが、薮は茂るは、虫にさされるは、かぶれるは、バテるはで大変だったので、今回はやりやすいこの時期にしました。でもできるだけ見られたくない(忽然と完成させておどかすため。)ので、平日に作業しています。そもそもこの時期は雪山の誘惑がつらく、今年は特に雪が豊富なのでスキーばかりいってくたびれています。

ひろがる構想:和気アには岩場がまとまっているエリアが5つあります。それぞれに魅力的な面白いルートを着けていきます。とりあえず現在、完成しているエリアは最もハードな鷲ノ巣、チンネ・スラブ周辺エリアだけです。竜王山バットレス、穂高ガリー周辺エリアには、身投げ岩天神ルートから派生する周回ルートをつくる予定です。ザイテングラード周辺エリアには、直登のミチオルートから派生するマサミチルート(かなりハードになるかもしれません。)をつくり、前剣西尾根ルートもつくります。そして今回整備中の屏風岩周辺エリアには、ジャンダルムからも宗堂池に降りるルートを着けたいです。さらに第5のエリアとして未開の神ノ上東尾根にある東壁に周回ルートを作りたいです。

これらがすべて完成すれば和気アは全国から泊まりがけでこられても充分満足できる名山になります。実際に、すべてのエリアを楽しむには泊まりがけでないと無理です。面白い箇所だらけで、つまらない箇所をたどるほうが困難な山になります。こられた方はかならずリピートしたくなり、ハマると他の山がつまらなくなってしまうかもしれません。

完成と同時に私はアルパインハイキングを提唱したいです。そのスローガンは“慎重かつ大胆に!”で、ヘルメットをたずさえたハイカースタイルで山行するというものです。和気ア周辺にも面白い岩場をもつ山がとりまくようにありますので、これらも整備して、一大アルパインハイキングのメッカ和気町を創造したいです。いや、しちゃいますよ。ホントに。私のことだからね。並みじゃないからね。うん。

遭難?:3月14日、新ルート整備中、うちの柴犬(タロー)がはぐれて遭難しました(詳しくはこちら。)が、親切な方によって大事に保護されていました。3月19日、5日ぶりに帰宅し、家族と再会しました。どうも お騒がせ致しました。大切にしてくださったMさん 誠に有難うございました。

新ルート完成:3月17日、とりあえず今期の新ルートをすべて開通させました。そして3月19日には新イベントの準備も完了しました。

それにしても疲れました。期限がくくられているので、なにがなんでも間に合わせなければと、雨の日でもカッパ(ハイパロンのやつ)にマリンブーツで作業しました。タローは行方不明になるは、手首にノコをあてて右腕がつかえなくなるは(今でも痛い。)、大屏風では足元がぬけて死にかけるは(現場は刈り払って迂回してます。)、エピソードはたくさんあるのにくたびれて、今は詳しく書く気になりません。ただ面白いルートが増えたことだけは自信を持って言い切ります。でも、日電歩道は皆さんの反応が知りたいです。正直いって、やたら険しく、遠回りで、意味のないルートです。こんなルートが作られてよいものでしょうか。自分自身ただ作りたいから作っただけです。(ホントそれだけ。)こんなルートを歩いて喜ぶ人がはたして何人いるだろうか。う〜ん。

八ツ峰岩:今回整備完了した“身投げ岩”を“八ツ峰岩”と改名いたしました。整備後、地元から“身投げ岩”の名は地元でも一部の老人しか知らないし、こんな名札をかかげられると、自殺志望者に“ここで自殺しなさい。”といっているみたいなので、改名してほしいとの要望があったためです。(ごもっとも!)北アの剣岳はなんといっても八ツ峰です。和気アにもなんとかこの名をつけれるものがないかと以前から探しておりましたところ、うまいことに、身投げ岩は岩頂がギザギザの鋸状の岩稜になっているので、思い切ってこの名前をつけました。あとで、HPの他のコラムも身投げ岩を八ツ峰岩になおしていきます。新イベントではここがスタートになり、いきなり鎖で始まります。(こんなルートも作りたかったんです。)途中、一度左にまわりこみますが、横から斜度35度のツルツルの岩盤(別名:タイタニックデッキ)を登ることになり、登ったら今度はルンゼ状になった岩の中を攀じ登って岩頂に向かうというもので、コンパクトですが、かなり濃厚なルートで、ルートセッターの私の性格がよく表現されたルートだと思います。イベントに限らず、近くを通ったらぜひ立ち寄って遊んでみてください。

3月21日:いよいよ新イベントのスタート。登山地図を更新し、和気富士登山口のお稲荷様に設置していたノートも2冊目に更新しました。回収したノートをまだ落ち着いて読んでいませんが、残念なことに途中から子供の落書き帳みたいになっています。(子供だけでも遊べる山だからしかたないか。うん。)でも私には大切な宝物です。中には特筆すべき記載もありますので、あとで内容を紹介していきます。

家族サービス:ここのところ和気アにいりびたりで、ないがしろにしていた妻子に罪滅ぼしとして、3月21日、小豆島に観光旅行に行きました。広島・山口県境にある三倉岳も周辺の岩山共々いじってやりたくなる山でしたが、ここも凄いです。あちこちの山に奇岩がそびえ、拇岳などヨーロッパアルプスみたいで本当に登高欲をそそられます。もし私がここの生まれだったら、またハデにやっていたでしょうね。うん。それにしても、なんとか播磨の山々とはりあえるようになったと思っていたら、和気アはまだまだだ。ちょいと海を渡った先にこんなのがあるんじゃあね。新たなるライバル現るといったところです。でも、和気アはまだまだ凄く面白くなります。これは約束しますよ。

大山にて:思えば、3月の大山に雪山登山するというのはハイキングとしては究極クラスのイベントであると私自身 位置づけており、毎年挑んでいます。今年も3月23日、まれに見る好天。オハヨー山岳会のメンバーは沢登りやロープワークやスノーハイクを経験した個性ゆたかな5人。今年は例年になく雪が多く、先日まで寒の戻りがあって残雪期になったばかりの大山でありました。吹きさらしになる6合目から先がアイスバーンだと想定して、私はロープやダブルアックスを装備に加えていざ勝負!とはいえ、皆の足元は980円のマリンブーツに1300円の軽アイゼン(私のお気に入りで、安物なのにツメがデカクてよくきくスグレモノです。)に500円のアンチスノープレート付きという合計3千円もしない実に頼りない装備です。(リーダーの私だけは救助もできるよう 重登山靴に出歯アイゼンという合計8万円のちゃんとした足作りです。)しかし、ちゃんとした技術があればこれでも充分です。気温も高くなり、アイスバーンになっていなかったので楽勝でありました。三角点まで行き、帰りは6合沢をジャージの股に雪をかかえてブレーキをかけながらシリセードで元谷へ下降しました。しかし、失敗もありました。9合目で私は北壁を見下ろそうとして、雪庇を用心しながら稜線の端に近寄ると、居合わせたアルパインクライミング姿のリーダーの方から“雪庇です。”という声。“わかっています。”といって振り向いて驚いた!なんと自分の2歩後の雪面に亀裂があるではないか!用心して行ったはずが、亀裂を見落としてモロに雪庇に乗っていたのです。先端まではまだ5mくらいあるのに、雪が多いとはいえまさかこんなにデカイ雪庇になっていたとは!その時は平静を装ったものの、もしあの声がなかったら雪崩を起こして死んでいたに違いない。山頂で改めてリーダーの方にお礼をいいました。なんとも恥ずかしい限りですが、事故はこんな軽い気持ちから起きるものなのだと反省しました。雪庇を疑う箇所では軽々しく踏跡からはずれないこと!である。

やりのこし:今回の新ルートとイベントはかなり時間に追われて、やりのこした事も結構ありました。休みは使いきっており、しかも家族サービスもしなくてはならず、やりたくてもなかなかできませんが、ちょっとづつやっていきます。まず、一番気になったのが、イベントのテストウォークができなかったことです。自分が通して歩いてないのに人に勧めるのはさすがに気がかりです。これはHPにもありますように倉敷のツワモノ町田 博氏にお願いして、コースタイム表や山行レポートを書いていただきました。でもやはり自分でも歩いておかないとね。また、宗堂池から奥ノ峰までにある昔の松茸テープは、あとでのんびり3人の娘たちと撤去しようとおもっていたら、かの熱烈ファミリー三宅 泰正ファミリーが先に取ってくださいました。本当に毎度ありがとうございます。

ルート自体では、じつは、小屏風は本当はもっと西よりの岩場を下降してとりつくようにする予定でしたが、岩場が急峻でハードすぎて一般化に時間がかかる感があったので途中で切り上げて鞍部に繋いでいます。これもそのうち当初予定のルートをじっくり構えて増設したいです。大屏風でははじめにとりついたルートはザレた急坂で、下降が困難すぎたので、横のシダを刈って今ではそこをエスケープルートにしています。ですから正規取り付きルートは後で増設したものです。トラバースのラストのシダを刈り払っていると足の下が空中だった(落ちるところだった)ので、シダを刈りはらって迂回路をつけてます。作りながら、“遠回りで険しいこんなルートをだれが歩いてくれるだろうか?”と不安になったりしました。大屏風はころぶと危険なので、できるだけ歩きやすくなるようにこれからもすこしづつ手入れしていきたいです。大屏風から奥ノ岩への下降は最初に薮漕ぎしたルートがあまりに急な黒ボコの斜面だった(刈りはらって、開通してから気が付いた。)ので、ここは閉鎖し、左の緩斜面に付け直しました。(作成ミスとしてロープでせきとめてあります。バラすと、こんな場合、ザイテングラードでは“クライマー専用路”などとゴマカしていました。)また、奥ノ岩の斜面には下降用の鎖を設置してもよかったのですが、大屏風の上で団体さん同士が鉢合わせすると大変なので、あえてつけずにおきます。奥ノ岩の下降を“難”とすることで、マズイ事態になるのを防止しているわけです。これは御了承ください。まあ、これらの新ルートの手直しに限らず やりたいことはまだまだ山ほどあるのでこれからも頑張って作業して(遊んで)いきます。

新ルートの険しさ:自分でもわかっているのですが、新しくできるものほど険しくなっています。これは私自信が成長しているためです。初心者のころ整備したルートはやはり初心者向けで、これから開通するであろうルートは今よりもっとハードなものになってしまいそうです。ですから“歩かれる方も順次ルートを踏破してレベルアップしてください。”としかいえません。(なんと勝手な!)でも、作った私自信でも“これはキツイかな。”という所にかぎって結構 皆にウケているのは事実です。やはり山は冒険の舞台なんですよ。山での冒険要素はラーメンのスパイスと同じで、ないと食べて(歩いて)いて飽きます。なお、今回の新ルートはほとんどが廃道復活で、小屏風と大屏風から奥ノ岩を経て縦走路に戻る部分だけが本当の新ルートです。じつはかつての新ルートも所々アレンジしていますが、ほとんどが廃道復活で 完全な新ルートはザイテングラードだけでした。ですから、屏風岩トラバースルートはザイテン以来の完全な新ルートということになります。ところで、難所の補助ロープや鎖についてですが、原則は下降用としてしか設置しないようにしています。しかも、5mを越えるものは中級者向けのチンネにしかありません。長い鎖やロープは、つい複数の人が同時に持ったり、ぶらさがったりしてしまい、“一人がコケると、しゃくられて皆が落ちる。”“複数の重さに支点が耐えられない。”等 かえって事故を誘発する危険があるためです。ですから、天神尾根のツメや鷲ノ巣南端ルートなど、設置すると数10mになる所は、あえて登り専用とし、これからも設置はしません。とにかく、これからも私の作るルートはラーメンなら坦坦麺みたいで、どんどん四川風のピリカラ料理になるでしょうが、皆さん がんばってご賞味くださいね。

プレート:三宅さんから涸沢峰のイノシシプレートがなくなっているというので、4月5日にさがしましたが、やっぱりありませんでした。その代わり、ここでかなりのゴミを拾いました。子供にせがまれたお父さんがプレゼントにでもしたのかもしれませんね。(じつは私の末娘もほしがっています。)なお、竜王山山頂ではイノシシプレート以外のフダ類は清掃ボランティアに全て撤去されていました。かつて和気富士から神ノ上までフダ類が撤去されたとき ここだけは免れていたのですが、ついに手入れされてしまいました。(要はフダがただの山頂表示ならOKで、自分の名前やクラブ名がコマーシャルされたものはアウトのようです。)しかたがないので涸沢峰のイノシシプレートはまた作りなおします。新ルートの丸山と今年末に開通させる御大師山(ここもテープがひどいのですが。)にもイノシシプレートをつける予定です。

言葉:皆さん。カッコイイ言葉や美しい言葉についダマされていませんか。スマップの歌で、“世界に一つだけの花”というのを娘が気に入っています。“そうさ僕らは世界に一つだけの花。もともと特別なオンリーワン。”などと歌っていたので、私は武蔵になって“ひとはっ! は・な・ではっ・・ないっ!!”といってやりました。だいたい“自分の花をさかす”にはナンバーワンを目指す以上の努力をしなくてはならないのであり、自分は“特別なオンリーワン”だからとゴロゴロ フラフラしていたら、ありふれたくだらないダラケ人間になってしまいます。“そうさ人間は花ではない。お互い競い合ってこそ人間は成長する。自由競争のない世界には進歩と繁栄はありえない。”と歌いなおしてやりました。(だいたいバケツの中ではしおれる花も自然界では し烈な生存競争をしているんですよ。)最近の軟弱な若者をより助長する歌になっていないかと心配しています。私もイヤミな小言の多い年寄りになりつつあります。

2周年:03年5月1日、ついにこのHPも2周年を迎えました。アクセスカウントは6700!おおっ。マイナーな1低山専門HPにしては凄い数字だ。ううむ。これからは馬鹿なことを書くのは慎まなくてはならんか。まあいいか。こんなとこまで読もうとする暇人はあまりおらんだろうし、印刷すると37ページにもなるからね。うんうん。よし、このままでいこう。

フォーカストビバーク5月の和気アはテント(ツェルト)泊山行もできます。天気予報で気温をチェックしてきてください。

最近:夏並に暑いせいか、ちょっと体調を崩してゴロゴロして太っています。先日、シュラフや山岳テントを買い揃えたので、この夏は長女(小6)と二人で4泊5日で穂高を縦走(涸沢〜北穂〜奥穂〜前穂〜岳沢)しようとたくらんでいます。7年前、山を始めた時に一番最初からやりたいと憧れていたテント山行。できれば息子と。と思っていたら娘ばかりで諦めていたのに、今では長女は山大好き女になってくれました。はれて夢かなって親子本格登山です。いやあ。食料計画や持っていく水量や雨天対策や悪天の計画変更などいろいろシュミレーションしているとこれだけでかなりくたびれます。とにかく日帰り山行とはえらい違いで、これぞ登山だ。と思いしらされています。今まで1泊2日までしかやったことがなく、3000mの稜線でのテント泊なんて初めてです。経験者の友人から判らないことをあれこれと教えてもらっていますが、それでも約20年前のやり方であり、道具もかなり違っているし、そもそもビンボー学生の若さにものを言わせたやり方は自分にはツライかもと、いろいろ試行錯誤しています。計画と準備が完了するのは本番直前までかかるかもしれません。なにせ子供同伴ですから、パーティーの力量は弱く、装備にもかなり気を使います。でも悩む分だけやりがいがあります。自分一人だったら西穂高から槍までいくのと同じくらいの困難さに相当するのではと思っています。また、オハヨー山岳会でもこの夏はまた沢登りをガンガンやりそうだし、なにかと準備、計画で忙しくしています。山へいかなくても“山”を忙しくやっているところです。

マット:テント山行で気を使っているのがマットです。本当にいろんなやり方があって惑わされます。ワンゲルOBのいとこや友人は薄手のテントマットすら無しに、“風呂マット”(ロール銀マットでしかも半身サイズ。)だけで寝ていたといいます。寝れたか?と聞くと、翌朝体が痛いけれど寝れたといいます。“銀マットを巻いてザックにつけるのが山屋らしくていいんだ。”と、いとこはいいますが、藪漕ぎではジャマそのもので、私はどうも好きになれません。それになによりそれだけでは寝れる自信がない。やっぱマネはやめとこう。くたびれていればどんな状態でも寝れるとはいいますが、ハードな山行が何日も続く場合は睡眠不足や筋肉痛が致命傷になりかねないので、たとえ贅沢だと非難されようと少しでもより快適なエアーマットを持って行こうと思います。じつはいままで、モンベルのコンパクトマットレス全身用を愛用していましたが、ついにふきこみ口のゴム部分が劣化して破れてしまいました。(修理不能。)最近皆がよく使っているサーマレストがどんなものか知りたくて、厚さ1.5pの半身用を6千円(思ったより安かった。)で買いました。表面がスキン生地で傾斜があっても滑らないすぐれもので、軽量コンパクトなアルパインタイプとして人気があるというのですが、とがった物が当たるとすぐ穴があきそうです。おまけに厚さ1.5pではたいして銀マットと寝心地に差はなく、はたして私はこれで寝れるだろうかと不安になりました。(分厚いタイプもあるが、重くかさばるのでキャンプ用とのこと。)そもそも寝床をあつらえるのにはスピーディーである必要性はなく、何時間もある睡眠時間を少しでも快適にするためには少々時間をかけてもじっくりやるべきです。ふくらますのに手間がかかるけど、より快適でコンパクトで軽量で安価なモンベルのコンパクトマットレスを結局買いなおしました。これなら充分快適に熟睡できた実績があるので安心です。ただし、今回からは半身用です。せまい山岳テントでは全身用はふくらますのがじゃまになってしまうからで、半身用だとふくらますのもかなり楽です。(しかし、足元にちょっと気を使いそうです。頭ほどでなくともやはり足も少し高いほうが快眠できますので。)傾斜がある時は斜面に横向きになるようにし、(テントの向きも合わせる。)下側のマット下に靴などを差し込んで縁を持ち上げると滑らずに寝れます。(低い方を足にするというのは間違いで、まず滑って寝れません。)なお、今回は薄手のテントマットをオミットして、好きではないが、ロールの銀マットを持っていきます。以前ツェルト泊したとき、ロール銀マットを直接地面にしいてから、モンベルマットレスを敷き、足元に折りたたみ傘をひろげ、最後に上からツェルトをかぶせて、端(底の部分)に石をのせて押さえ、頭の方のみ細引きで潅木にはって、シュラフカバーだけで快眠したことがあり、この組み合わせにはどこでも寝れる自信とパンクしない安心があるからです。また、不測の事態には全身用のロール銀マットを2つ折にして厚手の半身用として使うこともできます。なお、テントの底を傷めたり汚したくないので、地面に敷く専用のアンダーシートも買いました。(必要かつ便利だと思うのですが、持ってない人が多い。)単体で、タープにもなりますし、透けないのでトイレ等の壁にもなります。ツェルトのフライや雪洞のふたにもなる軽量コンパクトなシートです。(ブルーシートでもよいが、かさばって重い。)また、テントのフライは単体でツェルトとして使えます。(まったく同じ素材で、形がちがうだけ。ちょっと窮屈ですが一人なら充分です。)

人それぞれ:マットと同様にひとそれぞれなのが、雪洞の掘り方沢の足作りです。雪洞の作り方は本によってまちまちで、同じものがないといってもいいくらいです。中には、こんな作り方は無理なのでは?本当にこんなもの作ったことあるの?といいたくなるものもあります。雪洞の必要になる時期は厳冬期に限ると思います。マイナス5℃以上の(西日本の)残雪期では意味がありません。遊びで作るとして、私の場合、雪庇のそばの雪庇になりそこなった斜面の部分(ここがふきだまりそのもの。)で安全なところをねらい、斜め上に向かって掘り、シートをしいて雪を流し出して室内を広げます。水平や下に掘ると雪の搬出がものすごく大変です。(ちなみに雪洞が暖かいというのはウソで、どんなに火をたいてもマイナス4℃以上にはなりません。外気がマイナス5℃以下なら相対的に暖かいというだけです。知らずに遊びで作って凍えたことがあります。)また、沢の足作りも本によっておすすめのものが違っています。いろんなタイプのものがあるので、ようは個人の好みによるとしかいえません。私の場合はモンベルのストリームソックス(2本指の厚手の靴下です。1300円)に5枚コハゼの地下足袋(布が2重で靴と同じように底にクッションがあるもの。1000円)とフェルトわらじ(モンベルのはS、M、Lサイズあり。2900円)の組み合わせでやっています。これなら下山用の履き替えは完璧に不用で、ロープを入れても日帰りならデイパックで充分です。だいたい、ソックスなしでは冷たく不快だし、足裏感覚のあるトビ職用の地下足袋は足が痛い(はっきりいって足裏感覚はいらない。)し、フェルト底のままではツメの薮や下山時に滑って汚れて 早く傷むので、高価な渓流シューズを買った方にはすみませんが、自分ではこれがもっとも合理的なものだろうと思っています。長い下りでは親指が痛くなる地下足袋もあらかじめ爪を短く切っておけば大丈夫で、薮こぎでもひっかからず、薮ゴミも入らず、ぬれてもすぐ乾き、安くて惜しげがないのでルート開拓時も地下足袋に限ります。とにかく登山家は皆 自分なりにやり方や装備を工夫しています。まだまだ登山術は進歩していく余地がいっぱいあるのですから、他人がどうであれ自分はこれだと思うならやってみるべきです。山は自分のスタイルを表現する舞台です。もしかしてあなたの発案がメジャーなものになり、今までのやり方が笑われてしまうことになるかもしれませんよ。

判りやすさ:今更ですが、登山口が判り難いというご意見が多いので、山麓(登山口周辺)にもっと道標をつけていこうと思っています。地図についても、ルートが増えるにつれて紙面の都合上、だんだん説明が簡略化されていますので、通の人でないと理解不能なものになっていないかと懸念しております。詳しいルートの説明文を2ページ目に付け加えるのを検討しています。

蒜山にて:穂高テント山行のシュミレーションを、5月18日に下蒜山でやりました。実際に担ぐ装備をそのまま担いで登ったのですが、長女(小6)には30Lザックで7kg、私は50Lザックで17kgをかついで、犬挟峠から雲居平まで登りました。急坂の石が滑って歩きづらく、その上 意味不明の太い鎖がひどくジャマです。(ただし、トラロープは下山時の理にかなっています。)久々に担ぐ15kg以上の重荷に首と背中が痛くなりました。1時間のところ1.5時間かけてのんびりやったのですが、筋肉痛で頭痛がして元気が出ませんでした。下山時はわりとスムーズにこなせましたが、それでもちょっと膝が笑っていました。ローペースで息切れしないようにできても、基礎になる脚力と背筋をもっと鍛えないといけない。これからも重荷を担ぐトレーニングをしていこう。やはりテント山行は訓練が必要ですね。シュミレーションしといてよかった。穂高は一日余裕をもたせて56日にしようと思います。そのほうが稜線上でゆっくり楽しめるのでいいと思います。

ついに朝日新聞に:5月21日、朝日新聞の取材山行で5時間かけて八ツ峰岩から子屏風、神ノ上山、チンネ・スラブルート、鷲ノ巣をまわって宗堂池まで案内しました。紙面の都合上いつ掲載されるか未定ですが、どんな記事になるか楽しみです。(じつは先日、さし歯が割れてしまい、治療前で写真はあまり写されたくなかったのですが、パチパチよく撮られました。歯抜けのマヌケ顔で写っているかもしれません。)ううむ。和気アルプスもますますメジャーになっていくなあ。でも、和気アの整備はまだまだ途中なんですよ。どんなにコンをつめてもあと3年はかかりそうです。登山道がどんどん網の目状になっていきますが、和気アはいじればいじるほど次々に面白いものが出てくるん(まるでスルメ。)で、ルートが増えるのはしょうがないんですよ。ただ、地図だけ見て“公園みたいな山だろう。”と早合点されないかということを懸念しています。まあ、歩けばわかることですが、はっきりいって、無意味に道だらけにはしていません。私の作るルートは、全てにそこならではの見所と面白さがあります。これからも、見所も味わいも無いルートは作りませんし、“山らしさ”を大切にしていきますのでご安心ください。なお、鷲ノ巣から宗堂池へのルートは新ルートとは思えないほどよく踏まれておりました。

山麓の道標:同日、八ツ峰岩の登山口が枯れ木でふさがれ、道標が撤去されていました。(お墓の方が歩かれたくなくてしたのでしょうか。)地主さんの許可はとっていても、人里では、えてしてウサン臭がられたり、イタズラされたりしがちです。そもそも私の道標はあまりに安っぽくて、字が汚いのでしょうがなくもないのですが。とりあえず、ふさがれていた枯れ木だけ取り除いて通れるようにしておきました。道標はつけずにおきます。山麓(登山口周辺)にもっと道標をつけていこうと思っていますが、ちょっと考えさせられてしまいました。相手がどんな人であろうと説得できる自身はありますが、ああ、もっとちゃんとしたものが作れたらなあ。ちなみに山麓で案内板があるのは和気富士の稲荷と温泉新道だけです。竜王山登山口と山の学校にもちゃんとした道標がありますが、そこまでいくのが探しながらになってしまいます。まあ、たいていの低山では登山口をいかに見つけ出すかが最大の課題といえなくもないですが、なんとかしたいところです。

山中でも:また同日、山中のゴミは思いのほか少なく、清掃登山をされた方がいたのではないかと思います。ただ、神ノ上山頂のイノシシプレートが撤去されていました。べつになくてもいいのですが、なんでなくなったのか疑問です。ほしがられるようなものでもありませんし、イタズラでしょうか。

まあ、いろんな人が登っているので、現状維持だけでも結構たいへんですが、メゲずに頑張ります。清掃登山された善人の皆様 ありがとうございます。そしてイタズラしやがったクソヤロウ!見つけたらボコボコにしてやるからなー。ムキー!

2千円の鮎タビ:沢登り用品はもともと釣具屋で売られていたものを使っていたといいます。また、惜しげの無いもの(安物)の方が沢には向いています。(今では2万円ですが、7年前は4万円もして手がでなかったゴアカッパ。しかたなく買った4千円のハイパロンカッパは、ゴアを買った今でも 沢や薮山で活躍しております。)沢の足元装備として、自分ではもっとも理想的であると思っていたもの(上記参照。)は同時にかなり経済的でもあったのですが、最近、会社の近くにできた釣具屋のチラシに“鮎タビ 1980円”とあるのを見つけました。実物を見てみると、ネオプレーン地の渓流フェルト足袋でしっかりしており、登山用品店で7千円くらいで売られているものとなんら差はありませんでした。とりあえず買って、“安かろう悪かろう”ではないかと実際に那岐山のB沢で使ってみると、5月の冷たい水でも保温性にすぐれて快適でした。この鮎タビは定価でも2980円です。(ううむ。安い!)下山用の履き替え(私の場合はいつもの地下足袋です。)を携行しなくてはならないけど、わらじが脱げる心配もなく、渓流ソックス無しで冷水に対応できるとあっては この2千円はすごく魅力的です。(まだ特売期間中でしたので、B沢遡行後、そのままオハヨー山岳会の仲間を連れていくと、皆よろこんで買っていました。)こうなると、1万円以上する渓流シューズは、つま先をぶつけてもタビよりは痛くなく、フィットできて、足首のサポート力も多少あるというメリットはあるものの、ネオプレーンのソックスやスパッツをそろえた上で 連泊のかなりハードな沢へ行かないかぎり、その値段分の価値は見出せそうにありません。(まるで沢の重登山靴。でも寿命は長くない。)でも、私自信は本格的なもの(パーティーではリーダーだけは救助もできる ちゃんとした装備が必要なので。)を持ったうえで、仲間にはこれでもなんとかなるよという安いものを勧めるようにしていますので、そのうち 必要に感じて、ほしくなるかもしれません。

価格破壊:上記にもありますが、渓流タビは7千円が3千円に、ゴアカッパは4万円が2万円に、プラブーツも4万円が3万円(スカルパのベガです。)になっています。特にモンベルのゴアカッパは2万円になったときに私はよろこんで買いましたが、翌年には腹のポケットがベルトをしても使えるように胸に配置され、今では値段そのままで、洗濯が50回もできる高品質のものになって、まるでアルパインジャケットです。(その分ただの千円でも値上げしていたら、まだガマンできたが、まったくもってくやしいです。)でもまあ、しかたないことですし、決して悪いことではありません。思えば、重登山靴のアンナプルナを買ったすぐ後で、ベガが29800円ででたので、ああプラブーツにしなくてよかったと思いました。(でも、ちょっと複雑。)小物でも、1980円の安物ですが、キャンピングガスのコンロを買ったまさしく直後に、値段そのままで点火装置が付いたものになりました。めげたら買い換えてやろうと思っているのに、なぜかシブトクてなかなかめげてくれません。いまだにライターでアチアチいいながら点火しております。

那岐山のB沢525日、オハヨー山岳会で沢登りしましたが、間伐による倒木が沢をだいなしにしていました。5合目への二俣の手前あたりからだんだんひどくなり、黒滝の手前ではかなり遡行困難となり、風情ブチ壊しにうんざりして黒滝で遡行を打ち切りました。黒滝から登山道までは不必要な鎖が設置されており、間伐もかなりの広範囲でされていました。B沢の左側の山林もされていましたから、蛇淵沢の本谷もやられている可能性大です。せっかく労山の方が調査して本に紹介されたばかりなのになんということか。もし、観光化(歩きやすくするために公園化すること。)により不必要にいじられた結果だとしたら嘆かわしい。登山者は公園を歩きたくはない。を歩きたいのだ!山を知らぬ者 山をいじるなかれ!である。それともただ単に、沢のことなど知らない営林業者が営林だけのためにしたのか?なんであれ、沢のシーズンにはまだ少し早いので、これからでも急ピッチに撤去作業がされる予定であることを期待します。もし人為的に撤去しなかったら、自然に朽ちるまで、何年もこのままでしょう。そして鉄砲水の起きる危険大です。それにしても堰堤だけでなく、こんなことでも沢はやられてしまうんだと、つくづく風情ある沢のはかなさを感じました。また、自分も知らない内に風情あるものを整備の名の下に壊していないかちょっと考えさせられました。うん。今のところ和気アは大丈夫だ―――と思います。

芸術品:不況が続く現在、金のかかるテーマパークが次々とつぶれる中、安く楽しめるハイキングは健康的で理想の娯楽になっています。当然、装備にお金をかけたくないし、かけるつもりもないのがハイカーの本音でしょう。“最近の学生さんは本格派がいなくなり、ハイキングどころか ほとんどピクニック程度しかやらないので、道具もホームセンターなどであつらえていますよ。”とコージツの店員さんがぼやいていました。かくいう私も、西日本の低山を日帰り登山するのを前提にして、低山仕様の安価な装備をお勧めしておりましたが、メーカーや販売店の苦境を見るにつけ、このままではディテールのしっかりした本格登山装備が販売不振で消えてしまいかねないのではと危惧しております。皆さん お願いです。どうかもっと山にのめってください。山にのめった人は、たとえそこまで性能がよくなくてもいいとわかっていても、やはりちゃんとした装備で自分をつつみたくなるものです。ほとんど使わないピッケルや重登山靴に憧れとこだわりを持ち、あえて最高品質を求めたりするものです。(モロ、私がそうです。)そして、それらを持っているというだけで、自分がすごいアルピニストになったような気持ちになり、うれしくて、ながめたり なでたりしてはニヤニヤしながら“いつか こいつをふさわしい場所へ持っていってやろう。”などと企むものです。ちゃんとした登山道具は機能がすぐれているだけでなく、りっぱな芸術品でもあります。当然、自慢に値します。雪山へいってお互いのピッケルを見せ合いながら“いいものをお持ちですなあ。”というのもまたオツなものですし、最高級品を持っていると、目が養えて、その品質がすぐに見抜けるようになります。今では、コージツで買い物する時でも若い店員さんに“これはこうなんだよね。”なんて逆にアドバイスなんかしている私です。皆さんはいつまでも初心者でいるつもりはないでしょう。ずっとやっていれば、友人や家族をさそって、自らがリーダーとして山にむかう日が必ずきます。リーダーにふさわしい装備と品質を見抜く目を持つために、たとえ今 必要でなくても、ひとつのステイタシーとして こだわりの逸品を専門店(コージツ)で買っていただきたいと願っています。そしてメーカーと販売店さんにもエールをおくります。“高くてもいい。自慢の逸品を作り(売り)続けてください。”

山の手入れ:トゲトゲのイバラやチクチクのネズでないかぎり、少々ガサガサやりながらいく方が山は楽しいものです。登山道の整備をしていて、最初はシダがかぶってくると神経質に刈り払っていましたが、なんか刈られたシダが痛々しく、今では、不明瞭にならないかぎり、あえて刈らないようにしています。このほうが風情もあって冒険的で楽しいでしょう。登山者に“自分がトレースしてやらないと廃道になるかも。”なんていう使命感をあたえるのもいいかと思っています。シダひとつ刈るにもこだわって、自然の風情を求めてこられた登山者が狂喜する山にしていきたいです。

うおお!朝日新聞:ついに5月28日、朝日新聞にこれまたデカデカと載ったものです。ううむ。我ながら凄いことだ。前和気町長の藤本道生氏でもここまでデカデカと朝日に載ったことはあるまい。さあ、またこのHPもアクセス数が増えるだろうし、この12月からは一層登山者もふえるでしょう。今でも日曜日の鵜飼谷温泉は人が多すぎるくらいですが、いよいよパンク状態になるかもしれませんね。とにかく、マスコミのおかげで和気アルプスの人気は高まり、和気の地域振興にも役立っています。おなじことを何年もやっていればダレたりするものですが、今 自分がやっていることがどんなことなのかを再認識させられて、私も気がひきしまります。マスコミの取材は対象の知名度をあげるだけでなく、それに関わる人に一層のやる気を与えたりもしているんですね。

今度は読売に:朝日新聞の記事を見て、今度は読売新聞から取材の申し込みがありました。読売新聞の読者向けサービス誌に紹介したいとのことで、67日、時折 涼しい風が吹くものの、真夏日ともいえる中を鵜飼谷北稜ルート、大屏風トラバースルート、サイテングラードを4時間かけてのんびり案内しました。暑くて大変でしたが、記者さんは“予想以上に面白い。”と、よろこんでくれました。すでにシーズンオフの感ありですが、意外にも多くの登山者に会うことができました。皆さん本当にこんな暑い中でも歩いてくださり ありがとうございます。“わあ、(こんなに暑い中でも歩いて)阿呆ばあじゃあ!”感激して罰当たりなセリフが飛び出します。屏風岩トラバースルート(小屏風トラバース、大屏風への下降、大屏風トラバース、奥ノ岩登攀をまとめたもの。トラバース部分は別名 日電歩道。)も思いのほかよく踏まれていました。ううむ。思ったより物好きな人は多い。たどる人がいないのではと心配していましたが、どうやら廃道にはならずに済みそうです。

隠れた道:読売の記者さんと歩いた時、奥ノ岩から丸山の中腹にクッキリとした登山道が見えました。(なぜか今まで気づかなかった。)知らない登山道のあったことが気になって、6月10日に松茸テープの残骸取りがてら調査しました。麓からは北に沢をつめていく道がありますが、沢を渡った先からは廃道状態で、丸山側に道は発見できませんでした。これは上から崖をラッペルするしかなさそうだと諦めていると、宗堂池の土手の上で 猟師もしているという地元のお爺さんからいろいろ教えてもらうことができました。それによると、私がさがしている道は“七曲り”といわれていた何十年も前の切り出し用の林道跡でした。(丸山が妙に潅木ばかりなのは伐採されたあと植林されてなかったからでしょうか。また、展望所にしている所は旋回場跡だったのではないかと思います。)林道は軽自動車が通れるくらいあったが、何十年もたって林にのまれたり、沢に寸断されたりして廃道になっているとのこと。宗道池の西側にも林道跡があり、昔はキレットから丸山まで猟をしてまわっていたそうです。ついでに12月にハンターに会ったことを訊くと、休猟区ではあるが、12月と1月前半の日曜日だけは毎年しているとのことです。銃声がしてなかったことを訊くと、やはり登山者がいるから銃は使わずにワナでしとめているそうです。(安心しました?)それにしても 和気アには地元でも老人や元猟師しか知らないようなことが、まだまだいっぱいありそうです。これからも、古道にかぎらず、いろんな発見があることでしょう。私なら和気アのことをなんでも知っているように思わないでください。(正直、アセります。)私の和気アに関する知識などまだまだ屁のようなものです。いろんな面をもつ“山”は、もしかして人が知り尽くすことはできない存在なのかもしれません。(これがロマンですけどね。)なお、これもついでに訊いたことですが、大屏風にも名前がありました。“コウジングロ”(荒神ー?)というそうです。(ううむ。大杉渓谷みたいで、こっちの方がカッコイイではないか!)とりあえず、大屏風のままにしておきますが、これを直登するルート(相当ハード!)も作りたいので、出来たらルート名を“コウジングロルート”にしようと思っています。(ああ、またバラしちゃった。)

ペットボトル:水筒にしています。会社にもお茶を入れて持っていってますが、休憩時にソファーに横になり(堂々と寝そべるのは社内でも私だけ。)、ペットボトルを枕代わりにしたところ、とても具合がいいことに気づきました。皆さんもぜひお試しください。四角いタイプで、中身は入っていても空でもいいです。

リタイア614日、おこがましくもオハヨー山岳会の月例山行に沢のベテラン鈴木さん(岡山では貴重な県内近県の沢を紹介したHPの作者さんです。)を誘って、兵庫県の万ヶ谷に行きました。鈴木さんはこれまたベテランの仲間3人を連れていましたが、私は小4と小6の娘2人をふくむ超ド素人11人を引き連れていました。あまりにパーティーの力量が違うので、それぞれのパーティーで好きなルートをとること(責任分担をパーティーごとに明確化すること)にしてスタート。最初のソーメン滝で早くも手こずり、難所のゴーロを越えていると勝手に他所のパーティー(この方たちも面食らったでしょうね。)についていって、いなくなったりするハチャメチャな私のメンバーに鈴木さん達はあきれたことだと思います。鈴木さんいわく、“いくらなんでも人が多すぎるよ。あなた一人では面倒みきれないよ。” 確かに、かなり危険な状態です。それにロープを使うことになったら、一人一人アドバイスをしながら11人を渡していたら、1つの滝だけで小1時間かかってしまいそうです。ううむ。どうするか? やがて3段50mの滝が行く手をはばみました。右を巻いていく計画でしたが、それでもハードで私の後続にはロープが要りそうです。くそう。早くもロープか! 先には恐怖の連瀑帯(私のメンバーでは困難必至!)がひかえています。いま無理にこの滝を越えてしまうと引き返すことも不可能に近いくらい困難になってしまいます。むむむ。遠路はるばるやってきて、わずか40分の遡行でリタイアして 来た沢を下るなんて、なんと悔しいことか! でもしかたありません。ここで鈴木さん達とお別れして、私達のみリタイアすることを決断しました。鈴木さん達も私の決断にほっとされたようでした。結局、鈴木さん達は精鋭の3人だけでこの滝をロープを出して直登して行かれました。私のメンバー達もウデの違いを見せつけられたことでしょう。とにかく、こんな早々にリタイアして沢をそのまま下ったのは今回がはじめてで、私自身ここまで悔しい決断も初めてでしたが、悔しさをこらえて良識ある判断ができた自分をちょっとは成長したかなとも思っています。

来た沢を歩いて下り、ソーメン滝をラッペル(全員通過に30分かかりました。)して無事に下山しました。それにしても、うれしいことか、困ったことか、これからも私の山行メンバーはもっと増えそうなのです。(沢登りに皆がハマっている。)この際 参加人数を制限すべきか?でもそれはしたくない!“行きたい人を連れていくこと”をポリシーにしていますから。ううむ。そもそも親睦会で沢登りするならロープを使わずにすむようなやさしい沢を選ばないといかんよなあ。うん。うん。そうだ。そうだ。

荒縄:運動ぎらいの女房に沢登りのおもしろさを教えてやろうと7月6日、熊山の勢力沢を家族5人で遡行しました。三女(小3)は足のサイズが21.0しかなくて、沢タビも合う物がありませんでした。しかたなく荒縄(藁の縄)を1mくらいに切って、ワラジ同様 水に濡らして岩にたたきつけてから運動靴に軽アイゼンのように土踏まずに3回巻いてから足首に1回巻いて結びました。すると、意外にも通用し、フリクションなどこっちの方がバツグンでした。

いつもはただの沢歩きになるところが、長雨で水量が多く思いのほか手応えがありました。いつもはチョロチョロの滝が飛沫をあげており、シャワークライミングを楽しめましたし、腹までつかる淵もありました。妻にはちょっとキツかったようで なんどもこけそうになっていましたが、なんとか3時間かけて源頭までツメました。三女の荒縄はほどけず はずれず、体重が30kgと軽いせいか擦り切れずにラストまで持ちました。ハイキングでも沢の渡渉や沢歩きがありそうな時などは荒縄1mを2本持っていけばかなり助かると思います。荒縄は農具を扱っている店なら一巻き(50m?)2千円で売っています。

なお、下山中、妻は足がつってしまい、2時間もかかって泣く泣く自力下山しました。(転んだ妻を助けてくださった男の方 どうもありがとうございました。)今にも死にそうな様子でしたが、晩飯に焼肉をたらふく食べて、ビールを飲んだら、えらく元気になりました。足がつった時はビールを飲むとなおるのでしょうか。妻いわく、“あたしゃあ、もう山(沢)はええわあ。” あらゆる人が沢を好きになるわけではなく、山がきらいな人はやはりツラいだけなんですね。かくて初めてのファミリー遡行はなんとか無事に終わりました。

ストリームソックス:モンベルがだしている唯一ともいえる貴重な沢登り用の地下足袋用の靴下です。ネオプレンではありませんが、厚生地でクッション性に富んでいます。じつはファミリー遡行時にソックスをわすれてしまい、なくてもいいかとブカブカ地下足袋にフェルトわらじをつけて遡行したところ、みごとに鼻緒ズレをおこし、指の横腹がむけてヒリヒリに。おまけに地下足袋内に入った砂粒や木屑があたって別の指先まですりむいてしまいました。ああ、あちこち痛いなあ。というのをガマンしていましたが、ワラジをはずして下山しだすと、さらに足の裏までも痛くなり、もう散々でした。痛いのをこらえて歩くとひどく疲れますし、ムレて股ズレまでおこしてしまいました。もう最悪!靴下ひとつのことでこんなに大変なことになるとは!が実感です。厚手のソックスがあれば、少々砂が入っても靴擦れしませんし、足をぶつけたり、地下足袋で山道を歩き回っても耐えられます。以前、コージツの店員さんに“スパッツはなんのためにいるんですか。”と、きいたら、“砂が入らないようにするためです。”との返事でしたが、その店員さんはノーソックスでやっているようでした。やっぱり地下足袋の場合はソックスは必要だと思います。

サイドファスナー:鮎タビについているサイドファスナーは脱ぎ履きがすこぶる楽でスピーディーです。消防で講習会に参加したとき、レスキュー隊員さんの皮革のワークブーツを見て、“すねまで編み上げたブーツはカッコいいけど脱ぎ履きが大変そうですね。”というと、“じつは横にファスナーがあるんですよ。”とのこと。見るとホント。サイドファスナーが! 紐靴の長靴ともいえる皮革のワークブーツでもOKなら、登山靴でもサイドファスナー付きにできるでしょうね。防水に内側にマチをつけて、ファスナーが壊れたときは紐でくくれるようにフラップに鳩目があれば完璧です。脱ぎ履きが楽だと、電車などの移動中やテントの出入りに、(ぞうりを持っていく方が多いそうですが。)すごく便利なんですが。どんなものでしょう。もしかして過去にあったけど消えてたりして。なお、ザックの本体にサイドファスナーがあるのは壊れたら(対策が施してなくて)行動不能になるのと、ギュッと押し込んである場合は開けたら閉めれなくなるので、私は反対です。

猿知恵:道具でのアイデアをバラすと、プラブーツです。テントシューズ止まりのインナーに靴としての機能をもたせば、アプローチの履き替えを持たなくてすみます。ビブラムソールだけのものをマジックテープなどでインナー底にはりつけるというのを思いついたのですが、どうでしょうか。フェルト底やクライミング用フラットソールもオプションでラインナップすると魅力的なものになりそうです。ところで、フラットソールの素材で肘当てやスネ当てがある(無い?自作品?)ようですが、同様にクライミンググローブもできないものでしょうか。クライミングのヘタな私はあれば飛びつくと思います。“どんな豚親父も片手でオーバーハングにぶら下がれます。”なんてね。

自然の素晴らしさとは?:新聞記事で操山が竹林に覆われてきつつあり、“竹林は砂漠のようなものだ。”とあるのを読んで、驚きました。自然については以前述べていてチンプンカンプンになってしまいましたが、あらためて自然とはなんだろうと考えております。竹林のどこがいけないのかというと、樹林に比べて虫や鳥が住みにくいのと、他の植物が生えれないことだそうです。(私は竹薮といえば“すずめのお宿”と連想していましたので意外でした。)おまけに操山が竹林に犯されている理由というのが、人が下刈りなどの手入れをしなくなったのと、松くい虫の薬剤散布をしていなかったせいになっています。人が手を下さず、自然のままに(なるがままに。)変化しているもの、すなわち“本来の自然”にケチをつけていることになります。“ブナの純林は素晴らしい。”といわれていますが、他の植物が生えにくいところは竹林と同じです。(そのうち落雷火事で焼き尽くされでもしたら他の植物も生えれるでしょうが。)なにが素晴らしくてなにがいけないのか。これは単なる“人間の勝手”です。“登山道のない山をボロボロになって薮漕ぎしながら行けば理解できるが、自然は決して素晴らしいものではない。”というのを読んだ事があります。自然まかせでは、登山道など人が作ったものは壊れてしまいます。これを“荒れた。”といっているように、人間にとって自然は“荒れたもの”なんです。そう、本当の自然は人間には脅威なのです。自然に口があれば“人間に素晴らしいと思ってもらうために俺達はあるんじゃないんだよ。”といってるでしょう。さあ、操山をどうするか。竹林を切り払って木を植えるのか。このまま見守って竹林山にするのか。要は、その“素晴らしさ”が理解できさえすればどっちでもいいでしょう。自然にできたグランドキャニオンの崖は素晴らしいと感じるのに、熊山の採土現場の崖は痛々しく感じてしまうのは人間が作り変えた(破壊した)ものだからですが、まわりを見れば、岡山の山で景勝地になっている王子ヶ岳は人間が山火事を起こした結果できた景観ですし、蒜山も牧草地として樹林を切り払った結果できた景観です。これらを見て、“素晴らしい自然だ。”なんていうのは滑稽ですが、一般の人間にとってはこれが素晴らしさを感じれる“ちょうどいいレベルの(素晴らしい)自然”みたいです。(本当に勝手ですね。まあ、人間(の行為)も自然の内ということでしょうか。でもそれをいうと、人間が手をつけていないものが自然という根源の設定が崩れてしまい、またチンプンカンプンになります。)その景観ができた理由は関係なく、人は“自然らしいもの”が“素晴らしい”のです。(うん。そうだ。正直いってそうだ!ついてこれてる?)だから採土現場や公園になると、“自然らしくない”ので“素晴らしくない”のです。またその一方で、人が手入れをしているおかげで素晴らしいもの(自然らしいもの)になっている“自然”もあるということなんですね。(今回はわりとうまくまとめれたわい。ヤレヤレ。)

ついでに“自然を守る”とはどういうことか考えてみると、本来は何もしないで放っておくことでしょうが、そこは人間の勝手なところで、たいていは感傷的になって特定のお気に入りのものを保護することになっています。一人の人を好きになるのも“愛”、広く全てを博愛するのも“愛”、であるように“自然を守る”のもいろんなスタイルがあるとしかいえません。そもそも自然は共存体であるとはいえ、やはり基本的には適者生存の生存競争の世界であり、人の感覚で見れば過酷なもので、不変ではなく流動的なものです。ひどいかもしれませんが、自然に淘汰されるものを無理に現状維持しようとするのは逆らうことになります。(人間は医学で逆らっています。)我々の祖先である原始人はマンモスやオオカワウソなどたくさんの動物を滅ぼし(これは自然淘汰といえなくもない?)、人類は最近までいろんな生物を滅ぼしてきましたが、このまま他の生物を食い散らす(滅ぼす)のはシャーレの中で餌を食い尽くして死滅するアメーバと同じであることに気づいてからは自然を大切にするようになりました。しかし、実のところ、人間が自然に保護という名のもとに手を加えることは 結果的にいいことなのか、悪いことなのかは遠い未来になってみないとわかりません。(砂漠だって貴重な生物の宝庫ですし、千年後、砂漠や竹林がブナ林より貴重な存在になっているかもしれません。)でも、予測不能な遠い先のことより、まず目先のことで行動せざるをえないのが現実です。医学や科学の進歩が自然淘汰を防ぎ 人口を増加させましたが、人が増えたら増えたで様々な問題が起こるのと同様に、和気アでは薬剤散布で松が守られている反面、ヒメホタルがいなくなったという話もききました。結局は、良かれと思うことをして問題がおきたら、それを解決するためにまた良かれと思うことをするということの繰り返しになります。“自然を守る”とはこの取り留めの無い“良かれと思うことをするということの繰り返し”であるといえます。そうそう、何事も良かれと思えるなら、間違いを恐れずやれるだけやってみましょう。(おお、我ながら今回はまともに書けてる。よしよし。でもついてこれた方います?)

作戦勝ち!ハードな連瀑の沢を無事突破:奥ノ深谷(おくのふかたに)は日本百名渓にかぞえられ、比良では八淵ノ滝とならび賞されており、巨大さはないが個性豊かな滝が次々に現れる。水量もあり、水は綺麗で遡行者を魅了するという。しかし、ベテラン鈴木氏によると10人以上のメンバーを連れていくのはプロガイドでも無理とのこと。確かに多勢で沢登りをするのは動きが鈍く、目が行き届かないので危険なのですが、大人数で沢へ入っている会もあります。そう、なにか方法があるはずです。前回、万ヶ谷で敗退した経験を生かして、今回は作戦をたてました。まず、前回パスになった元岡大ワンゲルで、経験豊富なTをサブリーダーとし、先頭の私と、Tで初心者5人をはさんで、経験者4人を後方に配置しました。ラストのHさんとTと私はホイッスルを持ち、“待て”はピー。“進め”はピッピッ。と、合図を決めました。責任分担を先頭の私は後続の初心者5人、Tは後続の経験者4人とし、オーダー(順番)を乱さないこと、全員が自分の後の一人を手助けすることにしました。装備もゴルジュ内で立ち木に支点がとれなくなることも考慮し、キャメロット(カムナッツで、岩の割れ目に差し込むと瞬時に支点を得られるが、一個1万円くらいする。万ヶ谷で本格装備の人が使っていて、便利さがわかった。)を2つ持っていくことにし、撤退用の30mロープをTに持ってもらうことにしました。日程も、敗退した場合、奥ノ深谷と同じ登山口からいける初心者向きの沢である白滝谷への行き先変更も考慮しました。また、雨続きでしたので、当日の協議で出発中止でも熊山の初心者向けの沢である勢力沢に行き先変更するなど、何段にも構想を練りました。いよいよ当日。7月12日 朝6時、前日まで毎日雨がふり、本日も降水確率70%にもかかわらず、全員集合(!)。“増水して敗退に追い込まれる可能性大です。熊山の沢にしておきますか?”と、皆にきいたが、“せっかく早起きしたんだから行こうや。”ということになってしまった。まったく。どいつもこいつも阿呆ばあじゃあ!とクサして車2台で出発。(今回は以前知り合った朝日新聞の三島さんも、比良は思い出の地ということで同行することになり、登山口近辺をナビゲートしてくれました。)京都でザーザー降りになる。“こりゃあ、琵琶湖遊覧ツアーに変更じゃな。”などといいつつ930 登山口の坊村に到着。トイレを済ませ、デコボコの林道を車でツメあげて入渓地点そばに10時に駐車。Iさんが沢の履物一式を忘れてきたことに気づくが後の祭り。本来はあきらめて一人留守番になるところだが、ベテラン鈴木さんも運動靴で遡行していたので、滑るのを覚悟させて空身で同行させることにした。(本人の身のこなしがいいせいか、なんとかなりました。これも前回のおかげ。)さらに、Nさんもザックのチャックがしまらなくなり、これも居合わせた人で分配して持っていくことにしました。相互協力の下、もはや慣れた感じで装備を着けて、1030 入渓。水は透き通り、苔むした岩が深山幽谷を感じさせる。ただ、やはり増水している。冷たくはないので、かまわず腹までつかっていく。7mの滝があり、左をまくとあるが、ひどいドロ壁で越えられない。はやくも行き詰まったか!しかし、岩壁を見ていたTが、スリング(輪になったロープ)を見つけ、皆の手を引きながらなんとか乗り越えることができた。最初からハードだ!つづく4mの滝は右の岩を登って越えた。天気はなぜか快方に向かい、日差しもさしてきた。二段8mの滝で、先行していた4人の本格パーティーがもたついている。“登るのは困難です。右にまいていけますよ。”というので、ガレた急坂を登る。しかし、かなり登っても岩壁がはりめぐっていて越えられない。ルートファインディングはTに歩があるので、突破できないかさぐってもらう。Tはわずかなスキをついて行ける所を見つけてくれた。やれやれ。彼がいなかったら、とっくに敗退確定であった。踏み跡を見つけ たどると、滝の前に降りることができた。だが、うん?ここは!見ると左下も滝になっており、そのはるか下に昼食予定の広場が見えるではないか。なんということか、2段滝をまくつもりが、さらに2つもよけいに滝をまいて、次の4段40mの滝の2段目の上に来てしまっていたのだ。まさかこんなに滝が隣接していたとは!しかたない。1130 ここで昼食にした。さっきのパーティーが登ってきたので情報を教えてもらう。“この先は巻き道がちゃんとあるが、1ヶ所だけ危険な滝がある。”とのこと。“追従してあげるから、そこで待機していてくれたら助けてやれる。”とのこと。無理だといわれたら引き返して白滝谷だったが、お礼をいって先行する。“赤テープをたどれ。”といわれたが、テープはとっくに風化していて巻き道が不明瞭だ。迷いながらなんとか4段の滝の上2つを巻く。ここら辺りから遡行図とインターネットの情報に食い違いがあって実態がわからないが、とりあえず高巻きの連続である。10mの直登困難な滝があり、いいかげん高巻きに嫌気がさしていたが、また巻き直す。さっきのパーティーはまた下の滝でもたついている。わざとクライミングを楽しんでいるようだ。続く7mの滝も高巻くしかないので、思い切って2ついっぺんに巻いてしまおうと思ったが、予想以上に高く巻き上がってしまい、樹木が茂って沢が見えなくなってしまった。尾根上で皆を待機させて、私が偵察する。さて困った。降りるべきかトラバースし続けるべきか?7mの滝はすでに越えているのかいないのか?さっきのようにとっくに越えていたりして。ううむ。そんな気がする。この沢は滝がつまった連瀑の沢なのでは?思い切って降りてみると、なんと!ずっと先だと思っていた8mの美瀑まで越えた先であった。まさか本当にこんなに滝が隣接しているとは!これはまさしく連瀑の名渓である。(ああ、楽しい滝をまたいくつかパスしてしまった。)さっきのパーティーは姿も見えない。巨岩の間を抜けて4mの滝を登ると、6mの特徴ある斜瀑。ここの上が危険だとさっきいわれた場所だが、よく見るとロープがあるではないか。腹までつかって淵をわたり、岩壁を登る。ツメの危険個所で、この固定ロープを持つとあっさり越えることができた。皆も一人づつ無事に通過させ、ほっと一息。しかし、ここからは両側が垂直にきりたった幅のせまい廊下である。9mの滝がすごい勢いで落ちている。すぐ上にも2段の滝があるのがわかる。本当に次から次に滝が続いている。こんな連瀑ははじめてである。その迫力は思わず“うっ。”とくるが、よく見るとちゃんと登れそうな所があるから不思議だ。まるで“こちらへどうぞ。”と誘われてるみたいだ。本当に誘いにのってよいのか不安になるが、ここはいくしかない。時間には余裕があるので、ここからはじっくり構えてロープを出して滝を越えることにした。9mの滝は立ち木の支点がえられず、初使用になるキャメロットをクラック(岩の割れ目)にセットしてロープを固定し、アッセンダーで登らせる。つづく滑る岩場は15mのコブ付きロープをセットし、最後のツメは立ち木にセットしたお助けスリングにつかまらせて、全員無事に越えさせた。岩肌に囲まれた峡谷をへつって2段の美しい滝を越える。5mの滝もこえて、核心部を突破したことを皆に告げる。余裕があるので、ザックをおいて釜に飛び込む。皆は“つめてえ〜!”といいながらも泳いで遊ぶ。あとは7mの滝だけだ。その手前はまた廊下状になっていて、横に走るクラックを足場にして斜上しながら滝に接近し、滝の横をシャワークライムして越える。シャワークライムする所でまたコブ付きロープを固定して、一人づつ越えさせるが、待機していたN夫人が突然滑落した!あっという間もなく3mの高さから滝壷に直接ドボーン!岩にぶつかったら大惨事であったが、うまく飛び込んだため無傷であった。ああ驚いた!無事でよかった。全員が滝を越えて、あとはのんびりナメを歩いていくだけだなと思っていると、目前に木橋が現れた。ええっ。もう終わり!?てっきりもう30分くらいは先だろうと思っていたのに、早いではないか。14:25 遡行終了。終わってしまえば短かったが、内容は濃厚で息つく間もない滝の連続の名渓でありました。ああ、これならもっとじっくりクライミングを楽しみながら、もたもたやっていくべきだったかなあ。巻いた滝がちょっともったいなかったなあ。でも、結構足にきている。記念写真を撮った直後、なぜか私はモロに転倒し、カメラがガチャンパーに。登山道を下山し、15:10 駐車場へ。今日は梅雨の晴れ間の一日で、運良くいい天気であった。林道を下っているとヘリコプターの音。見ると三ノ滝の方でホバリングしているではないか。事故だ。クライマーが滝から落ちたのか。消防や警察も詰め掛けている。聞くと、滝を見ようとしたハイカーが落ちて動けなくなっているとのこと。我々も気をつけなくてはならない。ちょっとクラくなる。邪魔にならないように早々に登山口に下りる。あとは高速をとばして帰る。19:40 無事解散。今回は前回のことがなかったら、うまくいっていなかっただろう。失敗を成功の糧にできたこと。より技量や経験がつめたこと。皆もいい思い出になったと思う。(内容が豊富すぎて少々記憶ミスがあるかと思いますが、オハヨー山岳会山行記録より)

開拓精神:私も最初は地主の許可なしに、“これくらいならいいだろう。”とやり始めたことですが、後になって地主の怒りをかってあわや閉山か!という事態まで招きそうになりました。人間はよくわからないことは自分に都合のいいように勝手な解釈をするものです。山をいじる場合“これくらいならいいだろう。”は絶対にしてはいけない危険な考え方です。皆のためになることだからと思ってやったことでも、結果的に閉山(立ち入り禁止)になったら皆も怒るでしょうし、なによりやった本人がバカそのものです。(そう、経験者は語る!)以前、フリークライミングのルート開拓(主にフレンチタイプのフェースルート)などが一時期ハヤったことがありましたが、撤去困難(不可能)なケミカルボルトを連打したり、意味不明のルート名をつけてヤンキーの落書きみたいにペイントしたり(なんとフランスではこれがまかり通っています。でも、こんなものを日本に持ち込むな!といいたい。)して地主の怒りをかい、今までにかなりのゲレンデが閉鎖されました。(ゲレンデとして公表せず、密かに個人的に楽しんでればよかったものを!と悔やんでもダメです。)たいていの理由は利用者のマナーが悪いからということになっていますが、開拓者自身が地主を無視していた(都合のいいように勝手な解釈をしていた)せいも多かったのではないかと思います。ヤマケイのフリークライミングの本でさえ“役場にいくと、かえってヤブヘビになるから、運を天にまかせて開拓せよ。接触するにしても手紙ですませ、内容も登るのを許可してくれとは書くな。”などとナンセンスなことが書かれておりますが、とんでもないことです。はっきりいってフリークライミングそのものを軽蔑してしまいます。(本当に!)自分がルートを作れさえすれば、そのために閉山になっても満足ですか?まったく。こういうたぐいの人は似非開拓者であり、自分勝手なエーカッコーしいの通り魔的犯罪者といわれてもしかたないでしょう。開拓は、まず地主を調べに役場へいってきくこと。そして地主に会って、正直にすべてを話すことです。開拓は“地主の許可をもらうこと”こそが最大の仕事であり、本当に心から開拓したいと思っているなら、これができるはずです。これをせずして勝手に山や岩をいじくるのは犯罪であり、皆にとりかえしのつかない大変な迷惑をかけることになります。また、ルートを作ったらオシマイではありません。ちゃんとアフターケアーをしないといけないことも知っておいてください。また、アフターケアーができない(する気がない)なら最初から開拓などしてはいけません。

穂高テント縦走記:3000m級は乗鞍、立山、と無難なところからはじめ、いよいよこの夏は本格的なことがしたくなった。そもそも山をはじめた頃からテント連泊登山をやりたかった。とにかくドップリと山につかりたかったのだ。小屋泊まりでは日帰り登山が連続しているだけみたいで、私には物足りない。くやしいが、近県には連泊しなくてはならないような山はない。そこで、めざすは歩き応えのある山、穂高。あこがれのテント場、涸沢である。小6の娘と二人でいくため、動きが輪をかけて鈍くなるのは否めない。本来、2泊3日でいけなくもない行程を5泊6日でいくことにした。はじめに穂高の感想をいうと、素晴らしい。キツイ。怖い。そして、すべてが凄い。北穂で雨になり、風雨の中を20キロを背負い、さらに10キロを背負った小6娘を気づかいながら、滝谷越えをしなくてはならなくなり、退路を断たれる想いで、本来なら2時間40分のところを6時間をかけて縦走した。もし、私が普通のハイカーだったら、たぶん娘を失っていただろう。娘の軽登山靴は雨の中を2日間歩いたのがたたったのかポリウレタンがボロボロになり(コージツで警告のポスターを見ていたが本当になった。)、靴底がはがれてしまったが、そんな逆境に耐えて、終始10キロ前後のザックを背負って穂高を踏破した我が娘にも敬意を払う次第である。また、当初の思惑が現実にそぐわず、あまりに過剰な食糧、燃料、電池などを持っていってしまった。これなら、もう5日くらいは山をうろつける装備であった。食糧は軽量化でジフィーズをもっていったが、おいしかったのは初日のカレーのみ。ハズすと悲惨で、無理して胃に流し込まなくてはならなくなる。3日目には芯のある飯にあきはてて、食欲減退し、小屋の昼食ラーメンと300円のパンを夕、朝食べてやり過ごす。胃が縮んだのか、あまり空腹感はなかった。立山の時とは逆であった。そのため半分くらい持ち帰るはめに。水も2人で1日3リットルくらいで足りた。当然、燃料もボンベ大2つと小1つを持っていったが、小1つで充分であった。電池も10本持っていった予備は全く使用しなかったし、着替えも2日目の夕方に1回着替えただけであった。これも雨でずぶ濡れにならなかったら、着替えていなかっただろう。風邪をひかないように着替えただけで、汚れや臭いは着替えの理由にならない。なぜなら体そのものが汚く臭いのに服だけ替えても意味がないのと、なにより面倒くさいからである。気にしていた寝心地は、徳沢のみ芝生だが、涸沢、北穂南稜、白出コル、岳沢と岩ゴロゴロの上を泊まりあるいたわけだが、運良く土の場所ばかりを陣取れたので快適であった。白出コルで冷え込んだためにエアーマットを使用しただけで、あとは薄い2ミリ厚の銀マット(テントマット)だけで意外にも充分熟睡できた。体のベトつきも臭さも3日目には慣れて、ずいぶん図太くなることができたと思う。何事も辛いのは3日目までで、あとは慣れてしまうものである。水が豊富な涸沢で歯磨きができたのはうれしかったし、白出コルの山荘で4日ぶりに鏡を見たのもインパクトがあった。自分が髭モジャになったらどんなツラになるのか楽しみにしていたのだが、まるで“寺尾 聡”みたいであった。おもわず“くんっもおりガラスのむこおは〜”などと歌いだしてしまった。私の重登山靴アンナプルナは今回の穂高テント山行には抜群の歩き易さであったが、50リットルザックは15キロを越えると背負いにくく、かなり肩が痛んだ。じつは友人Tに80リットルザックを貸してもらった(20キロでも背負いやすく、重く感じなかった。)のだが、出発前にバックルが壊れてしまい、急遽使えなくなってしまった。私が思うに20Lのデイパックは5キロまで、40Lザックは10キロまで(以下同様)、が理想であり、これ以上重くなるとツラくなる。ザックは重いか軽いかではなく、背負いやすいかにくいかである。また、意外と正解だったのは銀マットだけでなく、テントも外付けにしたことであった。雨の中でもザックを開けずにすぐにテントを立てれるし、撤収時も、最後にたたんだテントを横につけるだけなので、かたづけが楽だった。それにしてもテント内はひどい臭いになった。カレー、すき焼き、ビビンバ、が混じった臭いが想像できるだろうか。帰宅後、お湯につけて乾すとかなりマシになったが、食欲のない時にはウッとなる。6日目に河童橋に下山し、お土産を買おうとしたが、鼻をつまむ観光客の視線を感じて、落ち着いて買い物できなかった。やはり相当臭かったらしい。10時前のバスは幸いにもガラ空きであった。沢渡Pにもどり、マイカーで白骨温泉に足をのばすと、ひなびた感じを想像していたが、賑やかな観光地であった。川原の露天風呂に入って、6日ぶりのシャンプーをしているといつのまにか人でいっぱいになってしまった。土曜日で10時をすぎると混雑するようだ。ひらきなおって3人分しかない洗い場を陣取って、とにかく気がすむまで体を洗う。温泉が日焼けた腕にしみたが、至福の時であった。穂高の悪天と、たぐいまれなる快晴の両方を体験し、その険しさ、危険性、美しさ、大きさ、山としてのレベル(やはり、国内第一級!)を実感することができました。今回いろいろなことを学び、穂高を満喫できたことを幸せに思う。でも、もし自分がかつて行ったことがあれば、子供連れで滝谷越えをしたりはしなかったでしょう。いろんな方にも会えました。励まされたり、ほめられたりして娘もいっそう山が好きになりました。でも、ちょっと山を教えすぎたかな。あまりのめられると、正直少々将来が不安になってしまう私です。もし、誰かが穂高へ行くというなら、岡山県では和気アこそ穂高登山のトレーニングにピッタリだと思います。ぜひ、“奇跡の水を捜せ”のイベントルートを踏破してからお出掛けください。必ず役立ちます。和気アに穂高トレーニング専用としてもっとハードなルートを作ってみてもいいかなとも思っている私です。なにせ岡山県は険しい山がないので、和気アだけは容赦ないハードさをもたせ、和気アを制す者、日本の第一級山岳に通ず。と、いわれるようにしてもいいかもしれません。

覚え違いがあるかもしれませんが、行程記録は以下の通り。

8月18日(月)、曇りのち雨。朝6:30和気発。高速ドライブ6時間。12:30松本。14時 沢渡P。シャトルバスで上高地へ。15:30スタート。17:40徳沢園。雨の中、芝生広場でテント泊。明日は晴れるだろう。(ハズレた。)

19日(火)、雨のち晴れ。くそう。今日も雨。6:30カッパをきてスタート。横尾から川みたいになった登山道をバシャバシャやりながら歩く。ツガザクラが綺麗だが、私は蒸れてバテる。12:40涸沢ヒュッテ。昼はラーメンをたのむ。水が冷たくて使い放題。ウレシー。3時ごろから晴れる。着替えて服を岩の上で乾す。一人静かに散策していてオコジョに出くわす。ううん。かあわいいん。とってもラッキー!憧れの涸沢テント泊。

20日(水)、晴れのち曇り。待ちに待った晴天のもと北穂へ南稜を登る。6:40スタート。北穂ではもっともやさしいルートというが結構険しい。ケチがついても降りる気になれない。岩場でライチョウの親子3羽に遭う。ここで娘の靴底のかかとが両方ともはがれたのでナイフで切り取る。南稜テント場にザックをおいて小屋に向かうがこれまた険しく20分かかる。(おいおい。)夜中、トイレに行くのはとっても危険。13時小屋。昼はなんとかミソラーメンをたのめた。槍はガスって残念。小屋のすぐ下にも3羽のライチョウの親子がいた。3000mでのテント泊。私たちを入れても3張りしかテントはない。食欲なく、夜中から雨が時折降ってくる。さびしい。

21日(木)、雨のち晴れ。寝坊して6時に起きる。外は雨。ガーン。晴れが続くはずだったのに。どうしよう。うろたえる。涸沢へ引き返すべきか。昼からは晴れるらしいのと、娘が縦走したいといった(降りるのがイヤだっただけ。)ので悪天の中、滝谷越えに挑戦す。8:20スタート。8:30南峰。吹きさらしのゴーロ上を歩き、怖いリッジにさばりついて進む。早々と引き返すのは困難になる。滝谷から吹き上がる突風に怯えながら、まだかまだかと悪場をすすむ。ガスってどこがどこだかわからない。かぶった岩にザックを押さえつけられようと、スッパリ切れ落ちていようと、ただ白ペンキをたどるのみ。重い鎖に娘は苦戦する。時折ほかの登山者(特にオバサン。)と出会えてホッとできた。もし一人ぼっちなら何度も途方にくれただろう。やっとの思いで涸沢岳の稜線にでたのは13:40。ラストはバテて登れなくなった娘をお助け綱(持ってきて良かった。)で引き上げてクリア。かかとの無い靴でよく踏破できたものだ。フラフラになって14:20白出コルの山荘へ。ここでは子供連れも多く、まるで下界並に賑やかで拍子抜けしたが、難所越えした私達はホッとした。昼も3時までOKで、そばを食べれた。皆が娘を凄いと誉めてくれる。テント場は小屋そばで、トイレもにおわなくて快適そのもの。テント数も夕方にはいっぱいになった。ホント北穂とは大違い。夕方から晴れる。17:30涸沢岳に登りかえす。雲が流れて、岩峰が顔をだすと感激。奥穂、ジャンダルム、西穂、前穂、北穂どれも凄い。通過してきた滝谷を見下ろしてゾッとなる。よくあんなの越えれたなあ。夜中は冷え込んだが明日が楽しみだ。

22日(金)、快晴。朝4時起きて、御来光を待つ。なんたる好天。そして幸運。昨日のご褒美か。奥穂のハシゴが行列でゆっくり6:30スタート。槍どころか白馬まで見える。富士山、御嶽山も。奥穂でしばし展望を楽しみ、8時下山開始。釣り尾根は思いのほか険しく、グネグネだった。また3羽のライチョウの親子に遭う。10:30紀美子平。前穂はオミットして重太郎新道を降りる。昨日の経験から楽にこなしていける。娘の靴底がついにつま先まではがれて、切り落とし、地下足袋状態になる。後半、足が痛んでペースダウンし、14:30岳沢ヒュッテ。ここも3時までOKなので特製カレーと冷メンを食べる。意外にも夕方から登山者が増え、ここのテント場もいっぱいになった。

23日(土)、晴れ。観光客に気がねするし、早く帰ってやりたい気持ちもあり、4時起き、5時スタート。8時 上高地。あわただしくお土産買い。8:30ガラ空きのバスで沢渡Pへ。10時 白骨温泉。6日分の垢をおとす。12時 松本。18:30懐かしの我が家へ。妻子の歓迎をうける。芯のないやわらかなご飯に大喜びした私。

それにしてもこの夏はハードな沢もやったが、やはり穂高テント縦走で頭はいっぱいであった。おっといかん。和気アをお留守にしていたね。もうすぐ松茸山の閉鎖準備をしなくては。ああ、HPも更新されてないね。この秋はHPをちゃんと手直ししよう。なんていってずっとしてないんだけどね。うん。

おおっ!読売ライフ9月号6月7日に取材を受けて、いったいいつどんな風に掲載されるかなあ。ううん。まだかなあ。ああ。まだだなあ。ううう。こりゃあボツになったかな。しかたないねえ。などと諦め半分に首をながくしていたら、8月終わりになって会社のF部長が“おい、おおきゅうのっとったのう。”といって、わざわざ持ってきてくださいました。見るとこれまた1ページまるごと!おおっ、リビング、ヤマケイジョイ、朝日新聞、そして読売ライフ。みなさんそろいにそろって派手に大きくとりあげてくれるものです。本当にありがたいです。ああ、うれしい!今回は、このHPの紹介ということですので、またアクセス数がふえるでしょうね。でも、いいのかなあ。こんな滅茶苦茶なHPを宣伝なんかしちゃって。だいたい、一番ひんぱんに更新されているのがこのひどいページであり、仮にすごく暇な人がこれを読もうなどと気のふれたことを決意すれば、たちまち目が疲労して読みきる前に確実にダウンしますし、印刷しようとすれば50ページを越えて、用紙切れに続くインク切れでかなり出費しそうです。ふふふ。こうなってはもはや誰もついてはこれまい。でも、いよいよ収拾がつかなくなったような。いったいどうなるんだろう。このページ。(さあね。)

9月1:穂高登山で休みを使いきっているので、昨日夜 仕事から帰ってから夜8時までかけて8つの登山口をトラロープで閉鎖して札をつける。夜中に墓場の奥に一人でヘッドライトをつけて登り、作業して降りると、不審な光が墓場でうごめいているというので遊歩道では人が集まってさわぎになっていた。私は幽霊やお化けのたぐいは気にしない(そりゃあ、ちょっとは薄気味悪いけどね。)のだが、とんだお騒がせになったので中断し、本日朝5時からのこり8つの登山口を同様に閉鎖してから出勤す。やれやれ。ああ、眠い。おまけにあちこち蚊にくわれてかゆい。いまは閉鎖箇所は16ヶ所だけど、ゆくゆくは20ヶ所になる予定です。そうなると閉鎖作業は4時間くらいかかることになりそうです。なお、これからしばらくはのんびりHPを更新したり、新ルートの計画(構想はすでにできています。)でも練ることにしましょう。退屈な時はまた熊山でもブラつくと思います。

HPの手直し:検索すると新しい和気アの山行記録のHPがしばらく見ないうちに結構たくさん出来ており、なかには凄いもの(負けそうなくらいです。)もありました。なんとかこれらをリンクしようと思いながらも、なかなかHPの更新ができませんでした。この夏もハデにマスコミに紹介されたことですし、今回の松茸によるオフ期間中に、恥ずかしくないものにきっちりHPを手直しすることを決意しました。とりあえず、9月6日、リンクのページを更新しました。周辺のページにある役場などのHPもいつの間にかアドレス変更されていたので、更新しましたが、調査の方はできていません。(熊山をブラつくくらいならまずこれからすべきだな。うん。)バリエーションのページの天神尾根ルートは一般開放したので、もはやバリエーションではありませんし、ショートルートのページも日電歩道などいろいろできたので更新しなくてはならないのですが、困ったなあ。どうせすぐ来年早々にもまた新ルートを作るしなあ。はっきりいって向こう3〜5年は新ルートが次々できるので、全部ができてから更新したほうが楽でいいよなあ。ううむ。どうしよう。と、またサボリ癖が出て来つつあります。本当に開拓中の山はコロコロ情報が変化するので大変です。皆さんも面食らうことがあるでしょうね。なお、本日9月7日、4時間かけて奇跡の水を捜せのガイド地図を作りなおしました。じつは作った時点から、えらくキタナクて見づらく判りづらい地図になったなあ。と、気にしていたのです。今までのものは手書きしたものをスキャナで取り込んでいましたが、今回は全てペイントだけで作りました。かなり綺麗なものにはなりましたが、それでも判りづらいかもしれません。とりあえず どうかこれでカンベンしてね。と、いうところです。来年は奇跡の水を捜せの山行記録のHPがたくさん出来るとうれしいな。はたしてどんな評価を受けるか、今から楽しみです。たとえ、ひでえ目にあったぞ。と、ボロクソに書かれてもうれしいものです。

宮本武蔵:“武蔵の徒歩旅行記”とタイトルを変えたらどうかと思うくらいやたら歩くだけで、なんかハズした感のあるNHKさん。決闘!巌流島で二人が対峙するまではすごく良かったんだけど、殺陣でマトリックスばりのアクションシーンは入れてほしくなかったですねえ。そりゃ力入れて製作されたのはわかるんですけど、視聴者はもうその手の画像処理やワイヤーアクションは飽きているんですよ。うそっぽくて、かえって迫力がなくなっちゃうんですよ。ホント。やはり迫力満点なのは実際に殺陣をした“肉弾戦”であり、“真実味=迫力”をもっと大切にしてほしかったですねえ。と、クサすのはここまでにして、武蔵はなぜ真剣勝負に手製の木刀を使ったのでしょうか。(武蔵は相手が真剣でも木刀で対戦していることが多いですよね。)思うに、武蔵は師をもたぬ我流ゆえに、勝てさえすればなんでもいいとばかりに武器というものに固定観念がなかったのと、特に木刀を使い慣れていた(愛着があった)せいではないか。つまり、相手に合わせて柔軟な発想で武器を持ち替えていたわけで、二刀流はその内の一部にすぎず、武蔵は“剣豪”ではなく“格闘家”であるといった方が正解ではないか。と、思っています。なお、木刀の長所は手製で相手に合わせて工夫や細工が即興でできることと、真剣より軽くて早く振れることです。短所は相手の剣を受け止めれないから、かわすしかないことと、必然的に一撃必殺の展開しかないのを覚悟しなくてはならないことです。一見、無茶にみえる真剣対木刀でもこれらのことを踏まえれば、戦い方では木刀でも勝算があるわけです。私も我流ですので、山に向かう時はその山に合わせて柔軟な発想で道具を持ち替えています。特に沢登りではシットハーネスを持っていながら、あえて腰スリングを愛用しています。腰スリングの長所は必要不必要に合わせて道具を前後に移動できる。前向きでラッペルできる。短所は空中懸垂になったらツライ。と、いうところでしょうか。単に練習で使い慣れているからというせいもありますが、私にとって腰スリングは武蔵の木刀みたいなものです。実際、私の沢の腰装備は“これだけの簡単装備でかなりのことが出来る”という自信と経験があり、このスタイルなら西穂から槍までだろうが子供連れで行ける自信があります。ゲレンデスキーをかついでマリンブーツに軽アイゼンで3月の大山に登ったり、夏の和気アで地下足袋で雨の日を選んであえて濡れながらハイキングしたりと、我流ならではの発想で山を楽しんでいます。私だけではありません。先日、山乗渓谷で再会した“沢には山の要素が詰まっている。”(私も同感です。)と言われていたベテラン鈴木さんにいたっては沢をあえて運動靴(ただのズック)で登られています。(ちょっと私にはようマネできません。)ううむ。上には上がいるものです。

世界をみると:雑誌(立ち読みです。)に書かれていたことですが、“日本人は歩かなくなっている。クライミングはうまいが、歩行力は世界に比べてかなり劣っている。”とのこと。たしかにヨーロッパアルプスのマッターホルンなど、ヘルンリ稜を登るのにヘルンリヒュッテからソルベイヒュッテまで高度差720mの岩稜を2時間で歩けないとガイドがタイムオーバーとして中止してしまうのですが、ほとんどの日本人登山者は3時間くらいかかってしまい、リタイアさせられるようです。もともと日本人と西洋人では体格に差があるうえ、日本人登山者は高齢者ばかり(ホント若者がおらん!)であるのも理由の一つかもしれませんが、考えさせられてしまいました。体力トレーニングはコツコツ継続しないと成果があがりません。ううむ。これは御忙しい日本人には難しい。ましてコツコツやることが全く苦手で、暑いといってはすぐに沢に逃げ込み、雪山ではさっさと山スキーをはいて、ラッセルなんぞヤーダベーなグータラ人間(私のことです。)がマッターホルンを登るとしたら、自分流の作戦を立てて、ガイドレスでいくしかないでしょうね。(ただし、それなりの追加装備と技量が必要です。)独創的で単独行の登山家として有名な加藤文太郎は、クライミングすることよりも兵庫県中の国道を歩きまわるなど とにかく歩きまくった健脚自慢の登山家でした。やっぱ山は歩きが基本。歩かなくなった日本人よ。見つめなおせ、文太郎スタイル!といったところでしょうか。ところが腹立たしいことに、昨今の日本の若者は男までオシャレになってしまい、汗まみれになって山に入ることを嫌い、学力低下だけでなく体力も低下しています。(阿呆で弱っちいんじゃ、おえりゃあせんがな。)“多くの若者が集まってフリークライミングの盛んだった小川山ですら今では閑散としていて、若手クライマーの多くはエアコンのきいたジムにのみ通っているのが現状。”だとか。やれやれ。今更ですが、山は汗にまみれた冒険の世界であり、チャラけたパフォーマンスの世界ではありません。これらの若者にとってフリークライミングはファッションにすぎなかったのでしょうか。山だけでなくクライミングというものまで履き違えられているように思えてなりません。また、(これも立ち読みですが、)“いくら穂高や谷川岳などの本邦第1級の岩壁を登れても、最新のフリー技術の習得なしには、プロテクションの規制が厳しい世界の岩壁では通用しない。”とのこと。また、“フリーとアルパインを区別しているのは日本だけ。”とも。確かに、困難で危険な岩壁を登ってきたロートルクライマーにとって、登攀力強化のためにジャンルを越えてフリーの最新技術を取り入れるのはとても有意義であると思います。しかし、楽しく安全な人工壁から始めた若手クライマーは、(一部のエキスパートが理想のクライミングを求めて、ビッグウォールで凄い偉業をなしとげてはいますが、)ほとんどの人が本来のクライミングである危険と恐怖を克服していくこと(自分で設置したプロテクションが不安なため、恐怖で本来のアクロバット的ムーブができなくなるようなことや、落ちたら即オシマイの“決死のフリー”などに対する精神的克服)はせず、冒険精神を理解(哲学)したり取り入れようともしないで、(アルパイン的なことを排除したまま)人工壁だけでのクライミングを続けているようです。はたしてこんなクライミングで行き詰まり(マンネリ)を感じないのでしょうか。(岡山県にはあまり面白い山がないせいか、ハイカーでも行き詰まっている人がいますけど。)また、単に初級から中級への5.10+の壁が越えられないというだけで、うまい人と自分を比べて落ち込んでしまい、やる気が失せて辞めていくというパターンも多いようで、記事によると(かなり立ち読みしてますね。)“日本人は山遊びがヘタだ。他人と比べたりせず、自分なりにもっとクライミング(山登り)を楽しんでいくべきだ。”とのこと。私もそう思います。(みんな。やめるのはもったいないよ。もっと遊び上手になろうよ。)現に“世界のクライマーの標準レベルは5.9(初級レベル)であり、それでもみんな楽しくやっている。”とのこと。確かに初級とはいえクライミングを楽しむには技量は5.9あれば充分だと思います。(おそらく私もそのレベルでしょうから。)また、このレベルの岩場が正直なところ一番遊べて楽しいとも思うのですが、皆さんはいかがですか? たまに、自分にとってハードなものに挑むのもいいですが、そればかりで落ち込んでいる(疲れている)人は自分にとって本当に楽しいこと(やりたいこと)はなにか考えてみてください。そもそもあなたにとってクライミング(山登り)とは何ですか?(うう、クライミングのことになるとまた哲学の渦にまきこまれそうです。)クライミングはやたらと物議をかもしながら時代によって見解がどんどん変わっています。考え方が流動的なだけでなく技術や道具にいたるまで日々変化していて落ち着く先がいまだに見えません。以上 立ち読み雑誌の記事をまに受けて まくしたててしまいましたが、しかし、これは本当なのかな? 現在のフリークライミングの実態がどうも不可解です。ブームになったあと、一気にすたれているというのでしょうか。雑誌(余談:馬術では“乗馬ライフ”という隔月の雑誌が1冊しかなかったのに比べると、クライミング(特にフリー)の雑誌は多いです。)では毎度おなじみのエキスパートの凄い写真ばかりが載っていて、いかにもまだまだ全盛期という感じなのですが、その反面インターネットで検索すると去年開拓されたゲレンデがはやくも閉鎖されたとか、ジャパンツアーが開催困難だとか暗いことが多いです。(関西の蝙蝠谷が会員制で再開されたのはグッドニュースですが、凄い苦労をして、温情にすがってやっとというものでした。)関東はおろか関西や近場の状況もチンプンカンプンなので、近い内に備中町の用瀬嶽のフリークライミング場を訪ねてみたいです。(たんに5.9を体験したいのもあります。)

岸野の黄滝1024日、久々に岸野の黄滝がどうなっているか(老朽した橋がつけ替わっているか)見にいくと、水色の手すりがついた鉄橋につけ替わっていて(いつ つけ替わったかは不明。)、案内板のある駐車場も綺麗に草が刈られていました。おお、これならオススメです!11月下旬には紅葉して見頃になるでしょう。滝の上の滝壷(甌穴)の道標は、相変わらず一段下の間違ったところにありますが、こいつだけは何度みても底が見えないし(案内板では深さ6mとのこと。無茶苦茶深いぞ!ホントかね?)、どんなに沢が荒れても土砂で埋まらないのがなんとも不自然で、まるでなにかひそんでいそうです。私のような馬鹿がドボンとやるのを大口あけて待っていたりしてね。(ひえ〜!)

サイクリング遊歩道:11月24日に“片鉄ロマン街道”として開通式典と各種の催し物があります。なかなか風情があり、私も家族でサイクリングしてみたいです。(じつは南方面の片上まではサイクリング済み。)レンタサイクル(1日300円。和気駅前駐輪所事務所10台。和気鵜飼谷交通公園30台。)を利用すれば、佐伯天神山など和気ア周辺の山もサイクリングとセットで楽しめれますよ。

岳人は哲学人:山雑誌のコラムなど読んでいると、凄い冒険談でもユーモアたっぷりに、また痛烈な批判でも皮肉タップリに書かれていたりして、文章が面白くてグイグイ引きこまれて感化されてしまいそうなものがあります。山の達人はなぜか文章も達人になっている気がします。(本に限らずインターネットでも文章の達人が多いです。)いろいろな想いがあるからこそ、おもしろい文章が書けるわけで、ある意味 岳人はいろんな想いをもつ哲学者であるといえます。皆さんだって結構こんな具合に哲学していませんか。“自分はなぜヒーヒーいいながら登山をしているのか?”“面白い(好きだ)から。”“なぜ、こんなしんどくて危険なことが面白い(好きな)のか?”“わからん。人間の本能かもしれん。”はては“怪しげな宗教信者や変質者と自分には共通点があるような。”とか、“そもそも自分は何者だ?自分にとって山は何なのだ?”などなど。こういったことはクライマーや冒険家など危険なことをやっている人は常に考えているはずです。(そうでなくてもクライミングはなにかと物議をかもす哲学的なものです。)やっていることは命がけなのに、じつは実益のない“遊び”であることに対して、“なぜ、こんなことをしているのか?”は、ひどい矛盾(不条理、理不尽、非常識)になんとか自分なりの弁解をするために考えずにはいられないものだからです。(馬術でも国体や全日学は命がけでしたが、若い内はただ夢中でここまで意識していませんでした。しかし、家庭をもって この年になると考えずにはいられなくなります。)じつは私も自分は何者なのか悩んだことがあります。やたらエラソーにこんなこと書きまくってるくせに、クライマーでもなく、ハイカーでもなく、ネイチャリストでもなく、冒険家でもなく、登山家ともいいきれない。考えた末にでた答えは“山遊び人”というものでした。(こんなジャンルはないけど今のところ他にうまい表現がないんです。)私のいう“山遊び”とは、ハイキングとクライミングが入り混じった近代登山における創世期(黎明期)のもっとも古風なもの(私はなぜか古風なスタイルが好きなんです。)で、いうなれば“山本来の楽しみ方を追求するもの”です。(なんかかえってムズカシイですね。)とにかく自分なりにいろんな技術(フリークライミングなどの最新技術もシャアシャアと拝借します。)やアイデアを駆使して、雪 岩 沢 薮などを相手に遊び、メいっぱい“山”を楽しもうというものです。それによって山のすばらしさがより深く理解でき“山のよき理解者”になれたらいいなと思っています。(はたして自分は和気アルプスのよき理解者であるだろうか。ううむ。まだまだだ。だいたい我ながらちょっとエラソーにしすぎている。最近どうもマスコミに取り上げられたことですっかり舞い上がっているみたいだ。相棒である和気アが凄いのであって、私が凄いわけではないし、まだまだ知りたいことや知らなくてはならないことがたくさんある。のぼせてはいかん。うん。そうだそうだ。ちょっと反省。――――などといいながら、クライミングがうまいからと天狗になっている人に一言。“山の声を聞かずして腕だけ磨いても無意味だぞ。武蔵!”なんちゃって。)

山の理解者は登山名人より強し:岡大馬術部には私が残した名言があります。それは“馬飼い名人は馬乗り名人より強し。”です。たとえどんなに乗馬の腕をみがいても、より強い信頼関係をもった人馬(馬の理解者)には勝てないよ。という意味です。もともと“馬屋七分に乗り三分。”(馬術とは馬の世話がほとんどで、乗るのは少しだよ。)という言葉がありましたが、これを発展させたものとおもってくれて結構です。20年前、私と愛馬ブラックヘッドは関西学生では無敵の存在でしたが、私の乗馬の腕前はたいしたものではありませんでした。技術や体力ではもっと凄いのが何人もいました。でも、私と愛馬はまさしく連戦連勝で負けなかった。力や技は劣っていても私には並々ならぬ “馬を理解する能力(愛馬ブラックヘッドへの強い信頼愛情情熱)”があったからです。まさに私独特の馬術であり、その様子は監督やコーチですら“あいつは練習より世話ばかりしている。”といってあきれるほどでした。監督が“お前がその馬を連れていると犬を連れているようじゃが、お前にとってブラックはなんなら。”といわれ、私は“相棒です。”と答えたのを憶えています。乗り手と馬がお互いに相手のためになら喜んで死ねるというくらいの気持ちをもっていたので、実力以上の底力が発揮できたのです。“人馬一体”といいますが、私と愛馬の場合は“人馬一心”でした。私には愛馬の声(気持ち)がわかるのです。強いわけです。同じことが山(登山)にもいえると思います。登山はその山に合った技術と体力と装備がまず第一に必要ですが、その山への愛情と情熱は、技術と体力と装備による恩恵よりも はるかに大きな恩恵をもたらすと思っています。つまり、その山にたいして強い愛情と情熱をもって取り組んでいれば、やがてその山が理解できる(“山の声”がきこえる)ようになり、山の状況(危険など)も感じ取れるようになる。そうなれば、力や技ではどうにもならないこと(運のようなこと)にも対処できるようになるというものです。ゆえに山を理解しようとする(“山の声”をきこうとする)者は、山を登ろうとする(山に挑もうとする)者より強いのです。(我ながらなんともまた凄いこと書いたけど、もちろん私はそんな山の達人ではありません。ああ、おこがましい。でも、“一芸秀でると何事にか通ず。”というやつでしょうか。私はかつて大山で“山の声”をきいたことがあります。バラすと笑われるかも。でもホントです。一人ぼっちで春先の剣ヶ峰山頂にいたとき、ふいに大山が私に“さよなら。”といったのです。正確には“さよならといったように感じた”のです。ひどく戸惑い悲しくなりましたが、それからしばらくして鳥取西部地震があり、大山の縦走路は崩落してしまいました。信じられないでしょうね。気にせず受け流してください。とにかくこれが私のきいた“山の声”の一例です。)

余談(悩み事):10年ほど前、会社のY君(今では課長です。)が、なにを悩んでいたのか うらやましそうに“フジモトさんは悩み事がなさそうですね。”というので、“馬鹿にするな。(そういう意味ではなくても、ある意味 かなり馬鹿にした質問になっています。)ワシだって悩み事くらいあるわい。”といったら、“どんな?”と、きかれて困った。“うう。う〜んと。そうじゃな。たとえば、今度の休みはどこへ行こうか?とか・・・。”言い終わらぬ内に彼は黙って去っていった。うしろ姿には “こんな人に話しかけなきゃよかった。”という気持ちがありありとにじみでていました。(私も山を本格的にやる前と後では悩み事がえらく変わったものだと思います。)

操山タイムトライアル:11月12日、昼出勤だった私は、“ロック&スノー”のバックナンバーを求めて本屋をハシゴしていた。西大寺の本屋であっさり見つけることができ、ホクホクと会社へ向かうと小1時間も早いではないか。いつも遅刻ギリギリギッチョン(出勤)をしている私がそんなことをするとヒョウでも降りかねないので、操山 里山センターにフラフラと時間つぶしに立ち寄る。行事案内など読んでまわるが、まだ時間がある。ハイカーの楽しそうなのに誘われて、ちょっと登ってみることにした。空身なので早い早い。なだらかで、あっさり稜線についた。12時半までに出勤だから12時に下山開始でOK。よしよし。なにか面白いものはないかな。稜線を右にとり、登っていくと古墳がある。ほうほう。おお。こっちにも崩れたのがある。ふんふん。あと5分で12時だ。なになに。“北見の大岩。この下すぐ。展望よし。”と、ある。階段まで整備してあるから期待できそうだ。よしよし。トリはこれに決めて降りていくと、なんでもない岩場で行き止まり。へっ?!木々の間から少しだけ街が見えている。おおお。ハズしたー!おとといの回転寿司とおんなじだー!(結構ウマかったのに、最期に取ったのが時間経過でみごとに乾いて候。)くそー。ここではこれでも“展望よし”なのか。うぬぬ。このまま降りるのがクヤシイので、マズイと思いながらも山頂まであしをのばすことに。だが、山頂も展望はない。時間は――12時15分?! わっ!わわ!!ヤバーっ! “ヤマト。ワープ!”なんてできるわきゃあない。かくなるうえはっ!“はしれ〜 はしれ〜 コータロ〜! オバチャン オジチャン すりぬけて〜 はしれ はしれ はしれ はしれ コータロ〜 インストラクターもひっこぬけ〜” なんとたった5分で山頂から里山センターに駆け下りた。車に飛び乗って会社へ。そして、タイムカードレコーダーにタッチダウン! 12:30。セ――フ!! フッ。今日もフダつき社員らしくバッチリきめたぜ。でも15分前には山頂にいたんだよなあ。確か。

芦屋ロックガーデンにて私にはどうしても訪ねたい山があった。近代登山の“原点”である芦屋ロックガーデンである。“近代クライミング発祥の地”である雪彦山よりも先に、ハイキングからクライミングへ移行するために藤木九三によって開拓整備された山である。ここを知らずして“山”は語れない。だが、名だたる名物岩ヘのアプローチルートは枝道だらけで道標が無いため、外部の人間は中央稜くらいしか歩くことができない。名物岩をたどれないのでは意味がないとジダンダをふんでいたが、ここをホームグラウンドにしている“トミおじさん”なる70歳のご老人とメール友達になったことから今回ガイドしてもらえることになった。(はじめてのガイド登山です。)はじめに感想をいうと、ここの岩場はクライミング場としては小規模で、当然ながら初級向けではあるが、どれも独特の個性や魅力をもっていて、ハイカーにすら登高欲を持たせる楽しそうなものばかりである。初心者講習やアイゼンをつけての氷壁登山の練習場としてもうってつけである。そして、なにより今回ガイドされたハイキングルートの面白さたるや開拓後80年たった現在でさえ右に出るものはないであろう。まさに“スーパー低山”である。とにかく、ここにしかないような多彩な岩場が次々に現れ、面白いシチュエーションがこれでもかというほど出てきて楽しくてしかたない。“どうだい。おもしろいだろ。”という いたずらっぽい藤木九三の声があちこちからきこえるようだ。山とクライミングを哲学的に考えれば考えるほどだんだんわからなくなって悩んでいた私は、自分のやっていることは近代登山における創世期(黎明期)のもっとも古風なものではないかと思い、近代登山の原点はどんなものかを知ろうと思ってここへ来た。(笑われるかもしれないが、この山が、悩んでいる私のために“トミおじさん”をよこしてくれた気すらする。)そしてわかった。そもそも私は、完登グレードばかりゴチャゴチャいいあい、山そのものから遠ざかって なにか歪んだ感じのする今のクライミングが好きになれなかったのだ。たしかに最近のフリーの技術はすばらしいものがある。でも、レベルアップばかりに気を取られたクライマーは本来持つべき大きなものを見失って、知らないうちにクライミングをゆがめさせていると、私は思っている。たしかに“困難に立ち向かう精神”は大切だ。でも、それ以上に絶対に忘れてはならない大切なものがある。そう。それは“山をより深く楽しむこと”であり、それにより山の素晴らしさを理解し、“山の理解者になること”である。(私のいう山の理解者とは山名をたくさん知っている人のことではない。山に語りかけ、“山の声”を聞こうとする人のことである。)以上の想いは以前からあったが、なかなか確信して表現できなかった。でも、今ならいいきれる!ハイキングにもの足りず、クライミングに手を伸ばしたものの、いまのクライミングに(なんかやりたかったことと違うような)行き詰まりを感じ、悩んでいるクライマーはぜひこの山を訪ねて、トミおじさんにガイドしてもらって、私と同じルートをハイキングしてほしい。(“トミおじさん”のHPはこちら。)“そうそう。自分はこういうのをやりたかったんだ。”と思うはずだ。とにかく、岩を見ればグレードしか考えず、ここは初級ルートばかりだとクサすクライマーは最低だ。ここの名立たる岩の“なんともいえない魅力”が判らんのか!と、いいたい。この山こそ“クライマーが本来持つべき大切なものとはなにかを教えてくれる山”だ。そして、藤木九三のやったことこそ私がやりたかったことだ。ようし、もう迷わんぞ。和気アを岡山のロックガーデンにしてやる。しかも、雪彦山の味わいも取り込んだちょっと辛口なロックガーデンにね。 おおっと、前置きがものすごく長くなってしまった。では、今回も内容がメチャクチャ豊富なので、記憶ミスがあるかと思いますが、これより山行記録の本題です。

11月15日、朝7時 和気を出発。10時前 芦屋に到着。細い登り坂を登山口まで車ですすむ。ほとんどの登山者は阪急芦屋川駅からの歩きで、車の私達は ニラまれている気がしてしまう。登山口のささやかな駐車場では、トミおじさんと仲間の“アルペン芦山”の4人のメンバーが駐車スペースを確保してくれていました。(早くもお心使いに感謝。)登山者が多いのであいさつは後にして、仕度できしだいスタート。より道したくなるほど風情のある茶店を2つすぎて、綺麗な高座の滝の前から山に入る。中央稜の取り付きからコースサインをたどって地獄谷へおりると堰堤の広場があり、ここであいさつをする。さらに“いきなり岩登りになるから。”と、ストレッチ体操をする。いよいよトミおじさん先頭、最後尾と中間にアルペン芦山のメンバーの方が入ってくれ、オーダーを乱さないように注意してスタートする。“後でちゃんと見れるから。”と、“ゲイトロック”(門岩)を左にやりすごし、いきなり滝の連続する完璧な沢登りである。登山靴で沢をいくのは滑って怖いが、なぜか歩きやすく、滝もちゃんと越えていける。地形の弱点をうまくついた滝登りはやたら楽しく、はやくもみんな歓声をあげる。ほどなくボルダー(大岩)の前で小休止。“登るのに根性がいるので根性岩といいます。”とのこと。さっそく岩好きなHさんがチャレンジし、3回目でみごとに登りきった。登山靴でのボルダリング初体験である。楽しい沢をさらにすすむと小便滝というその名の通りの面白い滝がある。ここから沢をでて登っていくと“A懸岩”という縦横無尽にクラックが走った 思わず取り付きたくなる岩が現れた。クライマーがアイゼン登攀の練習をしている。ここから先の“ピラーロック”(柱岩)の周辺は大阪湾の展望も抜群で、とにかくメチャクチャ面白く、内容が豊富すぎて記憶できない。ホント、このシチュエーションはここでしか体験できまい。ピラーロックの最高点で旗をだし、記念写真を撮る。面白いシチュエーションはまだまだ続く。(狭い岩の間を抜けていくので、デブにはキツイかも。)私も童心にかえってはしゃいでまわった。そして、いよいよ、お待ちかねの“万物相”である。“すみません。先にいっていいですか。”“どうぞ。”の返事があるかないかのうちに私は興奮して駆け出していた。すごい。すごい。“どうすりゃあこんなのができるんじゃあ。”面白い!震災でヒビがはいった部分もある(手前の“B懸岩”は完全に崩壊していました。)が、やっぱり素晴らしい。この先のコースサインをたどり、藪を抜けると中央稜のハイキング道にでて、11時40分 “風吹岩”についた。ハイカーでにぎやかである。昼食はこの先にある池でとることにして、その“横池”にいくと なんとも落ち着いたたたずまいで、いままでの岩場とのギャップに驚かされる。このわりと大きな池は人工ではなく、窪地に水が溜まったもので風情がある。ハイカーがなにかを池にまいている。なんとこの池には誰が放したのか大きな金魚がたくさんおり、それにエサをやっていたのだ。よくまあここまで金魚を持ち込んだものだ。金魚袋をさげて中央稜をヒーヒー登っている姿を想像すると吹きだしてしまう。関西人の遊び心を見た気がした。昼食後、荒地山へショートカットするため、ハイキング道をはずれて軽い藪漕ぎになる。この藪の中にもたくさんのしっかりした枝道があり、次回もガイドなしではダメなほどだ。遊び心を感じる知る人ぞ知るようなテント場や水場を過ぎて、いよいよ荒地山の急登にかかるという手前の水場で正真正銘の“六甲のおいしい水”を飲む。荒地山の登りはまたも岩をすり抜けていくもので、どんどん高度をかせいでいく。山頂は展望のない広場だが、見ると“伐採している人を見かけたら110番。”といった内容の看板がある。“じつはおかしな宗教信者が勝手に木をきるんですよ。神のおつげがあったとかいってね。”でえっ。さすが都市近郊の山。いろんな人が来るものである。小休止後、いよいよ難関の“岩梯子”の下りにかかる。ゴーロが積み重なった上を越えて下っていくと“ザックを脱いで、この穴の中をくぐってください。”とのこと。見ると岩が折り重なって出来た空洞にロープがついている。横を巻いていくこともできるが、ここではこれをくぐらないと損というものだ。さらに下はルンゼ状の岩場が続き、ここに“岩梯子”のフダがある。(ここでもアルペン芦山みなさんの心配りのおかげで全員無事に難所を通過できました。)“ちょっと道がキツいけど、いい?”というのをお願いして“キャッスルウォール”(城壁)という岩場に案内してもらう。ここにもアイゼンをつけたクライマーがいて、ぞろぞろ来た私達に驚いたようだった。この岩も横のクラックが発達していて面白い。その名のとおり城壁みたいである。“カンテ(凸角)なら簡単ですよ。”というが、ロープ無しでは怖い。上部のハング下にスズメバチのでっかい巣があったが、“市の衛生局に連絡して、とってもらいます。”とのこと。ここから先は高座谷に下り、山腹をトラバースして谷ぞいをすすむ。堰堤を越えると“イノシシ広場”についた。残念ながらイノシシはおらず、エサのパンだけが落ちていた。ここからすぐに登山口にもどれるのだが、“展望所を案内します。”とのこと。“じつは膝を痛めているんですよ。”というトミおじさんは、いいかげん膝が笑った私達をひき連れて中央稜の岩場をどんどん登っていく。“はい。ここで終わりです。”といわれて、ヒーヒーいいながらまわりを見ると、これまた風光明媚である。ハイカーご用達の場所だが、やはりここは見とかなくっちゃという所である。ロックガーデンの言われの看板がある。私の目をひいたのは、後で見れるといわれていた“ゲイトロック”である。これまたなんともクラックが整然と縦横に走っており、高さもあって登り応えがある まさに“人をクライミングに誘う岩”であった。下部が震災で崩れたというが、ああ、ピトン、ナッツ、キャメロット持っているすべてのプロテクションをここで試したい。アプローチもいいし、なんて理想的な岩なんだ。ここを探し当てた藤木九三は躍り上がったにちがいない。それにしても ここはなんて面白いんだ。近代登山の原点であるこの山は 、“山をより深く楽しむこと”を教えてくれる登山哲学の原点でもある。と、思った。この山と、トミおじさんと、アルペン芦山の皆さんに感謝。感謝。感謝。下の茶店でトミおじさん達は名残惜しむ私達をおいて先に帰っていかれた。私達はしばらく茶店を覗いてくつろぐ。野生動物たちのかわいい写真がかざってあり、すごい山の本がならんでいる。下界とのハザマとはいえ、ここはまさに山小屋である。15時半 帰路につく。18時すぎに鵜飼谷温泉に帰着。無事解散。夜、くたびれていたが、たどたどしい文章でトミおじさんにお礼のメールをだす。翌日の夜、返事がきた。私達の案内でお疲れになっていないか心配していたのだが、“きのうは早々にメールありがとう。今日は長峰山(688M)に登っていました。”などとある。くくくっ。こっちは足がガクガクなのになんてタフなんだ。あ〜もう、私のオヤジもそうだが、昭和一ケタ生まれの筋金入りにはとてもかなわん。(オハヨー山岳会の山行記録より一部改訂。)

この秋は哲学の秋:なぜかこの秋はいままでになくやたらと想いわずらうことばかりしています。“山のことばかり思いふけって。話もできん。”と妻を怒らせてばかりいました。クライミングについては、以前から難解なボヤキを重ねてきましたが、いずれもモヤモヤした想いを整理するために文章化していたもので、同じことなのに表現が気に入らずに書き直したり、補足したりしていました。なかには書き上げるのに何日もかかったコラムもあります。なぜここまでコムツカシイことを悩むようになったのか 自分でも不思議です。たぶん、何かが見え隠れしていたのでしょう。身の程をわきまえず、ひどくエラソーなことをボヤキまくり、我ながら呆れています。いうばあで、講釈タレのイヤミなおっさんになっていないか不安です。でも、一方でクライミングのムズカシイ部分がある程度判るようになったのは確かです。はじめはすごく難解だった保科雅則著 “ヤマケイ登山学校 アルパインクライミング”の本の冒頭にある“イギリス・クライミング放浪”のコラムが、かなり理解できるようになったことは自分でもたいした進歩だと思います。特にベン・ネヴィス北壁で地元のパートナーがピッチごとにいちいち“エンジョイしたか?”ときいてきたくだりは感銘したポイントです。そうです。クライミングは山(岩)をエンジョイするためにやっているのであり、流動的な価値観にまどわされずに、今の自分自身にとってどんなクライミングがエンジョイできるものなのか(価値を見出せるものなのか)を見つけ出すことが大切なのです。(私の場合、とにかく気が済むまでどっぷりと山につかり、クライミングするならありったけの食糧と水を持ち込んで、壁のなかで謎解きをするように、あえてじっくりとモタモタしていたい。と、いうもので、逆にスピードを競う国体の山岳競技などは、“へんだ。こんなのは体操や陸上であって山じゃない。”などと、思っています。)幸運にも私は芦屋ロックガーデンで自分のやりたいことを確信できましたが、保科さんは本の中では最後まで(今も?)明確な結論は出せないでいます。(むしろ、あえて結論を急がずに、求め続けようとされているのかもしれません。)

もうじき開山:さあ。悩み事も一息ついて、なんか自分でもまたひとつ成長したと思います。HPのアクセスももうじき1万(うれしい!)です。山の紅葉もだんだん美しくなっています。(見頃は11月26日前後ですが、12月のはじめまではOKです。)今回も12月初めに清掃整備したら、春にかけて新ルートをつくります。どんなものができますやら。どうぞお楽しみに。

親子ふれあい体験事業:げげっ!新聞にも載りましたので、白状します。じつは入山禁止である11月15日(私がロックガーデンに行っていた日です。)に、教育委員会主催の体験事業として鷲ノ巣周辺で親子60人が岩登りをしました。10月に子供がその案内ビラを学校でもらってきていたので、こりゃいかんと思って教育委員会を訪ねて、入山禁止のことをお話しました。しかし、公共の催しであり、いまさら中止撤回するわけにもいかない(和気、佐伯、吉永の3町にビラを配布済みでした。)ので、やる前に地主にことわっておいてくださいというにとどまりました。(下見をしたそうですが、ここは営林業者の出入りが多く、邪魔になるのでトラロープは張っていませんでした。私が木に設置していた入山禁止のフダは見落とされていたようです。)なお、するにしても本格的なことはできないので、鷲ノ巣ではなく手前のやさしい岩場でやりますとのこと。それなら山の学校そばの鎖場練習場がよそからも見えずにいいですよとおしえると、そんなものがあったんですかといっていましたが、新聞の写真はこの鎖場練習場のものでした。指導は岡大のワンダーフォーゲルに依頼していました。クライミングをしてるんですかときくと、ロープなどの道具は最近そろえたそうです。正直、大勢の子供をみるのに大丈夫かなと心配し、岡大山岳部のほうが本職でしょうといったのですが、部員がいなくて廃部寸前になっているようです。それなら労山に依頼すべきだったのではないかと思いましたが、クライミングといえる程のことはやらないのでということでした。(私も参加を誘われましたが、私はロックガーデンに行く日だったのと、自分が入山禁止をおかすわけにはいかないと思ったので、お断りしました。)いまとなっては無事にすんだことを、ほっとしています。入山禁止でガマンされている登山者のみなさんには申し訳ありませんが、どうか今回だけは見逃してやってくださいとしか私にはいえません。なお、この体験事業は毎回内容が異なるのでクライミングは今回だけみたいです。

平山ユージ:ハイカーでも名前くらいは知っているでしょう。そう。世界最強のロッククライマーです。(実は、今になって去年の雑誌を読んで感心したのですが。)去年9月の彼のサラテ(アメリカのヨセミテ渓谷にあるエルキャピタンという高さ1千メートルの大岩壁にある高難度のルート名です。)ワンデイ・オールフリーのレポート記事を読むと、凄い腕前もさることながらクライミングに対するモノスゴイ正統派ぶりがうかがえます。初登者よりもよりよいスタイルで登ること。”のために本来始められたフリークライミングをよくぞここまで徹底的に真っ正直に実行しているなあと、感服されられます。ご本人はその信条から“フリークライマー”を自称されていますが、なにかゴチャゴチャネチネチ歪んだ感じで好きになれないクライミングをしている(あー長ッタラしい。)“今どきのフリークライマー”とはマッタク違い、これこそがフリークライミングというものだと実に判りやすい(ホント、目からウロコ。爽快なくらい判りやすい。)クライミングをする “真っ直ぐな”クライマーです。その分、彼のフリーというスタイルに対する愛(信条、執着、哲学)は恐ろしいほどです。“フリーを極めればプロテクションはなくても安全。”というまさに無謀とも思えるセリフは、理想のクライミングを追い求め、すでにその領域に入っている彼だからこそいえるのでしょう。(ああ、怖い。みんなはこんなの絶対ダメだよー。)彼にとって既存のルートは登れるのはアタリマエ。課題はどうやって自分の求める“理想のよりよいスタイル”を表現するかということだけです。彼は登るのに数日かかるサラテを一日で登破するだけでなく、当然終始フリーで墜落しないこと(ノーフォール)はもちろんビレイ地点でもロープに荷重をせずに(ノーハンギングビレイで)登ることを独自に理想としました。そのために高難度の3ピッチを80mものクソ長いロープを引っぱりながら、レッジ(岩棚)からレッジへ一気に1ピッチで突破するというメチャクチャな離れ技までやってのけました。結果的に、彼にはロープもプロテクションも事実上不要(ジャマ)だったわけで、リード形態における文字通りの“手と足だけで登るクライミング”をビッグウォールでやってみせたのです彼は立て続けに、ふつう3日かけて登るノーズ(これもエルキャピタンの高難度ルートです。)をたった2時間48分で登ってみせ、これは世界最速だというので もっぱらこっちの方がもてはやされましたが、ボルトをホールドにして登ったため、皆が賞賛するほど自分では価値あるものとして喜んでおらず、もっとサラテの方をわかってほしいと訴えています。(まったくですね。)彼によるとスピード登攀はトレーニングとして位置づけており、あくまでも“手と足だけで登るクライミング”をやりたいのです。最後に彼はフリーライダーというサラテの派生ルートを登り、レベルは低くても思いのほか楽しいルートだったことを素直に喜び、いずれこのルートがエルキャピタンを代表するフリーの人気ルートになることを予想して(想いをよせて)結んでいます。彼のクライミングは レベルアップをやりながらも、“岩をより楽しむこと”を忘れてはいないですね。でも、よく考えてみれば(技術習得は大変だけど、)フリーこそ岩を最も楽しむためのスタイルなんですよね。(あれ?なんで今頃こんなことをあらためて気づかされているんだろう。そうか、なにかゴチャゴチャネチネチ歪んだ感じで好きになれないクライミングをしている(あー長ッタラしい!)“今どきのフリークライミング”のせいだ。)う〜ん。デブった私にはツライけど、なんかもっとマジメにフリーを(我流ですが)練習してみようという気持ちになりました。本当のフリーを教えてくれたユージに感謝。

ぶちかまし:何ヶ月もヒマラヤを歩きまわったり、クライミング一筋の生活ができる人をうらやましがっている人は多いでしょうね。かくいう私もその一人です。でも、なにか皆さんは私みたいなのもうらやましいと思っておられるようです。いわれてみれば、我ながらじつにウマイことをしているなと思います。しかも、相棒の和気アは私の想像以上にスゴイヤツであったこともラッキーでした。(ホント、これで和気アが一人よがりのチンケなものだったら、ただのヘンなオジサンだったわい。皆さんもいい山との巡りあいを大切に!)よし!めざすぞ。誰もが“こんな山を歩きたかった。”という日本一、いや世界一楽しい山を!(おお!!なんたる野望!スジガネいりの山バカだー!!)

ルート作りのコツ:判りやすくたとえるなら、ルートセッターは料理のシェフであり、ルート作りは料理といっしょです。レシピはいろいろありますが、要は素材(山)の持ち味を最大限に引き出すことです。作ったあとで、ハイカーがちょっとした難所にバイパスや巻き道をつけてしまうことがありますが、これはせっかくいい味に仕上げてあるのにドバドバとウスターソースをかけるのと同じです。(余談:私のオヤジは、なんでもかんでも特にトンカツやステーキにはいつもプカプカ浮くくらいウスターソースをかけている。バカめ。マンガに書いてあったが、牛肉に一番あうソースは日本の醤油だ。)ハイカーも味のわかるグルメになってほしいですね。

備中放浪記:11月25日、フリークライミングゲレンデとして名高い備中町の用瀬嶽(もちがせだき)を訪ねる。最新のクライミングというものがどんなものなのか、どんな岩に取り付いているのか、どれくらい賑わっているのかを知り、あわよくば5.9を体験してやろうと企んでいたのだが、和気からずっと下を走るとえらく遠い。成羽川沿いを走っているとちゃんと看板があり、道は細いが迷わず着いた。高さ80mの大岩壁がそびえたち、すごい迫力である。よくみると洞窟まである。ここの岩は石灰岩で奇岩も見られる楽しいところだ。駐車場にはログハウスがあり、人工壁がついている。今日はあいにく誰もいない。ルート集の本の略図を見ると、ゲレンデはこの大岩壁ではなく、ログハウスから細道を歩いた先にあるようだ。え〜こんな面白そうな大岩壁を登らないでどこにこれ以上のものがあるの?と思ったが、いや、もしかしてスゴイのがあるにちがいない!と期待して探しにいく。対岸の砕石場が後になるところまできたがそれらしきものはなく、しばらく行くと、閉鎖された坑道があった。発破の火薬がしまってあるらしい。爆破するときはサイレンがなるそうだ。結構ドンバンやっているらしい。振動で岩が崩れた個所もある。採石場がだいぶむこうになったが、岩はどれもモロくて、危なそうなものばかりだ。想像していた岩壁はない。モルタルがかかったような6mのフェースにボルトが連打されている個所があっただけだ。変だな。この谷の奥かな。登るには向いてないが、どこかの岩場からの下山ルートであることを期待して、ひどいドロの急斜面を登ってみることにする。スニーカーが滑ってうまく登れない。まてよ。フリーでは登ったらそのまま岩を降りるからこんなとこを降りたりはしないな。そうだそうだ。ここじゃない。やめて降りようとするが、滑って危なくモタつく。その時、ウーウーウー!サイレンの音。げげっ!!まさか発破?うわーこんな所でやられたら、岩がふってきたら逃げれない!完全にヤバイ!巻き添えだあ。あせりまくったが、何も起こらない。時計を見ると12時。なんじゃあ。昼飯の合図だったか。やれやれ。なんとか降り立って、引き返す。コンクリートに石がつんである。ケルンのようだ。踏み跡をたどると、おお。あった!ここだ。8mくらいの高さしかないが、石灰岩特有のかなり前傾斜した岩場が谷の奥まで50mくらい続いている。しかし、足元は浮石だらけの急坂で、なによりセマッ苦しい所である。クライミングの魅力の一つに開放感をあげていた私にはちょっとガッカリでショック。もっと広々したところで、もっと大きな高い岩だと思っていたのに。ここは、はたして1ルンゼなのか2ルンゼなのか。ルート図をみるがどうもわからない。ボルトがやたら打ってあり、どれが5.9なんだ?隣のルートとの距離が狭すぎる上、似たり寄ったりでこれといった特徴がないのでどれがどれだかさっぱりわからん。本のトポもひどい略図で、これじゃまったく役に立たないじゃないか。(こんな略図でも解るものなんだろうと思っていたが大間違い!)おーいだれかー、ここを知ってる人はいないかー。くそ〜。だれもこん。ううむ。たしかにデブの私にはエイダーがなければ無理なルートばかりだ。これが5.12くらいなのか。でも、たとえエイダーを持っていたとしても、私はこんなルート(岩)は登る気になれない。せいぜい一番奥の半鍾乳石になった所なら面白そうだなと思うくらいで、ほとんどのルートはこれといった魅力が感じられず、やたら数だけ多くて、まるでハイキングでいうツマラン登山道のクモの巣状迷路みたいで好きになれないからだ。しかも、これだけあちこちにボルトをうたれまくった岩は今まで見たことが無い。まるで前斜壁ならどこでもいい(困難なものならなんでもいい)という感じで、隙間なくナメつくされている。ここまでレベルがあがるとクラックやカンテといった面白そうな場所(弱点)はあえて選ばんというのか?!なんと皮肉な!)ここの開拓者はかなりスゴウデのクライマーなのかもしれんが、岩を人工壁と混同しているみたいだ。どうにも風情ダイナシで、ホントに山(岩)というものを分っているのか疑いたくなる。ハイキング版ではあるが開拓者のハシクレとして私にいわせてもらえるなら、基本となる山の面白さが(まさしく南博人さんいわくところの)“わかってないね。”である。まあ、初心者にはとても遊べないことだけはわかった。ここではこんな感じだと分かったうえで別のエリアをさがすと、あった。あった。ここは岡山エリアか?じゃあさっきのは2ルンゼ?おかしい1ルンゼがないぞ。ううん。どうなってるんだ。よくわからないまま、岡山エリアらしき岩場をみる。真中へんは初心者向けか。どこにでもありそうな林の中に埋没したささやかな岩場だ。これでは初心者もつまらないだろう。左端のツルツルフェイスにはリスがいっぱいあるが、当然ボルトが打ってある。私は、ついホンチャンならナイフブレードで充分なのにと思ってしまう。ログハウスに戻って、ムーブを試そうと人工壁にさばりつくが1手もだせない。カウンターバランスを思い出してなんとか1手だけ持ち替えれた。ハアと一息。岩壁を見上げる。それにしてもみごとな大岩壁だ。持参した双眼鏡で痕跡を捜してみるがワカラない。やっぱりここは登られていないのか?ううう。だめだ。私はやはりここでやっているクライミングは馴染めそうにない。すぐそばに、まれに見る絶世の美女(大岩壁)がおいでおいでしているのに、なんでオレはダッチワイフ(失礼!)なんぞに抱きついているんだ?ボルトで厚化粧した女もゴメンだ。オレはオレ好みの女(岩)でなきゃ、イケない男なんだあ!(もう半分ヤケ!我ながらなんて下品な表現!でも、気持ちはそのものズバリです。)なんとなく、今どきのフリークライマーがジムにしか行かなくなったもう一つの理由がわかった気がした。要は単純にいって“面白くない”からだ。ホントに、こんなものが、はるばる遠方からきて、順番待ちまでして登りたくなるルートなのか?!クライマーでもない私がここまでいうと、“悪かったな。オレたちゃこんなクライミングが好きなんだからほっといてくれ。お前こそこの緻密なムーブの面白さがわからん未熟ものがエラソーに!”なんてハラをたてる人が大勢いるだろう。でも怒りをかうのを承知であえていわせてもらおう。“クライミングの面白さを本当にわかっているといえるのか?困難さだけを求めるなら、どうにでもできる人工壁でやってくれ。思い入れのない多くのルートが、数少ない面白いルートをだいなしにして、ゲレンデをすさんだものにしていることが見てわからんのか。だいたい、本当のクライマーなら大事な岩をこんなふうにはせんし、こんなにされた岩は見たくないはずだぞ。”と。それにしても、まさにボルトだらけであった。最初はクラックの残置支点を減らそうとしていたのがなんだこりゃあ。人気エリアと賞賛されているのがこんなんじゃあ、ホントに困るぞ!“こんな風にすればいいのか。”と勘違いしたお馬鹿な開拓者があちこちの岩場をメチャクチャにしていないか心配だ。あちこちでゲレンデが閉鎖されているホントの理由がなんとなくわかる。(そうだ。“鷲ノ巣”だけは、ここの岩場みたいなフリークライミング場には絶対にさせないぞ。)クライミングを格段にレベルアップさせた功績のあるフリークライミングだが、急激な産業発展が公害を生んだように、その分だけ哲学に物議をかもし、軽薄なツッパリクライマーを増産し、お馬鹿な開拓者があちこちの岩を荒らし、日本中でトラブルを起こして次々に閉鎖されているという気がしてならない。蝙蝠谷のように再開に涙ぐましい努力をしている人もいるが、この分ではやがてすべての岩場が閉鎖されて、本来の(自然岩での)クライミングはオシマイになりかねないような気すらしてくる。開拓クライマーは結果的にクライミングそのものが自滅しつつある今の状況をもっと自覚し、なにがいけないのかマジメに哲学すべきだ。(それこそクライミング関係者全員が、多様化した今のクライミングをもう一度見つめ直さないといけない時期にきているように思えてならない。)私にいわせてもらえば、今のクライミングで元凶となっているのは、基本となる山(岩)の面白さ(風情)をわかっている人が少なくなっていることだと思う。あるいは今どきのクライマーの“間違った順番”といってもいい。クライミングならまずハイキングをし、岩(目標)と出会って登りたい気持ち(あこがれ)を持つことが、そもそものはじまりとなるべきで、(これは岩であれ氷雪であれ山スキーであれ沢であれ同じですが。)それから、それに応じただけの基本知識、哲学(心得)、技術、体力、装備を身につければよい。(“ふっる〜。”といわれそうですが、私のクライミングはホントにこれだけです。)平山ユージみたいに、よりいいスタイルで行こうなんていうのは哲学を究め、スタイルを確立したはるかサキである。まずはアルパインクライミング全般を習った上で、乾いた岩を究めたい人がフリーに磨きをかけるべきだと思っている。いくらイラストがうまく書けても、漫画家にはなれないのと同じで、いくらフリークライミングがうまくても、“山”を知らないのではただのツッパリパフォーマーのままであり(それでいいという人は論外。)、ビッグウォールで平山ユージのマネなど絶対にできはしない。彼は山の楽しみ方とクライミング全般(冒険哲学やマルチピッチのクラック登攀のプロテクション技術など)をよく知っているからこそ、あれだけのことが出来るのである。(そもそも、ただのツッパリパフォーマーと平山ユージが、どちらも同じ“フリークライマー”を名乗っているから、私はフリークライミングを勘違いして、悩まされていた。そして、私と同じ勘違いを今もしている人はかなり多いのではないかと思う。)そして、開拓めいたことをする人こそ、とことん“山”を哲学し、自分なりに確信できる“心得”を持っていなくてはならない。(サルマネはだめ!)なぜならその行動が重大な結果をもたらすからである。山を生かすも殺すも開拓者の“心得しだい”なのである。(正直これを書いていて、私がなぜ今までこんなにコムツカシイことを悩みぬいていたのか、その理由が今わかりました。)おおっと。かなり横道にそれてしまった。話をもどす。用瀬嶽を後にして町役場にいく。どれくらいクライマーがきているのか聞いたら、平日はゼロだが、休日は結構きていますとのこと。どれくらいかきくと、この前の連休には車が15台も止まっていましたとのこと。(こんなものなら、数十本ものルートはいらない。似たり寄ったりのしょーもないルートはさっさとボルトを撤去し、“傑作選”にすべきである。)やれやれ。平日でもタヌキなおじさん(私よりも腹がでていたが、カンテをみごとに越えていた。)が取り付いているウチの鷲ノ巣の方がまだ人気があるではないか。最後にあの大岩壁は登っていませんかときくと、ごくマレに登っている人もいますとのことであった。(なお、“川エリア”も対岸からみたが、これまた想像以上に小さな岩場でよくわからなかった。)芦屋ロックガーデンから始まった“私のクライミングを知る旅”は、最新のクライミングエリアでクライミングの危機を感じて終わった。(それにしても、ユージの記事を読んで感動したのとはえらい違いだ。)ついでの目的地である成羽天神山にむかう。ガイド本“中四国の山”に紹介されている県南を代表する岩山である。どんなものか見たい。登山口には駐車場がある。案内板を見ると山頂までの車道が書いてある。時間がないので、車でこれを行くことにした。西江邸のところを左折し、細い道に入る。覚悟はしていたが想像以上に細い道が延々と続く。対向車がきたらマジでお手上げだが、運よく通過できた。半分以上登ったところで案内板のある分岐があり、道が広くなる。トイレも設置されている。左の谷の向うに凄い岩壁が現れた。おお。いいじゃないか。高さは100mくらいある。まてよ。これでは歩くより車でこっちを来た方が正解ではないか。ううむ。ずっと舗装された道で、山頂には広場があり、車が10台くらいは止められる。15時。鎖の手すりに導かれ、和気アのにおいがする鈴振り嶽に登る。ここから見る岩壁もなかなかだ。とくに尖った岩峰がいい。ただ、その岩峰めぐりをするルートが整備されてないのが悔しいところだ。探鳥道なんていらないから、ここにしかない岩場めぐりの道がほしい!と思った。この山はまだまだ本当の面白さを登山者に分かってもらえていない。地元登山家の活躍に期待しよう。帰りは分岐を成羽ダムの方にとる。すぐにセンターラインのある太い道になった。こっちからならバッチリじゃないか。こりゃあドライブ登山の山だ。(なんか複雑。)ずっと来た道を総社までもどった。時間は4時半。まだなんとか明るいから思い切って豪渓に立ち寄る。紅葉の名所で、奇岩が楽しめるらしい。だが、落石で途中までしか行けなくなっているらしい。まあいいや。行けるとこまで行ってみよう。駐車場に止めて歩きはじめると紅葉が綺麗だ。柱状の岩が見えはじめたが、これからが見所という手前で歩行者も通行止め。くっそー。まあいい。だいたい雰囲気は味わえた。夜7時 帰宅。なにか無茶苦茶疲れた。

11月30日:上のコラムをウンウン悩みながら書きあげた。あまりに痛烈な内容に、自分でもここまで言っていいものかと悩み抜いた末のことである。私自身まだ未熟であり、あれやこれや正しいつもりでとんでもないことをやらかしていないか不安になる。(どんなに考えても正しいかどうかは先にならないと判らないものですが。)開拓めいたことをする者は、この不安をかかえながら、ひたすら山を哲学しつづける定めにあるのかもしれない。(正直にいって、私は尊敬する偉大なる山の先人達から“お前もわかってないね。”といわれるのが怖いのです。)さて、夕方から松茸山の閉鎖トラロープを回収してまわる。また半分くらいしかできなかったが、明日は早朝から続きをしよう。今年は天候不順で、紅葉がきれいにならないなあと思っていたら、今頃キレイになっている木が多いではないか。これならかえって登山者にはうれしいことになったなと思っています。

困難と面白さ:雑誌で見ると、用瀬嶽にかぎらずフリークライミング用のゲレンデはどこもやたらルートがひしめきあっているようです。これらが、開拓者が整備完了したあとで、功名心にかられたバカな輩によって隙間にボルトを打たれてしょーもないルートを付け足された結果だとしたら大変な問題です。バカをあおるように、許可をもらわずにやってもいいというようなことがフリークライミングの本に書かれていたことこそ、そもそもの間違いだったのですが、開拓者は地主に許可をもらう時、他の人には自分に相談無しにはイジレないようにお願いしておくべきでした。そうすれば、知らない内にボルトが打たれていたら、地主許可無しの違法行為として遠慮なく撤去できたのに。やはりルートというものは岩というキャンパスに描かれた“芸術作品”とみなされるべきで、その岩にイタズラすることは器物損壊以外のなにものでもありません。岩場開拓では、まず実際に初登したルートが1つ。(できるだけ中央にあるのが望ましい。)つづいて、クラックやカンテなどの特徴ある部分に個性豊かなルートがそれぞれ1つづつといった具合です。あとはたとえ面白そうなルートが作れそうでも、(ムーブが違うからというだけでは、岩はボルトだらけになりますので、)先に作ったものと同じシチュエーションで、わずかでも面白くなければ茶を濁すだけですので、あえて作らずにおきます。これならルートの判別がしやすく、登る側も製作意図(開拓者の哲学)を理解しやすくて、風情も損なわれずに作品をマジメに味わう気持ちになれます。かつて、たいていの初登ルートは、地形(岩)の弱点をつくように引かれていました(この弱点を巧みにつく面白さこそがクライミング(山)の面白さであるわけで、南博人さんはより面白いものにするために、わざとトラバースなども入れて見所満載の仕上がりにされていました。)が、現在のようにルートグレードなどレベルアップがすすめばすすむほど、およそ弱点のない所をトップロープなどで試登を繰り返してムリヤリ登ってルートにしています。でもハイレベルな立場からいえば、“こういうのを練習して突破することこそ面白いこと(意義あること)じゃないか。これを理解しないのはクライミングを後退させることだ。”となります。たしかにこれは進歩(クライミング技術向上)という意味では一理ありますが、あらかじめ支点を設置したりせず、自分で支点を設置しながらグランドアップすることこそクライミングである。とカタクナに思っている時代遅れの(あえて時代に逆行している)私には、なんか行き過ぎてるようでなかなか馴染めません。(まあ、私だけかもしれませんがね。)クライミングのレベルアップのためにという想いは立派ですが、“皆が喜ぶ面白いものを。”ではなく、“なんでもいいからハイレベルな(困難な)ものを作りたい。”という考えでルートを作ってしまうと、すぐそばに素晴らしいホールドやスタンスがあっても、あえてそれを無視して引かれたものになりがちで、なにか“ユガミ”を感じてしまいます。はっきりいって困難なだけのルートを作るのは面白いルートを作るより遥かに簡単であり、それなりの岩があればどこにでもドンドン作れます。そして、これら歪んだ感じで似たりよったりのルートをいくつも作って氾濫させてしまうと、特徴もないためルートの名前もつけにくくなります。(実際、用瀬嶽には眉をひそめるような下品なルート名が多いです。とても名前負けしないように謙遜したとはいいがたく、面倒臭がってテキトーにつけたとしか思えません。これでは岡山県のクライマーの品位までうたがわれてしまいそうです。)だが、むしろそうして作られたルートの方が難度だけは高いので、やたら完登グレードをはりあっているだけの今どきのフリークライマーには受けがいいようです。(たんなる競い合いなら人工壁の方が思う存分できますし、どうしても岩でしたいというならボルダリングが装備もいらずボルトも打たずにオススメです。)でも、自然の岩場をこんなルートばかりで荒んだものにしてはいけないのです。実際にかなり難しいですが、フリークライマーとしてクライミングに“美意識”を持って、困難さに報いるだけの面白さのあるルート作りを目指してほしい。私も“他人のフリ見て我がフリ直す”で、だんだんルートだらけになっている和気アを単なる“クモの巣迷路”にしないように、新ルートに個性をしっかりもたせるだけでなく、難度が高いルートも、(正直、なんでもいいからメチャクチャハードなルートを作ってやろうなどと考えていましたが、)困難さに報いるだけの面白さのあるものにすべく頑張ります。これからも困難なだけのルートは絶対に作りません。

くどいですが、言い足りないので:フリークライミングのゲレンデにされている岩は、大きさもあまり大きなものは無く、どれも小さめなもののようです。(ほとんどボルダーにちかいものすらあります。)腕力にたよっている以上、長いルートは苦しいのと、ロワーダウンするためにもハーフピッチ以下のこじんまりした岩の方がいいようです。それでいて今のハイレベルでは、どこにでもルートを設定できるので、つい過剰にひかれがち(隙間があれば誰かに割り込まれそうで、どうせやられるなら自分がやっちまおうという感じなのかもしれませんね。)で、ルートが小さな岩をナメ尽くすようにボルトだらけにして風情をだいなしにしているようです。いかに練習場といえど、自然の岩場はどれもホンチャンの大障壁と同じように風情を大切にしてほしい。“岩をより楽しむ”とはどういうことかクライミング美学を追求している“真のフリークライマー”ならわかっていますよね。自分の手足だけで登ることだけでなく、岩をむやみに傷つけないこと。(忘れちゃダメですよ。)そう。ルートは数より内容です。気にいった岩を発見し、地主の許可も得たので開拓することになった場合、はじめは10本くらいルートが出来そうだと思っても、あまり大きくない岩で、やるとボルトだらけになってしまいそうなら、単純に直登するのではなく、トラバースをいれるなどの面白いシチュエーションを組み込むように工夫して、4〜5本に厳選すべきですあくまでも“おいしいとこ取り”を心がけ、“いかに隙間なく岩のあらゆる部分をナメつくすか”というような考えは絶対にしないことです。下手なルートをあちこちにたくさん作るのは、恥をさらしてまわるようなものですよ。オレは傑作ルートしか作らない。数は少ないけど、どれもハズレ無しの傑作ぞろいだぜ!”という芸術家魂(クライミング美学)をモットーにしてください。私自身、“フジモトの作ったルートはどれも面白いなあ。”といわれるように、かなり意識して面白いルート作りをしております。万一、ツマらないルートを作ってしまったら、なにより相棒の和気アに悪いし、ファンの皆さんもガッカリさせてしまいますもんね。ハズさないように、結構気をつかっているんですよ。

スキー:バリバリの山男だったオヤジ(71歳の現在でもスキーをしています。)のせいで、私は物心ついた時からゲレンデスキーをさせられていました。革靴にジルブレッタのワイヤービンディングで、板は木製ストックは竹製でした。(現物を蔵で発見して今更ながら驚いています。)開放機能がないので足首をひねって泣くことがよくありました。ウエアーも一重のナイロンヤッケに、オフクロの手編みの毛糸の帽子と手袋といういでたちでした。こけるとびしょ濡れになり、冷たくて泣くばかりしていました。(ホント小さなボクにはリフトに乗るのも怖くてツラかった。)いまではカチカチのプラブーツとよじれにくいカーボン板の組み合わせによるカービングスキーが主流(革靴と木製板では、サイドカーブの大きいスキーはコントロールできなかった。)で、ターンが簡単にでき、開放機能もあって道具の進歩は目をみはるほどです。形状もショートタイプやボードタイプなどいろいろな種類が増えています。(毎年いろんな変わったのが出てくるので、正直なところ私はついていけず混乱状態に陥っています。)雪山をスノーハイクしていて山スキーをやりたくなり、ショートターンを練習しました。本格装備は一式20万円くらいするので、とりあえず今は4万円のショートタイプの山スキーです。(フリートレック。私が山スキーをしようと思った矢先に登場し、飛びつきました。かなり短身幅広なファーストモデル(娘用)と現在の軽いサードモデルの2つを持っています。)私は歩きやすいテレマークより、アイスバーンにも安心なアルペンタイプの方が好きです。(単にウデがヘタだからといえばそれまで。)クロカンはすごく軽くて登るのは軽快だが、降りれない(鏡ヶ成でレンタルしてわかった。)ので買うのをやめました。(でも平坦コースなら最高の雪上歩行器です。登りにだけ使って、担いで降りるのも手です。)それにしてもこのショートタイプの山スキーはホントに優れものです。軽くかさばらず、林の中でもOK。怖いくらいの急坂もターンしながら降りれます。ショートの苦手とする深雪も、幅広の形状でなんとか滑れます。スキーにシールをつけてスライド歩行するのは、いちいち足をあげて歩くスノーシューよりはるかに楽チンかつスピーディーです。しかも登りではステップを前方に移動するため、スノーシューのようになり、キックターンがしやすく、かなりの急坂をそのまま直登できます。また、出歯アイゼンをプラスキー靴(歩けるように後が開くリアエントリータイプで、1万円の安物ですが、高価なものよりかなり軽い。履き心地が悪かったが、靴敷きをいいものに交換するとよくなった。)にあわせると、これがアイスバーンをつま先立ちでホイホイ登れ、“もう雪山はこれのもんだな。”などとすっかり横着モンになっています。しかし、いうまでもなく、ゲレンデスキーから山スキーへの移行はすごく大変でした。(クライミングの方は最初から鷲ノ巣というゲレンデとホンチャン(?)の“和気アの崖壁”を平行してやっていましたが、もし、ゲレンデより前に人工壁からはじめたクライマーが、スポーツクライミングからホンチャンの冒険クライミングへ移行しようとしたら、おそらく同じくらい大変でしょうね。)なにせ雪山の全てが分かっていなくてはならない上で、お荷物のスキーを持っていくのですから。でも、ゲレンデのすぐ外くらいなら、(用心はしないといけませんが)大げさに考えなくてもOKです。実際のスキーツアーでもゲレンデのリフトを利用したり、ゲレンデ周辺の冬季閉鎖車道や林道を歩く初心者向けのものが結構あります。

整備状況:12月10日現在、松茸テープはすべて取り切りました。まだ丸山と鷲ノ巣とチンネ・スラブ周辺の点検ができていませんが、中旬にはすべて整備完了する予定です。また、ザイテンや北稜の岩場の黄ラッカーがかなり薄くなっているので上書きします。道標も板が黒ずんで読みにくくなったものが多くなっていますので、適宜交換していきます。じつは今回は、去年より若干松茸テープが多く張られていました。実は温泉新道の閉鎖トラロープがはずされており、入山禁止を守らなかった人がいたようです。地主が怒ったのかもしれません。(和気富士登山口ノートには遠方から来たが、入山禁止を守って引きあげた方の記述が結構ありました。すみません。そしてありがとう。)身におぼえのある人は身勝手が皆の楽しみをうばう大変な結果になることを反省してください山は地主の温情で歩かせてもらっているのです。バカなマネはつつしみましょう。違反者は山のキマリをもっと勉強してください。(このままでは遭難予備軍ですよ。)書籍も入山禁止時期を間違えているものは訂正してほしいです。(ヤマケイさん。大山の縦走ができなくもない記述と、フリークライミングの地主の許可無しに開拓していいような記述も訂正すべきですよ。)また、夏に清掃登山された方がおられたのか、ゴミが落ちていませんでした。(穂高、涸沢周辺で空き缶を拾ったくらいです。) どなたかは存じませんが、感謝いたします。(あー怒ったり感謝したり忙しい。)また、登頂プレート撤去から特別免除いただいているイノシシプレートではありますが、涸沢峰のカラピーだけでなく、烏帽子岩のエボピーも行方不明になっておりましたので、新規作成してつけておきました。(イノシシプレートの愛称はゴンピー、ハゲピー、フジピー、テラピーとつづきます。どうぞよろしく。)なお、神ノ上山頂に設置したラティスですが、登頂プレート廃絶運動のためかあまりフダがつけられておりません。神社の絵馬みたいにならないかと楽しみにしていたのに意外でした(でも、これが正解ですね。)ので、来年1月末日をメドに撤去し、(現在つけられているフダは私が大切に保管いたします。)かわりに登頂ノートを設置いたします。コウピーだけでは淋しいので、ノート保管用の場所として風情のあるポストみたいなものを設置する予定です。

点検終了:12月17日、屏風岩トラバースルート、チンネ・スラブルート、鷲ノ巣、丸山ルートの点検をし、全ての登山道の点検を終了しました。屏風岩トラバースルート、チンネ・スラブルートはコースサインの黄ラッカーが薄くなっていたので、上書きしておきました。鷲ノ巣は思ったよりしっかりコースサインが残っていましたが、アプローチが薄れていました。ペンキ切れで上書きできなかったので、いずれ北稜ルート、ザイテン共々コースサインを上書きして整備終了とします。特筆すべきは、いつの間にか山の学校に和気アルプスの案内板(温泉新道口にあるのと同じです。)が設置されていたことと、丸山ルートがシダに覆われていないか気になっていたのですが、逆に完全に下刈りされてメインルート並に太くなっていたことです。つい最近 刈られたようですが、地主さんが刈ってくれたのでしょうか。どなたか存じませんが、ありがとうございます。それから今日は鷲ノ巣で和気中学の男子生徒約10人と出会いました。運動部の練習として鷲ノ巣南端ルートに挑戦したそうで、みんな想像以上のスリルに歓声をあげていました。昨日はチンネ・スラブルートを登ったとのこと。和気閑谷高校のサッカー部が竜王山から和気富士をランニング縦走しているのは知っていましたが、中学生にも利用してもらって満足です。(最近の若者をクサしていましたが、なかなかハードなことをやるじゃないかと、ちょっとは見直しました。)これからも一人でも多くの子供達に、自分の故郷にはこんな面白い山があるんだということを知ってもらいたいです。なお、中学生には別行動で3人ほど、チンネ・スラブを下降するツワモノもいました。大丈夫かなと丸山から見ているとスラブの反対側を降りているではないか。“そっちじゃないよ。”と大声をすると聞こえたらしくモソモソして林に姿が消えました。心配になって下山し、宗道池から車で移動して山の学校に向かうと、林道で頭に薮ゴミをつけた3人を発見し ホッとしました。ワザとルートからはずれて、自分たちだけの新ルートを模索したかったそうです。やれやれ。緊急事態なのか計画通りなのか登山者の行動は他人には判り難いものです。他人の予定を聞いて、“え!?ムリだ。”とは思っても、“スゴイですね。がんばってください。”と、ひややかに接してしまいがちな登山者同士の心理の微妙さに思いをはせてしまいました。登山者(ハイカー)は、たとえ他人から“スゴイですね。がんばってください。”といわれても、そこになんらかのひややかさを感じたら(感じ取れることが大事ですが。)計画や現在地を再確認すべきです。この微妙な雰囲気のわからない人は登山はしない方がいいということでしょうか。特に、初心者には山のムズカシイ一面として知っておいてほしい心得のひとつです。

雪の和気アルプス:12月20日、珍しく大雪が降り、10センチほど積もった。たまたま休みだったので、長女をつれて和気富士に登ってみました。どんより曇って写真うつりがよくないですが、寺山から見た積雪の和気アはなかなかでした。(写真はこちら。)下山中に天気になり、木についていた雪はすぐに消えてしまいました。なかなかいい写真というのは撮れないものですね。ああ、いいデジカメがほしい。

整備完了:12月30日、全ての登山道において、コースサイン、岩場の黄ラッカーと道標の上書き、倒木の除去等の整備を完了しました。不思議なくらいどのルートにもゴミが落ちておらず、かなり徹底的な清掃登山がされたようです。ううん。ありがたいような、ちょっと怖いような。和気アには、かなりの熱烈なファンがいるようです。(私といえどヘマをすると怒られそうです。)なお、丸山から見えている鷲ノ巣手前の岩場(命名:燕岩 つばくろいわ)を確認しました。なかなかの展望ですが、すぐそばに鷲ノ巣やチンネ・スラブがあるため展望所としてはどうみても役不足です。これを整備するとしたら、たんなる展望所としてではなく、脇のブッシュを下降しスラブを登り返して岩登りが楽しめるものにすべきでしょうね。縦走してきたハイカーにとって、鷲ノ巣はもっぱら上から見下ろすだけのものですから、クライミングごっこがしたくなった縦走ハイカーの欲求に応えるような立ち寄り場所にしたいです。

新年の1月中にはこれと御大師山(丸山のひとつ先の山で、御大師様があり岩場を下降して下山できます。)を整備し、5月のGWまでには東壁のリッジルートピラールートならびに(できれば)仮称オベリスクルートを整備したいです。(おおっと、また早すぎる予告をしてしまった。)お楽しみに!

これより04年。

アクセスついに10000!:04年1月2日、ついにHPのアクセスカウンターが1万件になりました。感激です。(よくまあ、3年たらずでここまで多くの人に見てもらえたものです。)これからは、バカなボヤキは控えて、もっとマトモなHPにしていかなくてはいけないと思っています。(そういや何べんこのセリフいったっけ?ううう。もはや期待しないほうがいいですね。うん。)ここのところ、私はやたら哲学的かつ批判的なことばかりボヤいており(とりあえず、今の段階でのいいたいことは全部ぶちまけているので、しばらくは批判的なことはボヤかなくて済みそうですが。)、気難しくイジケた人間と思われているかもしれませんね。ホントはだれも批判などしたくはないし、他人は好き好きであるのもちゃんと理解しております。しかし、山を知り山に対する想いが強くなればなるほど、かつては許せたことでも“それは間違っている!”と、批判せずにはいられなくなっているようにも思えます。(たたきあげの山屋にはやたらクチが悪く、なにかにつけ妙に批判的な人が多いようですが、こういうものなんでしょうかね。)とにかく、他人を非難すればするほど自分を非難されるようにしむけているようなものですので、あまりムキにならず、たとえハラワタが煮えくりかえっても、“わかってないね。”の一言で許せる心のおおらかな人になりたいです。

裸足のクライミング:最近海外では肘や膝にもフリクションのきくラバーを装着しているクライマーがいるらしいです。しかし、こうあまりラバーに頼ってしまっては本当に手と足だけで登っていることにならないではないか。真のフリークライマーのあるべき姿は、足は裸足で、手指にテーピングもせず、チョークもなしで、半そで短パンで肘や膝をサポーターなしにむきだしているものではないだろうかなどと、かなりヒネタことを考えてしまいました。さらにクラック登攀で、体のあらゆる部分のフリクションを使うならフルヌードであるべきかもしれない。(我ながらゲゲッ!女性は困ったですね。)そして、もちろんロープなしのフリーソロであることはいうまでもなく、せいぜい持っていいのは汗ふきタオルくらいというところでしょうか。ううむ。こうなると、足先を鍛えるのが最優先になるし、完登グレードもいっきにさがってしまうでしょうね。形態としてもボルダリングが限界かもしれません。でも、やたら完登グレードばかりはりあっているクライミングより、有意義ではないでしょうか。クライミングはまだまだ流動的ですからね。そのうち、足先のトレーニングもマニュアル化され、裸足のクライミングが当たり前になる時代がくるかもしれませんよ。じつは近所の方がメールをくれた中に、“子供のころ、烏帽子岩で行き詰まり、1時間くらい震えたあと、裸足になってクライムダウンしました。”というのがあったのです。なるほど。裸足なら足探りでスタンスをひろえます。登山靴(私はたいていズックですが。)で岩登りしている場合、“行き詰まったら靴をぬいで降りる。”というのも一つの方法ですね一見危険そうな裸足のクライミングは、かえって安全なのかもしれません

人工物:“ルートには廃道になったら痕跡が残らないように、人工物は一切つけない。”とヤマケイJでいっておきながら、実際はコースサイン(金テープ)、道標、黄ラッカー、トラロープ、はては鎖と、はでに人工物をつけまくっています。特に難度の高いルートほどいろいろゴチャゴチャつけています。八ツ峰岩の取り付きも手前下段部分には、鎖はなくてもよかったのですが、“いきなり鎖で始まるルート”なるものを作りたかったのでワザとつけて“演出”しています。大屏風までの下降路の岩にも鎖をつければなんでもないのに、モロい岩をわざわざ削ってスタンスを作り、ワザとトラバースさせるように“演出”している部分があります。これなど階段はつけないといっていたのを完全に裏切っておりますが、面白い演出をしようとしてのことです。大屏風の取り付きも、ちょっと困難な感じだったので、12月にトラロープをつけ加えました。(谷越えの部分はあくまでガイドロープであり、落ちてつかまっても役にたたない“気休めロープ”です。)でも、このルートは面白さより困難さが勝っているような気もしておりました(これでは私の哲学では“失敗作”となります。)ので、ルートの仕上がりとしては“気休めロープ”でも怖さを抑えるためにあった方がいいと思っています。登山者にとって少々“困難な”のはいいいが“難解な”のは面白さを失わせトラブルの元になるので、最初に言ってたことと実際が違うけど、コースサインなどの最低限の人工物は許してほしいということと、恐怖を抑制するためや楽しい演出をするためにワザと公約違反をしている部分があるということも御了承ください。(もちろんやりすぎて山の風情を破壊しないように気をつけます。)なお、内容がフザけているとして撤去された“ミステリーホール”のフダも、マジメなフダを作ってつけました。はたして撤去されずに済むかなあ。“許す。許さない。”の境界線をどこで線をひくかは、人それぞれで感覚的かつ気分的なものでありますが、石頭にならず、“山を楽しむ気持ち”をわかってほしいです。(かくいう私もフリークライミングに悩まされて、ガチガチの石頭になりかけておりましたが、全てを吐き出して、すこしは冷静になり、なんとか自分らしさをとりもどしつつあります。)

今思えば:以前、用瀬獄フリークライミング場をボロクソに言ってしまいましたが、初めて見た時のイメージがあまりに期待していたものと違っていたので、幻滅して悲観的な見解をしてしまったのかもしれないと、気がかりになってきています。(どう考えても、私はクサし過ぎている気がする。なんでここまでクサしてしまったのか今一度確認したい。)だいたい、すごくいいかげんな略図しかない本にたよっていたのも失敗だったと思っています。今回、詳しいトポの載った本をコージツで発見したので、これを買って、もう一度 用瀬獄フリークライミング場へいき、不明だった1ルンゼやルートの同定をし、(できれば川エリアも見たい。)あらためてルートのあり方や風情といったものをじっくり検証してみようと思います

作り変え:八ツ峰岩は、頭から先が凡化するのはチンネと同じですが、先日、ラストのお墓に出る所を少々手前に作り変えました。(かつて北稜ルートも取り付きを変更したことがあります。)そして、じつは、もう一つ作り変えたい部分があります。それは小屏風の取り付きです。バラすと、当初はもっと奥ノ峰山頂近くから岩場に下降するつもりでしたが、時間切れで途中できりあげたのです。えらく短いけど本命の大屏風へのウデ試しとしての“前座”ということでいいかと、自分をなぐさめていました。でもこのままではいけないという想いが強くなっています。大屏風の上に崖っぷちのトラバースという演出を楽しめるルートを作りたいというだけで作った遠回りで困難な ある意味で“意味が無い”ルートですから、面白さをもたせないと本当に意味がないんです。すぐに終わりじゃあツマラない!正直ちょっとハズしたなと思っている人も多いと思うので、当初の予定ルートを作りたして満足できるものにすべく、新(真)小屏風入り口を近い内に作ります。(ああもう。硬くなり過ぎた頭をほぐすだけでも大変なのに、よくもまあ次から次へといろいろやることがわいてくるものです。)

クライミング雑誌:何冊か持っていますが、今まで技術的な部分しかロクに読んでいませんでした。あらためていろんなコラムをジックリ読んでみると、国内で最難関のルートを開拓している小山田大や、世界で5.15を初登したクリス・シャルマや国内最強ボルダラーの室井登喜男など一流のフリークライマーの哲学が、みんな“グレードを追求するのではなく、楽しさを追及する”というもので、今まで私がウンウン考え抜いたことと全く同じだったのには驚いております。(中にはまるで私がこの雑誌記事を見てたんなる“受け売り”をしていると思われてしまいそうなコラムもありました。でも感激です。)ただ違ったのは彼らが私よりもクライミングの多様性にず〜っとおおらかだったことです。私の“時代に逆行した古風なスタイル”は、今のフリークライマーには(特に最先端をいく人にはなおさら)認めてもらえないだろうと思って開き直っていましたが、とりこし苦労でした。(ホントほっとしました。さすがに一流といわれる人は寛大ですね。)私も、いままで気嫌いしていた今どきのフリークライミングとそれに伴う様々な事柄でも、ちゃんとした哲学を持って真剣にとりくんでいる人がいるということをあらためて実感し、クサした自分が恥ずかしくなりました。また、以前非難していたフランスのフリールートにつけられたルート名の標記も、中には真剣な芸術的力作もあることを知り、ヤンキーの落書きと同じとして一概には非難できないと思いました。(だいたい私の設置したイノシシプレートが容認されているのですから、私ももっと寛容であるべきでした。)要はたとえ哲学をみがいても、石頭にならず、おおらかであれということでしょうね。とりあえず、石頭になって今までに非難したことをここで、陳謝します。でも、(怒りをかいそうですが、)いままでの非難してきたコラムは多少改訂しますが、一つの私の意見として消去せずにおきます。そもそもこのページは私自身が自分の考えをまとめるために書いているものですので、(たとえ間違ったこととして私自身恥ずかしくても)時間(状況)とともに変動して紆余曲折した過程の記録として残しておきたいからです。

遅れ馳せ踏破しました。:1月17日、ルート整備に時間がたりず小屏風のルートを途中で切り上げ、テスト踏破もできずに開催して気になっていた“ウリピー=ジョーンズ 奇跡の水を捜せ”のイベントルートを、オハヨー山岳会のメンバーをつれて9人で踏破しました。(本来は県北の恩原高原で雪遊びをする予定だったが、天気が思わしくないのでヤメにした。)以下その山行記録。朝8時 鵜飼谷温泉に集合。鳥取の天気がよくないことから和気アのハイキングに変更することを皆に告げる。皆は雪遊びを楽しみにしていたのでガッカリしたようだ。しかし、今回のハイキングコースはスゴイ内容なので充分満足できるだろう。まず、車に相乗りして昼飯の買出しにコンビニにむかう。極力軽量化を図らなくてはならないので、全員食事はすべてパンかおにぎりにした。Kさんはマリンブーツしかもってきていなかったので、メガマートで運動靴を購入する。スタートになる八ツ峰岩まで移動する。9時前 いきなり鎖場からはじまる。岩を攀じ登ると早くも歓声。だが、これは単なる前座である。続いて第一の関門の天神尾根の直登。ツメの40mが斜度40度の岩壁で、普通のハイカーは登ったら引き返せない。皆勇敢に登りきる。余裕である。これなら大丈夫だと思ったので、まだ作りかけの新ルートを試しに歩いてもらうことに決めた。第二の関門の屏風岩トラバースルート。ただですらハードなのに、手前にさらにハードな新ルートを添付された格好になったが、それでも皆ちゃんとついて来れている。たいしたものであるが、やはりこれはハードすぎる。切れ落ちた部分にピトンでスタンスを作ったり、下降用のガイドロープをつけないと危険すぎることがわかった。(皆モルモット役ご苦労さん!)続く大屏風をトラバースして奥ノ岩で小休止。尾根を越えて第三の関門のザイテングラードを登る。途中でSさんの足がつってしまったが、なんとか登りきり、12時 剣峰で昼食。なだらかな林の中を神ノ上山頂まで縦走し、しばし休憩。北を見ると那岐山が晴れてよく見えている。それどころか天神山ごしに大山らしき雪山(またいつか双眼鏡で確認したい。)まで見えるではないか。“しまった。これなら恩原にしときゃよかった。”といってもあとのまつり。くそ〜天気予報ハズレじゃないか。これから向かう第四の関門のチンネ・スラブの下降は第五の関門の鷲ノ巣の登攀とセットで、短いながら極めてキツイので、娘とSさんには先に鷲ノ巣の上で待っていてもらうことにした。チンネ上から鷲ノ巣の2人に手をふりながらスラブを急降下し、つらい登り返しのすえ鷲ノ巣を登攀してなんとか合流する。Kさんは疲れて、岩上でダウン。全員なんとか尾根づたいに下降し、14:25宗堂池におりたったが、ツラそうな人がいるので、5人のみ最後の鵜飼谷北稜ルートにむかうことにして、残り4人はこのまま下山することにした。リタイア組に登山口の車を温泉まで回送してもらうことにして“1時間後に温泉で。”といって奥ノ峰に登り返すが、さすがにバテかけていて休み休みの進行となる。バテのせいか最後のザレが妙にいやらしく感じたが、なんとか30分遅れた16時になって温泉に下山し、リタイア組と合流する。無事解散。みんなは温泉に入って帰る。それにしても歩行時間も距離もたいしたことないくせに足がガクガクだ。皆も面白くてもバテて楽しめていなかったのではと気になった今日は寒すぎるくらいの1日であったが、かなり汗をかいて一人1リットルの水がいった。また、まずシリモチついて手足をケガするので、カットバンが3枚ほど必要なことと、あとはパン おにぎりと行動食(アメ)だけで装備は充分であることくれぐれもよけいな持ち物はもっていくべきではないことを痛感した。(ううむ。自分でいうのもなんだが、つくづくなんともひでえイベントこれを踏破して“いやー楽しかった。”といえる人はスゴイと思います。たいていの人はこんな低山でボロボロになったことに屈辱を感じるでしょうね。でも岡山県内で山岳トレーニングするとしたら最高クラスの内容であることは確信しました国体強化選手の方に“貴方のためにあつらえたようなイベントです。”といってやりたいですね。)

私なりのクライミング定義:クライミングにはいろんな楽しみがある。どの楽しさをより追求するかで、クライミングは多様化してくる。よくいわれるアルパイン(ホントは氷と岩のミックスクライミングのことですが、日本ではエイドクライミングのことになっています。)とフリーの2つを私なりに定義すると、スキーでいうなら山スキーのように、巨岩や奇岩、ハイキング道からは見れなかったものが岩場からは見れるといったことなど、広大な山の自然を楽しむために、たとえグレードは低くても危険なのでクラックなどの岩場の弱点をつきながら、エイダーやフリーソロなどあの手この手を柔軟につくして踏破するのがアルパインクライミング(どういわれようと私自身はこれこそ“本来の”山登り(クライミング)であると思っており、沢登りはまさしくこれそのものなので大好きです。)で、ゲレンデスキーのように安全を確保した上で、ハードなクライミングムーブを楽しむのがフリークライミングである。ただし、フリークライミングは2タイプに分けることができると思う。一つはアルパインの流れをくんで、平山ユージみたいに既存のアルパインルート(ビッグウォールなど)を最低限のプロテクションだけでよりいいスタイルで行こうとするもの(これがもともとのフリーで、最も理想のクライミングです。)で、ある意味ではアルパインやフリーといったしきりを超越した“ザ・クライミング”というべきものかもしれません。(ただし、ユージは自称“職業クライマー”で、徹底したハードトレーニングの上に成り立っているので一般の人にはここまでマネはできないでしょう。)もう一つは単なるスポーツとして、手軽なフリー専用ゲレンデで完登グレードを高め自身のレベルアップを求めるもので、ハイレベルなものは、スキーでいうモーグルみたいなものといってもいいかもしれません。短くてハードなフリー専用ルート(ハードなものほど短いようです。)をロープを使用してのボルダリングみたいに登っています。以前のクラッククライミングはすたれており、現在ではかぶりのきついフェースルートがゲレンデになっています。これらは、あらかじめボルトが設置されていなくてはならず、手付かずのルートを自分でプロテクションを作りながらグランドアップするもともとのクライミングとは完全に別のものであると思っています。ユージみたいなエキスパートにならない限り、こういったフリーはお膳立てなしには成立しない上、スポーツとして大勢でワイワイやりたがることなどから、ゲレンデはやたらとルートがひしめいて、ボルトだらけの風情のないものになっているようです。(スキーゲレンデも大規模な自然破壊で出来ています。)こういったものを作った開拓クライマーはムーブの面白さのみを追求するあまり、自然の風情など考えていなかったのではないかと思っています。(ここが、私の嫌いな所でした。)また、よくアルパインは人工物を登っていて自然の岩を登っていないと批判されがちですが、“靴も道具だ。ホントのフリーは裸足でやるべきだ。”といえばいえなくもないのです。自然に対して心技体を鍛えるだけで挑むのはどうしても限界があります。(ユージはあえて挑んでいるようにも思えますが。)要は、どこまで人工物(道具や人の手を加えること)を認めるか、その線をどこに引くのかでクライミングはこれからも変わるでしょうね。(そもそも野生動物ではない人間は山で行き詰まれば遭難します。人にとって自然はあくまでも恐ろしいものであり、面白いものではありません。これを面白いものにするには道具を使うか、ある程度の人の手が加えられていなくてはダメなのです。エキスパートでないかぎり、山の自然を楽しむにはなんらかの“お膳立て”が必要なのです。)

登頂ノート:神ノ上山頂に02年4月1日から設置していた登頂プレート掛けのラティスを04年2月1日に撤去しました。ついていたプレートは10枚程度しかありませんでしたが、中には悲しくなるくらい“想い”の込められたものがいくつかあり、私はなんでこんなムゴイことをしているのかと心が痛みました。この気持ちは、代わりに設置した登頂ノートのはじめに書き綴ってあります。(ひどい乱筆ですが、ノートの字を見れば雰囲気は感じてもらえるでしょう。かなり本音の感情ムキ出しの内容になっています。冷静になれば恥ずかしいくらいですが、当時の私がどれだけ苦しみ悲しんだかという証拠としてあえて残しておきます。)この世は○と×は少なく、△のほうがはるかに多いのです。これをムリヤリ○か×にしようとすることは、愚行とさえ思えます。(当り前ですが△は○や×ではなく、やはり△なんですよ。△は△として扱うべきなのです。)オカタイ方から怒りをかうのを承知でいうと、ただ単に“山をキレイにしよう。自然を守ろう。”のスローガンにおどらされ、人の“遊び心”を全てゴミとして排除するのは間違っていますイシアタマにならず、場合ごとにどうすべきか、誰かがとなえたスローガンではなく、改めて“自分の”心の声で考えて行動すべきではないでしょうか。自然保護活動などのボランティアは、“結局は人間のためにしている。”のであり、“人間を犠牲にして自然のためにする”ことではないのです。(地球にやさしいだけではダメです。なによりもまず人間にやさしくなくては!)ある意味で、私のラティスはそういった自然保護活動などのボランティア哲学に一石を投じるものであったと思います。(私は山や自然と人間の関わり方はどうあるべきかを真剣に考えた上で、自然の風情を損なわず、なおかつ皆が楽しくやれる方法を実行したつもりです。)今回はプレートが少なかったので、プレート廃絶運動に軍配をあげてラティスを撤去しましたが、私は撤去した今でも、登頂プレート廃絶運動は正解で○、でも私のラティスはもっと奥深い正解で◎であると思っています。そもそもヒマラヤや北アではダメでも和気アならOKなことや、その反対のことはたくさんあります。山はすべて同じではないのです。里山には里山のよさがあるのですから、イシアタマにならず、おおらかにそこならではの“よさ”を活かしていきたいものです。なお、撤収したプレートはすべて大事に保管しております。(ラティスは我が家の庭で健在です。)代わりに設置した登頂ノートは感情ムキ出しの記述で、えらくキタナイものになってしまいましたが、御了承ください。保管箱をどうするかいろいろ考え、あちこち探して、結局ステンレスのポスト(1500円の安物。)にしました。ギンギラで風情を損なうようで気がひけましたが、とりあえず設置したところ、最初はハリガネで木につけるつもりだったのを石を集めて積石の上におき、さらに上やよこに石を積み上げると、妙になんかイイ感じになりました。これでしばらく様子を見ます。“今度はこんなモン設置しやがって。”というオカタイ声がきこえてきそうですが、そう簡単に和気アの最高峰をツマランことにはしませんよ。なんといっても私はスジガネ入りの遊び人ですから。

言い回し:人間は言葉を使って物事を考える。言葉がないと想いを表現できないし、表現できなければ整理することもできない。ある意味言葉は恐ろしい。同じことでもモノも言いようで角がたつ。哲学する場合、その言葉が本当にピッタリであるか何度も悩む。考えすぎると言葉に振り回されてくる。意固地なスローガンをかかげた石頭になってしまう。でも、とことん思い煩って、すべてを吐き出すことで冷静さを取り戻すと、なにか一巡りして元に戻っただけのようだが、なにか成長したように思う。いろんなことを知っていながら、何も知らなかったころの無邪気な自分でいられるようになったというべきかもしれない。所詮言葉はどうにでも言い換えれる。キャチフレーズのような言葉にふりまわされず、自分らしさを大事にしよう。私は自分の心の声のままに行けばよいことが、今では確信できている。うん。

月の那岐山は最高:オハヨー山岳会、04年2月15日の山行記録。つい先日、関学の14人の学生が遭難してヘリに救助されたのは“山をナメるなよ。”ということを改めて思い知らせる出来事であったが、雪山登山とはいえ2月の那岐山は3年前にもやっているので、単純に同じ事をするのはやはりツマラナイ。なにか成長したことをやらなくては。(うんうん。)そもそも転んでもタダでは起きない性分なのだろう。1月にしそびれた恩原高原での雪洞作りなどの雪遊びを今回の那岐山でやろうと企んだ。当日は朝からいい天気になった。しかも時間とともに好天になってくる。朝8時 鵜飼谷温泉に集合。1時間ちょっとで山麓につく。和気からだとホントに近い。たしかに岡山県ではもっとも南にある分水嶺である。9:20マリンブーツで登山口をスタート。Cコースを登る。私はシャベル(ホームセンターで2千円で買った小型の剣先で、ピッケルより軽い。実際、クラストした雪面も掘れるので高価な強化プラの平スコよりいいように思います。)をピッケル代わりに持っていく。Tは下りでソリを使おうと企んで、尻にしくピンクの子供ソリをもってきている。はじめは雪が少なかったがそのうち一面の雪になる。林道に出たところで、軽アイゼンを装着する。今日は登山者が結構多い。なかには我々と同様にマリンブーツの人もいる。登山道を無視して沢筋の急坂を直登してもよいと思うが、ここは歩きやすい先人達の踏み跡に従ってジグザグに登っていく。なかなか4合目の標柱が現れない。ふと脇の林の中を見ると、5合目の標柱がある。どうやら踏み跡は登山道からは少々アレンジされているようだ。10:30、6合目の大神岩で展望を楽しむ。風は冷たい。登ると暑いが、じっとしていると凍える。以前、ここから稜線へのツメでバテたので、全員行動食を食べる。この先で、枝尾根の小ピークを登って下るところを、皆にはそのまま行かせて最後尾の私だけショートカットして右にトラバースする。私だけのアレンジルート成功。皆を追い越した。いよいよ主稜線へのツメ。昨日は雨だったが、それまで1週間晴れていたので雪がしまって歩きやすく、以前のように股まで踏み抜くことなく快適に登っていける。まわりの木々が低くなり、やがてさえぎるものなき雪原になると皆も大喜びする。やっぱり雪山はこうでなくっちゃ。空は黒雲があるが、ガスることはない。振り返ると下界の眺めは最高だ。12時、三角点のあるピークに着くとそこは身も凍る寒風のさらし場である。しかし北方の雪山の山並みが素晴らしい。小屋のある鞍部に下るが、風はキツイ。小屋はラーメンを作って食べているほかの登山者でごったがえしている。皆にはここで暖まってもらって私が最高点の偵察にいく。前回のことからここまでは冷たくても最高点では風はないはずだ。やはり小屋から東は風はふいていない。皆を呼び出して、最高点で食事をとることにする。ためしに踏み跡をわざとはずれて急坂を登ろうとしたら以前のように股まで踏み抜いて悪戦苦闘になった。よしよし。雪の量は充分だ。どこかにいい吹き溜まりはないかな。危険でない小さな雪庇があれば、それを目印にしてその側に雪洞を掘れるんだが。(さっきの小屋の下に雪庇があったがここはちょっとアプローチが危険だった。)最高点を過ぎた東側の登山道脇にこんもりとした吹き溜まりがあった。2センチのかわいい雪庇がついている。掘ると木が出てきそうだがまあいいや。ここ掘れ。(ワン。ワン。)皆にはコンロでお湯をわかしてカップメンを作って食べていてもらい、私はカッパを着込んで雪洞を掘った。できるだけ急斜面をねらって横から斜め上にむかって(下へ掘ってはいけない。)雪をブロック状に取り払っていく。はじめの表面は固いが中は柔らかくなり、掘るのが楽しくなる。運良く木や枝は出てこなかった。天井をバイルを使って削り、敷いたシートに溜まった雪を一気に排出すると荒削りだが30分で一人用の雪洞ができた。我ながらだんだんウデをあげているのがわかる。Kさんが甘酒を作ってくれたので舌鼓をうつ。うまい!雪洞とはこんなモノだよというのを皆に教えるために作ったのだが、やってるうちに面白くなり調子にのって快適にくつろげるように増改築をはじめる。これなら横になって一晩過ごせるものでも1時間あったらできそうである。棚などつくって増改築するのは面白く、やりだしたらクセになるたとえ使わなくても雪洞は作ること自体が面白いのだ。私が一息ついて自作の雪洞内でカップメンを作って食べていると、ソリで遊んでいたTとKさんも隣に雪洞を堀りはじめた。自分でも作ってみたくなったようだが、カッパなしで雪まみれになる。Hさんが熱いコーヒーをみんなに作ってくれた。これまたうまい!13:40 さらばハンドメイド・マイホーム。(はたしていつまで原形を保っているだろうか。)ほかの登山者に“雪洞を作ったので遊んでいってくださいね。”といって下山開始。Bコースを下山してもよかったが面白くない植林帯を延々と歩くことになるので、来た道を引き返すことにした。下りの斜面ではさっそくTがソリで滑って遊ぶ。危なっかしいが面白そうだ。枝尾根の小ピークでは私のつけたトラバースルートをたどり、ジグザグ登山道ではシリセードで沢筋を直滑降してショートカットしまくった。雪の状態がよく、みんなもシリセードで杉林の中を滑って遊ぶ。これもクセになりそうだ。かなりの部分をシリセードで下山したが、ジャージのままでもお尻はたいして濡れなかった。14:40 下山完了。こうしてみると下山自体も早くて楽しかった。今回の雪山山行は恒例にしてもいいくらいの楽しい内容になった。ホント雪の那岐山は近くて早くて面白く遊べるいい山である。16時には和気に帰れそうだ。もっと那岐山の山頂で遊べばよかったかな。でも、雪山は知らないうちに脚力を消耗するらしく足がガクガクになっていた。16:10和気着。無事解散。

新(真)小屏風入口改訂完了:去年開拓時に、時間切れで途中できりあげて開通とした小屏風へ下降する取り付き部分は、当初予定はもっと奥ノ峰山頂近くから手前(西側)の急な岩場を下降してトラバースし始めるものであり、キツすぎて初心者が冷やかしに入ると事故りそうだった。だから、単なる大屏風の前座として、これでいいかと自分をなぐさめていたが、“小屏風だけではすぐに終わりでツマラない。”と、ずうっと心にひっかかっていた。そしてついに04年2月24日、あえて鎖は使わず(ここが面白くしようとしてのコダワリです。)、ピトン(ハーケン)を打って足場にしたり(グレードはA0です。)、トラロープを気休めにガイドロープとして張ったりして、当初の予定どおりのもっと奥ノ峰山頂すぐ近くから岩場に下降するように作り変えました今までのツマラン部分は入口を閉鎖し、エスケープルートにしています。岩と松の景色は最高クラスですが、もともとはこんな所を行かせて大丈夫だろうかというくらいな感じだったので、正直かなりキツイものになりました。ホントめまぐるしく変化しますので、いままで大屏風のウデ試しとしての“前座”でしかなかったのが、短くても歩き応え充分でえらく濃厚な“本命”のものになりました。(初心者には、大屏風に行かずにきりあげても満足できるくらいです。)新というより真というべき小屏風をぜひ御賞味ください。なお、この新しい入口から小屏風トラバース、大屏風トラバース、奥ノ岩を経て縦走路にもどる“真・屏風岩トラバースルート”を踏破すれば、“面白くなければ意味がない。”という私のコダワリ(哲学)が理解でき、“えらくキツクて危険で遠回りだけど、面白い所をつまみ食いしたようで楽しかったな。”といっていただけると思います。なかには“おとなしく縦走路を歩いときゃよかった。”と後悔する人も結構いるかもしれませんがね。(おいおい。)

判断:以前コージツで 労山が鷲ノ巣を整備して不要なボルトを撤去したというのを聞きました。(たしかに北側にひどいボルトラダーができて、すぐになくなっていたのを憶えています。)オヤジの時代に開拓された鷲ノ巣ですが、今ではフリーのラインも出来たり、ボルトの打ち換えもされているようで、以前見られたRCCボルトはみかけなくなりました。これも労山の方がされているのでしょうか。べつにどなたがされてもいいのですが、あー!俺がナンタラするためにせっかく打ったボルトをぬきやがってえ。”“バカモン。ここはカンタラするべきで、こんなもん打ってはいかんのだあ。なんてケンカにならないのでしょうか。クライミングの難しいところですが、クライマー自体が少ないので問題になっていなかっただけなのかもしれませんね。どんな判断で鷲ノ巣が整備されているのか、ちょっと気になった私です。

和気富士登山口:登山地図とお楽しみノートをお稲荷さんの軒下の石段におかせてもらっていましたが、例祭のときにはかなり邪魔になっていたようです。04年2月27日、書類ボックス(たった500円の特価もの)を石段の脇に設置し、邪魔にならないようにしました。引き出しが4つあるので、地図、ノート、ボールペン(3色にしました。)だけでなく、お知らせファイルを新たに設置しました。現在は小屏風の入り口が変更になったことしかファイルされていませんが、地図はまだ更新してないけど新ルートが完成している場合などいろんなことを通知できそうです。特にインターネットを利用できない人には助かると思います。そうそう。たしかにインターネットは便利だけど、書籍しか読めない人はまだまだ多いもんなあ。何年後かルート開拓が全て終了したら和気アルプスのガイドブックを作ってやりたいなあ。(さっぱり売れんじゃろうけどね。)原稿ができたらいろんな所へ持ち込んでみようっと。もしかして。いやいや。世の中そんなに甘くはないって。うんうん。

04年春の開拓状況:2月29日、唯一手付かずの東平尾根(命名:ひがしたいらおね)を池から86mピークの地鎮山(岩場の先に地鎮様の祠があります。)周辺の削られた所(片斜面だけで、尾根は寸断されてはいませんでした。)などを調査した後、2段目の池から縦走しました。登りはじめてすぐに、食い散らされたイノシシのバラバラ白骨死体に出くわし、“うわあ。山で死んだらこうなるのか。死んでも山では死ぬまい。”と思いました。ながめのいい110mの岩峰に登ると最近誰かがここに来たらしく新しい空き缶がいくつかありました。ここから尾根伝いに廃道の踏み跡をたどり、シダをこいで急坂をつめあがるとなだらかな雑木林の稜線歩きになった。ここからは倒木は多いが、薮はわずかで下草がなく歩きやすくなる。(最後まで同じ歩きやすさで、森林浴には最高でした。)東壁の分岐峰である256mピークを越え、前尾根の分岐峰のM2(まよいピークU峰)をすぎて少し登ると、神ノ上山頂の関電施設の建物(中には入れません。)が樹木の間から谷越しに良く見える。寺院跡のあるだだっ広い林の中を適当に西へすすむと、鷲ノ巣からの登山道(予想していた地点のそば)に出た。予想地点から寺院跡のあるだだっ広い林の中に戻ると、石垣跡やキャンプしたくなりそうな広場がある。M2から左に前尾根を下るとちゃんと踏み跡があり、ながめのいい岩だらけの稜線になった。鷲ノ巣とチンネ・スラブがすばらしい。ゴーロ(ボルダー)の岩場が歩いて楽しい。やがてシダからひどい薮になり、もがきながら下降して山の学校の入口手前の林道に出た。取り付き予定の鷲ノ巣岩元への最初にある(エアコンの不法投棄された)杉の植林からザレた岩場をトラバースして、ボルダーのある地点まで往復してから下山する。15時半になっていたが、車を藤公園の駐車場にとめて、不法投棄のゴミだらけになった登山口(去年、登山口周辺のみ調査済み。)から東壁の前壁がある尾根を登る。前壁のリッジを攀じ登り、妙に踏み跡がある岩場をさらに登っていくと尾根の裏側もスッパリと切れ落ちたスゴイ痩せ岩尾根になった。“こりゃあ鎌尾根だあ!” 命名:鎌尾根リッジルート。感激!まさかこんなものまで和気アにあったなんて!和気アはまったくなんてスゴイヤツ(山)なんだ。時間がないので引き返す。降りれるか不安なくらい内容の濃い岩尾根であるが、やってみると難なく下降できた。たまたま犬の散歩をしていた地元の方から昔は皆この岩尾根の上を登っていたことを聞き、踏み跡がクライマーではなく一般道であったことに驚く。(登山道があることは去年聞いていたが、谷をつめるものだと思っていた。)

3月3日:朝、ウキウキしながらまたこのリッジルートを登る。鎌尾根の先の最後の薮をこいで下草のない稜線に登りつく。垂直の奥壁へ行こうとするが、視界がきかずなかなか下降地点が判別つかない。手前をまちがえて下降し、歩数をかぞえて距離を推測してやりなおす。なんとかハズシながらも奥壁のある尾根に横から取り付いた。よくみるとこの横からの取り付きはちゃんとした踏み跡であり、岩上と谷をむすぶトラバース道であった。こわごわ絶壁の端までザレた岩場を下降すると古い空カンが一つあった。引き返して下草のない稜線まで登りリッジルートからのアプローチを確定する。トラバースの踏み跡から落葉の積もった谷を急降下して岩元へ。奥壁の反対側(南端)を見ると立ち木につかまって登れそうだ。思い切って立ち木のある岩場を木をつかみながら攀じ登る。最後がちょっとフリーっぽくなったが、無事に登りきって岩上の絶壁の端でガッツポーズ。(岩場の規模がわかり、怖くなくなった。)結果として、下降は無理なバリエーションルートを開拓してしまった。再びトラバースから落葉の谷を岩元までもどる。ここから涸れ沢にそって下降するが、ナタで刈った跡がある。この岩元までは最近誰か来ていたようだ。たぶんクライマーだろう。しかし岩にはピトンもボルトもなかった。去年聞いた話では、昔 鷲ノ巣と同時期にゲレンデにしようとしてモロイのでやめになったとのこと。(今回、私の見るかぎりでは充分行けそうでしたけど。)奥壁は意外と小さく25m?くらいしか高さはないが、岩上からリッジルートを見るとリッジルートの垂直の裏壁が圧巻である。この奥壁もリッジルートと共に整備したい。じつは、藤祭りのあるGWまでに完成させて温泉から藤公園まで直接行けるハイキングルートにしてやろうと思っていたのだが、はたして間に合うかなあ。とにかく、あせってチンケな仕上がりにしてはいけない。前尾根の命名:ボルダールート(これの開通は5月になると思うが。)と共にこの東平尾根を整備したい。あと6月には御大師山も整備する予定です。ううむ。地図の更新をどうしよう。なお、来年はいよいよコウジングロルートと丸山峡谷を開拓します。そしてこの2つが完成すれば、大屏風に有益性も持たせられるのです。ただし下降不可能なものになりそうです。(またまた早すぎる予告をしたねえ。)

するかしないか:はっきりいって和気アにはおもしろそうな岩場が無数にあります。これらを全部整備してルートをつけてしまうとクモの巣どころか虫取り網状のヒドイ迷路になってしまいますので、“面白いものしか作らない。”という基本精神で、あえて少々面白くても 近くにある同じシチュエーションのものよりわずかでも劣っていたら整備はしないでおきます。(フリークライミングルートの開拓とまさに同じです。)じつはこの整備するかしないかの判断こそもっとも悩むところで、山の死活問題になる大事なことなんです。面白くなくても“どこそこへ行くのに必要だ。”などの有益性があれば作るべきでしょうし、かといって単なるショートカットのためにバイパスをつけるのも考えさせられます。ルートが出来れば出来るほどこの悩みは大きくなり、特に最近のように難度の高い濃厚なショートルートを既存ルートのそばに作るときはすごく悩みます。また、登山者もルートがどんなものか等高線を見極めるなど読図ができないと、行ってみたら予期しないハードルートだったなんてことにならないともかぎりません。(まあ、これはこれでいい勉強になりますが。)すみませんが、私が今なおレベルアップしているので、和気アのファンの皆さんもあるていどレベルアップしてくれないと和気アはコワイ(難しい)山になるかもしれません。どうか御了承ください。(おいおい。)思い切ってフリークライミングみたいにルートのグレードを設定して、個人に合ったレベルを安心して歩けるようにすべきだろうか。ハイキングルートにグレードとは。ううむ。いいかもね。うん。やろう。やろう。(はたしていつのことやら。)

3月9日:朝、小屏風の改増部分の点検をした。一番最初のトラバース部分にも気休めのガイドロープがあった方がいいかなと思ったが、迷う場所ではないからやっぱりつけずにおきます。すこしくらいスリルがあった方がたのしいですからね。うん。難度のつりあいをとるように小屏風トラバース部分も潅木を払ってちょっとスリルを持たせました。展望がよくなり、ルート自体もスッキリしてかなりいいものになりました。大屏風の方も、規模はあるが傾斜がゆるくあまり怖くないので、開拓時からあとでこれを登るルートも作ろうと思っていました。この大屏風の直登ルート(荒神ーこうじんぐろルート)が完成したら、はじめて大小屏風岩のすべての岩場が活きてくると思っています。(ホント、今はこれでもまだ屏風は未完成なんですよ。もちろん和気ア自体もまだまだ未完成です。私の構想にある5つのエリアのルートがすべて完成したとき、はじめて和気アは完成なんです。)今回、思い切って大屏風を登山靴で歩いて下降してみました。(ハイキングルートにするためには多少困難でも歩いて下降できないとダメなんです。)できるだけ傾斜の緩い場所を選んでいくと、ささやかなブッシュの下に盛り上がったなかなか楽しい岩場がありました。傾斜はキツイがデコボコでフリクションもよくきくので、これはクライミングゴッコをするには規模もあり適度なスリルと開放感や優越感があってサイコーです。スラブを忠実に斜上するのを正式ルートとし、この盛り上がった岩場は派生ルートにします。下部はルンゼ状の沢を下り、ブッシュを少々こいで、もとからあった登山道にでました。来年はこのルートが目玉になるでしょう。(ああ早くこのルートも作りたい!)昼、もう一つ、気になっていた丸山の側面に深く刻まれた涸れ沢(丸山峡谷と仮称していました。)をこれまた今回、上から下降してみました。あまりに岩がモロく、困難なわりにあまり面白くありませんでした。下部はひどい藪漕ぎになるので引き返してヒーヒー登りかえしました。また、ついでに燕岩と仮称してアプローチのみ確定していた岩場も調査しました。岩頂の垂壁部分をボルダリングして遊びましたが、丸山からみるとなかなか面白そうだったわりに下部がツマラなかったのでこの2つの整備はやめにします。(ハイライトといえる鷲ノ巣、チンネ・スラブ、これから開拓する前尾根ボルダールートのそばにあっては、この程度ではどうしても茶を濁すものになってしまいそうだからです。)その代わり、縦走路の尾根沿いにある仮称 西壁は大屏風から見たとおりの私好みの素晴らしい岩場だったのでアプローチを整備します。(じつはこの岩場は何年も前に、山の学校そばの鎖場練習場と同じく、他所のパーティーが利用してワイワイやっていたからその存在を知ることができたのですが。)ハイカーは上から見下ろすことしかできませんが、クライマーなら松を支点にセカンドビレイ形式で遊べます。特に南端部分はなかなか本格的で登高欲をそそります。私レベルであったので、登山靴でフリーソロで取り付きましたが、アテにしていたでっぱり部分がグラグラだったので右にトラバースして回避しました。(今度はロープを持ってきて直登したい!)夕方、役場に開拓部分の地主を調べに行き、ついでに環境対策室に東壁登山口(町の土地でした。)にある不法投棄ゴミを撤去してくれるように依頼しました。それにしてもいかんなあ。行動予定を早くからバラして、あとになってやめますとか遅れてますなんていうのばかりではないか。出来の悪いマンガ家みたいだ。

ルンゼ:和気アは小さくて、岩が多く急峻なため水のある沢が乏しいです。今まであちこちの谷を藪漕ぎしましたが、どれも面白いものはありませんでした。ロックガーデンの地獄谷のように沢登りも楽しめるとよかったのですがしかたないです。その代わりルンゼはたくさんあります。前ノ峰から見えるダイレクトルンゼのほかにも半分スラブになった岩場はホダカガリー、竜王山バットレス、チンネ下の110Mスラブなどどれもなかなかの岩場です。ただし、ちょっとハイカーにはハードすぎるものが多く、特にホダカガリーはロープがないと命にかかわるようなクライミングルートです。和気アは尾根ルートばかりなので、ルンゼを利用した谷ルートも一般道としてもっとほしいところです。候補としては剣沢を登るマサミチルートとバットレス中央クーロアールルートがあるんですが、はたしてハイカー向けのものにできるかなあ。できたとしても相当ハードなものになりそうです。(開拓予定はかなりズレこんで遅れそうです。)

私好みの岩場:おもに日当たりがよく、広大で開放感にあふれ、見た目より登りやすく、沢によくあるハイキングシューズでも登れるが、下降はロープが必要なレベルのものが好きです。私がクライマーとハイカーの中間体だからでしょうが、えてしてクライマーからはモロいとか緩斜面だとかで対象外とされ、ハイカーからは危険そうだと敬遠されてきたような岩場が好きなんです。でも、落ちたら危険でも、怖くはない岩場ならスリルを楽しむことができますよね。実際こんな岩場が和気アにはたくさんあります。私は、こういった岩場こそ、もっとも遊べて楽しいものであり、“山”の基本を教えてくれるものだと思っています。これらを整備してできた和気アの妙にクライミングめいたハイキングルートを歩けば、本邦第一級山岳地帯や海外高所登山にも通じる“クライミングを特別視しない本当の登山”を楽しみながら練習でき、同時に本来の“山”の楽しさも理解できると思っております。

山の楽しみ:クライミングは限られた狭い所でチマチマしてイライラするし、ハイキングで歩くだけなのはどうにもツマラない。冒険的でのびのびとし、その上いろいろ遊べる雪山にしか“山”の楽しみが見出せそうにないという人は、この近隣では大山と和気アを除いて、それはそれで正解だと私は思っています。(おいおい。また敵をつくるようなことを。まあいいか。どうせ誰もよんどらんじゃろうから。)和気アは水のない沢といっていいくらい変化に富み、雪のない雪山といっていいくらい素晴らしい展望があります。あとはどう遊ぶかだけです。虫や蛇のいない時期にビバークゴッコ(焚き火はダメです。)してもよし。道はないけどあそこの岩に行こうと藪につっこんで冒険するのもよし。アイデア(たくらみ)のある方はどうぞお試しください。なお、私は和気アをくまなく開拓整備したりはしません。あくまでもいい所取りで、冒険的薮漕ぎも楽しめるように“多少面白い”レベルのものはあえて手をつけずに残しておきます。(私が手を出す面白さのレベルはかなり高いと言いきっておきます。)一例をあげると、剣峰から西にある別山尾根(前剣尾根)は和気アのファンからの要望もありましたが、あえて藪漕ぎを楽しめるルートとして、コースサインだけの“刈り払わない整備”をして仕上げるつもりです。これもたのしいシチュエーションにするひとつの方法です。もし刈り払ったら、ホントにただ展望がいいというだけの尾根道になってしまいますからね。(それだけで充分いいじゃないかというのは今後の和気アの高度な面白レベルではツマラン!となります。ホントに。)

和気アル中:“大山病”というのがあるらしいです。感染すると、取り付かれたようにやたら大山ばかりに通い詰めるそうです。(私もかかったことがあります。)それによく似た治療困難な風土病が、和気アルプス中毒(略して和気アル中。)です。私が発病したあと原因菌をばらまいたため、現在では中国、関西地域のみならず、全国に拡大しつつあります。いまのところ有効な治療法はありません。立て続けに和気アに来られている方はすでに感染がうたがわれます。他人にうつさないように特に注意してください。なんちゃってね。

またまた大山にて:残雪が多くて好天だった去年くらいラッキーなことはもうあるまいと思っていたが、今年04年もまた好天にめぐまれた。しかも、4月並の陽気が続いていたのに、残雪はたっぷりあって再び絶景を堪能できた。それにしても、なんたる幸運。積雪期の大山登山はハイキングとしては限界レベルといえるが、去年と同じではツマラナイ。なにか進歩したことをやりたい。ということで、今回も那岐山同様にピッケルの代わりに剣先スコップを持っていった。そうでなくても足元が980円のマリンブーツに1300円の軽アイゼンというじつに頼りない装備であるのに、この大山山頂で雪洞堀りまでやろうというのだ。オマケに約2名は前回で味をしめたか子供用のソリまで持ってきた。3月14日、朝5時 本社P集合。高速道路を使わずに8:10 大山寺登山口につく。雲ひとつない青空。雪が山全体を覆っている。何度見てもすばらしい!皆で歓声をあげる。8:35スタート。うれしいことに今年も夏道登山道は一歩目から40cmの積雪。全員最初からアイゼン装着。去年並の残雪に喜ぶ。やはりよくしまっていてツボ足にならない。登山者も多くて、皆一様にピッケルをもっているが、雪山はピッケルがないとダメなんてことはない。“めったに使わないピッケルより、いろいろ使えるスコップのほうが正解じゃあ。”などと、挑戦的なことをいいながら登っていく。登山ルートは4合目をショートカットしていて、急坂を一気に登って5合目に出た。しだいに展望がひらけ、甲ヶ山、三鈷峰、そして北壁がその荘厳な姿を現す。10時、6合目の避難小屋につくと、今回も小屋は屋根のひさしだけしか雪から出ていない。写真を撮ったりして休憩する。ここまでの急坂登りで結構バテているから、もう少しここでゆっくりしていくべきなのに、登高欲をそそるあまりの絶景に引き寄せられてしまう。ああ。早く山頂にたどり着きたい。しかし、この先 踏跡がステップ状になっていて登りやすいとはいえ、かなりの急坂が続く。7合目から8合目にかけてかなりバテを感じて、ひんぱんに休憩をとる。私自身いつもここでバテている事実を再認識する。9合目から山頂台地になって緩斜面になるが、へたりきった私には見えている山頂避難小屋の屋根が行けども行けどもなかなかたどりつかないように感じる。去年、うかつにも乗ってしまった雪庇には大きな亀裂がはいっていた。11:30、なんとか山頂避難小屋についた。やはり屋根まで雪に埋もれている。空腹であったが、風が冷たいので、小屋のそばにあるふきだまりの斜面に雪洞を作ってから昼食タイムにしようと思った。入り口の広いカマクラみたいなものにすれば、雪も多いし、たとえ6人用でも手っ取り早く掘れるだろう。ところが小屋のまわりは先人の作った雪洞だらけであった。風を避けて、どの雪洞にも先客が入っている。まるでハチの巣みたいである。雪洞と雪洞の間に自分の雪洞を掘ろうとしたが、硬い氷の層が出てきてうまく掘れない。見るとその下に空洞がある。なんと、そこにも壊れた雪洞があったのだ。融けた天井部分が氷の層になっており、壁も融けて氷になっているので増改築もできない。ダメだ。自分の雪洞を掘る場所がない。まさかこんなにも小屋のまわりが雪洞だらけだったとは!同じことをたくらむやつは結構いるものなんだなあと感心してしまった。しかたなく、端っこにあった吹き込んで半分埋もれたのを修復することにした。これもよく掘ってあって6人とも入れるくらい広い。スコップの痕からいってかなりデカイもので掘ったようだ。ううむ。大きい雪専用のスコップが急にほしくなった。そうしていると、隣の同じくらい大きな雪洞を利用していた人達が出て行った。こうなると掘るのがバカらしくなる。それでもやりたがっているHさんにここの修復作業をまかせて、あとの皆はそっちで昼食にする。ラーメンを作るのにお湯をわかしていると氷の天井から水滴がポタポタ私のひざに落ちてくる。氷になった天井はすぐに融けてこんな雨ふり状態になるんだなあと、あらためて気づく。今回も熱いコーヒーをよばれた後、Hさんが修理し終えた隣の雪洞に皆で入って写真を撮る。腹も元気になったところで山頂から三角点まで行って絶景の中で記念写真。ついでに去年やった恒例?のラインダンスもやる。(去年の写真は傑作!じつはこれを今年も撮りたかった。)12:40下山開始。踏み跡をはずれて山頂台地の周回コースを回り道する。緩斜面をソリで滑って遊び、大沢ともゼロ沢とも呼ばれている谷を見下ろし、大正時代に登られていた正面道の下山口の案内板をすぎて夏道登山道に戻る。ここで偶然、ベテランNさんと会えた。また今度一緒に歩きましょうといって別れる。8合目から沢下りを意識するが、さすがに無理がある。おとなしく7合目まで降りて、これなら行けるだろうと沢に踏み出すが、SさんとKさんは滑落しそうだ。事故になる前に撤退。恐怖でひきつる二人をなんとか登山道にエスケープさせて、6合目の少々上から再度沢下りに挑む。許可を出すまでシリセード(お尻で滑ること。)は禁止にして、マジメに歩いて下っていると、そばを他の登山者達がシリセードしてぬいていった。ううん。もう大丈夫かな。ためしにシリセードする。ブレーキになるピッケルがないので股に雪を溜めながらブレーキをかける。よし。止まれる。みんなにOKをだす。ところが、Sさんは怖がってのけぞってしまい、止まらなくなった。(ウオータースライダーを滑ったことがある人は知ってのとおり、前に起きると止まり、のけぞると加速する。)下にいた私がブロックして止める。うむ。雪上ビレイは補助ロープでも止めれるというが、たしかにわりと楽に止めれる。Kさんはだんだん慣れたのか先に滑って降りる。私は止まれないSさんをブロックして止めながら降りる。途中、私自身も何度か制動がきかなくなってヒヤヒヤしたこともあったが、全員無事に元谷まで下降できた。股に雪を溜めて滑落停止するには雪質が適度に柔らかいことが条件であるが、ちょっと硬めであった。今思えば、傾斜に対して許容ギリギリの雪質だったようにも思う。シリセードは雪質の見極めを誤ると命取りになる。ううむ。こういったことをするなら、やっぱりピッケルはいるなあ。(おいおい。いうとることが最初と違うぞ。)無事に降りれて皆は喜んでいたが、正直、あきらかに危険行為であったと反省。それにしても尻が冷てえ!600Mの高度差をずっとジャージの尻で滑ったのだから無理もない。ケツの感覚がマヒしてしまった。北壁をバックに最後の写真を撮る。元谷から雪で埋没した林道をたどり、大神山神社、金門、大山寺、さらにみやげ物屋にも立ち寄って16時に登山口に戻る。今回、山頂と麓も散策し、自作ではないが雪洞遊びやソリ遊びもできた。シリセードは危険だったが前より高い場所から下降できた。今の皆の装備ではこれが限界といえるくらい雪の大山を満喫したと思う。(いや。あきらかに限界は超えているって。)それにしても、大山は行くたびに何かを私に教えてくれるいいお師匠さんである。(毎回なにかドジこいて、反省することで成長しています。おかげで私もかなりレベルアップできました。)帰りは高速を少し利用して角度によって姿を変える大山の眺めを楽しんで帰る。18:15、本社着。無事解散。翌日。ヒリヒリヒリヒリ・・。ズハー!かっ顔がいてえ!うわあ!!モノスゴイ日焼け顔!(以上、オハヨー山岳会山行記録より。)思えば、大山は遊ぶには多少危険な山である。でも、あえてここで遊ぶことが成長になるのだ。私は自分の成長した姿を大山に見てほしくて、わざといろんな遊びをしている。自分一人なら楽勝なことを、素人をガイドすることで自分のレベルを高めているのです。

地主さんを訪問:先日、町役場の税務課で今度の新ルートの地主さんを調べると、5人にもなりました。ルート予定を書き込んだ地図とお願いの文章を用意して、04年3月19日、夕方4時ごろから晩7時までかけて5人の地主さんに了解をとってまわりました。うす暗い時間に失礼でしたが、皆さんに快諾してもらえました。ありがとうございました。また、区長さんにも夜中に電話で了解してもらいました。さあ、あとは環境対策室に頼んだ登山口のゴミの撤去だけです。なお、地主さんに岩場に名前がないかきいたのですが、名前はありませんでしたので、神ノ上東壁(前壁、裏壁、奥壁の3つから成ります。)とします。(地主さん了解済みです。)なお、奥壁の岩元に“穴小屋”という石室があるとのこと。気づかなかったので今度調査します。奥壁から降りてここの前を通るルートは“穴小屋ルート”にします。

里山に動きが:最近あちこちの里山で地元有志による廃道復活やルート整備がされているようです。(私の影響かどうかは知りませんけど。)昔の展望を取り戻すために茂った樹木の間伐をしたり、滝に遊歩道を整備したり、ゴミをひろったりといろいろされているようです。今までは町などによって指示された業者がしていたようなことをボランティアでされています。業者さんが悪いとはいいませんが、愛着を持った有志による整備は安っぽいけれど、なかなか味のあるいい仕上がりになると思っています。それに安っぽいものは改修もしやすくて迅速に対応できるというメリットがあります。それにしても似たようなことをする人は結構いるものですね。そのうち和気アを凌駕するライバルが現れるかもしれません。ううん。負けませんよ。私の相棒はスゴイんですから。

開拓整備開始:04年3月23日 朝9時、ゴミ捨て場状態になっている新ルート登山口のフェンスを取り外し、林の中に散らかったゴミを拾い出してまとめておく。夕方5時までかけて前壁のリッジまで整備する。一部にはロープ(鎖)をつけなくてはならないくらい、林の中であろうと岩場を忠実にたどる仕上がりにしました。執拗なくらい岩場が最後のほうまでずうっと続くので、長いこと気の抜けないハードルートになりますが、面白さは最高クラスです。このルートの往復だけでも充分満喫できること請合います。正直いってここまで岩場をたどらなくてもよかったのではとも思っていますが、とにかく面白いものをという執着心がにじみ出た仕上がりになっています。私には地主さん達がどんなものが出来るか楽しみにされているのがわかります。私は期待に応えたい。そして応えられるだけの素晴らしいものがここにはあるんです。たとえやり過ぎだよといわれても全力を出さずにはいられません。歩いた人はだれもが驚き、狂喜するでしょう。“やっぱ和気アはスゴイわ。”といわせますよ。ご期待ください。

3月30日:一日中ずうっと雨。去年同様、マリンブーツにハイパロンカッパのスタイルで朝9時から夜6時半までかけて昼飯ぬきで作業し、鎌尾根リッジ部分を開通させた。絶えず雨で冷却されるのでバテずに作業がはかどった。雨の中の作業もいいもんだと思っていたが、いざ下山するとなってアセッた。濡れた岩がマリンブーツでは滑る滑る。しまった。こんなんなら迂回路も作りながらくればよかったと反省してももう遅い。なによりグズグズしていると暗くなる。ノコを持つだけで、ザックはオミットしているのでライトはない。滑るたび何度も青ざめながら下山した。やれやれ。ここは普通のハイカー(団体さん)でも不安なく歩けるルートにしなくてはならないので、困難箇所には迂回路をつける必要がある。このままで完成!とやったら、ほとんどの人は涙目になって下山するだろう。こんなルートを、面白さを失わさずにいかに一般向けにできるかが私のウデの見せ所である。(ホント。困難なルートは簡単だとつくづく思う。)

なんで?:あれ?と思ったのが3月の末のこと。おかしいなあ。和気アのハイキング大会のチラシを今年はまだ見ていないぞ。新聞や広報をさがすが、ないものはない。予定では4月4日(日)になるから、ないはずはないのに。4月1日、ルートがちゃんとできているからゴミの撤去もよろしくと再度お願いに町役場に行ったついでに訊いてみた。なんと!中止とのこと。(ガーン!なんで?なーんも聞いてないよ。これでは問い合わせも多かったのでは。)地主さんからクレームでもあったのか不安になって訊いたが、そうではなく予算削減によるものとのこと。(ただし、委託業者さんにはこれまでと変わらず縦走路の下刈りをさせるとのこと。今年は既に完了済みです。)どうもよくわからんが、今の和気町はかなり貧窮しているらしい。ハイキング大会だけでなく藤祭りやすもも祭りも控えめなものになるそうです。ううむ。ハイキング大会は予算なんぞいくらもいらんぞ。やった方がいい宣伝になって町は潤うとおもうがなあ。ほかの祭りも然りで、盛大にやればやるほど人は集まり収益はあがるはず。どうもやっとることが自滅的に思えて理解に苦しむ。とくに何万人もの観光客がくる藤祭りを“なんじゃあ。期待して来たらこんなもんかい。”と皆にいわせたらもうオシマイである。(前町長の息子である私が町政に関することをボヤくとナニか思い込まれるかもしれんが、ここでは思い切りよく言わせてもらおう。)どうしたんだ?和気町!なにもかもダメにするつもりか?!くそう。まあいい。町政がどうであれ、私は私のやりたいことをやるまでだ。うんうん。まだまだやりたいことはそれこそ山のようにある。そもそものんびり政策談議なんぞしていられるほどヒマじゃない。そう。私は遊ぶので忙しい!(勉強より部活。仕事より趣味。抑えられない遊び心。変わらないこの性格。妻も恐れ呆れるノメリ癖。)しかし、何度この情熱を本業に向けれたら良かったのにと思ったことか。勉強なら東大だっていけただろうし、仕事だって今頃は部長になっていたにちがいない。(おいおい。)だいたい、親父が町長としてやったことは、ほとんどは親父自身がやりたかったことであり、“行けえ。進めえ。”で、憧れを実現したら たまたま他人のためになっていただけであるのは、私が今している和気アの開拓と全く同じことである。私は既に親父が町長としてやったのと同じことをやっているのだ。(どんなもんだい!)でも、親父も私もホントにただやりたいことをして遊びまくってるだけなんですよ。それに、親父に比べたら、まだまだ私なんぞカワイイものです。はっきり言って、今でも親父の道楽は驚異的なんです。(毎度どういう経緯かマッタクわかりませんが、新しく日笠焼だの菊作りだの始めています。)ホント。こんなジイさんに皆さんもよく付き合うねえ。役場の人も24年間さぞかし大変だったでしょうねえ。うんうん。

リッジルートの一般化:4月4日、前回の疲労がひどいが4時間だけ難所の迂回路つくりをする。今日もなぜか雨の中。前壁のリッジ上のゴーロ帯の下部がよく見るとグラグラしていたので、不安定なものは下に落として撤去しました。胴体よりデカイ岩を何個も動かしたのでバテバテ。でも、もしこんなのがまとめて崩れたらまさしく岩雪崩になって死人がでます。さらに上の岩稜も、登り専用、下り専用といった感じで難所には2つのルートを設定しました。でも、ハイカーはなになに専用ではなく状況にあわせて判断して選択してください。独標手前の難所をいじっていてついにノコが折れたので中断してひきあげました。迂回路もつけるが、コブロープも1箇所はつけることになりそうです。この後、4月9日に朝5時半から午前中の5時間をかけてリッジルートの一般化をようやく完了しました。

東平尾根の開拓1:4月11日、次女と2人で朝8時半から9時間かけてリッジルートから縦走路まで長いこと手つかずの自然林が約1km続く東平尾根上をM2(迷いピークU峰)をこえて尾根の肩直下のところまで約650mを整備しました。とにかく下草のない樹林帯で、ささやかな傾斜はあっても平らで開けているので、いくら金テープをつけていても20m離れると分らなくなるくらいでした。次女を待機させて、偵察しては次女とコールをかわしてお互いの位置を確認することで、効率よく作業できました。できるだけ廃道跡を辿るようにしましたが、偵察中に何度か迷って声はすれども姿は見えずあせったこともありました。思わぬ方から次女が見えて“おおっ。こっちだったか。”と完全に方向を誤っていたこともありました。コースサインの金テープはほぼ1本ごとにつけてあります。なんとひつこいと思われるかもしれませんが、これくらいやらないと帰るのに迷いそうなのです。次女にとっては待ちくたびれの山行になりましたが、私にはとても助かりました。一人だったら半分もできない上に遠回りの変なものになっていたでしょう。

奥壁ルートの整備:正直いって時間的にもキツイ(アセって変なものにしたくない)ので、奥壁の整備は5月にまわそうかと思っていたが、リッジルートがあまりにハードなので、エスケープルートとして奥壁に立ち寄りながらも岩場のない急坂を立ち木につかまりながら降りる このルートが必要だと思い、4月13日、朝2時間だけのものであったが、整備にとりかかる。この日は結局、下山するためのトラバース道だけしかできなかった。4月16日になってリッジルートに3時間かけて金テープや黄ラッカーをつけたあと、8時間かけて夜7時まで奥壁ルートを整備する。分岐からのアプローチは、尾根上からは遠回りかつ岩場が危険だったので、谷を下って横から奥壁に取り付くようにし、作業もラクにしました。ニセ岩元から本当の岩元(祭壇跡や石垣があります。)にくだり、さらに不明瞭な谷間の踏み跡をたどるが、“穴小屋”は見つからない。それっぽい岩が崩れていたので、もしかしてこれかとも思ったが分らない。ただキョロキョロしたおかげで前壁へのトラバース道(踏み跡?けもの道?)を発見できました。これも整備すれば前壁から奥壁岩元に直接いけますし、岩場続きの下山に疲れた人は岩場のない方へエスケープできます。(ただし、奥壁岩元から上に登るのはかえってキツイでしょうね。)なお、今回の作業は左手中指を痛めていた(仕事中に関節をぶつけた。多分折れていたようだが、放っておいた。以前右足の中指を骨折したときもレントゲンで完全に割れているのを確認しただけで、ほうっておいてちゃんと治った。ギブスなんぞうっとうしいし、山も仕事もできんじゃないか。そんなもんなくてもちゃんと治る。誰も来ないところを一人で開拓するような人間は手足の指が折れたくらいでへこたれてはやってられないんです。うん。)最中だけでなく、左目を枝で突き刺してしまいました。いやー。目が真っ赤。

ロープワーク講習会:4月17日、オハヨー山岳会で5月からの沢登りの予行として開催しました。よりによって当日は27℃という7月並の暑さになり、そうでなくても前日のルート整備作業でバテぎみの私は今年一番の暑さにすっかりダウンし、13:30には下山するという異例の早仕舞いになりましたが、誰一人文句をいう者はおらず皆もバテバテでした。しかも、今回のゲレンデに選んだのが、いつもの勝手知った鷲ノ巣ロッククライミング場ではなく、只今整備中のすこぶるハードな新ルート“鎌尾根リッジルート”(前壁、裏壁、奥壁の3つから成る 神ノ上山 “東壁”の前壁のリッジ(切れ落ちた岩稜)を登攀し、裏壁の高度感バツグンの鎌尾根を通過するルート。)の前壁(ここでのクライミングは未登。)であったため、最初からかなりハードなものになった。じつはこのルートの整備中に枯れ木を落としたところ、前壁の途中に引っかかってしまったので除去したかったのと、奥壁の先端の整備をしたいがロープがないと危険だったので、今回の講習会がてら枯れ木の撤去と奥壁先端整備をしようなどとたくらんだのだ。

前壁でザックをおろし、アンカーとして裾を枝払いしておいたネズの木にスリングをセットし、ラッペル(懸垂下降)する。約20mのものだが、手始めとしてはやや傾斜がキツイ。先に登ってからラッペルした方が怖くなくていいので、皆には岩下の藪を降りてもらい、アッセンダー(登高器)で登ることから始める。全員一通りラッペルもこなしてから場所を前壁の頭に移動し、テラス(広い岩棚)からややキツ目の岩場をラッペルして登り返すことにした。ここは支点が未整備だったので、適当なネズの木の裾枝をノコで払ってアンカーにする。すっきりした岩を選んでラッペルすると、これまた20mしかないが中級クライマーでも満足できそうな思った以上にハードで面白いルートであった。皆にはここで練習してもらっておいて、私は別にアンカーをとって目指す枯れ木に降り立ち、下へ落とす。やれやれと皆を見ると、怖がることなく岩を楽しんでいる。それどころかフリーソロで登ったりしている。おいおい。落ちたらオシマイなんだよ。クライミングじゃなくてロープワークをしに来たんだからね。ロープワークをやると急坂慣れして岩場が怖くなくなるが、ここまでやるか?ううむ。ちょっとレベルが高くなり過ぎである。かくいう私も前壁中央の一番長い部分がどれくらいあるか降りてみた。なんと50mロープでも10m以上足りずに宙ぶらりになった。しかも下の方はほぼ垂直で、垂れ下がって落ちそうな大岩まである。アッセンダーで登り返すと腕がパンパンに。こりゃあ皆にはやらせれんわい。この部分はTのみトレースを許可する。さすがの彼も始めはフリーで登り返していたが、あまりの長さにアッセンダーでやっと返ってこられた。11時半 早めに昼食をとり、裏壁の頭である“独標”へ登る。独標すぐ手前の岩場で“ここからは先にどうぞ。”と皆を行かすと、切れ落ちた高度に皆から歓声があがる。うん。満足。どうだい凄いだろう。ここでロープを出して裏壁をラッペルしてもよかったが、暑さにバテかげんだったのと、先程の岩場で もはや練習充分だったのでパスして写真だけ撮る。ツツジ満開の中を登って、奥壁への下降路を下る。急坂の落ち葉に足を滑らせながら奥壁に立ち寄る。ここは先端まで20mというところで急坂の岩場になり、ハイカーはここまで。切れ落ちた奥壁を見下ろすにはこれを降りなくてはならない。しかも両側も切れ落ちているので、横には絶対落ちてはいけない。真っ直ぐ尾根上を下降しなくてはならないので、たとえやさしく思えてもロープを使って下降する。そうそう。こういうことのためにロープワークしているのである。ところが、Tなどはロープをセットする前にさっさと一人で降りていってしまい、“わあー。すげー。”などと楽しんでいる。イカンなあ。教えすぎた。先端の藪をノコで枝払いして整備完了。引き返して、また落ち葉の急坂を立ち木につかまりながら下降する。13:30 無事下山。急坂続きで足がガクガク。オマケにひどく暑い。これならさっさと沢にしとけばよかったくらいだ。“ソフトクリームが食べたい。”と誰と無くいいだし、温泉に戻ってレストラン、ラーメンハウス、交通公園までハシゴするがソフトはなし。ガッカリして解散する。夕方、テレビで今年一番の暑さだったことを知る。そういえば首筋がヒリヒリ痛い。またひどい日焼けである。

東平尾根の開拓2:4月19日、台風みたいな風雨の中をカッパを着こんで、東平尾根の残り350mの続きを一人でやる。朝9時から8時間かかってやっと開通できました。やはり一人では迷うばかりして大変でした。オマケに肩の部分はうんざりするくらいのひどい倒木とブッシュ。これをさんざん迷ったあげく東側をまわりこんでうまく回避しました。正直いって、この回り込みで西に左折したことが分らず、“あれ?まだ先に直進路があるぞ。肩の直下じゃなかったのか。やれやれ。”と思いこみ、ひどい風雨のせいか方向感覚や距離感がいつにまして狂いまくり、置いたザックまで返れなくなる遭難的状況になったりしました。途方に暮れていると運良く最初に踏み込んだ時につけた盛り上がった遺跡上の金テープを見つけ、“あれ?ここは寺院跡じゃないか。ということはやっぱり肩を越えていたんだ。”と、ほっとできました。落ち着いたせいかザックまで戻れ、肩の確認に回り込んだところまで戻りました。初めて来た時によく見えていた神ノ上山頂(関電設備小屋が見える。)がすぐ横にあるのに、あの頃より葉が茂ったり、ガスったりして見えなかったことにも気づき、肩の赤柱も確認できました。でも、迷ったおかげで、以前は気づかなかった廃道跡を見つけ、コメツツジの群落に遭遇できました。この小さい白いツツジを最初はヒカゲツツジかと思っていましたが、なんと鷲ノ巣周辺の縦走路にあるのと同じ白カンバンがそばに落ちていて、“ツツジ科コメツツジ”とあったので分ったのです。さらにそこで花見でもしたのか朽ちた空き缶とファンタの空き瓶(30年ぶりに見た!)も拾いました。天気は大荒れ、ガスも掛かりだし、盛り上がった遺跡から先も方向を失い、すぐ近くに縦走路があるはずなのに辿り着けずあせりました。なんとか寺院跡をたどって予定していた縦走路にでたのが夕方5時前。テン場みたいな広場や熊山遺跡を連想させる3段になった石垣などをめぐる史跡めぐりも楽しめるようにルートをとり(結果的に盛り上がった遺跡はパスにしました。)、開通したのが暗くなりだした6時。金テープをつけるのももどかしく、大急ぎで撤収。どこを下山しようと1時間はかかる。来た道をもどることにし、東平尾根をひたすら走る。発見した時はキレイだったコメツツジは風で散っていた。20分で奥壁との分岐。薄暗くなっていたので、危険でも明るい方のリッジルートを下山する。岩場まではツツジの群落だったが、ここも完全に風で散っていた。花びらのカーペットを踏んでおりる。なんども通ったせいか風雨の中でもマリンブーツでノーハンドで下降できた。時間もたった10分。縦走路からゴミ捨て場になった登山口まで30分でこれた。やれやれ。

トラロープ張り:4月22日、よりによって30℃を越す真夏日になったが、前壁から奥壁へのバイパスを開通させた後、朝9時から暗くなる19時まで、4巻のトラロープをかつぎあげ、ガイドロープとして張りましたが、まだ不充分です。東平尾根は1kmにわたり下草がなく平坦で迷いやすい箇所がやたら多い和気ア最後のロングルートであるだけでなく、その先にはとびきりのハードルートと迂回路の分岐がいくつもあるので、迷わないようにエスコートするのが大変なんです。藤公園ではなにか出店が準備されており、すぐにでも藤祭りがはじまりそうな雰囲気でした。それにしても過労状態の体に鞭打っておりますが、頭がマッ白になりつつあり、HPの更新や新地図の作成が間に合うか不安になっております。なんせ道標だけでも30枚は必要ですし、つくづく“期限を決めての開拓はツライなあ。”と実感しております。でももう少しだ。ファイト!

おお!オセラ9号:以前、出版社の方からメールで、和気アの取材をするのに私のHPを読んで記事にしたいとの依頼があり、こんなものでよろしければどうぞといってたら、なんとこのクソ長く読みづらいコラムを記事を書くために延々と読破されたそうです。(印刷すると7、80ページにもなるので、ディスプレイで読んだところ目がショボショボになったそうです。)なにか悪いことをしたなあと思っていたら、4月24日、そのオセラ9号が送られてきました。どんな雑誌なのかと思っていたら、出版社はアスで、タウン情報おかやま(若者向け)のハイセンス(大人向け)版の情報誌でした。見ると、里山特集でまるまる1ページの掲載。おおっ。またハデに載せてくれています。これといってなにもしてないのに、こんなに載せていただいたうえ、雑誌まで頂いて申し訳なく思っております。でも、おかげで元気がわいてきました。そうです。これを読んでこられた皆さんを満足させなくては。過労状態ではありますが、エネルギー回復。出力パワーアップ。戦闘モードスタンバイ完了。ようし。やるぞ!!

やったよ!:4月25日、5月らしい気候の中、トラロープ1巻とフダ30枚をフーフーいってかつぎあげ、夜7時までかけて付け切りました。東平尾根の肩から奥の寺院跡には藤が咲いており、今回はお遊びフダも結構つけました。(どんなものかは見てのお楽しみ。)いよいよ明日は公開です。当日は登山口のゴミ拾いと奥壁先端にロープか鎖を設置しようと思っています。(ただし、キケンなので初心者は手前でストップです。)それにしても今日は暑くなかったせいか、よくはかどりました。(藤公園でももう藤祭りを開催しています。)とはいえ朝のうちは頭がボーッとしてフダに書くのに鎌、壁、鷲などの漢字がなぜかド忘れして思い出せないのにはまいりました。いったん下山して帰宅し、辞書をみながら書きなおしました。夜7時になって、かなり暗い中を奥壁から猛烈なスピードで急坂を滑り降りて10分で下山しました。自分でも凄い足さばき!今回の新ルートに通いつめるとこんなにも歩行テクニックがつくんだと、我ながら感心しております。とりあえずこれで完成だと最後に登山口のフダをつけていたら、麓の畑の方からイノシシフェンスを田植え頃からすることを教えてもらいました。登山口も閉じれるように今ははずしているフェンスを直しておかなくては。しかし、よくまあこれだけ休みをつぎこめたものです。妻子に悪いと思っていたら、仔犬(ビーグル)を買ってきていました。(じつは柴犬のタローは去年暮れに腎不全で死んでしまったので、子供たちが淋しがっていたのです。)“この仔犬がいるからお出掛けも当分できないし、パパは山に行ってていいよ。”ですって。なんじゃそりゃあ。今年はかなりバテたので、来年にまわそうと思っていたM2からの前尾根ルートに着手しちゃおうかなあ。ううむ。どうしよう。おっといかんそんなことより、早く地図を更新しなくちゃね。新ルートの開設コラムも作りたいしまだまだやることいっぱいです。夜9時前になって地主さんに電話して、“穴小屋”がどうしても見つけられなかったことを報告すると、奥壁岩元にあったそれっぽい岩がやっぱりそうでした。崩れていたのです。(そんな気もしていたので、“穴小屋ルート”は“奥壁ルート”に変更しておりました。)

04年4月26日:朝から地図の更新、新ルート紹介コラムをつくったりしました。昨日、妻子がかってに買ってきた“リコ”(ビーグル)がキャンキャンうるさくて(あまりに幼いのでゲージに入れて室内で飼っている。)なかなかはかどらん。畜生め!なんでこうなるんだ。夕方、ゴミ捨て場化している登山口をできるだけ整備しようと、オヤジのベンツ(軽トラのこと。)を横着けして不法投棄されたゴミをとりあえずヒラボテすりきりまで回収しました。中には車のバッテリーなんかもありました。焼却場にもっていくとビンと金属はとってくれましたが、バッテリーと投棄ゴミはとってもらえませんでした。ほとんどが塩化ビニールで、燃やすとダイオキシンがでるためだそうです。途方にくれて町役場を訪ね、環境対策室に相談すると吉永の業者さんに持っていけば、ひきとってもらえることになりました。費用は3千円くらいかかるようですが、これは和気町が負担してくれました。やれやれです。ボランティアでゴミをひろっても処分してもらえなくて、自腹で大金はたくのではやってられませんからね。まあ、処分に困ったから不法投棄された訳で、こんな展開もうなずけなくもないですが、つらい事実です。登山口のゴミはまだまだ10倍くらいはあるでしょう。今回のは歩く所だけのゴミで、少しだけでも見てくれをよくするためにやったのですが、拾うと土の中から出てくる出てくる。まさにキリがなかったです。最後にスコップで防獣フェンスを設置できるように土をよけてきれいに仕上げましたが、それでも次々にゴミが中から出てきて、ほんとにゴミ拾いしたのといわれそうなくらいまたゴミだらけになってしまいました。今、表紙やこのコラムを更新し、はれて和気ア最後のロングルート開拓作業は終了です。はあ。疲れた。とっ。そうだ。奥壁先端のロープつけが残っていたわい。まあいい。ちょっとキケンすぎるからもう少し考えてからどうするか決めよう。今は頭マッシロです。(今これを書いていてもモウロウとしております。)

ザイテングラード:“岩稜”を意味するドイツ語はグラーである。側岩稜ならザイテングラーである。(ちなみに英語ならサイドリッジ。)最近のガイド本はちゃんとザイテングラーになっているが、私が持っていたヤマケイ95年発行の北アルプスのアルペンガイドにはザイテングラーになっていた(どうやら昔はグラーでとおっていたらしい。)ため、私はそれを信じ込んで和気ア 剣峰の側岩稜をザイテングラーと命名した。いまさらドをトに変更する気はさらさらないし、私は古風なのが好きなので、たとえ間違っていて、本場の北アが訂正しても和気アの側岩稜は古風にザイテングラーです。よろしいですかな。諸君。(いいんだよ。んなもん、どっちでも。どうせいいかげんなものは他にもいっぱいあるんだし。そうそう。)

寝ゴールデンウイーク:クタビレが溜まっていたところへ子供の夏風邪をもらいこのゴールデンウイークは寝正月ならぬ寝ゴールデンウイークです。ちょっと良くなったかと起き上がるとすぐぶり返してしまいダメです。ひょっとしてサーズか鳥インフルエンザか。(どっちでもいいから早く治さなくてはね。)ああもうせっかくの連休があ。新ルートがどれくらい歩かれているか気になっているのですが、しょうがないねえ。まあ、いつもオープンしてから翌年にならないとあまり歩いてもらえてないからいいか。それにしてもウリピー=ジョーンズは相変わらずHPがないねえ。ううっ。脅しすぎたかなあ。こりゃ失敗企画だったかなあ。誰かあ。ウリピーのイベント踏破のHP書いてくれい。まあいいや。来年、新ルートが完成すれば、またHPオリジナルイベントやるつもりだから。和気アルプス スペシャルイベント第3弾。“名物岩場めぐりアルパインハイキング横断ルートツアー”(仮称)なんちゃって。さらにうまくいけばさらに2年後には第4弾。“縦走満喫アルパインハイキング縦断ルートツアー”(仮称)をやって、遠方から来られた方はこの横断と縦断を一泊二日でやると満喫できます。(またずいぶん早すぎる予告をしたねえ。)

ありゃりゃ。:5月5日、夜8時前。ライトアップされた藤を見に家族そろって藤公園にいくと昨日の風雨のためか散ってしまっていました。いろんな種類があるのでまだ咲いてキレイなのもありましたが、ほとんどはしおれたり軸だけになったりしていました。いつもならGW後半からが満開になって10日ごろまでライトアップされているんですが、今年は荒れた天気のせいで早くもオシマイです。こんなに早く藤が散ってしまったのは初めてです。はたしていつまでライトアップするのかなあ。もう入場料(300円)はとれない内容になっている気もします。(なんていってたら6日から無料になりました。)

奥壁はこれじゃいかん!:少し元気になるともう新しいことをやりたくなる懲りない性格。去年の小屏風と同じで、奥壁ルートは時間におわれて手抜きになってしまい、今更ながらこれではいかんと思った。縦走してきた人がこのルートを下って終わりになったら完璧にツマラン!(マズイことに道標にはこのルートを下降するように書いています。)危険だが岩上先端に行ける様に鎖をつけて、当初予定の尾根づたいに奥壁ルートを付け替えてツルツルスラブを鎖で下降するようにすると面白くなる。よしやり変えよう。5月8日、さる方から頂いた丈夫な鎖(15mを2本。重さ約20kg。)と、ハンマー、ピトン、など合計30kgちかいひどい重荷を背負って奥壁岩上をめざす。リッジルートからまわりこむのは大回りなので、直接奥壁ルートを登る。(下降専用と位置付けていたので、このルートを登るのは初めてです。)案の定 滑って登りづらい。岩元からは立ち木にしがみつきながらの登りになる。よろけて何度も冷や汗をかく。荷物に引きずり落とされそうだ。もう拷問!なんとか岩上にたどりついたのはスタートから1時間半後。さっそく先端の傾斜45度の岩場に鎖をつける。左側一番上の岩にリス(ひびのこと。)をみつけ、支点になるピトン(ハーケン)を2本うつ。うまく決まったが、端に近いので割れるかもしれない。もし誰かがこの岩をふざけて蹴ったりしたらちょっとヤバイ気もしたがとりあえずこれで様子をみる。(この2本をうつだけに2時間あちこち抜き差しした。)鎖の端が横にズレてコースをはずれないようにトラロープで下側も松に固定した。黄ラッカーの○をつけ、先端にフダをつけてこちらは完成。お次は上のツルツルスラブの鎖つけだ。傾斜は30度くらいしかないが、15mくらいきれいにツルツルなので鎖がないと危ない。岩場の上端にはリスが多いが、どれも割れるばかりで決まらない。なんとか1本だけ決まったが割れかけである。2時間半後、昼食は一旦下山して食べるといって出てきたが、すでに2時をまわっている。トータル4時間半のネイリングで、さすがに気力が失せて集中できなくなった。ピトンもヘソを曲げている。(これならボルトをうった方が早かった。)結局、危険だが緩斜面なので1本でもいいかと妥協して鎖をつける。ううむ。一人ならいいが、複数が同時に持ったらヤバイ。注意書きをつけねばなるまい。さらに上を整備しようとかつての調査跡をたどるが、どうも薮ばかりで遠回りになりそうだ。これでは作っても面白くない所を増やすことになってしまう。やめよう。やっぱりここへは横からの取り付きルートだけにした方が早くて近くて正解だ。(リッジルートからここまで往復してもそう苦痛ではないだろう。いや、ちょっと苦しいか?)考えたあげく鎖場上の展望所とした。命名:奥壁最上展望所。先端をめざすと戻るのがツライという人には手軽で面白い展望所が出来たと思う。枝を払いフダをつけていると、ハイカー数人が奥壁にやってきた。だが、さっさと引き返し、分岐から下山してしまった。寄らずにそのまま降りた人もいる。20分後、とりあえず完成させて分岐の道標にも“おすすめ立寄り場”と添記して下山する。帰宅途中、そのハイカー達であろう水辺の楽校を歩いて和気駅にむかっている登山者集団を見つけた。ああ、申し訳ない。つまらなかったでしょう。ガッカリしたでしょう。ごめんなさい。ごめんなさい。上の奥壁ルート分岐の“下降向け”表示を消そう。縦走して下山するだけならやはり鎌尾根リッジルートを下降してしめくくらなくてはね。3時、遅い昼食をとったあともう一度登ろうとするも時間的に今日はここまで。続きはまた今度。首筋を焼いてヒリヒリいたい。風呂でお湯をかけてとびあがる。9日はあいにくの雨。しかたなくHPの新コラムを1日かけて作りなおす。

ああもう。:なんで休みの日にかぎって雨なんだ。板が濡れているとマジックがうつらない。これじゃあ奥壁の道標が直せんじゃないか。ううむ。東壁周辺を満足いくものに早く仕上げて、この夏のうちに前尾根の開拓をしてしまいたい。そして来年の荒神ー(こうじんぐろ)ルートをはじめとする整備を完了させて、めざすところの“アルパインハイキング” (ヘルメットをかぶってアルパインクライミングの初心者級岩場めぐりのハイキングをするもので、クライミングを特別視しないアルプス本来の正統派登山のもっとも古典的スタイルといっていいです。)を実施したい。(なお、北アの穂高岳縦走なども同様で、ハイキングといえどヘルメットがあったほうがいいと思っています。)最近はフリーの影響からアルパインルートのクライミグですらヘルメットをかぶらない人がいますが、ロープや各種クライミングギアなどが使い方を知らないとかえって危険なのに比べ、ヘルメットは誰でも簡単に使えて身を守ってくれます。かさばるけどザックにさげてかっこつけていきませんか。実際鎖場などではヘルメットをかぶった方が写真も雰囲気が出ていいものになりますよ。

奥壁ルートのトラバース化:そもそも“奥壁”は迷いながら探っていて偶然横からの取り付き踏跡を発見して整備したものです。できるだけ楽かつ最短で行けるように鎌尾根からトラバースするアプローチにしたかったのですが、途中にやっかいな岩壁があったので、上を高巻きした結果、鎌尾根から50mも登ってから滑りやすい谷間の急坂を降りるものになりました。前回、奥壁岩上に鎖をつけてハイカーに完全開放し、絶景の立ち寄り場として整備したことで、そのアプローチをピストンしやすいものにしなくてはと思った。(せいぜいすべる急坂にコブロープでもつけてやるぐらい。)先日、ふと 奥壁の横からの踏み跡は鎌尾根からのトラバースルートの一部じゃないかという考えがわいた。以前、奥壁側からのトラバースもこころみたことがあったが、早々に岩壁にはばまれ あきらめていたが、ルートがあることを信じてたどれば うまく途中の岩壁を抜けれるかもしれないと思った。5月18日、うまく雨をのがれた休日。上の鎖場にボルトを打ちたしたり、フダやガイドロープや、のぞき見用のお助けロープ(!?)などをつけたして奥壁のやりかけていた整備を完了した後、思い切って奥壁側から鎌尾根にむけて3回目になるトラバースにチャレンジした。はじめの岩壁は下をやりすごしたが、また別の岩壁が現れた。これをむりやりトラバースしてすすむと鎌尾根側から最初にはばまれた岩壁があらわれた。結局、岩壁は3つもあったことになる。こりゃムリだ。しかし、下を見るとなにやら踏み跡があるではないか。なんとか岩壁を突破してもう一度奥壁ルートをまわって戻り、4回目のチャレンジ。今度は2つ目の岩壁も下をやりすごし、3つ目の岩壁の下に来た。なんと、踏み跡がある。たどると10mくらい急坂を登って鎌尾根の端の岩場に出た。やった!!やっぱりあったんだ。くそう。何でもっと早くこれの存在を信じなかったんだと悔しがる。でもうれしい。昼2時をまわっていたが整備にとりかかる。酷使して切れ味の悪くなったノコ(この春だけで3回刃を交換した。)をコキ使うこと4時間であっさり完成。道標をつけ、夜7時半までかけていままでの急坂ルートのコースサインや直す予定だったフダを撤去してルートを自然に還す。すっかり暗くなった中を下山し、妻にしかられるが満足の1日になった。HPをまた更新しなくてはならんが、まさに理想のものになった。これで鎌尾根から奥壁にあっさり立ち寄れる。これは素晴らしいぞ!!あと、もう一つ思いついたのが寺院跡に水場があったはずということ。和気富士同様に井戸で埋められているかもしれんが、うまく水を見つけられたらまた面白いことになる。調査結果がないか役場にきいてみよう。(5月22日、おくればせながらHPを更新しました。)

できるかなあ。:前尾根は展望のいい岩場が多く、ボルダーが連なっているみたいだったので仮称ボルダールートとしていますが、まだまだ未知な面白い部分(遊べる岩場)がありそうで、変名するかもしれません。なんとか6月から本格的にとりかかって夏の内に完成させたいのですが、できるかなあ。自信がないので、M2の分岐には“来年開通予定”としてあります。まあ、7月末までかけてじっくりのんびりいじくりましょう。そこそこ面白いものでいいなら一気に仕上げてハイ!オシマイ!といえるんだが、もはや私にはそんなことはできない。とことん持ち味を引き出し、よけいなツマラン部分は抹殺したものでないと我慢ならないのです。悩んだ部分はあとになってから作り変えたりしますし、どんなに苦労して作ってもツマランなら私はさっさと自然に還します。正直、ザイテンバイパスは作らなきゃよかったかなとも思っています。ただ、奥ノ峰から神ノ上を往復するのに同じ所を歩きたくないという人には、行きは屏風岩トラバースルートを廻り道し、帰りはザイテンを下降してこのバイパスで縦走路に戻るという役目をしているので、気にくわなくても生かしております。

6月は地主捜しに四苦八苦:7月1日、この夏7月末に開通する御大師ルートと、来年開通の前尾根ボルダールートとコウジングロルートの地主さん全てにやっと許可をいただきました。御大師は副区長さん(コウジングロの名をご存知でした。)など3人の地主さんに快諾していただけましたが、前尾根は泉区だけでなく、日室区の財産区がありました。ええ!なんで川向こうの日室の山になっているんだ?あわてて調べなおすと、なんと小屏風の部分は日室になっていました。ガーン!!なんたるミス。泉区のものだと完全に思い込んでいました。(個人の所有か、区や町のものかは、その番地の広大さである程度判断できます。小屏風のある番地はあきらかに広大でしたので、見るまでもないと確認を省いていたのです。)6月初めに日室の区長さんにお詫びをし、改めて許可くださるようお願いしましたが、田植え時期で忙しく区会を開くのは先になるとのこと。鬱々としたまま7月まで待つことになりました。もし、ダメとなれば、小屏風は閉鎖です。ああ、いい場所にいいものを作れたと思っていたのになんということか。不安にかられながら、許可をいただけた場合にと思って前尾根麓部分の個人の地主さんをあたることにしました。前尾根の取り付きをどこにするかは自分でも悩みました。山の学校より南か北か。自分としてはチンネなどに近い北がよかったのですがひどい急斜面の湿地や荒地ばかりで下るにもトラバースするにも風情もなく歩き辛いだけのものになりそうでした。(所有も町になっていて、だれもこんな土地は手を出さないくらいの荒地でした。)以前から山の学校90m手前に右に入る山道があり、たどるとこじんまりと手入れされた植林帯があるのを知っていましたが、先日、これを登りきると広大な岩場がありました。おお!これはすばらしい。こんな下のほうにこんないい岩場があったとは。一目ぼれしてこれを取り付きにしようと思いました。あとで調べるとこの岩場から尾根伝いに降りるように昔の登山道があったことが判りました。昔のままではお墓近くまで南の方に取り付きが下がってしまいますが、植林帯を利用させてもらえば作業も楽で、いい位置になります。よし。この植林帯の地主さんを調べよう。ところが、税務課で番地図をみると恐ろしく細分化されており、オマケに目印もなくどこがどこだかさっぱり判りません。産業課の林班図をコピーしていただき、堰堤を基準にして調べましたが、それでも確信はえられず、とりあえずこの方ではないかという地主さんを訪ねました。ところが、“うちは植林などしとらんよ。”といわれ、もう一度調べなおすことに。本当にちがうのか何度も調べなおし、税務課の方にも迷惑をお掛けしましたが、林班図と番地図の約50mの距離のズレがどうしても埋まらず、思案したあげく最後の頼みとして思い当たる地主さんを訪ねると、“うちです。植林だけでなくシキビも植えているから現地確認で説明してあげる。”とのこと。やった!もし違うといわれたら完全にいき詰まるところでした。7月1日朝、地主さんと二人で植林帯へいき説明をうけました。“大事にしているシキビを刈られると困る。”とのこと。本来なら承諾したくないところを特別に許可いただきました。

登山者の皆さんにいいたい。本当はイヤだけど許可されている地主さんの温情をアダで返すマネだけはしないでほしい。ゴミをしないのはもちろん、松茸入山禁止や草木などの採取禁止を真剣に意識して守ってほしい。もし、貴方が地主で、大事にしていた一つしかない花などが、自己中心な登山者によって盗まれ 荒らされて自分の山から消滅してしまったら貴方はどうしますか。悲しみと憎しみ、怒りはおさまらないでしょう。じっと見張っていたいが、できない地主さんのやるせない気持ちを考えてください。“これくらい、いいだろう。”という自分勝手な気持ちが、ひどい結果になることを理解してほしい。

正直いって私は自分のしていることが、とんでもない悪事に思えるようになりました。山を守るとはどういうことか、今さらながら悩んでいます。

なお、地主さんから80以上の年寄りしか知らんだろうということですが、チンネの岩峰に“のっかり岩”と“烏帽子岩”の名前があることも教えていただきました。ああ、あれとあれがそうだな。とうなずけます。昼前に日室区長さんを訪ね、松茸入山禁止を徹底すること(主要登山口に新たにもっとキツ目の警告文書を追加してつけることにしました。)で、はれて承諾していただけました。ああ、よかった!!残る植林帯下の作業用の通い道部分は距離が50mしかないですが、3人もの地主さんです。夕方訪ねて、登山者も歩くことを全員に許可いただきました。さあ。これで最大の仕事は完了しました。それにしても、この6月は許可をもらうのにつぶれました。

山を守るとは:なぜ登山道があるのだろう。みんなが好き勝手に歩くと、踏み荒れてしまうから。山を楽しむのに最低限の自然破壊で済ますため。いっそ山を歩くことを全員がやめれば一番いいのでは。いや。これでは大事な文化がひとつ消えることになる。どうしても歩きたいなら技術をみがいてヤブコギしたら。いやいや。ヤブコギをみんながやりだしたらかえって山が荒れる。沢登りなど水の中や雪の上だけを歩くならいいかも。ううん。かなりキツそうだし、遭難者は救出できないかも。ルートを公表せず、個人的に楽しむだけなら道をつけてもいいか。いやダメだ。沢登りのヤブコギやバリエーションの岩場など地主は許可しているのだろうか。地主が知らないだけなのでは?知ったら閉鎖されるかも。一般登山者は禁止なのにクライマーはやっていることがある。と、いうか禁止されては成立しないことではないか。ううむ。やってる人が少ないから大目にみてもらっているのか。さらに、キャンプは指定地しかダメだが、ビバークはどこでもやっていい。キャンプとビバークの違いは曖昧だ。山はホントに曖昧なことが多い。大げさに規制している山もあれば、公園みたいに開放された山もある。山小屋などどういう経緯でできたのか。所有者はどういう経緯で登場したのか。私のように物好きなバカが暴走した結果なのか。登山道はどうして(どういう目的で)つくられたのか。(寺社参拝、境界表示、営林、山菜採り、国土調査、レクリエーション。ホントいろいろあります。)整備による恩恵と被害の状況はどうか。ああ。考えるとキリがない。ただの登山者ならこんなこと悩むこともなかったろう。でも、開拓をする者はこれを考えなくてはならない。自然を守ること。本来はなにもしないこと。冷酷にみすてること。でも、やはり人は感情の生き物だ。お気に入りのものを見捨てられない。勝手でもいい。間違っていてもいい。守りたいものは守る!山を守るとは、人の感情を守ることなのかも。されてイヤなことを他人にしない。当たり前だが、自分は地主さんのイヤがることをしていないだろうか。地主さんに感謝し、その感情を傷つけてはならないと意識している登山者や開拓者がはたしてどれだけいるだろうか。特に開拓者は、たまにいる愚かな登山者によって傷つけられがちな地主さんの感情を守る責任と義務がある。そしてこの義務をはたせないなら開拓などしてはいけないのだ。まちがっても開拓者が地主を傷つけるようなことをしてはいけない。

昔と今:昔は許された(大目に見てもらえた)ことでも今ではダメなことは多い。うぐいすやメジロなどよく爺さんがとってきて飼っていたが今ではダメです。同様に松茸や山菜、草木、苔、土、石ころにいたるまで今では取ったらダメです。昔はなんら価値のなかったものが、数の減少により価値をもちはじめ、今では自然のほとんどのものが貴重になっています。昔はよかったから、かつては やっていたからというのは通用しません。場合によっては逮捕されます。ああ。昔のように松茸や山菜や草花がいっぱいあれば、やりたいことがやれて、争いもなかったのにと悔んでも、元凶である自然物減少の原因は乱獲だけでなく生活様式の変化や温暖化などの複数の難しい要因がからんでおり、歯止めはかかりそうにありません。やはり自然は移り変わるものとして受け入れるしかないのでしょうか。もしそうなら登山道の新規開拓など この先は絶対許されないことになり、アルパインクライマーも沢屋も活動禁止で 文化としても滅びることになるだろう。ヤマナスビも食べれなくなり、子供の虫取りも禁止になるだろう。そのくせ外国の変な虫がウヨウヨすることになるだろう。思うとゾッとしませんか。(じつはダンゴムシは江戸時代まで日本にはいませんでした。トリビア!)悲観してもしかたない。自分に今できる よかれと思うことをやるまでだ。無駄なあがきでもいい。なにもしないよりマシだ。うん。私にできること。和気アのすばらしさを多くの人に知ってもらい、山の面白さ、自然のすばらしさを伝えることで、これらを大切にする気持ちを一人でも多くの人の心に植え付けること。地主や私の悩んでいることを少しでも理解できるようにすること。いろんな問題がじわじわと文化をおびやかしていることに気づかせること。自分の今やっていることを正当化していうならこんなところか。でも、私は本当にやってはならないことをやっていないだろうか。草木のことをあまり知らないため、知らないうちに貴重なものを刈り払ったり、踏みつけていなかったか。なにより もはや許されないことをしているのでは。不安はぬぐえない。反面、最近、瀬戸内では樹木が茂って見えなくなった景勝地の展望をとりもどすのに、専門家を頼んで刈り払ったりしているし、昔は枯れ木だらけだった三石の山もレンガ産業の廃れで排煙がなくなり、すっかり緑に覆われています。自然は人が思うほど貧弱ではないのかも。ある時は激しく強く、またある時ははかなくもろい。自然はそんなものなのかも。まるで人間そっくりです。自然と人間。似たもの同士。うまくやっていけるはず。これからも諦めずにその方法を考えていこう。そしてなんでもいいからやりましょう。無駄でもいいから。もしかして自然(山)の方からも手助けしてくれて、予想以上の成果があるかもしれません。

私だからこそ:24年も町長をやり、やり手として名をはせたオヤジの名をだせば、その息子ですというだけで、ほとんどの地主さんが警戒をといてくれました。我ながらうまくネームバリューを利用しています。というか、これだけの利点をもっている私だからこそここまでいろいろ和気アをいじくらせてもらえたのだと我が身の幸せを思っています。ただ“和気の者ですが。”と切り出すだけでは門前払いされていたかも。おそらく個人所有だらけの里山が一個人によってここまで開拓整備されたことはないでしょう。私が復活させたり新規に作ったルートは10数本、距離にして10Kmくらいになります。(すでに全ルートの半分以上ですが、まだ増えます。)和気アルプスは、公的機関でも団体でもない 物好きな馬鹿が一人でいじくって大半が整備された稀に見る珍しい山といえなくもないです。でも、なによりスゴイのはここまで理解協力してくださった温情ある地主さん達なのです。(感謝。)

思えば、クライミングの最新エリアをボロクソにけなし、清掃ボランティアのすることにも注文をつけ、全てが独学で、誰にも教わらず、山を師とし、山を友としてきたある意味格好良く、ある意味救いようのない私です。私を評価するなら、我が相棒 和気アルプスを歩き、満足できたかどうかで判断していただきたい。(おお。我ながらなんたる自信。)早や、山をはじめて8年になります。それが普通の登山者(エキスパートを含む)の8年ではなかったことは確かです。

相棒:うぬぼれているとは思いますが、私自身はたいしたことなくても、私のステイタシーは凄いです。かつて相棒の愛馬ブラックヘッドはまさに素人によるハンドメイドの調教でプロもうなる全国屈指の名馬になり、私もその栄光にあやかりました。もう20年も前のことです。すばらしい監督、コーチ、先輩、後輩に恵まれました。特にOコーチ(現監督)にはすごくかわいがってもらいました。ほとんど毎日のようにビールをもってはコーチの家にあがりこみ、夜8時から馬談議や人生談議で12時過ぎまでお邪魔していました。食事どころかときにはお風呂までよばれていました。(我ながらなんたる学生。)でも、それだけの話すことと、熱意があったのです。何時間あろうと語り尽くせぬ熱き想い。我が青春の馬術部。そして現在も、いい妻子に恵まれ、好きなことをやらせてもらっています。和気アルプスという 私より長生きな相棒も得られました。親父にも感謝していますし、地主さん達の温情にも凄く感謝しております。相棒 それはお互いなくして在り得ないもの。家族以外にもそんな相棒をもっている私はやっぱり凄い幸せ者だと思います。

いよいよ7月になり、もうシーズンオフです。この夏は来年の横断アルパインハイキングルート完成に先駆けて御大師ルートを7月末までに開通します。来年1月から前尾根、スラブバイパス、コウジングロを整備し、3月にはこれらを通して暖めてきたアルパインハイキングができるようになります。今までお世話になった方に是非歩いていただきたい。私の集大成ともいえるルートです。もちろんこれで終わりではなく、バットレス、ザイテンにも周回ルートを作りピークハント21の究極版といえる縦断アルパインハイキングも完成させます。そして1泊2日で横断、縦断して満喫できるものにします。たとえ世界中からわざわざきても満足できるものになる自信があります。うまくいけば3年後です。皆さんそれまで御健勝で。3年後、健康で和気アの完成を迎えれないと後悔するぜえ!!

はじめての沢登りのこわーい思い出:近所の小川や黄谷の滝など和気町の沢で予行演習みたいな沢歩きを何回かやった後、01年6月。兵庫県 段ヶ峰の倉谷をちゃんとした沢登りとしては初めて遡行しました。二ノ滝の岩登りがちょっと怖かったですが、最後までせいぜい膝までしか浸からずに済んだ上、藪漕ぎも楽に山頂に出れたので、初心者向けの楽しい沢でした。しかし、実はとんでもないことになりかけたことがあったのです。途中にある林道直前の滝で、私は左を巻くのを行けそうに思えたので、わざと右を登り、結果 あと一手というところで行き詰まってしまいました。友人Kと二人でしたので、回り込んで上から手をかしてくれるよう頼みました。ところがKは林道直下で沢を横切るのにグズグズしています。どうした。早う助けてくれい。Kいわく、端の岩がグラグラしていて通れないとのこと。突然、サッカーボールくらいの岩がKの足元の下から崩れて転がり落ちた。滝の下まで落ち、ガッ!と、なんともいやな岩のぶつかる音。火花がちり、火薬のような臭いがした。ひえええ。と思ったのもつかの間。こんどはKが踏んでいた胴体くらいある岩まで崩れて転がりだした。しかもこれは私の方へ。ヒッ!Kも私も息をのんだ。私までは3m。岩が3回転したら私はオシマイだ。岩はゆっくりと回転してくる。(ように見える。)これはもう念力で止めるしかない。うぬう。1回転。止まらない! うぬぬぬ。2回転。止まらない!! だめだ。うわあ!!!  岩は滝の縁でぐらあ〜。ひいいいいい!!!!ずううん! 奇跡的に2回転半で止まった。どひゃあ!死ぬとこだったあ。我ながらなんたる悪運。火薬のにおいがツンとする中、なんとかその場を脱出し、その後山頂までツメ上げたが、二人ともさすがにしばらくはショックがぬぐえなかった。沢では人手が入ったばかりの部分は崩れやすく危険であることを思い知った。

腰痛:痛いなあと思ったのが7月6日の朝。最近熱帯夜が続いてやたら寝苦しく、体調がよくなかったが、御大師山ルートの開拓をするために鞭打ってでかける。朝からカンカン照りでひどい暑さだ。9時から御大師さんの参道を整備しながら登り、展望岩から下刈りされた部分の整備をしただけで早や10時。ノコの切れ味がひどく悪いのと汗だくのバテバテなのとではかどらない。いよいよ藪に入っていくが日差しは真上から照りつける。松茸テープにそって切り開いていくので悩まず楽なはずなのにツライ。12時、昼食に下山するともうやれなくなりそうなので、昼飯をぬいて2Lのアクエリアスだけでノロノロと作業を続ける。予定では距離350m、約4時間で開通のはずだった。ところが、松茸テープの消える約半分の地点までに4時間かかった。今日一日で開通させたかったがムリかなあ。アクエリアスも残り少なくなった。テープがなくなるとルートファインディングが必要になる。迷いながらも金テープをつけながら藪をこぐ。なんとか宗堂池からの登山道にたどりつくが、ルートからはずれていた。しかたなく下からツメて正しいラインをたどりなおす。金テープをつけなおし、半ば諦めの境地で後半部分の開拓をする。腰がうずいてきた。呆然自失状態になった17時 開通。やれやれ、やったわい。それにしてもバテた。ああ腰がいてえ。家にかえってくつろぎたかったが、オヤジの手伝いを1時間する約束だったので、畑にいき、19時まで草抜きをする。腰がガクガク。夜になって体を動かせないくらい痛みだした。無理がたたった。今日で4日目。まだ痛い。

どこまでがOKか?:以前、自然を守ることにふれて、こまかいことをゴチャゴチャいっていてはキリがないので、“人としての良心で判断しろ。”といっていましたが、実際は判断しかねることも結構あり、大丈夫だろうと思っていたら大変なことになってしまったりします。フリークライミングルートの開拓などでも、“クライミング美意識があればみんなの判断にそう差はないはず。”などと本に書かれていますが、どっこいそうでもないみたいです。おおらかな方もいれば、神経質な方もいるように、開拓者の見解も十人十色です。自然が豊富で人が少なかった昔ならあえてキマリ事など作らなくても 人間のワガママを自然が受け止めてくれてうまくいっていたのでしょうが、自然破壊と人口爆発の現在ではどんな些細なことでもキマリをつくらなくてはならないようです。でも本当にこまかいことを厳密にまもれば、山歩きは まず役場にいって地主を調べ、すべての地主さんに“いついつ何人歩きます。”と告げて 全員に許可をもらわなくてはならないことになります。でも、これじゃあ世界遺産の白神山地よりキビシイことになりそうです。結局のところ、地主さんの温情なしには和気アのような私有地の里山歩き(クライミングなどの山遊びも。)は成立しません。開拓することは自然破壊することであり、地主さんの許可をもらっていても許し難いような行為ではありますが、じつは皆がやっているただの山歩きも厳密には地主の許可がない違法行為といえるのです。登山者の皆さんも、“本当はイケナイことをさせてもらっているのだから、山菜採りなどのワガママは我慢しなくてはならない。”と思ってください。皆さんも昔はよく山菜採りをされていたでしょうが、現在ではワラビやタラノメやキノコなどを見つけて、ほしくなってもけっして取らないでください。たとえ草一本取っただけでも地主さんの思い入れがあった場合は逆鱗にふれて閉山になってしまうことだってあるのです。ゴミ捨ては皆さん全員がイケナイという見解をもっているでしょうが、山菜採りなどの採取行為に関してはバラバラな見解だと思います。松茸時期の入山禁止を無視する人などはまさにいいかげんな見解の持ち主で、どれだけ地主さんを困らせているかが判っていない人です。“どうせ松茸なんか たいしてはえとらんくせに。おおげさな。”と思っている人に教えてあげます。その通りほとんどはえていません。それだからこそ、消滅させないように地主さんは必死なんです。もし貴方が地主で、最後の一つになった松茸場所を手入れしているところへ“おい。あそこにだれかおるぞ。そうか。あそこに松茸がはえるんか。ええもん見たなあ。”などといって入山禁止を無視した登山者が何人もぞろぞろやってきてニヤニヤジロジロ見だしたらどうですか。その日からはもう心配で夜も寝られなくなるでしょうね。“あのクソヤロウども!ぶっ殺してやりてえ。”といいたくなりますよ。絶対。すこしは地主さんの気持ちがわかりましたか。山ナスビを食べることなどの“子供の虫取りの範疇である。”と誰もが確信できることなら、“できるだけしないでね。”ということで現在でもできますが、松茸関係などで地主さんを困らせ続けると、やがて全てが禁止になって山歩きという文化も失うことになります。(すでにクライミング文化は、地主さんとのトラブルで失われつつあります。)はっきりいって“山菜採りは過去のもので、現在は禁止。”と意識統一してください。登山文化を守るためにも各人、山岳会でも採取禁止を周知徹底してほしいです。さもないと本当に子供の虫取りもできない日がきてしまいます。じつは恥ずかしながら私の山岳会にも草木の採取をする人がいました。はじめはどこにでもあるシキビなどでしたので大目にみていたのが失敗でした。毎回なにかを採取し、他のメンバーまでうながすようになりました。もともと花が好きな人でしたが、山の記念に、ぬき取ったものを庭に植えることを楽しみにしだしたのです。盗掘の手口は、ワザと遅れたり、トイレを装って皆から離れるというもので、リーダーの私が知らない内に数人でグルになって採取した事実も後で知りました。(今更ながら身の毛がよだちます。この分では、“山にはえてるものならタダで採り放題。”などと勝手に思い込み、最初から草木を採取することを最大の楽しみに山をはじめたという とんでもない人すらいそうです。当然、こんな人は山のことはサッパリ知りませんし、一人では不安だから適当な会に入るわけで、こんな人を山に連れていくリーダーは、知らない内に犯罪に加担することになってしまいます。ああ。やるせない。)どうか、リーダーの方は、モラルに関することを一番最初にキッチリ言い渡しておいてください。私も“これではオハヨー山岳会は盗掘集団になってしまう。”“他の登山者に指摘されたら会社にも迷惑がかかる。”と諭して更正させました。ちゃんとした団体ならこういったことはあらかじめ教育されていると思いますが、個人ではじめた人や素人団体などではまだまだこんなとんでもないことが常習化しているかもしれません。登山者同士で啓発していきたいことです。

意識教育:気になったので、いろいろ訊いてまわると なんかちゃんとした団体でも登山技術の講習はしているが、上記のような意識教育はしてないようですね。リーダーですらチャランポラン!?(ああ。なんたることだ。やっぱりね。)登山者100人にききました。“山菜採りはしてもいいですか?”“ええんじゃねん。”“ええ!おえんのん?”“なんでえ?ずっとしょおったがあ。”――こりゃダメだ。清掃ボランティアなどはやっていても地主の気持ちまで考えている人はいない。自分たちが気持ちいい山歩きをするための清掃であり、所詮 登山者の立場でしか山を見てはいないのである。開拓クライマーが地主を無視したために、たった一年で閉鎖になったゲレンデはくさるほどある。彼らがいかに馬鹿ぞろいだったかがよくわかる。クライマーのモラルが悪いせいにしているが、真相はちがう!(大ウソです。)開拓者が地主の許可もとらず、さらにはヤリっぱなしでなんのフォローもしていないのが原因である。最初に地主に許可をもらうのは当り前。でも、それだけではダメだ。なにかをしようとすれば、必ず否定する要因はある。当然、どんなことでも実行すれば、必ず問題が次々起こる。当然、問題を解決するためのフォローが絶対に必要なのだ。(くどくどいわれなくても本当に愛着があるなら、絶対に後々までフォローするはずですがねえ。)予想外の来客で踏み荒れるようなら規制や啓発など何か対処をしなくてはならない。“わあい。大人気だあ。”とバカ喜びしていてはいけないのだ。――おおっと、脱線してしまった。登山者にいいたいこと(意識教育)は以下のようになります。

  先日までしてもよかったことが禁止になっていることがあるということ。

  “昔、やっていたからえかろう。”は頭から捨てること。

  山菜採りはもはや禁止であることを受け入れること。

  キビシイなあと思えることでも、地主の立場を思って真面目に受け入れること。

ちなみに、HATなどのヒマラヤの清掃をはじめとした世界的なボランティア活動は、自分達がヒマラヤを汚した当事者であることに対する反省からやりはじめたことですが、恥ずかしながら私も地主の気持ちを無視したことで和気アを閉山されそうになった当事者です。“地主さんを思わないといけないよ。そして地主さんの立場も考えられれば山の自然も文化も守られる”これは、私の反省からきた思想です。ある意味で、登山者の立場による自然保護のスローガンをはるかに上回るもので、本当の自然保護がなんであるかを言い切っています。“人の気持ちを守ることが、自然と文化を守ること。”今なら言い切れます。いくらゴミ拾いをしても、地主さんの気持ちを思わず、さらに登山者の遊び心も理解せずでは、山の自然も登山文化も守れはしないのです

転機:白状します。私は最初なにも“哲学”のないただの遊び人でした。暴走して無断で廃道復活などしてトラブルを招いたことから悩みはじめ(かなり深刻でした。)、入山禁止フダなどいろいろ対処してまわっていたら、リビング紙の取材を受けました。リビング紙で予想外にすごく大きく報じられたことが、“開拓は地主さんへの許可をきっちりしてからでないとイケナイ。”という意識の転機になりました。(このときまでは、情報発信は私のHPだけでしたから、マイナーなことだし、モンクがでなけりゃ そこまできっちりしてなくてもいいやなんて思っておりました。)新聞の原稿の“地主さんの許可を得て開拓し、”との文に、正直アセリました。“ホントは無視してやった”とは言えません。しかも、読んだ人が、“ワシもやっちゃろう。”などと勝手なことをしだしたら大変ですので、この文は必要!取ってくれとはいえません。さあ困った。かくなる上は事後承諾を取り付けるしかありません。幸い、うまく承諾してもらえたからよかったもののこの時も大変アセリました。でも、今現在、きっちり許可をえてから開拓している我が身の幸せを、多くのクライミングゲレンデが閉鎖されている事実から痛感しています。そして、このリビング紙取材による意識の転機がなかったら、和気アも二の舞になっていたでしょう。多くの地主さん達と話をしたことが、私の山に対する考えに広がりを持たせました。ただの遊び人が転機を与えられ、人々とふれあいながら成長し(去年はクライミングなど山の楽しみ方について悩んでいましたが、今年は山を守ることで悩んでおります。)、今ではプロの登山家も凌ぐようになったと思っております。“私には和気アに対する愛情が人一倍あったからこそ、山の楽しみ方や山の守り方(要は人と山の在り方)について人一倍苦悩し、結果、人一倍“山を理解すること”ができました。たとえプロでもただ山に挑んできた者とはひと回りもふた回りも私はデカイんですよ。自分でもあきれるくらいにね。”といったところです。(かなりうぬぼれているが、それだけ確信をもっているということです。)リビング紙さんには、初めて和気アを大きく報道してくれただけでなく、私に意識の転機をあたえてくれたことにも深く感謝を申しあげます。

警告文:はたしてどれだけ効果があるのか?返って被害がでないか?いろいろ悩むことがあります。でも、やっぱりつけるほうがいいように思いますのでつけます。ああ。だんだんセチカラクなっていくなあ。でもしかたないか。(完全なボヤキです。意味不明。)じつは、私には大事な花があるのです。最後の一つかもしれない可憐な花。これに“取らないで。”とフダを設置するべきか否か。悩んだあげくやはりつけることにしました。詳しくはまた後ほどHPできっちり松茸時期入山禁止の警告と一緒に大々的に明記します。正直いって、今度の松茸警告文は悩みました。登山者コンコンチキな文(書いていて、とてもクラクなり、被害妄想になりかけました。)になったり、単なるボヤキ(諦めのなげやり)になったり、これでいいと思えるまでかなり推敲しました。もちろん、警告フダだけではなく、HPやいろんなことで啓発活動をしていかなくてはなりません。ううむ。本をだしたいなあ。本当に訴えたいことがあるから。でも、かなりカラクチなものになってしまうかも。でも、それこそが一番いいたいことなんです。とりあえず今回は早めに8月初めをメドにHPでの警告発信と啓発活動をしていく予定です。

8千円の登山靴:7月14日、コージツが夏山セールをしていて10%引きなのを利用して軽登山靴を買いにいく。重登山靴アンナプルナは大事にしているが、今の2代目のキャラバン(1代目はソロモンでした。)はもうフラットソールである。たいして歩きこんでもいないのに、私がデブなせいか私の軽登山靴は4年でソールがすりきれてしまう。和気アの急岩場ばかりを歩いているせいかもしれない。フラットソール化したキャラバンは土では面白いくらい滑るが、岩場でのフリクションはなかなかいいので岩場での作業用に使い続けるつもり。(まるでちょっと出て消えたローバーのアプローチ兼用靴みたいである。)今回、ちゃんとブロックパターンのある3代目の靴がほしい。でも、どうせ4年しか持たないし、たいしたことはしない。たいしたことをする時はアンナがある。うんうん。安いのはないかなあ。やはりキャラバンが無難か。おっ!ゴア内蔵で9千円?デザインは運動靴みたいで好かんが、1万をきる靴があるとは。きいたことないブランドだがまあいいか。これくださあい。10%引いて約8千円。ううん。ここまで安さは求めてなかったけど、いい買い物だったろうか。ちょっと不安。安物買いのゼニ失い。だったりして。さてはてどうなりますやら。乞うご期待。(してないよ。だれも。)

思い出の悲しいエピソード:鵜飼谷北稜ルートを開拓整備した時、2本の枝がクロスしたまま一体化した木がありました。ルートの脇でジャマでしたが、面白いので先端部のみ切って、ワザとクロス部分を残しておきました。“先を切ったけど、枯れないでくれよ。”と祈っていると、翌年には切り口に新芽ができました。“ああよかった。”と喜んで大事に見守っていたのですが、それもつかの間。無残に枝の付け根からへし折られてしまいました。だれがこんなことをしたのか?今もわかりません。ジャマ扱いしたのか憎しみをこめてへし折られていました。“クソ馬鹿野郎がいるなあ。”ホント。“わかってないね。”です。

ちゃんとした山岳会へ。:初心者のみなさん。素人同士でパーティーを組んだりせず、ちゃんとした山岳会に入って、ちゃんとしたリーダーに指導してもらった方がいいですよ。―――我流でここまできた私にいえたことではありませんが、自分自身 今までの失敗やとんでもない非常識で大変なめにあって来た経緯から、あえてこう言っておきます。私の歩んだ道は人には薦めれません。技術的問題で何度も死にそうなめにあっただけでなく、道徳的問題で心底うろたえたこともあったからです。なんとかここまでうまく生きてこれたのと、今 全てがまるく収まっているのはある意味奇跡です。正直、初心者をガイドできてこそ(人間的にも)一人前と思い、今現在 オハヨー山岳会で他人に山を教えていますが、だんだん 自分に他人を指導する資格は元々なかったのではと思いはじめています。人に教えることで教わることもありますが、まだまだ自分で考えなくてはならないことがたくさんあります。ホント、なんでここまで踏み込んだのか。運命なのか。嬉しいような悲しいような。とにかくやれるだけやります。

時間との戦い: 04年7月18日、滋賀県 鈴鹿 元越谷までオハヨー山岳会で沢登りにいく。日帰りでは限界の場所にあるが、その美しさは定評がある。是非見てみたい。AM6時 鵜飼谷温泉P集合。早々とKさんが30分も遅刻する。前からちょっと遅れそうと言っていたが、こんなにじゃあ今回は時間がきつい分マズイじゃないか。おまけに2台目はHさんの軽四なので、とばすこともできない。名神を走って9時すぎに栗東で降りる。1号線を四日市方面にいくのだが、道標を確認していたのになぜか正反対の大津行きに走っていることに気づく。引き返そうとして、車をとめてHさんに相談したら、K2さんが“ここは住んでいたから詳しい。”とのこと。それならと、先に行ってくれるように頼む。ところがどうみても90度違う方にぐんぐん走っていく。おいおい。おかしいぞ。胸騒ぎがとまらない。8号線の道標が見えた時、嫌なことに気づく。携帯で“ハチじゃなくてイチ号線ですよ。”というとヤッパリ。鈴鹿がどこにあるのか知らない人に先導依頼した自分のバカさに腹を立てていると渋滞。到着予定の10時はとっくに過ぎているが、もう1時間はかかりそうだ。皆に、今日は途中の仙ノ谷の出会いまでで切り上げることを伝える。道の駅で目指す野洲川ダムの地図を入手できたが、林道の入り口がわからない。それらしき道は想像以上に荒れている。これを入って大丈夫か?意を決して突入。腹をすりそうになりながら路肩に駐車。すでに11時15分。雨がぱらつく。暗い気持ちがよけい暗くなる。皆をせかして、地下足袋をはき、スリング一式を装着して11:45スタート。気持ちを落ち着けないといけない。こんなにあせっては危険だ。しかも、インターネットでも皆が入渓地点を間違えてひどい目にあっている情報があるので、用心しなくてはならない。間違えて、これ以上時間をくわされるのだけはゴメンだ。さらに私を苦しめているのが、下山ルート最後にある林道に登り返す取り付きも皆が迷っているというやっかいな事実である。余裕をもっていないとビバークに追い込まれる恐れが高い。皆に“電灯を持って来た?”ときくと、私ともう一人のみ。これでは暗くなってきたらオシマイだ。今回はどこまでもトコトン マズイ!私が持っているツェルトは5人が限界。9人ではかなりツライだろう。これはもう間違いなく仙ノ谷で撤退だな。うん。はるばるここまで来て途中切り上げは悔しいがしかたない。決心することで落ち着く。急がずじっくりやろう。林道をすすむと閉鎖したゲートがあり、車がいっぱい。よくまあこんなとこまで入ってくるもんだなあと思っていると、その先の川原ではバーベキューや水遊びの家族がいっぱい。夏休み最初の日曜でもあるが、思いのほか一般人気のある沢だ。林道を歩くこと30分。アプローチが長い。私の考察ではヘアピンカーブしたあたりから入渓するといいはずだが、なかなかヘアピンカーブが現れない。脇にだれかが石を2つ積んで作ったケルンがあった。子供のイタズラか?その先にヘアピンカーブ。とっさにこれだ!と思い、みんなに入渓準備をさせる。フェルトわらじをつけ、ケルンから沢にむかって林の中を降りていくと、ちゃんと踏み跡があり、うまく沢に降り立てれた。堰堤2つを巻くと情報どおりの新しい堰堤。間違いない。うまく入渓できた。ヤレヤレ。しかし、この3つ目の堰堤は思いのほか険しい高巻きだった。切れ落ちた部分もあり早くもヒヤヒヤ。皆は頑張ってついてきている。すぐに腹までつからないと通れない淵があらわれた。時間は12:45。泳ぐ前に腹ごしらえとする。全員おにぎりやパンでさっさと昼食をすませ、エメラルドグリーンの淵でひと泳ぎする。すぐに15mの滝が現れた。この沢では唯一の大滝で、これを越えたら美しいナメとゴルジュの連続だ。ようし。気合をいれて滝の右から落ち口に打たれたピトンのスリングをつかんで越えようとするが、あと一手がだめだ。濡れた体がやたら重い。あきらめて横から高巻く。滝の上に降りるのが難しいようだが、自分なら降りれそうだと思ったところから木にさばりながら降りる。ちょっとキツイ。ロープを出そうと思ったら、短いコブロープが設置してあった。短くてポーズがきつかったが、無事降りれた。下で待つ皆にロープを出そうとすると、またもや短めのコブロープが脇にあるのに気づく。ちょっと危険だが、皆にこれを利用させると無事に越えることができた。これでロープをだした場合のタイムロスをカバーできたのと、日差しがさしてきたのとで元気がでてきた。滝の上がハイライトというが、あまり感動しなかった。(余裕がなかったせいだと思う。)それでもたしかに淵は綺麗だ。この先たいした滝もないので釜を片っ端から泳いで回る。しばらく行くと2人の釣り人に出会う。仙ノ谷の出会いだ。登山道から仙ノ谷をここまで降りてきたのだろう。脇の水溜りに黒いサンショウウオ!と思ったら赤い腹のイモリ。あちこちにいる。感動が一気に嫌悪感になる。時間は13:45。どうする?予定どおり撤退すれば15時半には車に戻れるが、やっと楽しくなってきたところである。この分ならケチがつかなければ、16時過ぎには稜線までツメれる。17時半には林道にたどり着ける。ケチがつかなければ。そう。ケチがつかなければ。よし。行こう。(おいおい。)“ただし、車に戻るのは6時すぎ。岡山に帰るのは夜9時半を過ぎるよ。”皆は反対せず、むしろ喜んだ。(どれだけ危険な事態になるか 皆はわかってないみたいだった。)私の頭の中で時間との勝負がはじまった。それも絶対負けることの許されない勝負である。この先気をつけないといけないのは間違って仏谷に入らないことだ。仏谷は直進方向に明るく開けた滝で始まり、皆ついこれを登って迷い込むのである。これに入ってしまうと、険しくはないが下山路がかなり遠くなり、今の私達では時間的にアウト。文字通りホトケサマになる。本流は左の薄暗く狭いゴルジュ。これを忘れるな。しばらくは小滝の連瀑で楽しい。釜があれば泳いで通過。冷たくなくて気持ちいい。やがて5mの滝。うまく仏谷の出会いを確信できた。左の狭いゴルジュを左右つっぱりながら登り、みんなもそれに続く。ロープを出す時間も惜しい。5mの滝で、お助けスリングを2本つないで皆を引っ張りあげる。水量が少なくなり、岩場を攀じ登っていく。皆も頑張ってついてくる。いよいよ源頭であるが、グネグネ蛇行した平流がダラダラ30分つづく。最後まで水が切れないので迷うことはない。最後は20mくらいのドロの急坂をツメると稜線にでた。藪漕ぎが全くないなんて初めて。なんてラクチンなツメ。時間は16:10。よし。なんとかなる。わらじをぬいで下山開始。途中の展望のいいピークで記念写真。鈴鹿の山は岩がむきでた所があり、なかなかアルペン的である。四日市や名古屋の街並が見渡せた。ひどい急坂の縦走路を水沢峠にくだり、下山ルートへ。夕方4時半をまわっているが、西斜面を下るのでまだまだ日がさしている。ところが下山ルートはゴミだらけで、妙に不明瞭だった。山勘のない初心者では迷ってしまいそうだ。途中で完全にルートを見失ったが、沢をそのまま下ると空き缶があり、ルートに戻れた。それからも変なトラバースをたどったが、なんとか堰堤のある広場まで下山した。時間は5:20。まだなんとか林の中でも明るい。さあ。最後のチェックポイントだ。情報では赤テープを上方向にたどるといいらしい。みんなが赤テープを見つけてくれた。だが、どんどん来た沢を登っていく。違うこれじゃない。引き返し、堰堤脇の尾根の急坂を攀じ登ることにした。テープはないけどこの尾根を50m登れば林道があるはずだ。大きなゴミもあるし、まちがいないだろうとフーフー登るが、林道はない。80mくらい登って、あきらめる。皆に謝り、周りを調べてもらう。もうあまり時間がない。K2さんが向かいの山腹にコンクリ積みを見つけた。それだ!いや、それしかもう希望はない。はじめの堰堤まで降りるのに方向を間違えて枝沢の違う堰堤に降りかけた。ここにもこんな堰堤と枝沢があったのか。ハッとなる。地形図に堰堤が載っていないので尾根を一つとなりに読み違えていたのではないか。だとすれば、そうだ。コンクリ積みは林道にちがいない。登りたかった尾根はこの枝沢の向こうだ。堰堤から下流方向に下り、枝沢を渡ると、ネットで崩落防止処置されたノリ面があらわれた。50mくらい上にはコンクリ積みがある。もし違っていたらバテた皆に悪いので、私一人で先行偵察する。かくいう私もかなりバテている。これ以上登り返すのは体力、時間ともに限界といっていい。“林道でなきゃ あんなコンクリ積みを作ることは出来ない。”と、思っていても不安はかくせない。もし違ったら絶望的だ。息がきれる。フラつきながらノリ面をはいあがる。バテバテになってコンクリ積みの横を登りきった。おお!やった。林道だあ。手前にはちゃんと降り口の道標がある。皆をよぶ。これでしばらくは休憩。皆もバテバテで登ってきた。まだ車までは30分以上あるが、あとは林道歩きなので迷うことは無い。ヨタヨタと車に戻る。時間は6時半。川原も静かである。Iさんの元気がない。知らぬ間にヒルに血を吸われたのがショックだったらしい。Sさんもヒルにやられていた。かくいう私の指にもいつの間にかヒルがいる。つまんで捨てる。幸い吸われていない。道の駅まで戻って、休憩。ここでHさんもヒルに吸われていたのに気づく。足首が血まみれになっていた。なかなか血が止まらない。ううむ。ここまでヒルにたかられるとは。いつ、どこでやられたのか。こんなことは初めてである。日が暮れた。これでは晩飯を食べると10時をまわる。皆は了解。1号線途中の飯屋で晩飯をとる。高速を1回の休憩で和気まで帰る。夜10時半。鵜飼谷温泉着。無事解散。ここまで遅くなったのもはじめてである。皆 特にHさん お疲れさまでした。今回の沢はなるほど綺麗ではあったが、アプローチが悪く、ゴミやヒルなどのマイナスイメージもある。なによりほとんど平流だったので、ちょっと物足りなかった。(そのおかげで助かったが。)これなら山乗り渓谷とそう変わらなかったかなあ。でも、今回は遅刻、道迷い、ライトなしなど反省することが多かった。下山中に迷ったが、これで もし沢にも困難な所があって時間をくったらどうなっていたか。今回は運がよかっただけである。私もまだまだ未熟だな。自制というか冷酷さがたりん。自分の甘さが皆の命取りになると思った。二日後。くたびれがひどいが道具を片付けなきゃね。ヘルメットも洗おう。ぽとっ。うわあ!ヒルだあ。こんな土産はいらんぞ。くそっ。どうやってついてきた。二日もなにをしていた。ひねりつぶしてくれる。ぐにっ。どうだ、まいったか。みにゅうん。ゲゲッ!つぶれてない。まったく平気だ。なんとしぶとい。まってろよー こんどこそとどめを―――!?どこ行った?   わあ!どっかいったあ。なんとすばやい。    どこだ?ああ、気色ワリイ!どこいったあ!!   ちっくしょーどこいったあ!でてこーい。がおー!!    (依然捜索中。)

ついに100ページ:かなり前からこのコラムを100ページまで書いてやろうと思っていました。(印刷しようとした人を驚かせたかっただけ。そう、これも単なる“遊び心”です。)01年5月から3年3ヶ月でついに念願の100ページになりました。だからといって、べつになにがどうということはなく、これで打ち切るわけでもありません。そう。まだまだ行きますよ。とりあえず、ここまで読んでくれた物好きで すごく暇な貴方に、感謝と敬意を表します。(毎度毎度ラストまでスクロールしてから更新部分のみを読まれているファンの方もご苦労さまでした。)さあ、今度は200ページをめざして行きましょう!(おいおい。)でも、このHPに興味をもってくれたウブな方が、このコラムを“落ち着いて読んでみよう。”なんて思って、いきなり印刷ボタンを押したら とんでもないことになりますね。(いや、なんか悪いなあ。でも笑っちゃいます。ゴメンね。)用紙はきれる。時間はかかる。インクもきれる。(会社のパソコンで仕事の合間にやったらクビになりそうです。)その上、そこまでして心身共にボロボロになって読んでみたら、結局 ロクでもないことしか書かれていなかったというオチまでついています。もし、だれかホントに迷惑をこうむったという方がおられましたら一言申し上げます。 私の性格がよく判ったでしょ。”(ああひでえ。)おっと。そうそう。来年開通予定の“アルパインハイキング 和気アルプス横断コース”の別名は“裏銀座コース”(メリハリのきいた3つのエリアを岩場めぐりする 和気ア ファン待望の逸品コース。)です。さらに3年後に開通予定の“アルパインハイキング 和気アルプス縦断コース”の別名は“表銀座コース”(人気bPのピークハント縦走に残り2つのエリアめぐりを組み合わせたコース。)です。我ながらピッタリのネーミングだと思っております。

御大師山開通:7月6日に開通させておいたのに、忙しいのと ひどい猛暑で道標をつけれずにいました。8月3日、台風で少しは涼しくなったので、娘と二人で昼2時半から7時半までかけて道標つけと、鷲ノ巣近くの尾根西側にある“黒壁(くろへき)”を整備しました。

黒壁について:黒壁はよそのパーティーが利用しているのを見て存在に気づいたもので、今回 地主さんの許可を得たうえでハイキングの立ち寄り場としてアプローチ部分のみ整備しましたが、黒壁のクライミング行為自体の許可はまだ正式にはもらっていませんので、決してボルトなどは打たないでください。和気アで正式なクライミング場は“鷲ノ巣”だけです。それ以外の岩場でクライミング練習等をする場合は、痕跡を全く残さないように(大勢の場合は御遠慮ください。) 松やネズの立ち木を支点とし、フリーソロやセカンドビレイ形式またはフィックスロープやトップロープ形態で遊んでください。 じつは私のクライミングはほとんどがこういったもので、子供の虫取りみたいな個人的山遊びにすぎません。でも、今では一番うまい遊び方だと思っています。また、自然岩でのクライミングは人が少ないから成立していた部分があり、フリーみたいにワイワイとメジャーなスポーツになると、自然岩ではどうみても無理があると思っています。(くどいですが、勝手に岩にボルトを打ち、許可なしにアプローチの藪を刈った上で、書籍などに公表して大勢を呼び込み、大勢で踏みつけて強引に道をつけたりするのはとんでもない犯罪行為であり、すぐに閉鎖されるのは当然で、一部の岩場でも立ち入り禁止になれば、山全体が迷惑をこうむります。功名心にかられた馬鹿な行為が取り返しのつかない事態を招き、多くの皆に迷惑をかけることを知っておいてください。)なお、ゆくゆくは、黒壁だけでなく穂高山周辺(これのみ、以前からこのHPで公表していますが、自分一人で一度登ったというだけで、道もなく 支点なども全く設置していません。)や東壁、そして今度できるコウジングロなど ロープ無しでは無理なこれら本格的な岩場を、改めて地主さんにクライミング行為の許可をもらって、バリエーションルートとして正式に整備していきたいです。(そういえば、このHP作ったばかりの頃から言っていますね。やっぱり かなり先になるかもしれませんね。)ただし、仕上がりは、この黒壁のようにアプローチのみの整備にして(要は黒壁の整備作業は今回で完了です。)、岩場は許可をもらっても、できるだけなにも打たないようにし、もし誰かになにか打たれたら管理責任者として撤去するつもりです。(ベン・ネヴィス北壁のように全体でも2、3本しかボルトのないゲレンデにするぞ。うん。)

成長を実感:台風で6月に中止した比良 八淵ノ滝をこの8月8日に7人で行き直した。思えば2年前の7月、全身ずぶぬれになって遡行し、はじめて“ホントの沢登り”を思い知った沢。私を大きくしてくれた沢である。この2年間にどれだけ自分が成長したか計る意味もこめて再訪した。前回は先人の残してくれたコブロープに助けられた(もしなかったら遭難していた。)が、今回もあるとは限らない。ほとんど垂直の壁を本格クライミングするはめになるかもしれない。装備にアイスバイル(ハンマー)、ピトン(ハーケン)各種、カムナッツも一揃い持っていくことにした。AM6時 和気鵜飼谷温泉P集合。高速をとばして、9時半 登山口のガリバー旅行村に到着。駐車場のおじさんは無愛想だが、昨日大雨があって今は増水していることを教えてくれた。気をひきしめ、ダメならまぼろしの滝までで引き返すつもりで10時スタート。大雨で削れて荒れた林道を歩き、沢へ降りる。一昨年も増水ぎみだったが、今回はそれ以上に増水しており、丸木橋が流されている。ちょっとビビリながらわらじをつけて、ゴーロをこえていく。でも渓流は透明できれいだ。最初の魚止滝はあっさり横の鎖を登る。すぐに凄いゴルジュが現れた。難関 障子滝とそれに続く唐戸滝だ。やっぱりスゴイ!すさまじい飛沫でその迫力には何度見ても圧倒される。横ではハイキング集団がもたついているので先にいかせてもらう。この2つの滝のそばにそそり立つ岩を飛沫をあびながら鎖とハシゴで登るのは、2回目でもやっぱり怖かった。長い鎖を登山道まで這い上がり、そのまま登山道をたどり、11時 大摺鉢に到着。ハイカーに抜かれると渋滞にまきこまれるので、先をいそぐ。小摺鉢を越え、15mの屏風滝を高巻き、30mの貴船滝の前を鎖で沢に下り、鎖とハシゴの登り返しで貴船滝の上へ。12時前、前半の2大難所を越えたこともありここで昼食にする。時間も早いし、ここからは渋滞を気にしなくていいので、釜でわざと泳いだりして遊びながら遡行する。今日は天気もいいせいか、増水していてもハイカー(かなり苦戦ぎみであったが。)が何人も沢沿いを歩いている。何人かの沢屋もいたが、追い越してどんどん進み、増水した七辺返し滝をかかんに直登する。小滝群を突破し、分岐の出会いを右に本流を進んでいく。快調である。行く手にまぼろしの滝が現れた。手前に“核心部、初心者は危険”の札がある。さあここからが最後の難関だ。うまくコブロープがあるだろうか。右の岩壁を見ると、おお、あった。しかも新しくて太い。これを登り、小さくまいてさらに一段あがると、完璧なゴルジュの二段の滝。左にちゃんとロープがある。登って一段目の滝口におりる。以前、ここで完全に行き詰まり、Hさんが対岸のロープを発見してくれたおかげで助かったところだ。やはりちゃんと太いコブロープがついていた。結局、持って来た装備を使わずにすんだ。あとは流木のつまった小滝を一つ越えてのんびりと平流を歩く。こうしてみると、この沢はこれくらい増水したくらいが一番美しいようにも思えてきた。(最初はあんなにビビッていたくせに変なものである。)やがて登山道の橋が現れ、14:20 ここで遡行終了。皆も楽しかったを連発する。前回の困難を味わった記憶がぬぐえないが、はじめから泳ぐつもりで行けば、こんなに楽しい沢であったかと感心する。しかし、これも私や皆が成長したからだろう。凄いゴルジュや大滝がいくつもありながら登攀具がいらない整備された沢。内容的にも最高に贅沢な沢といっていい。あとはこれでガリバー駐車場のおじさんの愛想がよければ完璧である。わらじを脱いで登山道(地形図の道は違っていることに気づく。)をガリバー旅行村へ下山する。さすがに皆くたびれて静かになる。咳払いひとつせず葬送行進みたいに1時間ほど下り続けて、大摺鉢まで戻る。ここで最後の写真を撮って遊歩道を帰る。バテているせいか車が遠く感じられる。くたくたになって16時 下山完了。あとは車をとばして帰るのみ。だが、ひどい渋滞にまきこまれた。どうやら花火大会のせいらしい。ううむ。またもや帰るのが遅くなってしまった。皆は“前(元越谷)より1時間もはええが。”というが、予定を1時間すぎた21時 鵜飼谷温泉着。無事解散。この沢は毎年8月の恒例にしようかなあ。正直、とっても気にいってしまった私。

ポリネシアン藤本のハワイ旅行:“あんたはええわ。去年は穂高にいっとんじゃから。私らどっこもいっとらんのよ。”との妻のご意見を尊重し、今年は山旅行を諦めハワイ旅行となりました。和文字焼きの翌日 8月17日、くたびれた体に鞭打って関空へ。8時間のエコノミー飛行でホノルルへ。マイナス19時間(実質プラス5時間の一日遅れ)の時差で眠くてしょうがない。それでもさらに鞭打って無料のJTB島内観光ツアーで潮吹き岩やシーライフパーク、ヌアヌ・パリなどをまわる。思いのほか山の奇岩絶壁に感動する。ハワイは“海”であると思っていたが、とんでもない。“山”も充分楽しめる所である。(そもそもワイキキビーチはオーストラリアから砂を運び込んで作った人工ビーチです。)ここのコオラウ山脈は標高8〜900mくらいなのにいつも山頂が雲をかぶっていて神秘的である。おまけに穂高並の険しさもただよっていて、あちこちに涸沢槍くらいの岩峰がある。(麓にあるクアロア牧場は映画ジュラシックパークやゴジラのロケ地です。)あわよくばダイヤモンドヘッドくらい登ってやろうとおぼろげにたくらんでいたが、こちらが登りたくなった。でもそれには装備、情報が不足している。残念だが、オプショナルツアーにもなっている標高761フィート(なんのことはない232m。)のダイヤモンドヘッドくらいしかないか。まあ、これでも北からみると切り立っていて登高欲をそそるし、はじめての海外登山であるから今回はこれくらいにしておこう。うん。夕方 ワイキキビーチでひと泳ぎし、18日も朝から海水浴。浜ではバスタオルを頭からかぶっていたので日焼けは防げたかに思っていたが、ふくらはぎを焼いてしまっていた。たいしたことないと思っていたがやけに痛い。ハワイでは紫外線量が日本の5倍ともいうから気をつけねばならない。夜はポリネシア文化センターへショーを見にいき、またコオラウ山脈の美しさにみとれる。ポリネシアンショーを見ると同級生にそっくりなキャラクターがおり、“ゆうちゃんそっくりじゃなあ。”などとわらっていると妻に“あんたも日に焼けたらショーにでれるがん。”といわれてしまった。たしかに私が日焼けすれば体格的にはポリネシア人にそっくりになる。ファイヤーダンスでもしたら似合うかもしれない。ハワイ人は女性もデップリと体格がいい。妻に“お前はハワイアン美人じゃ。”といってやるとたたかれた。19日は割安のオプショナル(JTBではなく現地の安さ一番のオプショナル会社ヤマネコトラベルを思い切って利用。往復送迎、足ヒレ、シュノーケルセット付きで一人につき8ドルでした。)でハナウマ湾でシュノーケルをし、夢中になった。まずいとは思いながら時間ぎりぎりまで4時間一度も浜にあがらず飲まず食わずでひたすら熱帯魚を追いかけて遊ぶ。しかし、これでも自然破壊がすすんでいるらしく、妻が20年前に友人と来た時は今みたいな規制はなく、もっと小魚がいっぱいいてすごく感動したそうだ。浅瀬でウツボに遭遇したときはあせったが、間近できれいでかわいい熱帯魚とたわむれるサンゴ礁のシュノーケリングがこんなに楽しいとは思わなかった。でもやはり おもいっきり遊んだツケは夜にまわってきた。ぐわあ。背中がいてえ!ひどい日焼けである。とても寝れない。肩から背中一面大やけど。いよいよ明日はダイヤモンドヘッド登山であるがどうなることやら。

初めての海外登山:といっても和気アの竜王山くらいであるが、とりあえず海外でははじめてのハイキングである。8月20日、朝7時半起床。長女、次女の二人を連れていくことになった。(妻と三女は朝からショッピング。)荷物は私。長女はビデオ係、次女はカメラ係を命じる。事前の情報で、軍施設内のトンネルを通るのに懐中電灯がいるのを知っていたのでデイパック一つとペンライト2つを持ってきていたが、現地でとったパンフをみると最近になって電灯が整備されたらしい。でも一応もっていく。ホテル脇にあるABCストアー(なぜか50mおきにある異常な数のコンビニ。)でイマイチまずいおにぎりと、でかいサンドイッチと安いミネラルウオーターを買って8時半始発のオリオリトロリーJTB旅行者だけがタダで乗れるバスで、ホテル前からダイヤモンドヘッド登山口までちゃんと運行されていた。おかげでオプショナルツアーなしにアプローチできました。)ホテルから15分でクレーターのトンネルをぬけて火口内にある駐車場に到着。そばには軍の車輛がみえる。ここはまだ軍事設備がいきている。そばのインフォメーションセンターで入山料一人1ドルを払う。ここでちゃんと日本語の登山地図をもらうことができた。ルートは明白だろうから、べつになくても構わないと思っていたのだが、予想以上に詳細な図解入りであった。高低差は170mで30分の登り。山頂付近は要塞内を通る。ふんふん。背中の日焼けがいたくてデイパックを背負うのがつらい。結局ほとんど手にさげていく。日本人だけでなく外人も多く、家族連れなどでかなりの大人数が蟻の行列で歩いている。昨夜は日焼けのせいでひどい寝不足。これ以上日焼けするのが怖いのでタオルを帽子でおさえて日本兵スタイルでゆるやかに登っていくと、なかなかいい展望台がある。日差しはきついが風は涼しい。山頂直下の要塞内を階段やトンネル(全てちゃんと照明されていました。)を越えていくと最後はらせん階段(スカートだとパンツ丸見え。)を登って要塞最上部につく。(買わなかったが、ここで登頂証明書を2ドルで売っている。)ここからさらにせまい窓を外にはいだして回り込むと山頂である。稜線はまるで大山縦走路みたいで、できればクレーターぞいに縦走したいが軍事施設につき立ち入り禁止である。360度のながめを楽しみながら人でごったがえした山頂で持参した朝飯をくう。下りもおなじくらいかかって下山し、オリオリトロリーでホテルにもどると10時半であった。かくして初めての海外登山はチャチであったが、オプショナルツアーでもなく、ガイドレスの自力登山で無事に終了した。じつは、私の頭には去年の穂高縦走後に発起したマッターホルンのガイドレス登山の構想がある。(チャチでも大きな目的のちゃんとした練習なのです。)海外登山の問題点は、時差ボケでかなりツライことや食べ物が口に合わなくて食欲がうせることによる体調不良を克服していかなくてはならないことに加えて、いざとなって言葉が通じない危険な生物がわからない気候も違うといったことである。これらはすべて頭で理解と予想はしていたが、今回、体験してはじめてその辛さや不便さがどんなものかよくわかった。また、国内でもいえることだが、はじめての地であることからくる精神的ストレスもかなりダメージになる。土地勘がないからといってアプローチでとりみだし、体力、気力を消耗しきっていては話にならない。情報は集められるだけとことん集めておき、現地における意に反する事態にたいしては柔軟な対応ができることも大事である。(それには大勢より単独もしくは二人がよく、あえていろんなトラブル克服経験をしておくことも必要に思う。)さて、昼からは限界に達した体に鞭打って妻のショッピングに同行し、親子共々クタクタになる。翌日、早朝からまたエコノミー飛行で関空に帰る。楽しかったがいろいろ大変な旅行であった。それにしても(小豆島もそうだが)ハワイは火山島だけあって山が面白い。海と山が両方楽しめるいい所だ。自然破壊がすすんで自然保護がかなり厳しくなっているが、さすが国際リゾート地である。また、あまり期待してなかったダイヤモンドヘッドも大山みたいなところがあってうれしかった。火山というのはたとえ低くても面白い山だということを実感した。

台風16号:04年8月30日夜、下界で味わう風としては初めての“怖いくらいの風”が吹き、爺さんからのマスカットハウス2棟が全壊。親父の備前焼陶芸室の扉3つがぶっこわれ、窯の屋根はトタン4枚がとびました。母屋の屋根も瓦が2枚とび、土塀がくずれました。離れの我が家も家まわりの収納箱などかなり重いものまでふきとばされました。松茸山の閉鎖作業をするつもりで31日に休みをとっていましたが、親父の備前焼陶芸室の扉と、窯の屋根の修理に丸1日駆り出されてしまいました。しかたなく9月1日も無理をいって急遽休みをもらい、朝から残りの片付けをして、やっとのことで昼1時から閉鎖作業にとりかかることができ、暗くなる6時半までかかってなんとか完了しました。

閉鎖作業:今回はかなり気合をいれて閉鎖しています。とくに温泉新道はロープをはずされないようにしつこく結んでいますし、主要な登山口には10mくらい奥にさらにロープをはってキツメの警告文も掲示しています。駅前の交番にも入山禁止の案内をお願いしています。今回は入山禁止の拡大版も作り、夜8時前でしたが和気駅にもっていって掲示してくれるようにお願いしました。駅員さんも登山者の利用が多いのをわかっていたので、気前よく入り口脇の柱に掲示してくれました。あとは役場の許可をとって駅前案内板にも付けさせてもらう予定です。これだけひつこく入山禁止と表記されては知らばっくれることは不可能ですし、普通の人なら ものものしさにひくでしょうね。これで地主さんも怒ることなく、去年拡大した松茸テープがまた減少してくれるといいのですが。でも、なかには無視して大勢でゾロゾロ歩き、そのうえ呼び止めた地主さんにむかってシャアシャアと文句をいって先に進んでいったリーダーがいたそうです。ああ。愚か過ぎる!馬鹿丸出しとはこのことです。飼い主を噛んで処分されるクソ犬みたいなこんなパーティーが存在するのでは登山文化はもうオシマイといえます。私が地主なら有刺鉄線でガチガチに登山道を閉鎖して、みせしめに登山者全員を永久追放してやるところです。(じつは岩山の山頂は藤本家の土地ですのでやってやろうと思えばいつでもできます。まあ、ここが閉鎖されたら和気富士から縦走してきた登山者は困るでしょうね。和気ア全体としてもかなりの損失になります。) “地主なんてクソくらえ。俺達ゃ泣く子も黙る愚連隊でえ!”なんて山賊きどりのチンピラ諸君は改心しなさい。登山道は皆のものではありません。地主さんのものです。貴方達はそれをタダで利用させてもらっているだけです。登山は、エラソーなものではなく、単なる“遊び”です。くれぐれも、遊ばせてもらっている地主さんの“恩”をわすれないように!

9月6日:朝町役場の産業振興課を訪ねて、駅前の鳥瞰図(でっかい案内板)に入山禁止の掲示をつけさせてほしいとお願いしましたが、他の人がこれもつけさせてくれなどといってくると困るとの理由で却下されました。ただ、登山者からの電話での問い合わせには入山禁止を伝えていますとのこと。こうしてみるとよく和気駅に掲示させてもらえたなあと思います。ホントはダメなところを大目にみてもらえたのかもしれません。駅長さんに感謝です。とりあえず駅構内に掲示されているのでJR客はこれでよしとして、あとはマイカー客の多い温泉だ。ということで、閉鎖している温泉新道の案内板の手前にこの入山禁止の拡大版を追加掲示しました。(うん。もうこれでいいだろう。今回はホントにキッチリ閉鎖したなと思います。)

構想の実現:じつは、もう頭の中は来年3月に完成する裏銀座のことでいっぱいです。昨夜は早くも裏銀座コースのコラムを作っていました。今度のはウリピー=ジョーンズの反省からハード過ぎないようにコース設定してあります。内容、ボリューム、ともにウリピーに比べてかなり快適なものに“濃縮”しました。技量に応じて難所(奥壁先端やチンネなど)はパスできますし、途中でエスケープもしやすいです。1つのエリアだけでも充分面白いので、体力や時間のない人は3つのエリアを3回にわけて1つづつこなしてもOKです。今度のコースの特徴はズバリ“変化”と“インパクト”です。とにかくめまぐるしく しかもかなりインパクトをもって変化し、決して同じ状況がダラダラとは続きません。ただ、エリアから下山するごとに山の学校と宗堂池がちょっと下界めいているのが唯一しかたない部分です。里の近くまでは降りたくないという方は(ちょっとした岩稜がありますけど)御大師山をオミットしてもいいです。自分でも究極レベルといいきったり、集大成と位置づけたりしている分、皆さんの反応が気になりますが、自信があります。(でも、ウリピーはハズしたからなあ。ううむ。大丈夫かなあ。)ツマラン部分が少ない分、体力的にも精神的にもラクなので、マイカー利用で健脚の方は温泉に駐車してザイテングラードを登って東平尾根を藤公園まで(約2時間です。)歩いてからスタートしてもそんなに苦痛ではないでしょう。また、JR利用で温泉に入る気のない健脚の方は鵜飼谷北稜ルートを下山せずにそのまま穂高山を越えて和気富士まで縦走してもいいです。ただし、欲ばって両方とも頭としっぽにつけるとキツ過ぎて面白さを味わえなくなると思うのでやめておいた方がいいでしょう。

バイパス:来春、鷲ノ巣とチンネ・スラブをつなぐバイパスを作ります。本当なら単なる近道としてのバイパスは、あまりつけるとクモの巣状の迷路になるのでつけたくないのですが、裏銀座コースをより楽しめるものにするために あえて110mスラブの下部から 鷲ノ巣へ向かう登山道の涸れ沢から出る場所へトラバース道をつくります。これで、チンネ・スラブを往復したらスムーズに鷲ノ巣に向かえます。また、初心者がスラブ途中で引き返しても たいした寄り道にならなくて済みます。じつはチンネ・スラブの開拓時、鷲ノ巣へ向かう登山道の涸れ沢から出る場所からトラバースして110mスラブにたどり着いたのです。この初踏ルートをそのまま整備してもよかったのですが、現在ついているルートが意外としっかりした踏み跡として残っていたので、これを復活させ、やたらバイパスは作らない!の主義でふせておいたのです。ウリピーのイベントではルート間をあけて全体にボリュームをもたせたかったので バイパスがなくて正解だったのですが、今度のイベントではバイパスは必要だと判断しました。なお、鷲ノ巣岩上とチンネの頭をトラバースするバイパスもつけれなくはないのですが、(またなにかイベントを企画したとき必要に迫られたらつけるかもしれませんが、)いまのところあえてつけずにおきます。ご了承ください。

前尾根ボルダールート:なかなかおもしろい岩場があるのに鷲ノ巣やチンネ・スラブに近いためちょっと影が薄い岩尾根ルートです。(この2つのそばでは、よほどのことがないかぎり岩場の影は薄くなってしまいます。うん。)ただし、展望がとても良いのと、ボルダリングできそうな岩がゴロゴロしている(私はデブなため、ボルダリングは苦手ですが、芦屋ロックガーデンの根性岩に感化されて、和気アにもボルダリングできる岩がほしくなっていた。)ので、東壁エリアと鷲ノ巣エリアを繋ぐルートとしては 一度下山するけれど、変化のない東平尾根を歩くより、かなり遊べる楽しいルートにしようと思っています。

荒神ー(こうじんぐろ):コウジングロの名を知らなかったために最初は“大屏風”としていました。大台ヶ原ではーは“ぐら”となっていますが、もともとは岩の変形文字で読みは“ガン”で、大岩の意味です。和気アの場合、地元の80以上の年寄りでないと“コウジングロ”の名を知りませんが、これを“荒神ー”と書いてよいのか正確にはわかっていません。グラがグロになまっているのは、峠がタワやタルになまるのと同じだと思ったので、私の一存で字を決めました。(我ながらかなり気に入っているので、もうこれで押し通します!)なお、トラバースルートは小屏風とセットになっているので、トラバースルートの名前でのみ“大屏風”(別名の“日電歩道”がメジャーになると、だれも大屏風とはいわんようになるけどね。)と、しておきますが、岩場の名前は“荒神ー”です。よって今度直登する新ルートは“荒神ー直登ルート”です。(“大屏風直登ルート”なんて名前は無しです。もしかしてシロウマダケもこんな風にハクバから分けられたのかもしれませんね。)

県北の沢もナメたもんじゃない。岡山県内にも面白い沢はないか捜していると、ベテラン鈴木さんのHPにいろいろと紹介されており、そのなかで、泉山の寺ヶ谷川が県内有数の多くの滝をもつ沢となっていたので、今期しめくくりの沢はこれにしようと決めていた。ところが、下山ルートが藪漕ぎで迷いやすいとなっていたので、お隣の下山ルートがしっかりある中林川(ちゅうりかわ:んは付けない。)に変更した。途中に堰堤が1つあるが、30m級の滝が2本もあり、泉山山頂にダイレクトに登れるのも魅力だ。駐車場もちゃんとあるし、下山ルートは“天の川コース”という最近できた登山道を利用すれば縦走も楽しめる。いいじゃないか。そもそも県北の山なんて変哲もないから雪山か沢でしか登る気になれなかった。(また!ホント敵を作るようなことを。)今回、いい沢ルートの情報(といっても鈴木さんのHPだけだが。)を得たことで、はじめての泉山登山に行く。9月11日、AM8時 和気鵜飼谷温泉P集合。途中にある昔から気になっていた変な岩をすぎて、9時半 鏡野町大町の登山口に着く。案内板があり、駐車場はまだ沢沿いを3キロも登った先となっている。細い道を上がっていくとダートになる。おいおい。こんな道をずっと行くのか。えらいことになったと思っていたらまた舗装路になりホッとする。どうやらまだ工事中みたいだ。どんどん進み、かなり高度をかせいで得した気分になるが、ほんとにこの先に駐車場があるんだろうな。バックで帰るのはゴメンだぞ。と、少々不安になったころ、こじんまりとした駐車場につく。やれやれ。新しく綺麗なトイレもある。準備していると、現地で落ち合うことにしていたKさんもマイカーで乗りつけてきた。10時半スタート。風情ある橋をわたると手書きの案内板があり、中林滝、二ノ滝、ゆらぎ岩、火の滝をめぐる滝めぐりコースを紹介してある。ふんふん。火の滝も30mあるのか。火の滝は名前だけしか情報がなく、同じ沢にある小滝かと思っていたが支流にある大滝であることを知る。まあ、これはまた今度だな。登山道を歩き、すぐに30mの中林滝。おお。昨日まとまった雨がふったので見ごたえがある。写真を撮って登山道をそのまま歩いて巻く。しかし、さすがに大滝。巻くのはキツく、早くも汗だく。巻き上がると藪沢を渡る。これを間違って入りそうになるが、どうみてもこれはちがう。枝沢であることに気づき、先に進むとちゃんとした沢。わらじをつけ入渓。小滝で水を浴びて涼しみながら進むと、これまた25mの二ノ滝が白い飛沫を上げている。遠征ばかりして県北の沢を舐めていたが、なかなかどうして大したものである。夫婦のハイカーに写真を撮ってもらい、左を巻く。うまく岩壁が一箇所だけ途切れているので、うまく突破できる。見るとバンド(帯状の岩棚)が二ノ滝の落口に続いているので、皆に待ったをかけて一人で偵察する。バンドは途中で岩がかぶってきて這わないと通れない。ううむ。どうするか。横は切れ落ちて危ないが、この先がちゃんと通り抜けれるのか知りたい。思い切ってザックを置いて、空身で四つん這いになる。その時、胸ポケットに入れていた撮りきりカメラがポロリとおちた。あっという間に崖から転がって消え去った。ガーン。せっかくの写真がああ。皆に謝って、先に進むとちゃんと落口に通り抜けれた。しかし沢に降りるには少し先までいかねばならず、これでは普通に高巻いたほうがラクである。引き返して皆に普通に高巻くように誘導する。結局、くだらん好奇心でカメラを失っただけ。拾いに降りても見つけられそうもない。壊れている可能性も大なので諦める。(スミマセン。ゴミしました。)小滝を越えると堰堤がある。まわりはトゲトゲの草木が茂っていて巻くのに思わぬ苦戦を強いられた。いままで持ち歩かなかった折りたたみノコやゴム引き軍手が必要に感じた。沢に戻って、広々した岩の上で11時半、早めの昼食にする。この先も小滝をできるだけ直登しながら進む。なかなか登りがいのある沢だ。やがて二俣になった。左は藪のツメになるので、これを右の小滝を登ってOK。地図とコンパスで確認。うん。ちゃんと山頂に向かっている。あとは水量の多い本流をたどるのみ。そしたら植林帯をぬけて笹原になって山頂だあ。(じつは、これは左に枝沢があっただけで、二俣ではなかったことを後で知る。)もう滝はないと思っていたら小滝がある。登るとまた連続の小滝。思わぬ美しさに変だという思いがかき消される。多分、水量がない時期だったので鈴木さんが抜かしたのだろう。などと、ムリがある推測をしてツメに入る。右に狭い枝沢がある所にきたが、水量のある左をすすむ。(そう。ここがホントの二俣。ここでコンパスを出して確認しておけばよかったのだ。)するとやけに右に何本も枝沢がある。おかしい。左からの枝沢はあっても右からはないはずだ。藪漕ぎになる。大丈夫。下草のない植林帯になるから。なんとかそれらしい所まできた。ここでわらじをはずす。急坂を登るとすぐにすごい笹薮になった。大丈夫。すぐに稜線に出るから。でも、これはキツイぞ。いや、キツ過ぎる!どうみても変だ。もう、急坂の壮絶な薮漕ぎになった。バテバテで登山道に飛び出すと、ハイカーのおじさんがいて、まあ、よくツメたねと感心してくれた。山頂はこの上ですかと左を指差すと。いや。あれだよ。と右にいったん降りて登り返した先のピークを指差した。ええっ!ぜんぜん違うじゃないか。バテてもう山頂までいく元気はない。ヘトヘトになって出てきた皆に間違ったことを謝り、休んでいると写真を撮ってくれた夫婦のハイカーにまた会った。写真はパーになったことをつたえると笑っていた。下山にかかる。1198m峰から下ると山小屋がある。泉山の語源という湧き水があるので立ち寄る。ここから中林コースを降りてもよいが、小屋裏から縦走路に戻り、井水山に登り返す。のぞき岩はオミットして、天の川コースを下山する。休憩舎があるが、変哲のないコースである。ハズしたなあ。中林コースが隣にあるんだからこれは意味のない自然破壊だぞ。と、ブーブーいいながら見所のない道をくだっていく。850m付近まで降りると小滝のある沢に出た。ここからは沢沿いを下る。藪ぎみだが、なかなか小滝のあるいい沢だ。なるほどこれならいい。当たり。と、手の平を返す。分岐にでた。(ここの岩がゆらぎ岩だった。)下も左も中林となっている。わずかな登り返しもイヤになっていたのでそのまま下る。鎖やロープが設置されていて、なかなかハードな雰囲気になってきた。沢下りにちかく、荒れ気味である。むっ!この下はなにかすごい滝がある。もしかして火の滝か。それしか思いあたるものはない。皆に用心するように指示して沢を渡り、鎖にしたがって回り込むと30mの大滝が姿を現した。皆も感激。やっぱり火の滝だった。思いがけず滝巡りコースを下山していたのだ。すごく得した気分。来年はこの火の滝沢を遡行したくなった。しかし、ここから先も沢下りみたいに荒れていて、コースサインに助けられながらルートを下る。初心者はうろたえそうなくらいのルートであったが、クタクタになって橋に帰りつく。30分遅れの16時 下山完了。Kさんと別れて、変な岩(シモの病の神様でした。)に立ち寄って、18時 鵜飼谷温泉着。無事解散。名立たる沢を遠征して自信をもつのはいいが、地元の沢を舐めるのはよくない。ちゃんとコンパス確認して間違わないようにしよう。思いがけず30m級の滝を3本も見れたことは最高であった。県北にもなかなかいいものがあることがわかってうれしくなった。(オハヨー山岳会山行記録より)

判らないこと:昔、薪を拾いに全ての家が山に入っていた頃とはあまりに現在では生活様式が変わっています。山と人の関わり方が変化しているため、いきさつや決まり事など老人でないと役場の担当者や地主ですら知らないこともあります。かくいう私もはじめは松茸山のことすらよく知りませんでした。よく知らないといえば、草木の名前は今もそうです。よほど気になるものがないかぎり調べることはしていません。また、気になっているのが、狩猟です。里山は松茸シーズン終了からは狩猟シーズンになるとのこと。ハンターがあとからドヤドヤ来だしたハイカーに追いやられている気もします。害獣駆除は必要ですし、狩猟も文化です。詳しいことを調べて、トラブル、事故、事件のないように啓発していきたいです。私個人としては、12月と1月の狩猟時期も入山は控え、特に藪漕ぎ遊びはやめておいた方がいいと思います。(となると、里山低山の登山シーズンは2、3、4、5月。せまい?でもないか?)ハンターも気をつけているでしょうが、登山者も気をつけてください。

道が掘れて山が崩れる。:私が悩んでいることの一つです。(もう一つは盗掘。)空き缶や包み紙などのゴミなら拾えばよく、産廃ゴミでないかぎり対処はしやすく、拾ってくれる方も結構いて助かるのですが、登山者を呼び込んだ張本人として登山道の掘り返しには苦しんでいます。特に温泉新道がよく掘れており、さらには町の委託業者に毎年どんどん道幅が刈り広げられていたりして、地主さんも嘆いていました。(同様に、はじめは許可してくれてた地主さんでも6年たった今では困惑されている方が何人もいるかもしれません。)対処として、木片チップ(バクテリアのせいか意外と流失しないみたいです。)をしくことや、我が藤本家の土地である隣の岩山にルートを付け替えることを考えています。また、町による登山道の刈り払いも倒木処理だけにして、刈り広げないようにお願いしました。とにかく点検と修理、土の盛り固めなどしていかなくてはならないでしょう。でも、ホントはそれだけではダメです。同じことはやがてあちこちで問題になるでしょう。私のよかれと思ってしたことは和気アを荒廃させ、盗掘させただけ、さらには崩落災害の引き金になったというのではあまりに悲しすぎます。柔らかい靴底(一番いいのは地下足袋。)の使用を啓発しなくてはならないと思っています。草案として、重登山靴や中登山靴の禁止地下足袋、軽登山靴の奨励。(ローインパクトブーツの取り扱いを販売店やメーカーに、ダメ元で希望したいです。)ほかにも、小石を踏みつぶさない落ち葉は払わずに踏みつけること、足を引きずりながら歩かない、できるだけ足跡も残さない(うむむ。)、荷物の軽量化ダイエット(うっ!これはキツイ。)も啓発したい。有名な山には急坂直登ルートなど階段が崩れて放置され、両脇にステップが広がって痛々しくなった部分が結構あります。これをアタリマエとして成り行きまかせにせず、せめて啓発活動くらいしていきたいものです。

対処:木片チップはいくらぐらいするのかなあ。(製材所でタダで貰えればいいのですが、)大量にいるけどそんなにあるかなあ。個人じゃムリかなあ。ううむ。木道などは、作るにも維持するにも相当な経費がかかるので、個人はおろか地方自治体でも苦しいですし(国立公園なら国家予算でなんとかなるでしょうが。)、自然の面白さをウリにしている和気アでは“ガッカリ対処”(私の造語で、よくある“せにゃあええのに。”というやつです。)になりかねません。また、入山規制をするにしても、規制の基準(誰をダメとするか。)が設定できません。(もちろん したくはありません。)先人の知恵や最新技術などドン欲に研究していかなくてはならないと思います。

入会権(いりあいけん):一定地域の住民が一定の山林・原野に入り、共同で収益できる権利のことです。つまり、区の山林(財産区)ならその地区の住民は山菜採りができるというものです。(一応 内容は知っていましたが、イリアイケンという名前はあとで教えてもらいました。)ただし、個人に落札されてないか区の管理役員さんに確認し、正確な範囲も把握しなくてはいけません。(これが得てして面倒でされていないことや、一人で先に全部せしめることでトラブルになることがあります。)今回、私が追加したキツメな警告文やHPでの啓発は、主に外来者である登山者を対象にしているので、地主さん擁護の立場から入会権には触れずにおきましたが、地元の方から指摘があり、外来者向けに発したものであることを伝えました。

思い切ったこと:実は先日、法律から土木まで山のことをよく知るある老人の方に、昔の先人によっていろんな防災の仕組みが山中にはされていて、私の作った登山道がこれを壊していることなどからも、もうこれ以上の開拓や登山者の呼び込み行為をしないで、可能な限り私がいじる前の状態に戻してほしいといわれました。私は“山を知らざる者、山をいじるなかれ。”などとえらそうなことを言っていて、土木のことなどは、なにも知らなかったのです。(ああ。恥ずかしい!)なお、和気アに限らず、あちこちの山でもいろんな間違った対処がされているようで、このことを嘆かれていました。山とつきあうには、雪岩などの登山技術だけでなく、歴史、法律、土木、動植物など知らなくてはならないことがメチャクチャ多く、つくづく奥が深い!と、あらためて実感しました。ホント、私はなにをもって山を知っているつもりでいたのか。(確かになにか大事なことをわかっていたつもりですが、まだまだあさはかでした。)いえることは、まだまだ私は未熟で、もっと成長できるということです。(なんというプラス思考。)極められなくてもいい。やれるだけやりましょう。(うん!)自分のしていることが、とんでもない悪事ではないかと以前から不安になっていただけに、“確かに。もう辞めて、自分の作った部分は閉鎖しよう。”と、思いました。(集大成ができそうなのに辞めるとか。地下足袋とヘルメットでハイキングしろとか。私もかなり変なおっさんですが、どれも考え悩んだ末のことです。)もしかして山を極めることは自然に還すことかもしれません。私はその域に入っているのでしょうか。ルートは地図から消去しますし、道標なども撤去します。ただ、ロープなどで入り口を閉鎖してしまうと、元々地元の方が歩かれていた踏み跡を整備したルート(ほとんどがそうです。)などは、生活利用されていた地元地区の方が困りますので、よけいなことはせずに、元々の藪道に還すようにします。結果的にはルートのバリエーション化といえます。今、検討しているのは、地元でも急にゴミが増えて困っている宗堂池周辺の環境保全(私もこの池が大好きなので、なんとかして守りたいです。)と、誰もそんなに通らないと思っていたら大勢歩いている危うい“屏風岩トラバースルート”の崩落予防です。(他にもまだ検討しています。)とりあえず、これらに関わるルートを来年からはバリエーション化(地図から消去。道標撤去。)していきます。HPも余計なガイドは削除し、啓発中心の辛口なものに作り直す予定です。実行にあたっては、お世話になった(迷惑をかけとおした)地主さんにお礼とお詫びと変更することを伝えてまわりたい。(ホント。かなりひどい迷惑をかけていたと思います。)なお、できることなら、地元地区の方や地主さんのみが生活利用するルートとして使用してもらえれば嬉しいです。そもそも登山者増加で温泉などに経済効果こそあれ、地元地区の皆さんには迷惑しか掛かっていませんでしたから、PRを辞めて地元地区の皆さんだけの生活利用やレクリエーションの場とすることで、地元地区に還元するとともに和気アを痛めないようにできれば最高です。そうです。地元の恩ある方々を困らせてまで他所の人に奉仕することはないのです。(いままでやってたことは“善意の押し売り”といわれても仕方ないものです。)もちろん私の独断ではなく地主さんや区長さんの要望を重視して、できるだけ温泉などの経済効果を失うことも避け、一点集中してかえって掘り返ってしまうという逆効果もないように、どこを生かし、どこを隠すか決めていきます。(登山者を適当に分散するのにかなり緻密な計算をすることになりそうです。)

PR:今までの私の行動でただ一つ効果があったのは和気アを充分(過ぎるくらい)PRできたということだと思います。これ以上のPRは健康な人に風邪薬を飲ませ続けるようなものです。はじめは皆さんに歩いてもらわないと、せっかくの道が薮に消えてしまいそうでしたが、6年たった今というか これからは、掘りかえってマズイことになりそうなのに気づきました(ちょっとアセっているくらいです。)ので、HPはPR中心から啓発中心のHPにしていきます。(マスコットのウリピーにいろいろ苦言をはかせます。)“こないだまで おいでおいでと言っといてホントに勝手だなあ。”と、憤る方もおられるでしょうが、現状と未来を見据えて悩んだ結果です。(以前、自然の岩場では大勢でワイワイとフリークライミングをやるのは無理があるといっていましたが、ハイキングもそうだったのではと、今では思っています。)和気アは鷲ノ巣を含め、ほとんどが脆い石英粗面岩(流紋岩)で構成されており、崩落しやすいので、今までに私が一般化したルートで崩落予防などが必要なものはできるだけ早期にバリエーション化します。(まあ、大山同様、崩れやすいからアルペン的な景観が得られる訳ですが。)ううむ。自分なりではありますが、なんかまた成長しているなあと、思います。

クモの巣だらけはいいことです。:和気アは、5月ごろから登山道はクモの巣だらけになります。顔にメシッ。“うええ。気持ち悪りい。”と、ほとんどの人は嫌っていると思いますが、じつは小鳥にとってクモは子育てに欠かせない大事なエサになっているんです。ある意味で、クモの巣だらけなのは、(松茸が、人が山とうまくやっていることの“証し”であるように)自然が豊かなことの“証し”なんです。こう思うとなんかこう クモがカワイクなりませんか?

さらなる転機:9月28日昼過ぎ、和気美しい森に行き、木片チップのことを訊く。かれこれ4年追加もせずにきているが流失も少なく、いまだにフカフカしている。ただし、これはここを整備したときにでた大量の間伐材を大型シュレッダーで粉砕して作ったものでした。(一石二鳥のアイデアといえます。)どこにいけば木片チップが入手できるかききましたが、木材不足みたいな上に取引相手が固定していそうで、まとまった量は確保が難しそうです。(建築廃材などで作っていることもあるようですが、釘の混入が心配です。)入手方法をさらに検討するとして、なにかもっといいアイデアはないか先日お会いした 山を良く知る“老師”Nさん(老いてなお、なんとも難しい哲学書や論文を英語やドイツ語の原書で読まれており、竜王山で山の声をきくのを楽しまれています。)に相談にいく。先日の話会いで意気投合しておりましたので、今日はお茶までご馳走になり、薄暗くなるまで3時間以上も山の声を聞くことや、いかに山を守っていくかについて話会いました。(この12月から宗堂池周辺の私が整備したルートは屏風岩トラバースルート共々地図と道標のないバリエーションルート化すること。(閉鎖ではないけど、大勢が踏み込めないようにします。)さらには今後継続して、上級者でも大勢(約5人以上。)での進入を控えるように啓発することにしました。)竜王山登山道がこの2年で著しく掘り返り、小石が流失して松などが枯れてきて、崩落災害が懸念される実態をふまえ、Nさんが痛んできた登山道を交代で5年間づつ休ませるという名案を出されました。自然には元々かなり強い回復力があります。痛んで回復力がなくなってしまう前(ここが大事。)に5年程度(回復度合いで変動。)の期限付きで入山を規制して、自然の力で山の自然を回復させるというものです。これならホントに山好きな方なら大歓迎で、5年後がたのしみでしょう。ねえ。皆さん! あちこちの山で登山道閉鎖(閉山)という悲しい結末をむかえたり、まったくの荒れ放題だったりしておりますが、和気アは山を人間が手術するのではなく、自然の力で治してもらう方法を日本(いや世界?)で初めて実践していきます。まずはNさん御ひいきの竜王山でやってみましょう。(竜王山は日本で初めて自然回復法を実施した記念すべき山になるかもしれません。)竜王山は地元の信仰の対象ですので、地元の方が参拝されることや地主さんや管理役員さんが手入れされることを除いて、竜王山登山口から山頂までをレクリエーションでの登山行為を5年後の2009年12月1日まで禁止とし、役場に現状の説明、理解協力を依頼し、HPで啓発します。そしてこれからもその他の登山道も痛みがちな順番に交代で期限つきの通行規制をしくことにします。温泉新道も岩山ルートを整備し、公開後に休ませます。(木片チップも入手できたらテストしたいです。)また今後の新ルートでも地主さんが許可してくれていても、なんらかの迷惑がかかりそうである場合は公開せず、道標のないバリエーションルートとしておきますもともと、里山の登山道は地元区民だけが知るコースサインすらないいわゆる“バリエーションルート”だったのです。利用者は樹木の手入れや山菜採りや子供の秘密基地作りくらいで、藪に包まれることはあっても掘り返ることはほとんどなかったでしょう。(そしてこのバリエーション的な雰囲気こそ“山”の面白さの大事な部分だと私は思っています。)ところが、和気アのように人気がでるとオーバーユースで、いかに自然に回復力があっても取り返しのつかないことになります。観光か自然保護かは今まであちこちで論議されてきましたが、私はあきらかに欠点だらけであるどちらかを選択するのではなく、もっといい選択枝を自分で作ってそれを実践したいのです。正直、逆効果がないか不安ですし、どんな結果になるかやってみないと判らないという部分もありますが、どんなに検討しても予測しきれないのが自然であるとも思っています。どうせこのままほっといてはダメになるのですから、ダメで元々です。良かれと思うなら失敗を恐れずやりましょう。新たな問題が起こっても、くじけずにそいつもヤッツケてやるまでです。(うん。そうそう!)なお、私のバリエーションルートは新ルートの場合、最初はルートとして確定するために枝払いなどをしますが、分岐などに道標はつけず、地図にも載せません。原則として要所のみコースサイン(ホントはこれもほとんどつけたくない。)をつけるだけとし、以後の管理も倒木をよける程度で、よほどのことがない限り、藪は茂るにまかせます。(ホントに山好きな人にはたまらない“お宝ルート”になるでしょうね。)何年かして、いよいよ藪にのまれて消えてしまったらそれはそれで良しとします。いつか私の作ったほとんどのルートがそうなって消えてしまっても山にとっては良いことですし、はるか未来、再び私みたいなのが出てきたら、私と同じ様に“おお。こんなところにもルートだった跡がある。”なんて驚くでしょうね。それもまた愉快なことです。おっと。早くHPを更新しよう。集大成の裏銀座は削除して隠します。自分でもこうすることで、本物(本当)の集大成ができるのではと思っています。“まぼろしの傑作ルート 裏銀座コース”これは存在だけが知るところとなります。(ふっふっふっ。)また、HPの啓発も堅苦しくすると読んでもらえませんから、馴染みやすくする演出としてウリピーやグラサンにまた活躍してもらいましょうか。辛口な内容でも受け入れてもらえるように工夫します。まあ、あれこれ辛口な啓発すると“なんでお前にそんなことを決める権限資格があるんだ?”などとくってかかる方もいるかもしれません。いいんです。判ってくれない人がマレにいることは最初から覚悟の上ですから。あらかじめ釈明しておくと、“私の啓発活動は消防活動みたいなものです。地元住民の財産である和気アを守るのになんの権限資格もいらんでしょう。このまま崩落して、土砂災害で民家がつぶされ、いくつもの人命が失われてもいいというのですかその要因を作った張本人として、私はなにかをせん訳にはいかんのです。”と、なります。

裏銀座コースはバリエーションルートです。:登山者増加で掘り返って登山道の風情が失われつつあり、啓発しなくてはいけないと思いながらも、“私の集大成”といえる裏銀座コースがいよいよ完成の目途がたってきていたので、とりあえずこれを完成させてから啓発しようと思っていました。しかし、老師Nさんの話をきいて、啓発を優先することにしました。今では、こうして早めに呼び込みから啓発に意識転換できたことを、Nさんに感謝しております。 “鳥の声を聞き、草木や虫を愛で、風にふかれ、動物と出会い、ゆっくりとした時間の中で一人静かに山と会話する。”というNさんのスタイルが、まさに私の理想そのもので共感しました。Nさんの提案された“いれかわり5年間づつ山を休ます。”という自然回復法(仮称)も今の和気アにピッタリないいアイデアだと思います。私自身、これまでとにかく歩いてもらうことばかりを願っていたのを、いかに適度に歩いてもらうかということに意識転換でき、既存ルートだけでなく、新ルートもバリエーション化を決定しました。来年完成する裏銀座コースはその存在のみ表明しますが、バリエーションルートとして概要だけで詳しい内容はあえて非公開とします。和気アに何度も通われたベテランなら概要だけで、ガイドなしでも歩けますので、どうか大勢でわいわいやらずに、単独か本当に山好きな2,3人だけで静かに歩いてください。なお、なるべく装備として地下足袋とヘルメットの着用をお願いします。意識転換により私の集大成は私自身が思っていた以上の傑作といえるものになりそうです。(おっと。あんまりPRしないようにしないとね。)また、和気ア周辺にも面白い山がいくつかあります。まだかなり先のことになるでしょうが、これも開拓をする場合は地元の要望がない限りバリエーションとして整備しようと思います。(カッチリやっても、ほとんどトレースされずにあっさり藪に消えてしまうかもしれませんけどね。)

哲学:最初からこんなHPを作ったりしなければよかったのかなあ。そうすればあまり登山者も来ずにいい穴場としてうまくいっていたのかもなあ。私もこんなにボヤくこともなかったでしょうし、哲学することもなく、あやふやなままで平気だったでしょうに。でも、このHPのおかげでいろんな方と知り合えましたし、和気アルプス代表者として啓発もできます。そしてなにより、自分を強制的に高める(成長させる)ことができたと思っています。哲学するには2つの方法があります。ひとつは文献を読みまくったり、先人の話を聞いて“学ぶ”こと。もうひとつは一人静かに気の済むまで考える“思う”ことです。(たしか孔子もこんなことを言ってましたよね。)なぜかこの2つを去年から急にガンガンやりだし、今年末の自然保護活動に関しては自分でもかなり堅苦しいことになったと思っています。何年か前とは逆のことを言いだしたりして紆余曲折したりもしております。“藤本は最近やたら気難しくなって、なんか関わりたくないなあ。”なんて敬遠されてしまいそうです。私はただ遊び心を大切にしながら、この相棒の和気アを守っていきたいだけなのですが、ホントどうしてここまで来ちゃったのかなあ。まあ、なにを考えようと、なにをしようと、そのうち私も死にますし、遠い未来で和気アもいつかは崩れ果てるかして姿を変えるでしょう。すべては無意味なことといえばそれはそれで正解です。でもなんにもしないでただ死ぬ時をまっている人はアメーバと同じです。たとえまだまだ無知で幼稚な存在であっても、人間は地球上のほかのどんな生物よりもいろんな面白いことができるのですから、生きていたことの証はたとえ形として残らなくても、可能な限り面白いことをしないと、せっかく人間として生まれてきたのにもったいないじゃありませんか。“たとえ無駄でもやりたいことをやる。守りたいものは守る。たとえそれが後で間違っていたこととされても、その時には正しいと確信してやったのなら仕方がない。”これがある意味“勝手”で“無責任”な私の方針です。考えることはしても、結果を恐れてなにもしない人間は多いでしょう。たまには私みたいな変わり者がいた方が世の中にはいいものではありませんか。(実際、迷惑なだけだったりして。)そもそも生物は時々変わり者を生み出すことで、絶滅を逃れたり進化したりしてきたのですからね。(そりゃそうだけど、なんかたとえがデカすぎんかい。)

心ゆくまでこの“山”をおたのしみください。:ここは自然の(本当の)山であり、公園じゃないよ。そしてこの自然の山は公園よりもはるかに楽しいよ。と、いう想いでこのフレーズを掲げていましたが、“登山者だれでも大歓迎”のイメージが前面に出ていましたので、啓発向けなイメージのものに変更しました。“山”と語り合う人のお気に入りでありたい山に語りかける大きくてやさしい心を持った山の理解者になりましょう。そして、そんな方達の聖域になってほしいなあ。と、いう想いをこめました。もちろん、最初のフレーズに託した一人でも多くの方に“山は面白いなあ。自然は素晴らしいなあ。”と、和気アで思っていただきたいという気持ちは変わりません。ただ、これだけに留まらず、“子孫にも見せてやりたいなあ。そのためにはこの山(自然)を守らなくちゃなあ。”ということも思っていただきたいと思ったのです。

“山に語りかける”とはどういうことか?:どうも判らんという方に説明しましょう。山はしゃべりません。同じく赤ちゃんやペットも言葉を知りません。でも、愛情ある親や飼い主は語りかけていますよね。たとえ返事がなくても、愛情がそうさせているんですよ。山に語りかけることも同じで、山に愛情をもっていることの証明なんです。そして、山に語りかけることで愛情を深めることができるんです。返事もないし、言葉も通じない。でも、語りかけることで、なにかを感じ取ろうとしているのは事実です。全く無駄と判っている相手に愛情で語りかける時、人間は言葉を持つ以前の太古から本来持っていた“意思の疎通能力”を知らない内に使っているのではと私は思っています。おなじみのテレパシーというやつです。“そんなマンガみたいなもんあるかい。”なんて言ってないで、落ち着いて考えれば、日常生活の常識の範囲でも“ムシが知らせる。”とか、“初めてなのに、なんか見たことがある。”とか、テレパシーみたいなものがあるということは否定できないでしょう。現に私は馬術をしていて愛馬と語り合っていましたし、愛馬に語りかけ理解すること(信、愛)で、技術や体力の至らなさをカバーするというまさしく無敵の“藤本流馬術”をやっていました。要は、山に語りかけることは“藤本流登山術”なんです。そしてこの登山術は技術や体力より恩恵を与えるものである自信があります。まず、山に惚れること。そして愛情を深めるために山に語りかけ、なにかを感じ取ろうとする“山と語り合う人”になってください。山と語り合おうという気持ち(愛情)を持ち続けていれば、そのうち“山の声”を聞くことができて、いつかは“その山のよき理解者”になれると思います。

生命とは?意思とは?:まあ、今の科学力では生命体とは遺伝子というプログラムにより自発的に化学反応をしている有機化合物であり、意思とは記憶の蓄積で形成される電気信号であるくらいしか判っていません。本当のところはまだまだ謎が多く、空想の域でもありますが、もうすでに遺伝子は解読されクローンなども実用化しています。(自分の意思をもつコンピューターも開発されています。)生命の不思議は判らんが、とりあえず扱い方は知っているという、まあ テレビの映る仕組みは知らなくても見ることは出来るという状態です。なんでこんなことを切り出したかというと、赤ちゃんやペットは生物であり意思を持っているから、なにかを感じ取ることができるだろうが、草木や動物がたくさん存在しても“山”自体は生物でもなく意思もないから、なにかを感じ取るなんてムリだよなんて思っている人が多いのではと思ったからです。結論から言って、こういうテレパシーみたいなものは相手が生命体か単なる物質かは関係ありません。(予知能力などはそうです。)だいたい我々も元々はただの物質(有機化合物)ですからね。そしてどんな物質も原子のまわりに電子を持っていますから。あえて的にいうと、生命体はタダの物質に比較して、ホントの理由もわからず争うように自発的にヤタラ滅法めまぐるしく原子や電子を動かしているだけのヘンテコな物質なんです。昨日まで貴方の一部だった細胞は数日内には垢になり、バクテリアに分解され土になってしまうでしょうし、いまの貴方の血液中のアミノ化合物は2日前にはだったかもしれません。結局 生命体は、個体としては遺伝子という設計図だけが不変なだけなんです。(おいおい。ヤヤコシイ方向へ話が向かってるぞ。それにしても、なんかヤだなあ。うん。)現在において、単なる物質的にのみどんなに解明されようとも、判らない“生命の不思議”はまだまだいっぱいありますし、とにかく、山と語り合うことを、ムリがあると思って諦めたりしないでくださいね。(山にも不思議はいっぱいありますからね。)

山の声とは?:私や仲間の経験からいうと、“山の声”は単独で苦難を乗り越えた後、山頂などで一人で心静かにしている時にのみ、ふっと聞こえるようです。仲間がそばにいたり、ましてやガヤガヤワイワイしている所ではムリみたいです。ただ、““山の声”なんて空想みたいな自問自答の結果であり、単なる気のせいだよ。”なんて片付けられてしまうと、私も今一確信がなくて反論できないのが残念です。(以前、“大山が私にサヨナラをいった。”というのは、自分の危険予知だっただけかもしれません。)でも、たとえ気のせいでも聞いてみたくはありませんか。たとえ“山の声”が、自問自答による自分自身の“心の声”であったとしても、それが聞けるということは、通常ではなりえない繊細で穏やかな心情のなせる技であり、すばらしいことではないでしょうか。ちなみに、スキーをかついで大山に一人ぼっちで登っていたとき、なにかの気配を感じて、なぜか“大山。”と無意識につぶやいたとたんに強風がふき、分厚い雲がみるみる晴れていったことがあります。偶然にしてはあまりに劇的で、モーゼのようでした。このときは“ダイセン”は山名ではなく、呪文か“神”の名かもしれないと思いました。(大山では軽々しくダイセンといってはいけない?)これも単なる気圧の変化を感じただけと言われると、そうかもねといわざるをえませんけど、とにかく私の山行には奇跡的にしか見られないモノを見たりするなど、こんなことがなぜか多いのは事実なんです。(うらやましい?)

ブラックバス:名前からして図太くてデカそうな魚です。じつはこれらしき魚を宗堂池で見たのです。もしかして釣り人が放流したのかもしれません。他の小魚を食べて生態系を壊してしまう厄介物であることは誰もが知っているのになんで放流するかなあ。ちょっとムカつきます。(ホントはかなり怒ってる。)放流した人は取り返しのつかなくなる前に責任を持ってちゃんと全部釣り上げてください。私は釣りをしてないのでよくは知りませんが、ほかにもブルーギルという名前からしていかにも凶暴そうな魚も放流しているようです。アメリカザリガニのようなつもりだったのかもしれませんが、生態系保護がさけばれている昨今でもこんなことがあるのでは、“釣り”文化も自滅の陰をまとっているように思えてなりません。大田原地区ではトンボや魚介類の捕獲を禁止している場所が既にあります。子供の虫とりや魚とりもできなくなる日は確実に迫っているのです。だれか料理の達人さん。バスやギルの美味しい食べ方を開発して、(できれば国も協力して)全国にコマーシャルを流してほしい。そうすれば、たちどころにバスもギルも激減し、貴重で高価な魚になるのに。なんかマズイ魚だけにそんなウマクはいかんか?(うまい!)←コラコラ。ややこしくなるチャチャをいれないように。

生態系:植物ではセイタカアワダチ草、魚ではバスやギルが目の仇にされていますが、既にザリガニやダンゴムシなど昔から人間が持ち込んだ外来種はたくさんあります。(なぜかザリガニを悪くいう人はいませんね。)ハワイのハイビスカスなどチャッカリその島のシンボルになっているものすらあります。要はその外来種が、美しいか面白いかオイシイかはたまた情にすがるものがあれば受け入れてもらえるのですが、そうでなければ被害ばかりをいわれることになります。これは、ある意味かなり人間のエゴです。たしかにエゴではありますが、“守りたいものを守る”精神からいうとこれで“正解”なんです。自然を守るとは人の感情を守ること。おわかりいただけましたか。あなたのお気に入りの“自然”(と思っているもの)は、じつは人間によって作られたり守られたりしているものであることが結構多いんですよ。今現在の自然は人間との調和で成り立っているといえなくもありません。ただ、人間はかなり過激で破壊的な生物なので謙虚でないといけません。物事の頂点に立つ者は謙虚でないと足元が崩れて自滅するということでしょうか。

パラドックス:私はわずかな情報で考えるばかりしてはいないだろうか。まわりを見ずに考え過ぎていないか?思い煩うばかりしていると被害妄想や過激な思想になって、しまいには“愚かな人類よ滅亡すべし!”なんて馬鹿なことを言い出したり、この世を悲観して自殺などしかねないです。自分の考えは理論上は正しく思えても現実には間違っているパラドックス(逆説)になっていないかちょっと気になっています。まあ、何事も過ぎたるは及ばざるがごとしです。優柔さを失わずに哲学しましょう。だいたい私は哲学者でも思想家でもありませんからね。考えてもわからんことだらけなんです。そういえば、なんか坂本竜馬もこんな感じだったみたいですね。考えてもよくわからんことはわからんとして、とりあえず自分なりに正しいと思うことをやってみる。紆余曲折し、あっちこっちにフラフラしたが最後には後世に認められることをした。これなどは、あえて哲学や思想を突き詰めないことで客観的に物事を見ることができ、まわりの皆がドンドン過激になっても一人だけ冷静かつ的確な判断ができたということかもしれません。うん。こういうのもなんかいいですよね。たとえ悲劇的な最期になっても“やっぱりアイツは正しかった。”と言われてみたいものです。よし、あまり考え過ぎないようにしよう。うん。

ローインパクトな靴とは:10月18日、仕事帰りに9月に新装開店した好日山荘 市役所前店に寄り道する。この夏から移転のためか、やたら10%オフセールをしていたが、落ち着いた10月でも10%オフセールをしてくれている。忙しいところを気兼ねしながらローインパクトな靴について店長さんに訊く。自然保護の考え方が進んでいるアメリカでは地面が削れるブロックパターンのソールの靴を禁止しているが、どんなものか知りませんか?どんな靴がローインパクトな靴なんでしょうか?そんな靴は扱っていますか?などといろいろ訊きましたが、明確なことは判りませんでした。(結果として、ローインパクトな靴の製造や販売は依頼できませんでした。)ただ、アメリカでは日本のようなコンパクトで急峻な里山歩きはほとんどやってなく、平坦広大で観光的なハイキング(トレッキング)が主流みたいで、履物も軽登山靴ではなく、日本ではあまり履かれていない足首浅めのウオーキングシューズがよく用いられているらしいです。要はウオーキングシューズで済むのに登山靴など履くなということでしょうか。しかし、それではコンパクトでも急峻な日本のハイキングにはあてはまりません。まして急坂だらけでザレたりしている和気アでは、いかにウオーキングシューズが自然に優しくても、それに協賛してくれた優しい心の人達にかえってケガをさせることになってしまいかねません。ウオーキングシューズはソールパターンが軽登山靴にくらべて単調で溝も浅く、足首のサポートもありませんので、タフさと防水性を除けば一般的な運動靴と大差はないのです。クライマーがアプローチシューズとして使ったりしていますが、ウオーキングシューズは山では足が滑るばかりして困ったということを店長さんに言ってきたお客さんもあったらしいです。やはり、ここは素直に軽登山靴を奨励しましょうか。地下足袋もいいのですが、沢登りなどやっているごく少ないベテラン(ロートル)クライマーに限ってのことになりそうですし。とりあえず履物は当初から言っていた通り、軽登山靴を奨励し、ソールが硬くてつま先の曲がらない(雪山にも対応した)重登山靴や中登山靴は控えるように啓発します。以前もいいましたが、せっかくハンワグロッキーローバーアイガーを4万円もはたいて買ったのにという方には申し訳ありませんが、(“それは聞いたよ。”って、すいません。年をとると、繰り返しがヒドくなるんです。)中部3000m級テント泊用または雪山用として大事にとっておいてください。“そんなあ。私はそんなもん行けないよ。”という方は、なんとか努力して時間とお金を工面して一回だけでも行ってみてください。結構、持っている道具の方がウデより先行している人は多いものですし、(じつは私もそうです。クライミングギアなど一ノ倉沢を攀じる1パーティー分くらいもっています。)持ってなければハジマラナイことでもあります。とにかく一回でもいけば満足できますし、決して高い買い物ではなかったと実感できます。むしろ、里山で使い込んでボロくなってしまったら“歩きにくかっただけじゃないか。暑苦しいし、買わなきゃよかった。”と思うでしょうね。なお、今日は悩んだすえに、バイレスの2本じめのデイパックを格安の5千円でかいました。(開店セールのときだったら4千円だったけど。あわただしくて落ち着いて選べなかった。)もう5L大きくて、スキーがつけれるようにサイドベルトが上下2本あればよかったのですが、(ピッタリだったのは底が薄くて破れそうでした。)なかなか自分好みのザックというのはないものですね。といってたら、持ち帰ったコージツの新パンフの中にバイレスでピッタリなのがでてるじゃないか。し、しまったあ。(よくあるハラがたつパターン。)でもまあ、安かったからいいか。整備作業や沢でガンガンこきまわしてボロくなったら、こんどはこれに買い換えよう。(でも、コンロもそうだけど、こういうのに限ってなかなかシブトイんだよね。)

ローインパクトな歩き方とは:靴が、ほとんどの人が履いている軽登山靴でよいとなると、ほとんどなにも効果(変化)はなく、啓発事態が無意味になりそうです。そこで、歩き方を研究してみましょう。そう。むしろこちらの方が効果のある大事なことかもしれません。なにせ、どの山の本にも“安全な歩き方”は書かれていても、“自然に優しい歩き方”は書かれていませんからね。長くムズカシイ話になるかもしれませんが、頑張って考えてみましょう。もちろん自然保護のために善良な方がケガをするのはいけませんから“安全かつ自然に優しい歩き方”の研究です。まず前提になる安全な歩き方を書き並べると、こうなります。

歩幅は狭くする。バテ防止には急坂での歩幅を極力狭くする。

静加重、静移動を心がける。要は“あわただしくするな。ケガの元だぞ。”ということ。特に長い下り坂では、急ぐとステップごとにドカドカ飛び降りていくことになるので、若者でもまちがいなく膝をやられる。時間があるのなら、このことを意識してゆっくり下降するべし。これは脚をいたわると同時に山もいたわっている

つま先立たず、足裏全体で踏む。このフリクション(摩擦)をきかせた“フラットフッティング”が急坂の岩場でできれば、基本的な歩行技術があるといえる。ただし、恐怖で硬くならず、ひざを柔らかく曲げれて、腰と上体で前後左右のバランスがうまくとれなくてはならない。(私はロープワークをやっていて体得できました。)これも安全でありながら山もいたわった歩き方であると言える。

岩場では落石を起こさないこと。これも同様である。

だいたいこんなところか。しかし、よくみるとこれらを守ってスリップや滑落をしないようにすることが、結局は山にやさしいことになっていることに気づく。結果として、“安全な歩き方=山にやさしい歩き方”である。(なんじゃそりゃあ。これでは、またしてもあらためて啓発するほどの内容ではないではないか。)ううむ。ならば、場合ごとに歩き方を検証してみよう。まず登る場合。樹林帯では落ち葉を横にバサバサ払ったりせず、できるだけ上からザクザク踏みつけるようにする。これにより削れずに土の元を補充できる。ただし、急坂で滑りやすい場所では難しいし、かえって危険で望ましくない場所もあります。(これはケースバイケースで柔軟に判断してください。)でも、そうでない場所なら、あえて登山道を“掃除しよう。”とか“明瞭にしよう。”なんて思わないでください。中には親切心で降り積もった枯れ葉をわざわざはいたりしてくれている人もいますが、山にはかえってマズイことになっていたりします。むしろ、判りにくくしてやろうといわんばかりに横の落ち葉や藪ゴミを登山道にクマデなどで掻き込むほうがいいのです。(そうだ!これをやってみるか。クマデ一本でできるなら木片チップを何袋も担いでくるよりはるかにラクで簡単であるし、結局は自然にもいいように思える。うんうん。子供でもできるし。“一本のクマデが世界を救う”か。いいね。)まあ、たいていの人は大量の落ち葉にでくわせば“ラッセル機関車ごっこ”を楽しまれているでしょうが、これを“わかんの踏みつけごっこ”に変更してください。(なんたる啓発。)稜線まで登ったら、岩場では落石をしないことと、小石をむやみに踏み砕かないこと。落ちそうで危ない石などを、どけたりするのはいいことですが、“歩きやすくしてやろう。”とか思わないでください。中には親切心で歩きやすくするためにわざわざ踏み砕いたり、危なくもないのに拾ったり払いのけたりしてくれている人もいますが、これも山にはかえってマズイことになっていたりします。砕かれた小石は雨で簡単に流失し、やったことはすぐ無意味になりますし、崩落を手助けしている結果になるのです。(そうでなくても和気アの岩や小石は特にモロイのです。)ただ、これの対処をするのに、枯れ葉同様に横の小石をクマデで掻きこむのは考えさせられます。まさか接着剤で一つづつ岩をノリ付けするわけにはいきませんから、(王子ヶ岳では岩がメバリされて、風情台無し。大金叩いてまるで馬鹿そのもの。発案者とGOサインをだしたのはどこのどいつだと誰もがいいたくなる。ガッカリ対処の究極的な見本になっていますけど。)かえって危険なザレ場を人工的に作ってしまうことになります。かといって、溝にならないようにまわりの岩を削ってしまうのもよくないでしょう。枯れ葉みたいに“土の元”はあっても“岩の元”はどこにもありません。もしあるとしたら下からの隆起だけ。(でも、これではいったいどれほどの補充(もしくは削減)になっているのかは検討がつきませんし、どうすることもできません。)踏みかためた部分を虫や動植物が適度に耕したりもしてくれません。(おっとそうそう。人間も野生の鹿みたいに適度に耕す程度だったらよかったのです。でも数が鹿よりはるかに多すぎる上に、登山靴は鹿のヒズメよりはるかに自然を破壊する力があるからマズイのです。)流失するだけで、無くなることはあっても補充されることがないのでは、やはり岩場は自然の回復力でも対処不能なのでしょうか。じつは、自然にまかせても岩場がどんな風に回復するのかは正直いって確信がありません。やはり岩自体は風化して崩れていくだけでしょう。人間が崩さなくても、日光による風化や雨風や自然の動物や植物によっても岩自体はどんどん崩れていきます。やはり重力があるから、しかたありません。(大山はいつも大量の土砂が崩落しています。他の山とは比べものにならないくらい早々と姿が変わってしまうでしょうが、でもそれが宿命であり、山は最期はこうなるんだよと教えてくれている気もします。)ただ、ここで岩が削れるとなにがそんなにマズイのかを考えると光明が見えてきます。削られた岩自体は溝になって雨水の拡散を妨げて一点に流れを集中したりしますが、台風災害などのよほどの事でないとこれだけでは悪さになりません。(むしろ面白い造形美を見せてくれることがあります。)悪さをするのは削れて発生した大量の小石の方です。これが土石流をおこすのです。これをいちいち除去するのは岩自体がなくなるまでキリがありませんし、どうみても望ましくありません。そもそも土石流が発生するのは岩場の下の小石が体積した不安定な部分です。でもここなら岩自体と違って、まわりの草木や動植物が時間をかけてなにかの恩恵をもたらす可能性が期待できます。自然にも崩れた小石は少しづつここに補充されていますが、その都度上に草木がしげって押さえつけています。人間が余計に小石を補充しすぎてバランスを壊しているからマズイだけなんです。(今更ながら、“自然破壊とはバランスを崩していることである。”といえます。)“何事も急に増えたら急に減すまで。”これが自然の成り行きらしく、結果として土石流がおきるのです。いまとなっては土石流が起きる前に草木に頑張ってもらうしかありません。今の私達にできることは、せめてこれ以上小石を補充しないように、少しでも踏み砕かないようにし、岩下の草木を大切にするというだけです。さて、今度は下山の場合。岩場でも樹林帯でも、どう考えても一番山を傷めているのはこの時ではないでしょうか。(ひどい人は山頂の石を麓まで延々とわざわざ蹴りながら落としてくれています。)まあ、下へ向かって脚を繰り出す分、土などを下へ落しているのに加えて、くたびれて脚を引きずったり、難所でこけて岩や土を崩したり、誰もが下山では大なり小なり山を削ってしまうのが事実でしょう。登る場合に対して付け加える啓発事項としては、岩場でも樹林帯でもふざけずに最後まで気を引き締めて登る時のようにシャンとしろ“ふざけるな。引きずるな。こけるな。”というくらいでしょうか。(また。なんじゃいその啓発は。)でも、真面目な話。下山に充分な時間と体力と気力を残すようにしてください。そうしないと本当に危険で、山にも不親切なことをしてしまいますから。よくやりがちなのが、最初は山をいたわりながら登っていたが、その内くたびれてしまい、結果はさんざん山をくずしながら下山したという失敗です。登山道保護を意識し、山をいたわるのは下山になってからでいいよ。というのが実用的である気がします

底辺の底上げ:以上の啓発はほとんどがたいていの人はいわれるまでもないでしょう。でも、なかには常識のない方がごくまれにいるんです。たとえごくわずかでもこういう人がいると、ググッと平均点が下がるんです。逆にこれらごくわずかな人をちゃんと指導できればみるみる平均点があがります。全員をレベルアップさせるのは難しいが、底上げなら簡単で効果があります。“自分はちゃんとしているからいいよ。”ではダメです。“私達の苦労を台無しにする人はおらんかやあ。”という気持ちでいてください。運良く該当者を見つけたら、“この人一人を更正するだけで、かなりの功績になる。”と思って、説得してください。万一、喧嘩になったら、フクロダタキにしてやるまでです。(おいおい。)冗談ですよん。該当者ははっきり言ってズブのド素人ですから、貴方が威厳をもって“常識だよ。”といえば、素直にうなずきますよ。そして、他人を指導することによって、貴方自身も背筋がピンとなるでしょう。“いうとる本人ができんでどうすんじゃ。”といわれちゃいますからね。たとえ相手が聞いてくれなくても、自分自身に言い聞かすという効果はあると思います。(正直、これがけっこう大きい効果なのではないでしょうか。)こういったことからも、山(自然)を守るには、その場にいる登山者同士の啓発がなにより大事なんです。啓発内容が常識の範疇であることからも判るとおり、皆が努力して聖人になる必要はありません。悪い人を引っ張り上げて、良識のある“普通の人”にすればいいのです。さあて、これで啓発の原稿もできましたので、上記の内容をうりぴーやグラサンにユーモアタップリに演出してもらいましょう。どんなものができるかお楽しみに。

くさったミカン:TVドラマ“金八先生”の流用語で、“フリークライマー”という雑誌(なかなかいい本でしたが、5巻を最期に見かけなくなりました。執筆者自身、最後の方はかなり失望したような内容になっていましたので、どうも打ち切りになったようです。)で、問題を起こすクライマーのことをこう言っていましたが、いるんですねえ。先日、“自分は何十年もクライミングをしてきた。”というエラーイお方(自己紹介もそこそこでどこの誰かわかりません。)が、私に電話をかけてきました。(おりしも夜9時前。明日は朝4時起きで東大山へハイキングにいくので、風呂へ入ろうと裸になっていた時でした。)私がこれまで地主さんや区長さんと話合って決めたことを全く認めようとせず、“クライマーはハイカーとはちがう。”などと、自分にとって都合のいい理論を一方的に展開され、(どちらも単なるレクリエーション目的ですけどねえ。)他所へ変更したらどうかといっても、“鷲ノ巣でないとダメだ。救済策を出せ。”などと言ってこられました。たしかに、4年前、私がキッチリと松茸山を閉鎖したせいで、秋の鷲ノ巣からクライマーがしめだされた形になっています。でも、これが本当であり松茸が貴重になりだしてからそれまでほとんど(いや、まったく)クライマーがこなくなっていたから、ハイカー同様 大目にみてもらっていただけなのです。だいたい私が整備してから、クライマーがぞろぞろ帰ってきました。そして、そのまま松茸時期にワイワイやりだしたら絶対トラブルになって閉鎖されていました。(クライマーもハイカーと同様であることをお判りいただけましたか。)鷲ノ巣の正式名は“白岩”で、“山上様”の御神体であり、地元信仰の対象です。くれぐれも“鷲ノ巣はクライマーのものだ。”なんて勘違いしないでください。鷲ノ巣は泉区民のものです。でもまあ、少しは同情する部分もありますので、救済策を練るとしたら、地主や区長さんたちと協議しなくてはならないといいましたが、興奮したのか“もう近日に日取りも決まっている。ウチの若いモンがだまっていない。”などとヤクザみたいなことをいいだし、(この時に、もう絶対に救済策なんか考えてやらないよーだ。と思いました。)ヘタをすると貴方のせいで閉鎖になりますよと警告しても、“地主を訴えて裁判でもなんでもして戦ってやる。”などといわれました。(正直、厚顔無知にあきれました。こっちは裸でしたし、ひどい迷惑でした。)あげくは“とにかく登るぞ。”と宣言して切ってしまわれました。(やれやれ。おい。これイタズラ電話じゃねえの? さあねえ。)しかし、こんな状況で、いつ誰にとがめられ、マズイことになるかもしれない不安をかかえながらクライミングして、いったいなにが楽しいのでしょうか。(ホントに。)鷲ノ巣をとても気に入ってくれているのはうれしいですが、こんな人はいずれ皆によって“山”から追放されるか、“山”に処分されるでしょう。私が開拓者のハシクレであることから、あえてキビシク自分自身にいいきかす意味で、これまで、ゲレンデが閉鎖されるのは、クライマーのせいではなく、開拓者がいいかげんなせいだと、言ってきましたが、ゲレンデを閉鎖に追い込むとんでもないクライマーも、(しかもベテランで。)実際にはちゃんといることが今回よーくわかりました。(こんなんじゃあ、やっぱりクライミングはもうオシマイですね!正直、救ってやる気もおきません。)そういえば、老師Nさんも“世の中は、あんたみたいに話しの解かるモンばかりじゃないからな。”と、いわれてましたっけ。(自然保護で堅苦しいことを言うと、聞いてくれない人が多く、中にはウトむあまり、くってかかってくる者もいる。そんなワカラズヤにカリカリして振り回されるなよ。馬鹿は適当にあしらっておけ。と、いうことです。)つい先日、消防でもイザコザがあってちょっと気が萎えていたせいか、なんか寝つけなくて困りました。(翌朝の早起きを気にしていただけだろ? まあ、そうなんだけど。)でも、こんな電話でオタオタする私ではありませんよ。いい機会だから、ある地主さんから言われたキョーレツな一言を紹介しておきましょう。“松茸期間に警告を無視して入山するようなヤツは、猟師に撃ち殺されりゃあええんじゃ。”(おおおおおお、これはまたなんとも・・・。)まあ、こんな風にいろんな方がおられることと、私はこういった方々と話をしてきたことを知っておいてほしいです。もし、電話のご本人がこのHPを最初から読んだら、さぞかし我が身の愚かさを恥じるでしょうね。でも、こんなことをグチっているようでは、私もまだまだです。うん。しかし、いろいろやっていると、いろんなことがあるものです。(ホント。よくやるよ。おおい。誰かあ。なんか大変そうだろ。いいかげんに代わってやれよ!――― ムリだって。)ちなみに、役場や区長さんや地主さんに迷惑が掛からないように、産業振興課には、なにかあったらすべて私に電話をふってくれるようにいってあります。(おおい。誰かあ。ホントに大変そうだろ。なんとか代わってやれよ!―――― いよいよゼッタイ ムリだって!私でなきゃあね。)なお、たいていの人は、私のことをよくご存知で、話もよくきいてもらっています。(ありがとうございます。)

大災害:今年は台風に熊に地震と災害続きです。和気アも台風で倒木がひどそうですし、和気富士と寺山の間の山腹がX字に土砂崩れしています。県南の山もダメージを受けましたが、特に県北の林業にとっては、今年は半世紀ぶりというか、戦後からいままでの苦労がダイナシという大災害の年になっています。 先日、東大山に行きましたが、米子自動車道から見た県北の植林帯が、まるで徳用マッチ箱をひっくり返したように、根元から全部たおれて壊滅状態になっていて、土砂崩れもあちこちで見られました。新聞でも“60年やってきたが、こんなことは初めて。”との記事が載っていました。(もしかして、植えてからちょうど60年目くらいになった木は大きさからも、最も倒れやすいものなのでしょうか?)聞いた話では、植林をしたら間伐して足元にも日光がさすようにし、下草や低潅木もはやすようにしておかないと、杉と桧だけでは真下へ深く延びる直根がないので、すぐ崩れるそうです。(どこへ行ってもほとんどが下草のない植林帯ばかりだけど。みんなヤバイのでは?)しかも、国内の林業は安い外材の輸入で苦境にあえいでおり、高齢化や過疎などで労働力が不足していることが多く、広大な植林帯では間伐をやりたくてもできないという事情もあるようです。(ホント。これはマズイぞ!)そういえば、去年の夏、那岐山のB沢が間伐された倒木廃材でダイナシになっていたことがありましたが、10月30日の新聞を読むと、“下草をはやすために去年 間伐したにもかかわらず、3千本の杉、桧がなぎ倒された。間伐で逆に風の通り道ができたらしい。”とのこと。(下草がまだ充分はえてなかったのもあるでしょうが、なんと皮肉なことか。)これらを見ても、営林には、並々ならぬノウハウが必要であることが判ります。とにかく、ヘタをするとご破算で、崩落災害になったりするんじゃ本当に大変です。森は自然環境を守り、多大な恩恵をもたらすと言われてますが、今の林業の状況での植林は、かえって山(自然)を荒らしてしまうことになってしまうみたいで悩みます。

熊について:10月末の今現在、和気では熊の情報はありません。日本各地での熊出没の原因は、杉や桧の成長で、林床に日光が届かないために森林が荒廃し、餌となる木の実が育ち難いうえに、相次ぐ台風で、落ちた実をほかの動物(イノシシ、ネズミ)にとられてしまったからということらしいです。保護か安全かで、もめていますが、餌となる木の実が育つ環境を整備すれば、野生動物との共存は可能とのことです。ううむ。杉、桧の間伐不足がこんなことにまで影を落としているとは。とにかく、森を治せば、熊もまとめて解決できそうです。(なんか、地震まで森林の荒廃が原因みたいに思えてきたのは私だけでしょうか。森を治せば、地震もこなくなったりして。)

猟期:いままで、狩猟に関することはあまりわかりませんでしたが、広報和気に害獣駆除に支援金をだすことが書かれており、見ると、猟期は11月15日から2月15日までになっていました。登山者は12月1日から入山できますが、2月15日まではハンターも入山していますので、お互い気をつけて事故のないようにしてください

規制:以前、どういうことで登山道ができたのか悩んだことがありましたが、結局は人が利用するものが残り、利用しないものは消滅するというだけのことだったのではと思っています。先人(里山では地主さん。)が、なにか目的があってつけた踏み跡を、他の人も利用し続けた結果が登山道であり、バリエーションルートも同様である。ただし、レクリエーション目的の利用がほとんどになった現在、人気のある山は登山道が削れて自然破壊がおきている。人が多すぎるのが悪いのであって、だれが悪いわけではない。当然として規制しなくてはならなくなる。登山道を固定し、外れないこと。指定地以外でキャンプしないことなどだ。だが、クライマーはこれにあてはまっていないように思えていた。バリエーションルートは登山道ではないし、ビバークはどこだろうがやむをえない。でもこれはクライマーの数が少なく、人気のない荒れた薮道みたいなものであったから、規制しなくてはならない状況でなかっただけのことであり、人気が出てクライマーが多くなり、自然破壊が気になりだしたら、ルートをはずれないことや、指定地以外のビバーク禁止といった登山道とまったく同じ規制が必要になる。ずっと雪の上しか歩かないという雪山なら自然保護のための規制はなくてもいいだろうが、沢登りでも人気があるルートは、自然保護のための規制が必要になる。HPなどでバリエーションや沢の紹介をするときは、自分のPRのせいで人気がでて山が荒れるかもしれないようなら、ルートをはずれないように一言そえておく必要があると思う。要は藪漕ぎなどの“山遊び”をするにしても、人気がでて人が多くなったら決まり事が必要になるということで、今の和気アが松茸時期の入山禁止をやたらキッチリしているのも、人気がでたからだと御理解ください。思えば、人気にならないようにPRしてなければ、多少問題はあっても自由に遊べたんですけどね。でも、将来をみすえた場合、どんどん自然環境保護がさけばれ、地主もカリカリしてこられたら、最初からもっとキッチリしておけばよかったということになるかもしれません。また、規制は自然保護のためだけでなく、登山者の安全や地主の感情を守るためにも必要です。いろんなことで、あやふやなままの山がまだまだ多い中で、はたして私のやったことはどう評価されるのでしょうか。(さあねえ。)

開拓方法について:周辺の岩場に紹介している“ゲンコツ岩”にさわりたいがどうしたらいいかというメールに応えたもの(かなりの力作。)を以下に公開します。

ゲンコツ岩ですが、じつは地主はまだ調べていません。名前は地元の方も知らないので、私が勝手につけました。かなり以前に、Mさんという方もここを開拓したいといってこられましたが、ご自分で許可を取ってくださいと返事したことがあります。(どうなったかは判っていません。)仮に、フリーソロもしくは、立ち木を支点にフィックスロープにプルージックで、一切痕跡を残さないで、個人的にちょっと遊ぶだけで、子供の岩遊びの範疇といえるなら、許可をとらなくてもいいでしょう。(もちろん程度によってはとったほうがいいですけど、私の場合、ほとんどがこれで、万一怒られても、ゴメンナサイで済みます。)そうではなく、仲間も誘って頻繁に登りたいとか、ゲレンデとして整備したいとか、ルートを開拓して公表したいということになると、正式な地主の許可が絶対に必要です。(私はHPで公表していますが、クライミング場としてではなく、単なる岩場の紹介としてです。)まず、地主を調べに和気町役場一階の税務課に行ってください。地図で、“ここの地主を知りたいのですが。”と、しめせば、大きな区分図を出してくれます。これで番地がわかるので、“この番地の登記を見せてください。”といえば、地主がわかります。ここで、アプローチ部分の地主も同様にしらべてくださいね。もし、地主が区(おそらく衣笠区)の財産区でしたら、区長さんを訊いて訪ねてください。区長さんによっては気軽に即OKしてくれたりしますが、だれかにゴネられると人のいい区長さん自身にひどい迷惑がかかるので、“ちゃんと待ちますから。”と、区会で検討してもらって正式な許可をもらうようにしてください。また、番地が細分化していて、該当する番地番号がよくわからない場合は、疑わしい全ての番地の地主を調べてシラミツブシに訪ねるしかありません。(私は捜しあてるのに一月近くかかったこともあります。)地主に許可をもらう場合、まず 許可してもらいたい内容と自分の連絡先を明記した文書を必要枚数用意します。該当する地主全員に、かならずちゃんと自宅を訪ねて直接じかにお願いし、理解を示してくれたら文書を手渡して再度確認をとります。最後に“なにかありましたらお気軽にここへ連絡ください。私が責任をもって対処し続けます。”と宣言してください。どうです。大変でしょう。でも、これこそ開拓の一番の大仕事であり、これをせずにいじくると身の破滅なんです。(JFAの第一人者である北山 真 著のヤマケイ登山学校“フリークライミング”には、ほかの部分はいいことがいっぱい書かれていますが、一番大事な地主の許可をとることに関してははっきりいって最悪です。トラブルの元凶といってもいいくらいです。とても全国で150本のルート開拓をした方の言い分には思えません。)さて、これで開拓整備ができたとして、仲間内だけでささやかにやっているだけで、手入れしないとそのうち自然消滅するくらいならいいのですが、自慢したくなって、HPや本に公表するとなると、話はまったく別のものになります。とにかく、人を呼び込むと、後々までやっかいな面倒を見続けなくてはならなくなります。地主さんが、はじめは許可してくれていたのに、撤回されてしまうこともあります。はっきりいって、一生をその岩場にささげるくらいの覚悟が必要です。(おどしではありません。)はたしてそこまでして、公表するべきかは冷静に判断してくださいね。私個人としては、開拓しても一切公表せず、仲間内だけの穴場にとどめておくことをお勧めいたします。そのほうが岩の風情が長持ちしますし、すべてにおいてメリットがあります。なお、それでも、バカなクライマー(いるんですよ。ホントにすごく自分勝手な輩が。)によって、地主が怒って閉鎖を要求された場合は、悔しいでしょうが、素直に閉鎖してください。くれぐれも地主を相手どって“開放を求める。”なんてバカなマネはしないでください。いくら署名をあつめてもムダですし、先々までトラブルが続くだけですから。失われたら戻らないことを肝に命じて、お馬鹿な輩にぶち壊されないよう、くれぐれもささやかに遊ばれることを祈ります。(うう。でも高速から丸見えだしなあ。無理かなあ。)以上、ノウハウと注意事項を列挙しましたが、なんか書いていて自分でも暗ーくなってしまいました。(すみません。)やはり、開拓は極力さけて、個人的に“岩遊び”を楽しむほうが絶対にいいです。自分でいうのもなんですが、開拓しちゃうとホント大変なんですよ。この苦しみは、他人にはとても味わせたくないものです。この岩がお気に入りで、そっとしておきたいのでしたら、私のHPも岩場の紹介を削除いたしますので、お気軽に申しつけください。(返信メールより。一部改訂あり。)

共存共貧:子供の山遊びの範疇といえる密かなことでも、岩遊びの場合はまわりから丸見えで、その上、その場でモタモタしているので、地主さんに発見されて怒られやすい。(ホントなにかにつけ損なレクリエーションですね。)その分、沢登りは、気づかれにくく、しかも、さっさと先に行ってしまうので、ホントは少々問題含みであっても地主さんに怒られることはほとんどない。(怒られなきゃなにをやってもいいということではありません。なんか誤解されたり勝手な解釈をされそうだなあ。表現のむずかしいところです。)岡山県内においては、沢をしている人は少ないし、情報もわずかしかないので、藪漕ぎ部分も掘り返ったりはしてないし、うまいこと遊んでいるといえる。(ホントに。)今のように人気がなく、そのうち誰もやらなくなるかもと不安になるくらいなら(おいおい。)かえって心配はいらないと思うが、逆に、人気がでたら、岩同様、すごい問題が一気にふきだす危険があることは認識(覚悟)しておくべきである。(比良では沢登り禁止の警告板が設置されていた沢もありました。人気エリアでは、やはりなにか問題があるもんなんですねえ。)もし、自分にとって大切な沢ルートがあるなら、一度地主を調べて、正式に許可をもらっておいた方がいい。そこまでできない(まあ大抵はそうでしょうね。)なら、せめて人気が出ないように注意するしかない。口惜しいが、自然と地主の感情を保護しながら自由な山遊びをするには、人気がないことが大事なのです。“自然は共存共栄ではなく、共存共貧で成り立っている。”というのを読んだことがありますが、登山文化も同じなんですね。ルートは生かさず殺さず状態が一番いいんですよHPに岩や沢の情報を出すときは、人気具合を気にしといてください。まったく利用されないのも悲しいですし、人気になってもマズイ。一般、岩、沢、雪、それぞれに適度な利用がなされるように、情報操作するのは必要だと思います。

子供の山遊びの範疇:岩でも沢でも、子供の山遊びの範疇といえるのがどこまでかというのは、その山の状況によってまったく異なります。人気のある山ではほとんど認められませんし、まったく誰もやってこない山なら問題含みでも鹿のようにかなり冒険的なことができます。(アルパインクライミングと同様で、それなりのリスクがありますけどね。)以前、ハイキングも厳密には許可がいるのに大目にみてもらっているのだと言っていましたが、バリエーションや沢での山遊びもおなじです。大目にみてくれている地主さんへの感謝を忘れないことですいくら子供の山遊びの範疇であっても“これでは地主さんが怒りそうだな。”と思ったらさっさと引き上げてください。山遊びというのは、厳密にはイケナイことをしているわけですので、ローインパクトの精神で、自然と地主さんの気持ちと安全を守りましょう。この心得を持つことで、ガキの悪さではなく“大人の山遊び”といえると思います。でも、“どんなことでも許可がいる。”といえば、そのとおりですし、“沢やバリエーションなどは、きっちり許可をもらわないといけないんじゃ やってられない。”といえば、うなずけることもあります。微妙な立場にある行為はいっぱいあるということです。クラシックルートなどは、開拓された当時の時代背景として、けっこう無茶が許されていたことがあったのですが、今ではそうはいきません。ホントは無断ではイケナイことなんだけど子供の山遊びの範疇といえるささやかなことで、それを無断でしてもいいかどうかは、いろんな相手(たとえば地主さん。)にどれだけ迷惑や悲しみや怒りを与えるかということと、今の時代背景(価値観といったらいいかも。昔は価値のなかったものが貴重になっていることなどです。)を考えて判断してください。気をつけたいのは自分一人なら問題にならなかった山遊びが、時間がたって誰かに見られたり、ウワサになったりして、皆がマネしだしてマズイことになるということです。(どんなイケナイことでも、自分だけこっそりすればよいということではありませんよ。ああ、表現がむずかしいなあ。)今の時代背景では、気をつけないといけない文化はたくさんあります。なにをどう気をつけるか、皆さんにも哲学していただきたいです。これを書いていて、ちょっと気になったので、もう一度このHPを読み返してマズイことになりそうな部分は改訂していこうと思います。(ううむ。思い当たることがあるある。でも面倒だなあ。いつできるかなあ。それにしても表現に苦しんだなあ。かきあげるのに何日もかかって頭がフラフラです。)

和気アでは:松茸期間の入山禁止を徹底しており、これに関してはかなりキビシイです。それ以外では、どこでもいわれる一般的なことで、焚き火禁止、ゴミ捨て禁止、採取行為禁止(山菜採りもダメ。盗掘はもってのほか!)、地面を削らない(ローインパクトを心がける。)といったところでしょうか。藪漕ぎ冒険ごっこやビバークごっこなどの山遊びは、禁止ではありませんが、大勢でやるのは控えてください。(まあ、やる人はほとんどいないでしょうけど。)また、私自身のスローガンはこうです。“安全に気をつけ、ローインパクトの精神をもって山の自然を守り遊び心地主さんの気持ちを大切にすることで、楽しい山遊び文化を守っていきましょう。”

沢登りの微妙なところ:私のHPの穂高山のバリエーションの紹介もそうですが、沢にはルートといっても道はありません。HPに紹介されているからといってなにかお膳立てがなされているわけではないのです。単なる自分たちが一回そこを通過したよというだけの報告であり、これを開拓というのはクライミング用語といえます。ハイキング用語で開拓が登山道整備を意味するのとはマッタクちがいますのでご注意ください。藪は刈らずにおしのけるだけ、岩も何も打ち込まないで、自分たちが少人数で一回通るだけといった開拓なら、なんら被害をだすこともなく、一般道のように大勢が歩くこともないなら、ムリしてまで地主の許可をとることはないと思います。(とれればこしたことはありません。ただし、通り易くするのに藪を刈り払ったり、今のフリーみたいに岩にボルトを打ったりする場合は登山道整備と同じですので必ず許可がいります。)ただし、なんらかの要因で、利用者が増加して、大勢でハデに踏みつけたりすると、微妙になってきます。このままでは地主さんが怒るかもという懸念があるなら、自粛をよびかけたり、なんらかの手段をとらなくてはなりません。それでも効果がなければ、もう事後承諾を取り付けるしかありません。ここに至って、もし、承諾されずに怒られてオシマイになるなら、これは定めとして諦めるしかありません。なんともツライことです。要はなんであれ開拓したら動向を見据えないといけないということです。くれぐれもPRするかどうかは慎重に。私は開拓整備する時は、地主さんには人を呼び込むことの許可ももらっています。でも、何年もたつとこれも微妙になるんですよ。たとえなんら悪さがなくても道が掘り返ったりするとね。わかるでしょ。

休暇:かつて松茸期間は和気アにとっていい山の風情をまもるために大事な休養期間になっていると言っておりましたが、私にとってもじっくりと新規計画を練ったり、反省したり、哲学にふけるために大事な休養期間になっております。今期の松茸期間中には登山道保護のためにいろいろ計画をねり、岡大農学部の専門の方にも相談しました。快諾いただき、12月から視察していただくまでに話がすすんでおります。12月からは、試験的なルートの通行制限、危いルートのバリエーション化、HPの改装もしなくてはなりませんが、松茸テープ取りだけでなく、台風による被害の復旧作業もかなりやらねばならないでしょうし、究極の新ルートも完成させたいし、この冬春は大忙しになりそうです。しかし、なにぶんにも新規の難しい問題に取り組むことになるわけですので、この11月末までに、もっといろいろ考えて検討しておきたかったこともあったのですが、親父の手伝いや行事で休みは費やされ、あっというまにもうじき解禁です。オマケに、先日は親父が入院したりして大騒ぎでした。もうネチネチ考えとる余裕はなくなったわい。すべてはやりながら考えるまで。なんかぜんぜん休養できとらんがな

キレた?:“もう。疲れた!哲学なんかやめやめ!なんでもいいから楽しくおかしく山遊びをしよう。自然がぶっこわれようと登山文化がどうなろうと地主が怒ろうと山が荒れようと風情が台無しになろうと知るかあ。だいたい、フツウの登山者でこんなこと思い煩っているヤツなど おりゃあせんし、なんでワシだけこんなに苦しまにゃあならんのじゃあ!”って、いうじゃなあい。でもそれは、アンタのやってきたことが どうみてもフツウの登山者では ありませんから!! 残念!! 和気アルプス開拓の父 フジモト斬り!(途中から“ギター侍”のオチになって、キレても斬り返されちゃったが、そうなんだよなあ。どんなに辛くてもやるしかないんだよなあ。なんせ和気ア開拓の父ですからね。)

ストレス:ある日、ウチの食卓での会話。

妻“最近食い過ぎちがう?ブタんなるわよ。”

私“なんかなあ、ストレス性過食症じゃねんかと思う。”

妻“プッ。あんたにストレスあるわけねえがん。”

私“・・・・・・。”

かなしいときー。(かなしいときー。)

ストレスがあっても、そんなもんない人と思われてしまうときー。

(ストレスがあっても、そんなもんない人と思われてしまうときー。)

じゃまだじゃまだドケドケー。(じゃまだじゃまだドケドケー。)

ストレスがあっても、認めてもらえなかったんだ。バカヤロこのやろめー。

(よけいストレスたまるじゃねえか。バカヤロこのやろめー。)

ストレスがあっても、認めてもらえなかったんだ。バカヤロこのやろめー。

(このやろめ。ストレス感じる知能もないみたいにいいやがって。バカヤロこのやろめー。)

(また、途中から“いつもここから”のオチになってしまった。私は損な性格?得な性格?)

ついでだからストレス発散でこんなマンガを書いちゃいました。ヒマな方はこちらをどうぞ。

成羽天神山 観音滝ルート04年11月20日(土)、オハヨー山岳会の7人で成羽天神山へ1年ぶりにハイキングにいく。以下その山行記録です。

今回はフツウのハイキングである。ただし、例によって初心者にはチョットキツイ。成羽天神山は、県西部にあり、岡山県では数少ない岩山の一つである。2年前に、Hさんが友人と初心者同士で“観音滝ルート”という上級者向けのルートを登ったものの、最後の岩場で断念して引き返したことがあり、再チャレンジしたいというのを叶えてあげようと思った。幸い、インターネットで調べると、ガイドブックのルートを片っ端からトレースしているベテラン山本さんのHPに詳しく書かれており、情報を入手できた。AM7時 本社P集合。Hさんが“この本に書かれたルートなんじゃ。”といって本を見せてくれた。岡山徒歩の会がかなり以前にだしたもので、地図は略図であり、ほとんどただ藪漕ぎで突破しましたという単なる報告である。ううむ。紹介する方もツワモノだが、初心者コンビで、こんなのを読んで踏み込むとはなんたるツワモノ。成羽まで思いのほかスイスイと走れ、予定より早く9時に観音滝の駐車場登山口に着く。ここでトイレをすませ、9:20スタート。遊歩道が整備されていて、滝までは30分かかるが、途中の六角堂のそばから踏み跡をたどって山の登りになる。入り口には岡山徒歩の会の40周年記念山行のフダが道標がわりについていた。おお。踏み跡が結構しっかりついているじゃないか。しばらく進むと、急に踏み跡が消えてしまった。良く見るとススキの株に隠されている。押分けてすすむ。ここから急にイバラがひっかかるようになった。ベテラン山本さんが藪漕ぎで難渋したところだ。ちゃんと皮手袋をしてきた(中林沢の教訓が活かされたものです。)ので、あせらず慎重にイバラをこいでいく。何度か迷いかけたが、Hさんの記憶と私のルートファインディングでこともなく進むことができた。(もし、私だけで、Hさんの記憶がなければ、かなり時間をロスしたかもしれない。)ちょっとした植林帯をつめるとトラバースした登山道跡にでた。右は県道の方へ降りるので、左にすすむ。しかし、これも下り気味になったので、間違って観音滝におりてしまうかもしれないと不安になる。地形図で確認すると登る予定の尾根はまだ先の岩がある所だとわかった。下り気味で、切れ落ちた感じのトラバースをこなして尾根先端の切れ落ちた岩場で休憩。ここには石地蔵がある。どうやらここは信仰の場所だったようだ。(おそらく観音滝はこのすぐ下にあると思われる。)皆はイバラの藪が済んだこともあり、景色をたのしんでいる。今日は10時前でも雲海をたのしめた。いよいよ尾根の急登にかかる。下草もなくイバラもないので藪漕ぎにはならないが、立ち木につかまりながらの登りである。コースサインもキッチリつけられていて迷うことは無い。踏み跡も割としっかりついている。しかし、登るにはキツイ。ところどころに岩場があって、展望がなくても退屈はしない。育っていない植林帯の脇の急坂で展望がひらけた。一気に高度をかせいだことを実感する。この先から登りと水平を繰り返し、だんだん山頂が近くなる。展望のある岩場もでてきた。いよいよこのピークをこえたらお目当ての“くぐり岩”だろうと思うが、似せピークに2度もだまされた。なにやら進行先から話声が聞こえる。岩場から見ると、おお。鈴振岳にハイカーがみえる。よし。いよいよこのピークが本当に最後だ。Hさんが“この先の岩場が怖くて引き返したんじゃあ。”といっていたが、よくまあここまできて、この道を引き返したものである。改めて感心させられる。ピークのそばにはトンガリ岩があって攀じ登ってあそぶ、すぐにお目当ての奇岩“くぐり岩”。こじんまりした岩だがドーナツ状で、窮屈だが中をくぐっていくようにルートがついている。ううむ。誰かが蹴り壊したり、デブがぶっ壊さないか心配になるくらいのモロイ岩である。これはナイショの穴場(まさしく穴場。)にしといた方がよさそうだ。これをくぐりぬけると前方に鈴振岳が岩峰としてそびえている。そこにいるハイカーと手を振り合う。ここから鞍部に降りるのが切れ落ちた怖い岩場であるが、私にはどうということはない。前向きにヒョイヒョイ降りる。下から見上げると岩場にはステップがきざまれているのが判る。徒歩の会がルート整備してくれたのだろう。“こことここへ脚を降ろして。”と教えると皆も無事に降りることができた。鈴振岳の登り返しは岩場の上をそのまま攀じ登り、最後は鎖をまたいで11時過ぎ山頂へでた。居合わせたハイカーからよくまああんな所から登ってきたものだといわれる。なかなかの急坂ルートだったが、2時間で突破できた。早めの昼食をとる。下山ルートは谷間の自然歩道を帰る予定だったが、前方に筍みたいにそびえる岩峰も踏みつけてやりたくなった。以前もそこを通る岩峰めぐりのルートがほしいと思っていたが、よく見ると地形図にはルートがあるではないか。しかし下りで行き詰まると引き返しが大変で、正直すでに脚にきている。迷っていると、Hさんが“時間があるんじゃし行こうや。”ということで、起点になる明星岳(昔のヤマケイの中四国のガイド本では間違ったピークになっていた。)に向かう。意外としっかりした踏み跡で、古い階段や手すりもある。これならルートが生きているかもと期待する。しかしピークには古いコンクリートのベンチのみで行き止まり。展望もない。かつてはあったのだろうが、木が茂って見えなくなったのだろう。皆を待機させて偵察するが、コースサインもなく正確な下降ルートがわからない。ルートが生きていたとしても険しいルートであろう。自分だけなら崖で行き詰まってもなんとかして下山できるが、今はすべきでない。諦めて来た道をもどり、自然歩道を下山する。ああ、登った観音滝ルートとこの諦めたルートを整備すればこの山もなかなか楽しい山になるがなあ。残念。なんで面白いルートを殺してこんな変哲のない自然歩道なんか作ったのかなあ。途中の奇岩“鬼の門”なんて期待して立ち寄ったらガッカリだったもんなあ。皆からは“七種山の“弁慶のノコギリ岩”みたい(にハズシタ。)。”という声もあがった。しかし、木立のあいだ梢ごしに見ると巨岩が左右にいくつもそびえているではないか。これなら要所ごとに2、3の立ち木を切るだけで、鬼の門よりもっと見応えのある風景がいくつもゲットできそうである。なんで、整備するときに誰も気づかなかったのかなあ。苔むした風情万点の大岩がみごとだ。ホントに雪彦山の出雲岩クラスの岩がいくつもある。私なら見上げてもよし見下ろしても良しの岩場めぐりのジグザグルートを整備するがなあ。こんな階段歩きに終始する直線ルートなんてウンザリだ。ああ、藤木九三が今これをみたらなんというだろうか。観音滝ルートのみがかろうじてトレースされているが、なんともったいない。然るべき開拓者がいじったら、この成羽天神山は岡山の雪彦山となるだろう。和気アと東西対になるいいライバル名山になることは間違いない。だが、幸か不幸か、この山には私のような相棒はいないのである。以前抱いた予感は予想以上に的中であった。この山には名山の要素がまだまだいっぱい隠されている。さて、だれがこれをやるだろうか。(やるとしたらお手並みをぜひ拝見したい。)約1時間で登山口におりたった。あとは県道を30分くらいもくもくと歩いて観音滝駐車場に戻る。下から見上げるだけでは岩山であることがまったくわからない山である。駐車場のみやげ物屋は土日営業となっているのに閉まったままである。どうやらツブれているらしい。帰りは来た道をもどる。途中、私個人の用事で、トンネル脇にまわって、川エリアを捜したり、用瀬嶽のフリークライミング場に立ち寄る。短時間であったが、かなりの収穫と新たな課題を抱くことになった。(詳しくは次のコラムへ。)皆をまたせたお詫びに農協の野菜売り場に立ち寄る。皆は大喜びで野菜を買い込んでいた。まるで、ハイキングつき買い物ツアーみたいな山行であった。17時すぎ、本社帰着。無事解散。(オハヨー山岳会山行記録より)

備中放浪記2:11月20日、オハヨー山岳会で成羽天神山の観音滝ルートをハイキングした後、ちょうど一年ぶりに備中町の用瀬嶽(もちがせだき)を訪ねる。あまり時間がなく、今回は風情やエリアの同定が目的である。例の詳しいガイドブックももってきた。土曜日で暖かい日だったので、昼2時すぎでも10人くらいのクライマーが2ルンゼと私が思っている所に取り付いていた。(小屋にはシュラフが敷き詰められていたので、遠方から泊りがけで来ていたようだ。)一番手前にいたクライマーにここは2ルンゼですかと確認をとると、やっぱり2ルンゼだった。1ルンゼがどこか判らないことをいうと、小屋に帰るから教えてあげるとのこと。ラッキー!感謝して来た道を戻る。途中の林の中の岩場を“これは岡山エリアですよね。”ときくとちがうとのこと。ええ!ちがう?小屋の前にある大岩壁をさしてこれが岡山エリアだと言われる。なんと!私が唯一ここで取り付きたいと思ったこの岩壁が岡山エリア?でも去年ボルトは確認できなかったがなあ。ううん。変だなあ。案内してくれた女性クライマーはどんどん先にいき、駐車場入り口前にある涸れ沢をさして、“実際に行ったことはないけど、ここから沢をたどれば1ルンゼですよ。”と教えてくれた。なんと、詳しいはずのこのガイドブックも小屋の位置が間違っていたのである。(わからんはずじゃあ!)去年も、もしかしてあの谷が1ルンゼかもしれないと思ったりしたことがあったが、取り付きが判らず確認できなかった。(ここへくる前にも、トンネル脇をまわって対岸に“川エリア”をさがしたが、それらしい岩が3つあるだけで、どれか確認できなかった。今思うと、どうもどれも違っていて、もっと用瀬寄りの所にあったみたいだ。またいつかもう一度確認しにこよう。)そうか。あれが1ルンゼ。高さもあり、とてもフリーで突破できるものには見えないぞ。ううむ。一気にフリークライミングを見る目が変化した。草履ばきで、皆を車に待たせてあるので、1ルンゼはまたの機会にする。それより気になった岡山エリアを確認する。ヒッツキモチだらけで踏み込みたくない踏み跡をたどると取り付きについた。目立たないが、ボルトがちゃんと打ってあった。良く見ると岩壁途中の草付きまでで終了である。そうか。私は草付きより上しか双眼鏡で見ていなかったのである。高さは8mくらいか。ボルトの位置や数を観察すると2mおきくらいで、結構距離がある。かぶってないし、これならいけそうだな。トポを見ると5.11a。ええ!そんな難しいはずはない。端のカンテは楽勝に思えるがこれも5.10d。ううう。ほんとにこれ、岡山エリア? 靴にはきかえて、皆にもうちょっとまってくれるようたのんで林の中のエリアにいく。じゃあここはなんなんだ?ガイドブックにはキャンプサイドというのがある。これをあてはめるとピッタリあうではないか!なんと去年 岡山エリアと思っていたのはキャンプエリアだったのだ。用瀬で一番最初に開拓された岡山エリアがこんなチンケな岩(開拓者の東 秀磯さんごめんなさい。でも、私の目にはそう見えるんです。)だったことがショックだったのだが、違ったのだそうか。岡山エリアはあの大岩壁の下部であったのか。急にうれしくなった。いやあ。そうでなくてはいかん。そうだろ。やっぱりそうだろ。あれだけの美人を放ってはおけないだろ? もう一度2ルンゼに行って、フリークライミングを見学させてもらう。さっきの女性が5.9にとりついているが、なんかかなりむずかしそうだ。私にとっては限界ぎみである。もっと緩斜面だと思っていたのに、ううむ。ハードだなあ。先にあるルートの同定をしていて“ここはごうてんいち・・・”といったら、そこにいた別の女性クライマーに“それじゃ簡単すぎよ。”と笑われてしまった。ファイブ・イレブンといわなくてはいけなかったのだ。ああ独学の悲しさ。(いいんだい。“山”はクイズじゃないからね。)真中辺で初老の男性が、5.12aの寺島ルートを登っていた。同じパーティーのおばあちゃん(失礼!)が、“この人は50歳からはじめたんよ。”と教えてくれた。まわりの一同ビックリ!ううむ。ここに至って私はすっかりここでのフリーに魅力を感じるようになった。最初の女性が撤収時に“テンション。”と言ってロワーダウンするのも見れたし、この初老の男性がいちどフォールしたので、ビレイも見れた。マルチピッチではアンカーをとるが、ここではとっていない。ビレイヤーの女性はATCをロックしたまま1mも宙に引き上げられたが、ここではこれでいいのだ。クライマーはロープをたぐって戻り、岩をガッチリつかみながら登りきった。よくまあ、あれだけガッチリつかめるものだと感心する。やはり訓練の賜物だろう。ここの2ルンゼは狭く、ビレイの邪魔になってはマズイので奥までいくのはやめて目測で奥まで70mくらいであることを確認する。高さは手前が7mくらい。奥の方は9mはあるか。あいかわらずセマッ苦しい感じはするが、ルートを同定するとボルトだらけだった岩もなぜか意味のあるものに見えてきた。たしかにルートの隣接した部分は2mもなかったが、ルート自体は最低限のボルトである。風情はないけどフリーは風情をたのしむ文化ではなく、技術向上目的のスポーツだからこれでいいのかもしれない。自然愛好者ならば、以前の私みたいに人工壁だけですればいいじゃないかと言いたくなるだろうが、やっぱり板登りより自然の岩登りがいいのである。(これは誰もがうなずけるでしょう。)それに、ここの開拓された岩は岡山エリアと1ルンゼ以外は誰も見向きもしなかったある意味小さくてチンケな岩であり、風情なんてもともと無かったと言っていいように思える以前、あえてキビシクここの開拓者を非難しましたが、本当は一生懸命やっている人達をけなしたくはありませんでした。今主流のフリーを誤解し、2ルンゼやキャンプエリアをクサしてすみませんでした。ごめんなさい。言い訳がましいですが、今主流のフリークライミングは自然愛好家からは誤解されやすいスポーツ文化だと思います。2ルンゼは貴重な前斜壁(やはりどこにでもは無いんですよ。遠方からの来訪者もいて、ここでは一番の人気でした。)であったから、たとえ似たりよったりでも、人気があるがゆえに、あえて多くのルートが設置されたみたいです。そして、キャンプエリアは、純粋にフリークライミングを手軽なレクリエーションとして皆で楽しんでもらうために、チンケな岩なのを承知の上で、キャンプ場のすぐそばだからという理由で開拓されたみたいです。要はどちらもサービス精神遊び心で作られたものだったのではないかと今では思っています(ああ。それを非難していたとは。我ながら情けない。) “ここ(2ルンゼ)の5.9はツライけど、岡山エリアの5.9ならいけそうに思います。”というと、“あそこはグレード評価がキビシイよ。”といわれた。“ああ。ほんとはもっと簡単なんですね。”“違う。もっと難しいんだ。”へっ??私には見慣れた感じの岩壁で難しく感じなかったのに、ここのクライマーは難しいという。“すみません。私は素人なもので、岩を見る眼がないですね。”といって引き上げたが、これはまたもう一度ここへきて登らずにはいられなくなった私が魅力を感じず、難しいだけに思えた岩にクライマーが全員集合しており、私が惚れて簡単に思えた岩が敬遠されているとは。どういうことだ? グレードはかぶり具合ではないというが、私には低グレードでもかぶりぎみなのは怖い。ここのクライマーはかぶった岩に慣れているせいか平気らしい。むしろ、かぶった岩を好んでいるみたいだ。好みというかクライマーがどんな岩に慣れているかで難度はちがうということなのかもしれない。まあ、私は正統派なクライマーじゃないからね。なんせゴウテンイチイチですから。

いい警告として:ある意味で、フリーで問題になったことは山遊びをしている皆にとっても、いい警告になったと思っています。私などは(失礼ですが、)いい反面教師として利用させていただいてきました。なにかとフリークライミング普及功労者である北山 真さんを非難していましたが、すみませんでした。でも、北山さんの書かれているほとんどのことには感銘しており、今のフリーを理解するにつけ、今ではご苦労いかほどかと敬意すら抱いております。ただ一部分だけ、ホントに、ただ一部分だけ、地主軽視で開拓している部分をどうしても心配せずにはいられなかっただけなんです。開拓者としては致命的な間違いを忠告せずにはいられなかった。それだけです。(ついでに言うと、前から思っていたことですが、地元で買い物をするようなゴマをすることはしなくていいですから、開拓前にちゃんと地主の許可をとり、そして開拓後も地主と話し合うことをしていってほしいです。)ただ、北山さんもかなり苦悩されているのでしょう。先日利用したルート集の本においても、“掲載してあるルートは基本的に初登者自身が登りたいから開拓しただけで、単なる記録であり、他人に登ってもらうために公開しているのではない。”と冒頭に書かれているのを見て、なにか北山さんの本意とは違うように思えました。(まだまだ紆余曲折しており、苦悩して本意ではないことを書かれてしまったようにも思えました。)フリー化された長大なホンチャンのマルチピッチルートならその通りですが、掲載されている用瀬嶽などのゲレンデのルートは、どうみても開拓者個人が楽しむのではなく、フリークライミング普及のために、皆に登ってもらうために、皆を喜ばすために整備したものに思えてならないからです。今現在、主流になっているフリーはハイキングみたいに一般大衆にも受け入れてもらえるような“楽しいクライミングスポーツ”として独立したはずです。フリーの性質上、どうしても自然の岩場では安全管理に問題があるのはわかりますし、レベルも急成長して一般的とはいえないくらいになってしまっているようにも思えますので、注意警告が必要なのは当然ですが、冒険クライマーが“オレのマネはやめときな。”というものではなく、基本的には“ここはこうするんだよ。”というものであってほしいと思いました。人工壁だけのクライミングなら、なにも問題はないでしょう。でも、たとえ問題があっても、自然の岩のクライミングを守っていってもらいたい。それが本来のものだから。ホンチャンのフリーは、危険なアルパインの延長で進化したクライミング(フリーとアルパインを区別しない。)としておくが、フリー専用ゲレンデは、皆で楽しんでねといえる整備されたものであってほしい。(クライマーでもないくせに生意気なことばかり言って申し訳ありませんが。)フリー開拓者の皆さん。ツラクとも自分の作ったゲレンデのルートは最後まで面倒をみてください。それが自然の岩でのクライミングを守ることですから。今こそ皆さんの情熱が試されていると思ってファイトです!!(書いていてほとんど自分自身に対して言っていることに気づきます。)

フリーゲレンデ開拓者の方へ:以前もいいましたが、どんな山遊びにも厳密には地主の許可がいります。しかし、許可なしにやられている“イケナイこと”は結構あります。これらはいずれも大目にみてもらっているだけです。(これらはいつ怒られるかという不安をかかえています。)特に、PRして他人を呼び込むことは、大目にみてもらうにはムリがあり、なにかにつけマズイことになりやすいです。でも、自慢したいのは正直あるはずです。自己満足で済ませれば一番いいのでしょうが、皆もよろこばせてやりたくなったりするものです。私みたいなハイキング道の開拓はハデに山をいじくるし、大勢の一般者の利用がはじめから想定されているので、許可を必ずもらわなくてはいけません。ある意味では、許可の必要性を迷うことがありません。しかし、岩(沢もそうですが、)の場合、一回そこを突破するだけで、なんら岩を傷つけることもせず、なおかつ1年に何人もおとずれることがないようだったら、おそらく皆“イケナイこと”をしているはずです。(山遊びはイケナイこと。でも素晴らしい文化です。地主さんの温情あればこそ可能で、自然同様 地主さんの気持ちも大切にしなくてはなりません。)ただし、この“イケナイこと”にフリーのゲレンデ整備を含めてはいけません。ゲレンデにするのにはボルト打ちなど結構岩をいじくりますし、大勢の利用もありえますので、ゼッタイに許可が必要です。つい、自分勝手な解釈をしてしまい、含めてはいけないのに含めてしまうとマズイことになるのです。むしろ、そこまで許可を願わなくてもいいし、そこまで細かいことを啓発しなくてもいいと言われるくらいキッチリしておいた方が、将来セチカライ時代になってもウマク存続できるというものです。それから、もう一つ大事なことがあります。ゴミや糞尿などの一般的な どの山にもいえる決まり事だけではなく、そこの山ならではのルールもあるということです。まさに開拓者泣かせの落とし穴です。これを忘れると、せっかくの苦労が水の泡になりますので注意してください。(せっかくの新エリアが1年後に閉鎖になったりした理由は、フォロー不足だけでなく、これもあったのではないかと思います。)たとえば、松茸期間中の入山禁止などは、三倉岳では大目にみてもらっているようですが、和気アでは厳しく禁止されており、オマケに期間も3ヶ月と長いです。鷲ノ巣で遊びたいから、三倉岳と同様に認めろといってもダメです。くれぐれも都合のいい自分勝手な理屈を通さないで、地元の人達の話を尊重するようにしてください。

行く末:行く末が無に帰すとも構わないとは言っておりましたが、やはりちょっと気になります。どうしても、急成長という共通点のあるフリーゲレンデの行く末と和気アの運命がダブってしまいます。何度も落ちる今のフリーはボルト整備なしには成立しません。安全のためには定期的にボルトを打ち替えないといけないのですが、まわりの岩にもショックによるダメージがあるので、すぐそばには打てません。もし打てる場所がなくなったらどうしたらいいのでしょうか。性質上、ホンチャンのバリエーションルートみたいな適当なプロテクションで済ますことはできませんし、場所を移動したらグレードも変化して別ルートになってしまいます。ううむ。危険が前提で広大なホンチャンルートならよかったことが、安全重視のフリーゲレンデでは難しい問題で、とくに風化しやすい岩では急を迫られそうです。あまり人気がなく、やさしくて落ちることもなく、どのボルトにも墜落ショックがまったくかかってないようならすぐそばに打てて、逆によかったのかもしれません。(やはり“山”は人気が無い方がいいのかなあ。)そういえば、用瀬嶽の各エリアには一切案内フダ(道標)が設置されておらず、隠されたバリエーションルートみたいでしたが、これも利用者を制限するためにあえて設置してないのでしょうか。これからやろうとしている和気アの登山道の彫り返り防止対策と同じみたいでなんか複雑な気持ちです。(ホント、ダブるなあ。)和気アみたいなアルペン的な崩落しやすい山は、結局は木道を整備せざるをえないのでしょうか。大山みたいな国立公園ならいくらでもしてもらえるでしょうが、里山ではムリですし、したくありません。フリーゲレンデと和気アは難題をかかえるもの同士です。何十年かして、私がいなくなったら和気アはどうなるかなあ。だれかひきついでくれる者がいるかなあ。やはり、いなくなってもいいようにしておかないとダメだろうなあ。でもまあ、悲観的になったらなんでもお先マックラですし、なんとかなるさと思えばそんな気もします。あせらずライフワークとして一生かけてのんびりじっくりあきらめずにやれることをやっていきましょう。それしかないです。本当にすべてをやり尽くしたといえるなら結果がどうであろうといいじゃないか。うんうん。(私はこういう人間です。)

マイナースポーツ:クライミングがメジャーなスポーツになればなあ。と思ったことは、だれもがあると思います。人気になれば皆が応援してくれるし、なにより一般理解を得られる。しかし、マイナーだとやってる人が少なく、一般理解もされないし、少ない人の中で一番であっても本当に一番といえるのかスッキリしない気分になるのはあります。でも、勝負に“もし、”はないのです。たとえ少なくても一番は一番ですスポーツはメジャーであることに意味はありません。むしろ、野球やサッカーなどプロスポーツこそ経営難で大変です。乗馬なんて日本ではクライミング以上に特殊でマイナーなスポーツです。それでも私はかぎりなく熱くて素晴らしい青春をかけることができました。スポーツクライマーの皆さんにも同じことがいえるはずです。それに、以前から思っていたことですが、自然を大切にするならクライミング(自然の岩場ゲレンデでのフリーも。)もハイキングも山遊びはマイナーであるべきです。へたにメジャー化するとかえって自滅してしまう気すらします。まるで恒星(太陽)はデッカイものほど寿命が短いのに似ています。花火のように消え去ることなく、ほそぼそと地道にいつまでも伝統あるスポーツ(文化)として伝えていきたいものです。たとえ一般者から変人扱いされようと判る人にだけ判ってもらえれば充分ではありませんか。大勢でワイワイやるのもいいけど、解り合える友達だけでやるのもいいものです。

12月1日:入山禁止の札をはずしてまわり、登山口周辺のみ整備する。新町からザイテンまでがひどい倒木で半分まで復活させる。12月2日、一日がかりで新町からザイテン取り付きまで復活させたが、ザイテンバイパスは途中の涸れ沢まで。松茸テープ撤去は竜王山のみ完了。あとは当分先になりそう。全ルート通行可能が最優先。こんなに大変なのははじめて。東平尾根も倒木がひどそうである。今の和気アは玄人好みの状態といえます。

視察山行:12月9日、岡山大学農学部 嶋助教授と学生さん達8人を登山道保護対処の視察をかねて温泉から北稜ルート、小屏風、穂高山、竜王山、と案内する。竜王手前の釣り尾根の削れのひどい部分は、意外にもザレが落ち着いており、ステップもちゃんとついていて、思ったより深刻に見えなかった。(適度に踏まれて返って安定したのか?)ラストの竜王山登山道の対処を依頼しましたが、登山道もひどく思えるのは下部の数部分だけで、わざわざお呼びだてした程にみえなかったので、ちょっとアセりました。(変だなあ。台風で流れるものが流れて、返って安定したのかな?)でも、嶋先生は溝が掘れた部分を真剣に写真を撮っておられました。場所も登山口から近く、アルバイトもきつくないので、ここは学生さん達の対処法の研究にお任せし、大勢が踏み込んで対処したものを破壊しないように規制することを伝えてお別れしました。

バリエーションルートガイド:12月12日、朝8時から入山。穂高山にメインロープをデポし、薬師に個人装備と補助ロープをデポして10時前 和気駅へ。気がかりなルンゼへのトラバースはデダシしかチェックできなかったがなんとかなるだろう。なんせ、相手はロックガーデンのツワモノぞろいだろうから。うんうん。去年、芦屋ロックガーデンをガイドしていただいた恩人 トミおじさん一行のお礼のガイドである。電車から登山者がぞろぞろ降りてくる。多い。なんと16人。挨拶し、入念なストレッチ(本格的で、会の凄さを感じる。)のあと八ツ峰岩から天神尾根を薬師山へ。展望のいい山頂で、デポしといた個人装備を3人のクライマーの方(70歳の人もいました。)につけてもらう。トミおじさん達にはそのまま尾根を直登してもらい、4人はひどいザレ(申し訳ないくらいひどかった。)をトラバースしてダイレクトルンゼへ。サービスの写真を撮りながら先行して3人を誘導する。落石をしないように気をつけるが、結構落ちた。ホントにヘルメットなしではゼッタイ事故になる。初めての和気アでいきなりの100mに及ぶフリーソロ。緊張したというが、3人ともさすがにツワモノ。難なくみごとに登り切る。11:45、早いが眺めのいい穂高山頂で昼食にしてもらい、その間にホダカガリーにロープをセットする。50m、45m、30mと3本のロープをつないで、ゴボウで登り返す。ううむ。息が切れる。ええい。時間がない。急げ。雨は夕方からということだったが、空があやしい。トミおじさん達には小竜王までピストンしてもらい、その間にまた4人でラッペルしてアッセンダーで登り返して遊ぶ。120mの本格バリエーションルートに正面の小竜王からも声援がとぶ。私はサービスの写真を撮りながら先行し、ノービレイ状態でホダカガリーを完登した。ダイレクトルンゼでモチベーションが上がっていたし、そばにロープがあるし、下に人がいるのが心強かったのと、これで数回目ということもあってか、地上100m地点での核心のワンポイントのボルダームーブをものともせず、左手の2本指をかすかなくぼみにキメて(思いのほかキッチリきまった。)自分でも凄いと思うくらいの登攀能力で突破した。自信をもって推進力を活かせば、かなりのことができることを実感した。(“推進力”は乗馬でよく言われていたことだが、クライミングでも大事であることが判った。ただし、馬でなく、自分自身に推進をかけるのだ。)3人のクライマーは余裕で、3人同時にそろって登り切る。アッセンダーのおかげで怖くなく快適だったとのこと。トミおじさん達と合流し、13:10 ロープはそのままにして縦走開始。小屏風の中で雨になる。マズイ。予想外のハードさに気がくじけそうな人もいる。トミおじさんと協議して、大屏風とザイテンをあきらめ、北稜ルートをエスケープする。14:45温泉に下山。3人を駅に送り、ロープ一式を回収しに穂高山まで往復する。16時、温泉に入った残り全員を和気駅まで2往復して送り、お別れする。ううむ。来年の裏銀座コースを隠してのコース取りであったし、こんな内容で楽しんでいただけたか不安であったが、メールを見ると、皆さん喜んでおられたとのこと。来年は期待してくださいとメール返信する。二日後、まだひどい筋肉痛。イタタタタ。ちょっとエエカッコしすぎた。

疲労:回復力が弱くなったことを実感しています。一日何かに集中して作業すると、次の二日間は疲労で考え事ができなくなり、筋肉痛や頭痛もひどくて虚脱状態みたいになります。1日やったら2日休まないとダメみたいです。そういえば、穂高縦走もバテバテだったもんなあ。一晩寝たら回復していた青春時代が懐かしい。30代後半からなぜかくたびれが2日後にくる(翌日は平気。)ようになっていましたが、今ではずうっと2日間くたびれ状態です。オマケに今回は親父(ムリをして突発性難聴で入退院しました。)の手伝いの作業もかなりあり、いろんな用事が集中してくたびれ、山の整備作業がはかどりません。それにしても、くたびれで考え事がまとまらないのはイライラするなあ。HPの更新もできないです。道標も傷んでいますので早く直さないとマズイのですが、相手は山だから急ぐことをせず、のんびりやるように意識してイライラを抑えています。(整備まちの皆さんすみませんね。)でも、なんとか早く整備完了して、春には裏銀座を完成させたいよう。ああ、期限を決めるとツライなあ。でも早くやりたいよう。

エキスパートの足あとに助けられる:オハヨー山岳会の記録です。烏ヶ山(からすがせん)は大山のすぐ隣にそびえるちょっと不気味で ユニークな形をした山である。麓の鏡ヶ成からわずか2時間で登れるとても面白い秀峰だったが、鳥取西部地震で崩落してしまい、全てのルートが通行不能になってしまった。また登りたいなあと思いながら、私もかれこれ8年ごぶさたしていた。インターネットで調べると、結構 積雪期に歩いている人がいる。雪があると通行可能みたいだ。今回、積雪がほどほどな初冬にチャレンジしてみることにした。(とはいっても、行けれる所までで引き返すつもりだけどね。)

04年12月18日(土)AM7時 本社P集合。参加7人。湯原の片側通行で時間をくうが、10時に鏡ヶ成に着く。大山はガスっているが、烏ヶ山は晴れている。でも、そのうちこっちもガスりそうだ。朝は晴れでも、昼からの降水確率は40%である。大山は冠雪しているが、下からは烏ヶ山に雪は見えない。キャンプ場は冬季は閉鎖されていて、トイレを休暇村ですます。ロープの使用が予測されるので、沢で使っている安全装備を全員装着して、10:30スタート。はじめはなだらかな樹林帯である。カーラ谷を渡ると、通行止めのトラロープと札。(ここまで来てダメはないでしょう。どうせなら登山口に設置すべきである。)とりあえず、行けれる所までということで前進する。先行者がいるらしい。2,3人の新しい足あとがある。だんだん傾斜がキツくなってくる。止まると寒いが動いていると暑い。やはり冬山である。山頂の気温は最高でも5℃で、風があるからかなり冷える。寒いが薄着になって、休憩しなくてもいいようなゆっくりペースで登っていく。のどは渇かず、休憩なしでグングン高度をかせいでいく。やがて尾根上にでて展望がきくようになる。大丈夫。まだ山頂はガスっていない。尖った山頂はどんな風になっているのか?先行者の引き返した形跡はない。もしかして行けるかも。いやいや。大山ではエキスパートばかりと遭遇しているからたぶんこの足あともエキスパートだ。こんなのをうかつに素人がたどったら命取りになる。要注意。足元にあらわれた雪がだんだん増えてきた。前方の新小屋峠からの稜線が下になって山頂まであとわずかになる。ロープがある。これを攀じ登ると突然 崩落したとてつもない場所に出た。うへえっ!想像以上の怖さに顔色を失う。前方はむき出た1個が1tはあるかデスクサイズ以上の岩が積み重なっており、というより落ち残っており、一つ崩れたら全部崩れそうだ。そんな岩の上を乗り越えて通過するしか進路はない。左下は高度差400mのスッパリきれ落ちたほとんど垂直の崖である。曇り空でガスが吹き上げてくる。こっ、これ越えるのか!岩雪崩をおこしてグチャグチャになりながら落ちていく自分の姿が脳裏にうかぶ。うえええええ・・・こっ、怖あああ。さぶさぶ。ううう、やめやめ!娘もいるし引き返そう。うん。振り返り、皆に引き返そうと言うが、皆は私がなんとか突破して連れて行ってくれるだろうと期待していたようだ。(おいおい。いくらなんでもこんなのムリだって。状況がわからんのか。)皆と私自身の行きたいという微妙な心理の影響か、なにがどうなってかは今でもよくワカラナイのだが、なぜか私はもう一度 崩れ残った岩に向き合っていた。見えないゴーロの裏を巻くよりも、やはり正面を乗り越えるか。よく見ると先行者の足あとが崩れそうな岩の上についている。おおっ!よくまあこんな岩を踏む気になったもんだ。出だしの攀じ登りで踏む岩は崖にせりだしており、これが崩れたら自分の乗っかっている岩も落ちる。ホントにこの岩を踏んで大丈夫なのか?ヤバイが今はこれしかない。崩れないことを祈ってはいあがり、岩の上の足あとをたどる。すぐに右の草付きに入る。まだ先には崖っぷちの岩場が続くが、さっきの部分ほど危険ではない。よし。これならいい。アンカーにできるものがないし、グズグズするとかえってアブナイので、ロープは使わずに、 “同じ岩に2人がのらないように。その岩はゼッタイ崩すなよ。皆死ぬぞ。”と、上から指示して皆を来させる。(よくまあ皆もついてきたものである。)ゴーロの崖っぷちから開放されると今度は右側が崩落した所にきた。さっきと違って岩のない絶壁である。ブッシュの上を藪漕ぎしてもいいが、思惑通り雪がある。ブッシュにつかまりながら楽にトラバースして南峰に到着。あれ?下山する予定の新小屋峠ルートの分岐がなかったではないか。どうやら最初の崩落個所だったようだ。ううう。また帰りもあのゴーロを通らんとおえんのか。気がめいる。風が寒い。天候が悪化しそうだ。昼食は後回しにして、ザックを南峰において本峰に向かう。かなりビビらされたので、鞍部に降りる途中の崖っぷちまでかなり怖く感じる。でもあとは大丈夫だった。最後のロープを攀じ登って山頂へ。時間は12時ちょうど。おお。なかなかのハイペース。1時間半で到着した。ペース配分の勝利か。4人のパーティが昼食をとっていた。“貴方がたの足あとのおかげでここまでこれました。”とお礼をいうと、なんとウチのO部長の従兄弟で、岡大山岳部のOBと現役さんでした。“よくあんな怖い岩を踏んで通りますね。”というと“あの岩は安定していたからね。”とのこと。(あとで娘いわく“岩 動いてたよ。”ううむ。やっぱりエキスパートはコワイ。)エキスパートOさんのザックからはズッシリとした一袋のミカンがさしだされ、(スゴイ余裕。よくまあこんなものをこんな所へ担ぎあげるものである。)ほかにもコーヒーやお菓子までふるまわれ、皆は節操がないくらい遠慮なくいただいた。私もウデの違いを見せつけられながら感謝してごちそうになる。うん。山で食べるミカンはうまい。雨になると怖いので、お礼もそこそこにさっさと先に引き返す。ザックまで返ったが、下山途中にはまだまだ難所がある。雨が今にもふりだしそうなので、安全な所まで下山してから落ち着いて昼食をとることにして、先を急ぐ。ブッシュにつかまってのトラバースをすぎ、崩落残りのゴーロ帯へ。分岐を捜しながら、はじめのゴーロ部分をこなしていくと、核心部の手前の左にトオセンボするようにトラロープがはってある。見るとコブロープがセットされている。これだ。よかった。ゴーロの核心部を通らずに済む。でも、なんでトオセンボなんだ?不安だがこれを下降する。(あとで、登ってきた人を止めるものであったことに気づく。)コブロープは下の方が雪に埋まっている。ひっぱり出して使えるようにしながら降りていく。ロープは右や左に小刻みに切り替わりながら結構長く続く。先行者がいなくて、踏まれていない氷雪と岩のミックス壁をロープで下降。まるで本格アルパインクライミングをしているような気分にひたれた。かなり下降してやっと安全な尾根上にたどりつく。烏ヶ山北面の眺めに歓声をあげる。まさにジャンダルム。登山道の脇に展開し、遅い昼食にする。後から降りてきたエキスパートOさんに“とても山頂で昼食にする度胸がないもんで。”というと笑っていた。北面の絶景を楽しみながら尾根をたどり、いくつかのヌタ場を回り込んで新小屋峠に下山する。登山口には通行止めのロープと札が設置されている。14:40、短いが内容はとてつもなくハードな山行であった。道路をキャンプ場まで歩いていると雨になった。またもや休暇村でトイレを拝借し、蒜山や久米南の農協の野菜売り場に立ち寄って帰る。今回も皆は大喜びで野菜を買い込んでいた。18時、本社帰着。無事解散。

ううむ。今回は運よくエキスパートの足跡があったから突破できたが、なかったら無理であった。でも、ほんとにあれをたどってよかったのか。やっぱり引き返すべきであったようにも思える。我々は運よく落ちずに済んだが、恐ろしく危険なことに変わりはない。もし誰かがこれを読んで自分も行こうと思ったらヤバイので、ハッキリいっておきます。“マジで死にますよ。”

あっという間に年越し:12月31日、前夜から午前中いっぱい雪が降り、和気も10cmの積雪で一面の銀世界。吉井川の堤防の芝生斜面で、子供たちはソリ滑りをして遊ぶ。ちょっと草がのぞいているが、柔らかく抵抗がなくてよく滑る。私はショートスキーで滑ることにした。初滑りとしては急斜面であるがちゃんとターンできた。登り返すのがしんどいので3回滑っただけだったが、和気でもちゃんとスキーで遊べたことで、なにかすごく得した気分になりました。それはそうと、この12月は用事が多くて、初旬以降さっぱり和気アの整備ができませんでした。ごめんなさい。先日もちょっとした用事で小豆島に一泊してきました。運良く寒霞渓の初冠雪を見ることができました。それにしても小豆島は面白そうな山がホントに多いです。表・裏20景はハイクしたことがあるので、今度は寒霞渓を沢登りでせめてみたいし、拇嶽でも簡単で長大なルートをクライミングしてみたい。洞雲山山塊も登ってみたいし、城跡のある皇踏山も登ってみたい。霊場の佛谷山、栂尾山、笠ヶ滝なども巡ってみたいと思いました。やるとしたらマイカーはフェリー代が高いので、自転車かレンタサイクルを利用し、テント泊で5日くらいかけて、のんびりじっくりと堪能したいものです。もちろん和気ア周辺も面白そうな山がまだまだあるので、それらも片付けてやりたいし、県西部の成羽天神山でも薮漕ぎ岩場めぐりして遊びたいし、用瀬嶽でフリーもしたい。ああもう。なんでこんなに煩悩だらけなんだ。とにかく1月末に倒木処理と白テープ取りをすませ、2月末までに道標を書き換えて、バリエーション化も完了します。裏銀座は3月末になりそうです。もしかして4月末になったりするかも。(おいおい。)このHPの刷新は5月になりそうです。まあ、あせらずマイペースでのんびりやります。あせるとマイナスにしかなりませんし、体力的にもムリがありますので、あしからず。では、よいお年を。

これより05年。

05年、整備状況1月8日、ひさびさに和気アの倒木処理作業をする。やりかけだったザイテンバイパスを午前中に開通させ、午後からは鎌尾根リッジルートへ。鎌尾根の吹き飛んだ札を整備し、奥壁も整備する。先端の覗き見用ロープがすりきれていたので撤去する。お宝は無事だった。東平尾根に登る。倒木がひどいと聞いていたが、たしかに無残な感じがした。ただ簡単に迂回できるので作業はラクだ。夕方5時までかけてなんとか中間のM2まで整備して引き返す。薄暗いなかを奥壁ルートを下降しながら整備する。倒木で岩がむき出してかえって見応えのあるものになっていた。真っ暗になった6時になんとか下山完了。1月10日、M2から残りを整備する。大木が根こそぎ倒れてたり、へし折れたりしているのは場合によっては迫力があり見応えがある。これも自然の産物(造形美)といえなくもない気がした。場所によっては展望が得られて楽しいことになっていたりする。倒木をメの仇にして片っ端から除去するのではなく、苦痛にならないものはあえて残して、くぐったりまたいだりする退屈しのぎの遊具(アクセント)としておこう。うん。その方が楽しいし、ラクだ。縦走路にでると大阪の枚方からこられたという40人の大部隊。和気富士からの縦走路に通行困難な部分はないとのこと。神ノ上山頂にいくとノートが台風でボロボロになっていた。新しいものと交換する。剣峰方面へむかうと杉の植林帯がなぎ倒されて迷いピークから北方面に展望が開けている。こりゃあいよいよ迷わないピークである。ううむ。開拓当時の薄暗く深山めいた雰囲気はもう知る由もない。一つくらいは和気アにも薄暗いピークがあった方が面白かったような気がしてちょっと残念。ここでまた10人くらいの団体と出会う。ザイテンを登ってきたというが、登山道は杉の倒木で完全にふさがれており、私ですらどっちに行けばいいのかわからない。枝を切るが開通には大変な作業になりそうだ。ヘンだな。さっきの方達は大した労苦も無い様子だったし、どっかに迂回路でもできているのかな。作業を中断し、踏み跡をチェックすると、なんと南に3mずれた所から黄テープの明瞭なコースサインが設置されており、大勢が歩いたせいか完全に一般ルート化していた。ううむ。私がなにもしなくてもベテランがボランティアでコースサインを設置し、みんなが歩いて迂回路ができるなんてまるで大山みたいである。ゴミ拾いをしてくださる方もいて綺麗だし、なんか私の役目は半分終わったみたいだ。うれしいような淋しいような。チャッカリこの迂回路に道標を移し変えてラクをさせてもらう。剣峰まで整備して暗くなった中をザイテンを下降して6時に下山する。家でノートを読むと10回以上登ったとか全部のルートを歩いたとか和気アル中にかかった人のなんと多いことか。ポストごとふきとんで、風雨にさらされ、かなり傷んでヨレヨレ。何ページも欠損しているが大切な宝物である。お礼や励ましの言葉や皆が皆もう一度来たいと書かれていることからこの山がどれだけ素晴らしいものであるかをあらためて実感できる。百名山よりいいという方もいました。もう重症の和気アル中です。ホント、このノートの内容をそのままHPで公開したら、読んだ人が期待を高めて殺到するでしょうね。大々的に宣伝すれば観光名所になってしまいそうです。だからあえて公開しません。(この読むのに苦労するコラムで密かにこれだけの紹介とします。)

やっと読破:去年の秋、老師Nさんから読んでごらんと言われて借りていた本 レイチェル=カーソン著“沈黙の春”をやっと読み切りました。(ちなみに、Nさんは英語の原書を読まれています。)山の本はいろいろ読んでいたものの、難しい専門的な事柄がでてくる上、300ページ以上の内容に、学生時代から教科書を3ページ読んだら熟睡だった私には大変な作業でした。この著書は50年前に書かれているが、新事実がいろいろ出た現在でもほとんどの部分が的を得ており、かなりの名書らしく、岡大 嶋助教授も“自然環境を研究する僕らにはバイブルですよ。(この本を知らん訳ないでしょう。)”と言われていました。内容は薬剤の空中散布の害を訴えており、恐ろしい事例を読んで不安になったりしましたが、代わりにうまく自然とつきあう方法も示唆しています。私も書かれているいろんな事に感銘でき、あらためて和気アの松食いムシの薬剤散布を疑問に思うようになっています。嶋先生も“最近は薬害を気にして散布している所はほとんどなくなったのに、ここはまだやってるんですねえ。”と言われていました。言葉が悪いですが、お役所仕事では悪い慣例があっても対応がにぶく、意味もわからずにいつまでも尾をひいたことをやり続けることがありますので、一度、区長や地主さんが集まって、情報収集したり専門家の意見を聞く必要があるのではないかと思います。

とりあえず通行可能に:1月15日、冷たい雨の中、ボロガッパをまとって北林道ルートの整備にいく。インテリア吉房から行くと竹が倒れたままで、林道入口手前が相変わらず水害でえぐられたままであるが、林道は草刈されていた。植林帯の端をたどると倒木で通行困難な箇所があったが、誰かがちゃんとナタで迂回路を作ってくれていた。(今回は和気ア ファンの皆さんに随分いろいろと助けられています。ありがとうございます。なんか登山者の呼び込みを控えて、無愛想にしだしたのが心苦しいくらい、皆さんの温かさを感じて感激しております。)除去困難なひどいものは迂回路をそのまま整備させてもらい、なんとか昼2時までに下山できた。とりあえずこれで、通行困難が予想された部分は全て整備できました。まだ、もしかして通行しにくいピンポイントがあるかもしれないが、出会った登山者に聞いたかぎりではもう大丈夫みたいです。松茸の白テープも三宅さんが取ってくれていて、あと残りわずかとのこと。(どうも毎度ありがとうございます。)さあ、あとは道標の整備です。台風で吹き飛ばされたり、読みづらくなっていたりしますので、コツコツと整備していきます。同時にかねてから予告していたバリエーション化による道標の撤去もしていきます。(ああ。早くかたづけて、新ルートに取り掛かりたいよう。でも、体調を崩した親爺の手伝いをしなくてはならず、台風災害の復旧だけでフラフラです。もう。なんで集大成の直前でこんなに足踏みさせられるんだ。これも試練というものなのかなあ。これを乗り越えた3月には心のバクハツを思わせるようなものができるかもね。いや。できますよ。うん。)

登山地図の無料配布を中止:以下、和気富士登山口においた文章です。

私個人の趣味で和気アルプスの整備清掃とルート開拓をかれこれ8年ほどしてまいりましたが、予想以上の入山者増加に伴う登山道の削れや掘り返りで、初めは了解されていた地主さんたちに迷惑がかかりつつありますので、今期05年から呼び込みを控えることに致しました。つきましては、この和気富士の稲荷様と鵜飼谷温泉ロビーに設置しておりました登山地図の無料配布を中止いたします。インターネットの私のホームページでのみ地図をダウンロードできますが、地元地区や地主さんに迷惑がかかりそうな既存のルートは削除しております。今後も、新ルートができても地元や地主さんに迷惑が予想されるなら一般公開はしません。(地図に載ってなく、道標がないけどちゃんとしたルートの存在に気づかれたら、それが該当のルートです。)おそらくリピーターの方がたどるだけでしょうが、この山はリピーターがかなり多いので、あまり人を誘わず、個人もしくはホントに親しい仲間だけ(できれば5人以下。)で、“知る人ぞ知る穴場のルート”として歩いてください。ある意味で“知っとるけど言わん。教えん。”というガンコでインケンな部分は、自然愛好者としては必要であり、持ってて正解なんです。自然の風情を守るには“山”は知る人ぞ知る“穴場”である方がいいのです。和気アルプスの自然の面白さと風情を守るために、今回苦渋の決断をした次第です。どうかご理解ご協力ください。なお、竜王山登山道は専門スタッフによる登山道保護の対処を実施する予定です。これに伴う通行規制にもご協力ください。また、登山道の削れ防止に、今後も辛口な啓発をしてまいります。道具先行型(私もそうです。)の高齢登山者に多いのですが、靴底の硬い中登山靴は控えて、軽登山靴を使用してください。なにより、やたら人を誘わないことが、一番効果があります。最後に、毎年9月1日から11月30日までは松茸山につき全山入山禁止になります。地主さんも気をもんでおられますので、厳守してください。和気アの登山ができるのは地主さんの温情あればこそです。この恩をアダで返す人に山を歩く資格はありません。

温泉新道が閉鎖?:登山者からメールをもらって気づいたのですが、温泉新道が閉鎖されていました。この登山道は和気町が整備したもの(指示したのは他ならぬ町長だったウチの親爺ですけど。)で、あまりにアクセスがよすぎるためか、地主さんは、以前からゴミと盗掘に悩まれていて、役場に何度も改善要求をされていたそうです。それなのに役場の委託した業者が、逆にどんどん道幅を刈り広げたので、いよいよ険悪になってしまわれました。ついに堪忍できず、この1月から閉鎖したそうです。役場では(担当者は地主さんの友人ですけど。)、まあマナーを守るなら、通ってもいいでしょうなどといわれてますが、私は地主さんの立場を尊重して、通行禁止を呼びかける予定にしています。しばらくは鵜飼谷北稜ルートもしくは観音山登山道をご利用ください。じつは忙しくてなかなか実行できずにいますが、できるだけ早く、隣の岩山(山頂付近はウチの土地です。)に代わりの登山道をつけるつもりです。登山口は温泉の下のバス用の駐車場になります。ここは益原区と和気区の共有地なので、両方の了解をもらわなくてはなりません。役場からはそれができてから閉鎖を呼びかけてくれといわれていますので、今は中に浮いた状態です。閉鎖のフダに気分を害された方も多いでしょう。すみません。人気がですぎたために、いろいろ弊害もおきつつあるのが今の和気アの現状なんです。問題があっても、どの人にもいい解決になるようになんとかやっていきますので、どうぞよろしくお願いいたします。(この件はここでこれだけのみの公開とします。)

恩原高原 雪洞作りと雪のコーヒー:またまたオハヨー山岳会のハチャメチャ山行記録です。(ホントこりないねえ。)

恩原高原スキー場のパノラマゲレンデの第2リフトで一気に山頂に行くと、360度の雪山展望がえられます。ここから尾根づたいに県境の三国山まで山スキーでスノーハイクするのが、上級者向けとして書籍に掲載されていたので、娘と2人でチャレンジしたことがあったが、いけどもいけども恩原牧場からでられず(スキー場もじつは牧場の一部で、山頂のなだらかな尾根上は延々3Km先まで牧場が細長くズウ〜ッと続いている。)、さえぎるものなきすばらしい展望も同じ景色にうんざりして結局牧場の端までで引き返した。山頂台地上とはいえ、なんか単なる雪の牧場散策であった。しかし、尾根の東側には雪庇があちこちにでていて、雪の吹き溜まりはかなりのものだった。ここならあちこちでかなり大きな雪洞が掘れそうである。去年の那岐山で雪洞作りの味をしめた皆に、今回ここで思いっきり掘りまくってもらおうと考えた。ロープワーク講習ならぬ雪洞作り講習である。(とはいっても単なる雪遊びなんだよね。)

雪洞を掘るのに決まったやり方はない。本にかかれているのもまちまちで、中にはどうみても無理なことを書いている怪しげなものすらある。(ロープワークもそうだ。初心者はこんな本をかいかぶらず、ちゃんとした山岳会で習うべきである。)←お前に言えたことか!(まあまあ。)寒い現地でくどくど説明するより、あらかじめ予備知識として知っておいてほしいので、このさい、私なりに雪洞作りの方法をまとめたパンフレットを作って皆に配布することにした。

1月22日(土)、朝8時 和気鵜飼谷温泉集合。“車内で読んでおいてね。”と雪洞作りの虎の巻を皆に配る。昨日まで県北ではずっと雪がふっており、積雪も1mを越えている。それでいて今日はいい天気だ。ラッキー。だが、不安なことが2つ。一つは偶然今日が氷紋祭りであり、スキー場手前が渋滞していないかということ。もう一つはリフトに登山者が乗せてもらえるのかということ。(本ではリフト利用となっているが、セチカラクなっていて拒否されたらどうしよう。)今回は雪山としては最も多い10人の参加。Kさんがスノータイヤだったので、四駆の私のワゴンと2台で行く。祭りのためか念入りに除雪されており、凍った部分もあったが難なく10時にスキー場へつく。心配した渋滞はなかったが、かなり遠いところへ駐車させられた。脚装備は私と娘がショートタイプの山スキー。HさんとMさんがワカン。あと6人はツボ足である。まあ今回はあんまり歩かないからいいだろう。スキーしないのでリフトは初めてという人がいるのでそっちの方が心配である。“かなり高くて怖いかもしれないけど大丈夫だから。”と意味のない気休めを言っておく。リフト回数券を買って乗り場で“登山者10人です。リフト初心者もいます。”というと、ちゃんと乗せてもらえ、乗り降りでのスピードダウンもしてくれた。全員リフトを止めることなく無事山頂に降り立った。やれやれ。これで不安は帰りのスキー場内の下降だけ。でもこれも端っこなら許してもらえるだろう。さっそく脚装備のあるものは装着する。スキー、ワカン、ツボ脚の順番で、皆おなじ踏み跡をふむように指示して11時 スタート。風で雪が適度にしまっており、ラッセルにはならない。ワカンで焼結した上を踏んでいく作戦で、歩幅を気づかいながらワカンが歩いたので、ツボ脚でもわりとラクについてこれている。最初の小ピークで雪山のパノラマに皆は歓声をあげる。いい景色。だけど振り返るとすぐそこにリフトの駅。もうチョット遠くまで行かなくては興ざめである。鞍部にはでっかい雪庇。ここでも充分だが、歩き始めてまだ10分であり、スキー場の音楽も聞こえる。せめて音楽の聞こえないところまで行こう。小ピークを2つ越えた鞍部で、11:30になった。まだ牧柵や餌小屋がそばにあって興ざめだが、牧場から出た所までは行けないし、行ってもつまらないだけだ。ピークの向こうでリフト駅も見えないし、音楽もきこえない。よし。ここにしよう。みんなに待ったをかけて雪庇の横側へ回りこんで急斜面を慎重に降りる。雪庇はオーバーハングにはなっていないが、真中に横一筋の隙間があいている。険悪そうなので横側手前の吹き溜まりを掘ることにした。試し堀りするとパラパラのアラレ雪であり、手で握っても焼結しない。掘りやすいが、捨てにくい。さらに掘ると、まともにしまった雪になった。よし。いける。“書いといたように下には掘らず、斜め上に掘ってね。”(下向きに掘ると入り口がデカクなり、とにかく排雪が大変。上向きだとシートを敷けば、ブロック状の雪は滑らせて簡単に排雪でき、入り口も小さくて、あとでふさぐものラク。)と指示して三箇所から掘り始める。スコップは4本。(雪山用は1本だけ。あとは適当な安物。)中で掘るもの。外で雪を捨てるもの。尻敷きソリも使って、入れ替わり全員で掘りまくった。歯がゆいが、ブロック状に切り出したほうが、排雪しやすく、早くてラクであることを実感する。30分で3つの雪洞ができ、横向きに広げはじめる。3つの雪洞をつなげて、中を広げてくつろげるものにする。天井を短いピッケルのブレードでドーム状に仕上げて、下を平らにする。アプローチ側の1つを生かし、残り2つの入り口をふさいで完成。なんと12:30。ドジで2つ窓があいちゃったけど、たった1時間で10人が座ってくつろげるデッカイ雪洞ができた。これならもう30分で全員が横になれるものもできそうである。(皆はまだ掘りたがっていたが、キリがないので今回はこれまで。)いやーこんなにデカイ雪洞ははじめて。やればできるもんだなあと感心する。なにか雪洞内は雪が青くみえて神秘的。外にでるとマブシイ!昼食セットだけもちこんで、尻のしたに適当に防寒できるものを各自敷いて座り、コンロをだしてお湯をわかす。カップメンやカップ味噌汁を作り、至福の時間。外は晴れているが、わずかのそよ風で寒く感じる。それにひきかえ、雪洞内はまったくの無風で暖かく感じれた。パッキングを工夫してザックの上に座るなどして尻さえ完全に断熱しておけば、快適そのもの。しかも静かだ。ウトウトしだす人もいて、このままここに泊まりたいという意見もでた。雪洞作りともう一つやりたかった 雪をとかしてお湯をつくるのをやってみる。いままで、こんなことをしたくても残雪期ではゴミだらけで汚いし、する余裕もなかった。本にはなかなか融けないと書かれていたが、柔らかい横壁をコッヘルで削ってラーメン作りのあまったお湯に入れると、とけるとける。あっというまにコッヘルいっぱいの水ができた。しかも濁りやゴミもなくハンカチでこす必要がない。わかしてコーヒーを作って皆で飲む。じつは、冬用のプロパンボンベが売り切れで、通常のブタンボンベ(500gのほぼ新品)をもってきていたのだが、ベニヤ板の上で使用すると人間ブースター(素手でボンベを暖めてやること。)をちょっとしてやる程度であまり冷たい想いはしないで、充分使えた。これも雪洞内だから通用したのだと思う。無風でコンロが使いやすく、綺麗な水の元がえられ、静かでよく寝れる雪洞はやはり必要でなくても掘って遊ぶとすばらしいものであることが実感できた。雪山遊びはこれに尽きるといっても過言ではなかろう性能のいいスコップに大金をかけてもいいと思う。(フツウのはホームセンターで2千円だけど、雪山用のは8千円もします。柄が短く、シャベルのデカイものがサイコーです。)もっと短時間で完成できる雪洞作りの名人になりたいものだ。雪山遊びの初心者は歩く。中級者はすべる。上級者は掘る!である。1時間ゆっくり雪洞内で過ごした後、オコジョのマネのつもりで窓から頭を出したりして(おかげでせっかくの雪洞は壊れました。)、おどけた記念写真を撮って撤収する。来た踏み跡をたどり、スキー場では怒られないようにつつましくゲレンデのコース左端を下降する。皆とペースを合わせるためシール(山スキーにつける滑り止め)をつけたまま滑ると圧雪急斜面では滑りづらかった。さっさと一人で行ってしまう者や写真を撮るばかりで降りてこない者で、バラバラになり、混雑したロッジ周辺ではぐれないか心配したが、全員無事に車にもどった。15時、スキー場発。17時、和気帰着。無事解散。今回は結局、行き帰りに30分づつスノーハイクしただけ。あとは1時間掘って、1時間くつろいだだけである。こんな内容でも私も皆も新鮮な体験で満足できた。恩原高原は初心者のスノーハイク講習に利用されているようだが、はっきりいってここでのスノーハイクはつまらないここは雪洞作り講習をするところである。機会あればこんどは酒と食糧、コンロ、ランプ、寝袋一式を持ち込んで、雪洞泊まりで宴会をしてやろうなどと企んでいる私。

岩山温泉ルート試登:1月29日、朝9時 温泉の下の駐車場の端から岩山へ向かって試登してみる。適当に薮に分け入り、尾根上にあがると踏み跡がある。たどると途中からケモノ道みたいになってトラバースになった。尾根上を素直に直登すれば踏み跡もあって問題ないのだが、ひどい急坂で味も素っ気もないルートになってしまう。温泉新道より面白いものにするためにも、ウチの土地側にルートをつけたいのでトラバースをそのまま進む。ひらけた所で不明瞭になった。ここからは岩場沿いを意識してコースどりしていく。難所をまいていて尾根上の踏み跡に戻ったりしたが、登り一辺倒ではないものにしようとできるだけトラバースをいれる。横にすごい岩場が見える。いいじゃないか。よしよし。最後のツメも山頂をまいて直下の縦走路にでる。このラストも踏み跡めいている。倒木で山頂北側の展望がよくなっている。すこし手を加えておき、縦走路の白テープ(かなり少なかった。)を取る。空身なので、あとで回収するべく地面にまとめておく。昼飯にいったん帰ることにしていたので、早々に下山開始。分岐付近を少し手を加えながら下降する。中間部でルートを見失い、岩壁に行く手をさえぎられる。こりゃあ初心者がふみこんだらただじゃすみそうにないぞ。なんとか突破して下山し、登り口を確定して帰宅する。昼2時からもう一度登る。最初のトラバース終了までの踏み跡を確定する。あとは問題の中間部だけだ。やっぱり迷った。朝はどこを行ったのか。ううむ。夕方になってきているので焦る。もう。ヤケになって横にみえていた手応えありそうな岩壁にとりつく。ヒヤヒヤしながらトラバースして尾根上を強引に登る。思いのほかデカイ!スタンスがもろいフレークで1センチ程度しかない。なんとハードなスラブ。2度冷や汗をかいてなんとか突破した。なんとかラストのトラバースにたどり着いたが、もう5時を過ぎている。早く下山しなくては。しかし、中間部でまたまた岩壁にさえぎられて迷う。強引に突破して6時前に下山す。ううむ。クライミングルートなら作れそうだが、はたして一般ルートがひけるだろうか。(おいおい。)ちょっと不安になる。(オマケに白テープを回収できなかった。)とりあえず、まあなんとかなりそうな気はするので、翌日 区長さんに相談する。2月1日、出勤前の2時間だけ、気になっていた岩山ルートの難所のルート設定をする。面白いライン取りができたが、ちょっとハードなので、つまらなくても直登の迂回路(といってもこっちの方が近道です。)もつけなくてはなるまい。

ルアーフィッシングが6月からできなくなる?:ついに懸念していたブラックバスの放流禁止が確定しそうである。生態系保護には歓迎すべきことだが、このままいくと一つの釣り文化が消えてしまいかねない。寂しいことだ。(私は足腰がよわった老後の楽しみに釣りを思っていたのだが、私の老後ではもう釣り文化はことごとく消滅してしまっているかもしれない。今なあんにも考えずにノホホンとバス釣りをしているヤツに“クソバカ野郎!お前らのせいで未来の人は釣りができんようになるかもしれんので!”といいたいくらいである。)釣りの関係者では経済的ダメージもかなりあるだろう。なぜ、こんな騒ぎになるまで無秩序にあちこちに放流してきたのか。いわせてもらえば、“自分達が釣りを楽しめればそれでいいのさ。”という身勝手な考えをしたパッパラパーな釣り人ばかりだったのだろう。(そこまでいうか。)いかに生態系を荒らすイケナイコトだったのかマッタク自覚しようとせず、雑誌のコラムでもミュージシャンなんかが音頭をとって単に“俺達の楽しみを結束して守ろう!”の一点張り。(まるで音楽ファンのヤンキー共もあおって、一騒動やろうぜといわんばかりである。)釣り人の立場でしか物事を見ず、釣り人の気持ちしか考えていなかったために、いよいよ自滅である。もっと早くから自粛して、しかるべき関係機関(池なら区長さんを通じて役員一同に区会で許可をもらう。川なら上流から下流までの全ての漁業組合に許可をもらうこと。川や池は公共のものだから勝手なことをしてもいいだろうなんていうのは、大間違いです。地主はいなくても管理者はいるのですからお忘れなく。)に許可をもらえた特定水域のみでのレジャーにしておけばよかったのだ。バスの放流者は登山の開拓者みたいなものである。釣り場の開拓者といえばいいかも。開拓めいたことをする者は勢いまかせにやりたい放題をしてはいけない。自分の行動が重大な結果をもたらすからだ。(本当、その文化の存亡につながってしまうのである。)本当にこれをやっていいのか絶えず自問自答して悩みぬかねばならない。(くどくどいうとキリがないので後に続くセリフは省略する。もう聞き飽きてるでしょう。)雑誌の数からいってアウトドアの大御所といえば、釣りとキャンプ、そしてハイキングである。ハイキングも厳密には自然にダメージを与えているイケナイことなので、そのうちなんらかの矛先をむけられる心配がある。すでに登山文化は、一部のお馬鹿さんによって通行禁止やゲレンデ閉鎖などの問題があちこちでおきているのだ。登山者および山の関係者一同はよくよく思えてもらいたい。このままズルズルいったらいつかはバス釣りの二の舞なのである。(暗くなることばかり言ってすみませんね。)まして、露骨に藪を切り開いている私みたいな開拓行為は真っ先に禁止にされるだろう。藪漕ぎや沢登りなど私の好きな冒険的な山遊びは出来なくなり、ハイキングは風情台無しの公園みたいに完全整備された遊歩道歩きだけしかできなくなるかもしれないのである。そこには冒険的な面白さは皆無であり、もはや“山”とはいえない。いか――んんんんん!!!(エコーかかってるつもり。)さあ。なにをどう気をつければこんな事態にならずにすむのか。もう判っているはず。くどくどいうと(やっぱりいうのか。)、地主さんの感情を傷つけないこと採取行為は全て禁止ゴミ、糞尿ペーパーは持ち帰るきたる未来、携帯トイレが必携の装備になり、ザックに自分の糞尿そのものを入れて持ち帰るのが常識になるかもしれない。(登山用品のメーカーは携帯トイレこそこれからのヒット商品となるかもしれない。)大勢でパーティーを組まない同じ40人でも、間隔をあけてパラパラ歩くのと一列縦隊でザクザク歩くのとでは山にあたえるダメージが全然違う。集団登山は山を荒らし、弱い者にあわせて動きが鈍く、素人に目が届かずトラブりやすく、前の人のザックを見つめ続けるだけの修行みたいなツライ内容になるなど、メリットがないことばかりです。(また。そこまでいうか。)やるなら、5人づつの小隊に分かれて間隔をあけて歩き、それぞれにリーダーもしくはサブリーダーがつくべきです。安全教習だけでなく、マナーとモラルの講習会受講の義務化などなど、よかれと思うことはやっていかなくてはなるまい。場合によっては山関係の出版物やインターネットでの情報公開を自粛したり、仲間を誘うのを控えたりして、登山者自体を減らす工夫も必要である。(関係者にとっては、登山ブームに水を差さされることなので、やはり経済的ダメージを受けるでしょうね。共生共貧とはいえ、ツライところです。)今の和気アでは過剰な呼び込みは控えるのが正解ですが、できれば私はあまり悲観的な対処はしたくないです。(以前“和気アに来るな。”なんてマンガを書いちゃいましたけど、冗談ですよ。)多くの皆さんが、私のことをよくご存知で、和気アをすごく愛してくださっているのが山頂ノートを読んで判りましたから、今ではむしろ、“私の悩みを知っているなら、どんどんおいで。”といいたい。きっと貴方も和気アが好きになる。この山を大事に守りたくなる。“山”を守る登山者になるそんないい登山者を育ててくれる いい山が、和気アルプスなのである。ただ、傷つきやすい山だから出来るだけ優しくしてね。といったところです。

なんでかなあ:はじめて老師Nさんと話をしたとき、“この人は私以上に和気アを愛している。特に宗堂池と竜王山に関してはヌシといってもいいくらいだ。”と思いました。Nさんの話されることは、私には和気アの声を代弁しているように感じ、山への愛情を信条とする私には、より強い愛情をもっているNさんにはかなわないと思いました。(ガイドブックをだしたいなあなんて)うかれ加減だった私は、いくつもの忠告をいただき、おかげで第2の転機といえる“山を守ること”を自覚しました。そしたらなんでかタイミングよろしく、戦後最大の台風災害となり、山はヘタにいじくると災害が起こることを、あらためて思い知らされました。同様に、以前のことですがクライミングで悩んだ結果、開拓者の行為が山の死活問題になることに気づいたら、今回のバス釣りの件では いよいよ“その文化自体の死活問題”であることを確信した次第です。なんでこうタイミングよく哲学の答えが実証されるようなことになっていくのかなあ。まるで運命みたいなものを感じてしまいます。なんか神様みたいなのがいて、“ほれほれ。こうしないとおえんのが判ったじゃろ。”といっているようです。笑われるかもしれませんが、以前、ロックガーデンの“トミおじさん”を、ロックガーデンが私に送ってくれた“使者”であるように感じた私には、タイプこそ違え、Nさんが“和気アからの使者”のようにも思えるのです。やっぱり山(自然)は神様みたいなところがあり、そしてそれは精通した人(えてして御老人)を使者として、なぜか私に大事なことを伝授してくれている。そして、疑う無かれとばかりに念を押しているように思える私です。(ウリピーのマンガじゃあるまいし。こんなことを言うと、いよいよ救いようのない変人と思われてしまうかもしれませんね。)まあこれも“山の声”と同様、単なる自分の思い込みでしょうから、笑い飛ばしてください。うん。それにしてもなんでかなあ。ホント、私は山に関しては特別なことがやたら多い気がしてならない。(うらやましい?)

いよいよ140ページ:どうです。もうスクロールするのでさえモドカシイでしょう。むふふふ。まだまだいくわよん。ぬわはははははははは。(意味不明。)

苦悩する消防団:若手(ここでは、単に私より年下をいいます。)不足だけでなく、若手のやる気なさや身勝手さに私の消防団は苦悩しています。まあ、バカみたいにあっさり離婚し、定職にも就かず、(職がないのを不況のせいにするのは甘えというものです。不況の方が消費を控える分 地球にはやさしいことになります。)ブラブラしている世の中をナメきった若者(老後に思い知れといいたい。)が多い昨今、今の若手にモラルをとくだけムダというものかもしれんが、団員であるからにはいざ出動となれば協力するものである。だが、ああだこうだと出れない理由をつけて知らん顔をする者の多いこと。(ほとんどがユーレー団員である。)結局、ロートルの私やTさん(この人はとってもおおらか。私はここまでおおらかにはなれません。)などがクソ寒い夜中にムリをして操法練習に出ていかざるを得ないのが実状である。(おかげで風邪がこじれて、先日はせっかくの休日が寝たきりでした。)ごく少数のマジメな若者にもしわ寄せが集中しており、マジメなMクン(部長をしています。)もなんどかキレそうでしたので(去年、私の都合がどうしてもつかなかったとき、彼は本当にぶちきれた。私にアタルので、私もキレたが、結局 マジメでよくしてくれてきた彼を見捨てることはできず、今年も2番員を引き受けた。本当は親父の手伝いや和気アの整備などやらなくてはならんことが例年より倍増しており、勘弁してほしかった。もう操法も8年目になる。いまだに引き継ぐ相手はいない。)、ロートルが応援してなだめております。マジメなお人好しがバカをみるといった理不尽な構図になっているといってもいい。いつかはこのお人好しもイヤ気がさして(私はすでにイヤ気が充分にさしているが。)消防団も成り立たなくなるだろう。(いや、もう既になっている所もあるか。)消防団は地域にとって絶対になくてはならないものだけに、先行きがすごく心配である。幸い、山の方は、私などヤングマンといってよいほど中高年ばかりなので、モラルはすごくいい。若者が山から遠ざかっていることを嘆いていたが、これからも山はモラルのある中高年の世界であってほしいと思うようになっています。

クライマーと山遊び人:先日、テレビ番組で最強クライマーというので誰のことかと思ったら、小山田 大さんの特集でした。なんと4年前から世界の岩場を放浪されているようで、国内コンペにはでてないそうです。インタビューでもコンペで勝って日本一になっても満足できないようにいわれており、(こんな感じでトップクライマーがでてこないんじゃ ますますジャパンツアーがもりあがらんし、ちょっと困ったですね。)もっぱら世界トップレベルのボルダリングをされています。ううむ。今のフリーはハードなボルダリング(はっきりいって核心のワンムーブだけみたいなもの。)に集約しつつあるのでしょうか。この番組で彼は、かのクリス=シャーマが6日間かかった世界最高難度の課題“ドリームタイム”(グレードはV15。どんなものかと思ったら、1m上にある小さな穴にとびついて中指1本でぶらさがり、そのまま体を引き上げるというメチャクチャなものでした。)を実質2日間のトライで突破しました。(彼の指は鍛えられて常人離れしており、指1本でぶらさがるのは楽勝です。じつは、彼は承認がまだされていないが、去年 オーストラリアで30mもあるV16の課題(というかルートですね。)の初登をしているんです。)うむむ。すごい。とてもマネできません。(というかマネする気にもなれません。)でも、なんかこういうクライミングは、ハイキングのハード版としてのクライミングを楽しんできた私には、手の届かないかなり別のスポーツ(極限まで鍛錬されたプロだけの世界というか体操のオリンピック選手みたい。)になってしまったように思えて、(エベレスト無酸素登頂ならできなくもないと思っていますけど。←ホント!?)ちょっと複雑です。それと、今回見たボルダリングは自然の岩とはいっても“モロいのはダメ。濡れててはダメ。(湿気ててもダメ。)”と、“山”(自然)を楽しむ遊びではなくなっているように感じました。(ハードなフリーは安定して乾いた岩しか対象にできませんが、山には、簡単でもモロくて濡れた岩の方がむしろたくさんありますから。)以前から気づいていたことですが、やはり、“今のフリー専門のクライマー”は、相手は“山”(自然)であろうとなかろうと関係なくなっているのでしょうね。(それはそれでいいんですよ。ただ、ちょっと私が馴染めないだけなんです。性格が不器用なせいかもしれんが、やはり古風な私には、多様化した遊びにはついていけそうにないなあ。うん。)私は、“山”をより楽しむのに最適な遊びとして、初級のバリエーションや雪や沢を攀じています。やっぱり私は“クライマー”ではなくて“山遊び人”なんですよ。“山”をより深く楽しみたい。ただそれだけ。記録も関係ありません。他人と張り合うこともしません。(あくまでも相手は“山”です。)岩がモロかろうと濡れていようとバカみたいに簡単だろうと関係ありません。登れるものは登って遊び、登れないものは巻いたり、あの手この手を使ったりして遊んでいます。

傑作!山と渓谷2月号:和気アのことが載ってるんじゃなくて、かの小山田 大さんの記事(テレビでやってたボルダリング課題“ドリームタイム”のことですが、なんかテレビのと微妙に内容がちがっていました。)が載っていたので立ち読みしていて、ついでに読んだ“常識・非常識”のテーマで書かれたコラムのあまりの面白さについ、買ってしまいました。(ちょっと身にツマサレルことも結構ありましたけど。家で読んでいて“かつては常識でした”のコラム(p54)に爆笑。(これは傑作!)いやあ。さすが本職のプロ! ヤマケイさんこのテーマは継続して、いずれ単行本にしてほしいですね。)私が気にしていたことも実にユーモアたっぷりに書かれてあり、私がこのHPで作ろうとしていたユーモアのある啓発コラムの見本を作ってくださったみたいで、感謝です。

新・雪山登山靴:何年か前、友人Tが“ショートスキーのブーツだけどね。”と言って3月の大山登頂にはいてきたのが、おしゃれな感じのオレンジ色の靴で、なんか新素材の化繊で、スキーでエッジングできる堅さと歩きやすさを兼ね備えた感じのブーツでした。(スノーボード用のブーツもこんな感じだったような。)雪山といえばプラブーツといわれていた時期に、あえて革の重登山靴“アンナプルナ”(ヘソクリで買った最終バージョンから一つ前のもの。“ローツェ”に変わり、残念ながら今ではもう作られていません。)を選んだ私。靴底は木靴のように堅いが、足首はフレキシブルで思いのほか歩きやすい。しかし、山スキーには合わせられない。足首の柔らかさがアダになり、まったくエッジングできないからである。昔の長尺ものの板でスライディングターンをすればいいのかもしれないが、サイドカーブのきついショートスキーの“フリートレック”では、止まることもできなかった。(しかたなく安物の後が開閉するスキー靴を合わせている。)まあ、アンナには革靴にたいする憧れがあったし、大山の振り子沢登攀や穂高テント泊縦走ではありがたさを実感できたからいいか。思い切って、安くなったプラブーツも買ってみようかななんて思っていたら、かの新素材の化繊のブーツがプラブーツを押しのけているというではないか。しかも安くてかなりスグレモノであるらしい。いつ大破するかわからないプラブーツは逆にピーンチ。この事態を受けてまたまた落ち着かない気持ちになる私。“山道具はそろえるまでが楽しい。”ほぼそろえ終わった私がよくいってたセリフだが、そろえるまではかなりストレスがあったことを思い出した。(いいじゃねえか。どうでも。あ、そうそう。8千円の軽登山靴は頑張って活躍中ですよ。ホントどうでもいいか。)

ヘソクリ:妻に隠し事をしてはいけない。そう思い知ったのが、“アンナプルナ、ヘソクリ事件”である。一日100円づつヘソくって、1年くらいかけてやっと3万円ためた私。憧れの革靴をいろいろ選んでたどりついたのが、5万数千円の“アンナプルナ”。ドイツのメーカー ハンワグ社の(当時の)最高モデル“ピッツパリュー”のゴア内蔵タイプである。(ふつうの人はワンランク下の4万数千円の“ロッキー”(現在もあり。)を愛用していた。)履き心地がロッキーよりいいし、本格派の重登山靴としては(当時としては)不安になるくらい軽かった。あまり軽いので、“氷壁登攀できるとなってるけど、ホンマにできんのかなあ。”とは薦めてくれたコージツ店員Sさんの言葉。サイドラバーがつま先を覆っていて酷使するであろう私向きに思えた。(いっそ全てラバーで覆ってくれたら手入れがラクで、酷使しやすいのだが、それでは革内蔵のゴム靴になってしまう。いかんいかん。だいたいゴムはすぐ劣化するからボツ。)ただ、値段が値段である。もう3万円近く足りない。そこで、当時 愛用の軽登山靴がボロボロになっていたことから“3万円で格安のいい靴があるんだ。”と妻をダマシて、ヘソクリと合わせて買おうと試みた。“どんな靴でえ。”と妻も買い物についてはきたが、うまいことゴマかせ、妻は子供たちと先に外へ出てくれた。よし。いざ、レジでお勘定。るんるん。やったね。  ところが突然! 幼児だった三女が“ウンチー!”といいながら妻と入ってきたのである。がびーん。店内のトイレで用を足した三女を連れて出た妻は、私が外にでるや“5万数千円とはどういうことよ!”とくってかかった。しっかりとレジの数字を見られてしまったのである。正直にヘソくっていたことをバラして、なんとか許してもらったが、いやあ。アセッた! しばらくは履き慣らすために和気アをアンナで歩いていたが、早々にホコリタケを蹴飛ばしてしまい、胞子をふりかけてしまった。アンナの最高級ガルーサ革(表面はザラザラ。)にキノコが生えないかと心配になるは、ボロの軽登山靴は買いかえられないは、(半年先、店員があきれるほど靴底がツルツルになるまで履きました。)“妻を騙した報いかなあ。”などと思った私。

余談。私のアンナは当時の最新バージョンで、カタログの写真より、けっこう改良された部分があった。(もっとも一番最初のはサイドラバーがつま先を覆っていなかった。)私が買った後もマイナーチェンジで新バージョンになったが、それが最後で去年のカタログでは“ローツェ”に変わり、デザインも違うものになりました。(ロッキーは好評なのか変更もなく続いています。なお、ローバーのアイガーはまったく別の靴になってしまいました。古風なデザインがよかったのに。残念。)ちょっと寂しいが、何十年後か、“これが、現存する最後のアンナプルナ!当時ハンワグの最高傑作。すごい。まだ現役とは。”なんていわれる逸品になるといいな。底を張り替えれば、革靴は手入れ次第で何十年だって使えるから、(これが、性能がよくてもプラブーツにしなかった理由。)いかに新素材のいい靴がでたって浮気はしないのだ。ボロボロになって水がしみても大事に使い続けるつもりです。化繊の靴は消耗品だけど、革靴は宝物になりうる山道具です。雪山に行くなら、憧れをもって思いっきりいいヤツをゲットすべきだと思う私です。

スノーシュー:ショートとはいえ山スキーでは、歩きの皆とは機動力とライン取りに差があるので、アルミわかんを買おうかなあと考えています。(じつは40年以上前に親父がつかっていた古風なのがまだ使えるのですが、手入れのラクなアルミわかんがほしくなった。)なんと今のアルミわかんは先が反り返ってスノーシューみたいになっています。(おまけにカタログではスノーシューとなっていた。)フリートレックは滑走できるスノーシューみたいなものだからスノーシューはもういいといえばそうなのだが、アンナは合わせれない。時期や用途が限られる。(まあ、ただのスキーとしてよく使っているけど。)その点、アルミわかんはスノーシューより安くて軽くてコンパクトでいい。いるかどうかの時に、持っていっても苦にならない。(本格派のスノーシューにもひかれるが、かさばり重いので、そんなのが本領発揮する山ならフリートレックの方がラクでスピーディーでいいと思う。)ただ気がかりなのは、反り返らしたためにアイゼンを併用する場合に、裏返して邪魔になるツメを上にして使えないことである。(まあ、でもそんな場合はあまりないか。うん。)

ダンガメ岩:今度開拓予定の新ルートの地主であるMさんが、たまたま本日教えてくれたのですが、ルート上の私が気に入っていた岩場を地元では“ダンガメ岩”(どういう字かは不明です。)とよんでいるとのこと。断崖で、亀の甲羅みたいな岩という意味でしょうか。断亀岩?どうであれ、いい名前なので、ルートの名前を前尾根ボルダールートから“ダンガメ稜ルート”にしようかと思っています。うん。かっこいい。でも、まださっぱりとりかかれていないんですよ。オマケに“岩山温泉ルート”を割り込み優先しなくてはならないみたいだし。ああ。もっと休みを!

会社にて:ある夕方。“あーハラへったなあ。なんかないかなあ。”と検査用のサンプルの余りが入れてある品質管理検査室の冷蔵庫をあける。上の段においてあるものは要らなくなったモノなので、捨てるか食べてもよいことになっている。(へへへ。私は原乳の検査をしておりますので、役得というやつです。)おっ!今日はヨーグルトがある。よし。これ食おう。見たことないから新製品だな。ほうほう。フタは金色の無地アルミだが、カップには“無香料、無着色、無添加ヨーグルト”とある。高級タイプだな。ううむ。うまそう。フタを開ける。うん?!みょうに茶色いではないか。変だと思いながらスプーンで一口食べる。(ここらへんが卑しさのあらわれである。)ううっ。ヘンな味。なんか苦味もある。なんじゃこれ。無地のアルミフタには、(サンプルだったから)マジックでなにやら番号が書きなぐってある。“O157”と読める。目を疑う。どうみてもこれは“ゼロ157”ではなく“オー157”である。うううう。ぐんぐん顔が青ざめていく。冷や汗がジワー。うんわああああああああああああああ。なんてもんがあるんじゃあ!わしゃあ食うたがな。ぐえええええ。だめだ。もう手遅れ。ああ。なんて馬鹿な死に方だろう。“いやしくて役立たずのバカな中年社員が、みずから0157を食って死にました。”なんて新聞にでも書かれたら末代までの恥さらしである。会社としては厄介者を処分できてラッキーかもしれないが、いやだ。いやだ。こんなことで死にたくなーい!くそう。わしは死なんぞ。たかが大腸菌ふぜいが。胃の中で殺菌してくれるわ!さらに“腸内のフジモト菌よ侵入者を抹殺せよ。”とテレパシーをおくる。(また。なんじゃい。そりゃ。)←ホントどうしようもないときはダメでも念力とテレパシーに頼るしかないんですよ。(私の場合マジでこのパターンが多い。)気合いをこめていると、女子社員が“それ、大丈夫ですよ。”とおしえてくれた。(0157の検査をした余りで、結果は陰性だった。)ホッ。でも、なんでこんなに茶色くて苦いのか。じつは容器は間に合わせのもので、中味は“黒糖ヨーグルト”とのこと。3月からでる新製品の試作品だったようだ。やれやれ。でも、ハッキリいってマズかったぞ。こりゃあ売れんわうん(おいおい。)だけどこれを読んだ人がいいふらして、“これが、あのフジモトがうろたえたヨーグルトか。”なんて大ブレイクしたりして。(せんせん。)

温泉新道閉鎖と岩山ルート:以前、少しボヤいていたことですが、05年1月から地主さんが温泉新道(97年に和気町によって整備されたルートです。)を通行止めにされていました。非常に残念なことですが、いままでゴミや盗掘や掘り返りや刈り払いの迷惑をこうむり続けていた地主さんにずっと無理をお願いしておりましたので、致し方ありません。(詳しくはこちら。)対処として私が地主である隣の岩山にルートを付け替える案があることを役場に教えると、それができるまで、HPの呼びかけや追加掲示はせずにそっとしておいてほしいといわれました。(あきらかに問題含みですが、“マナーをちゃんと守るなら通っていいだろう。”という見解で問い合わせに対処されていました。)しかし、登山口を温泉駐車場にするとなると、地元地区の財産区を横断することになるので、区会で協議していただきましたが、結果として許可はもらえず、岩山温泉ルートは廃案になりました。この事態を受けて、遅ればせながら、2月末になって、正式に温泉新道の通行禁止をHPで呼びかけ、現地にも追加掲示することにしました。(温泉との連絡は鵜飼谷北稜ルートもしくは観音山登山道をご利用ください。)登山者にとっては残念な結果となりましたが、代わりの登山道をつけるために岩山を調査した結果、この山はツマラナイ直線の急坂ルートか、トビキリハードな岩場巡りルートしか作れないことがわかりました。ツマラナイ直線の急坂ルートは、“誰でも不安なく通過できること。”という条件がつく今回開拓予定だったルートで、廃案になりました。(そう。それはそれでよかったのです。)トビキリハードな岩場巡りルートの方は、麓まで私の土地である方面から開拓するつもりです。(詳しくは秘密です。)何年後にか田んぼからのルートになりますが、和気アきってのスゴイルートが出来るかもしれません。おそらく一般向きとはいえないルートになるでしょうから、自信のある方はおたのしみに。

人と里山との在り方:開発か自然保護かは、子育てでいう“かまい過ぎ”か“ほったらかし”に似ている。里山においては、どちらもなんらかのデメリットがある。開発で公園化すると風情台無しの自然破壊そのものであるし、ほったらかしの荒れ放題も土砂崩れなどの自然災害につながる。特に一度人間が手を入れた山は、ほったらかすと災害の危険が増す。自然愛好者は、得てしてほったらかしの自然を賞賛するが、風情を保ちながらも人がうまく山の自然をコントロールしている状態が、山にも人にも一番いいのである。まさしく、昔の人は風情を保ちながら土砂災害を防ぐ工夫をし、うまいこと山の幸も得ていた。山に対する取り組みは、単に山の幸を得るためだけではなく、自然を守ると同時に人間生活の安全を守るためにもおこなわれていたのである。そこには驚異的ともいえる先人の知恵と膨大な対処がほどこされていたのだ。(私はまだほんの一部しか知らないが、それでもびっくりさせられる。)具体的に里山はどんな山であればいいのか。これは以前もいったことだが、私の個人的見解では、むかしながらに“松茸のはえる山”もしくは同等の“山の幸が得られる山”であることだ。(松茸は適度に人の手が加わった場所を好む。踏み荒れたりほったらかしではほとんどはえない。)また、“フツウの人の感覚”で、すばらしい自然であると感じれる里山は、かまい過ぎずほったらかしでもない“ちょうどよい具合”の自然であることが多い。(おカタい自然愛好家は反発するかもしれませんが、)フツウに見て“いい自然”が“里山の理想”といってもいいと思う里山は人里そばにあるがゆえに、“自然と人の共存地帯”なのである。自然愛好家が、えてして理想とする深山幽谷と同じ状態を里山に押し付けるのは間違っているのである。

登山文化とは:地元地区や地主さんにとって、登山者は単なる迷惑な存在でしかない。手入れをしたり、苗木を植えたりしてあればなおさらだ。もともとは自分達が作業をするために刈った登山道を、多くの他人が遊びで利用し、踏み荒らした上にゴミや盗掘をされたらたまったものではない。地元に経済利益が少しはあるだろうが。なんていうのはムシがよすぎる。登山者はほとんどカネを落とさない。せいぜい儲かるのは温泉くらいなものだろう。地主さんは善意の犠牲になっているといってもいい。たいていの文化というものは、楽しみと引き換えにいろんなものを消費し、犠牲にするものである。総合判定では地球にとってはマイナス行為になっていることが多い。特に登山文化は里山においては迷惑文化であり、深山幽谷においては破壊文化なのである。しかもほとんどの登山行為は個人の自己満足にすぎないから、“自己満足ならもっと他に迷惑にも破壊にもならないことをすべきだ。”などとつっこまれたら私のような開拓者でなくても登山者全員がお手上げなのである。(これはもう究極レベルのマイナス行為の文化といえるかも。せめてゴミを拾って地主さんの善意に報いよう。)なのに中高年を中心に昨今の登山ブームである。皆の楽しそうな様子を見ると、山を開拓してよかった気持ちにもなるが、一人でいると馬鹿なことをしたのではという気持ちになる。まだまだ私の苦悩は続くだろう。ブームが去って和気アが元の静けさをとりもどしたらホッとできるのかもしれないが、その時はなんとも淋しいことだろう。

なにをなすべきか:矛盾する考えと行動。私はなにをやっているのだ。なにをすべきなのだ。頭が混乱する。考えつめたら一回りして元どおり。なんだったんだ。くそう。やりたいからやる。考えなしでいじってはいけない。どっちなんだ。どっちも正解なのか。どっちかに決めつけようとすること事態がミスなのか。そうでなくても忙しいのに、こんなことばかり考えてる自分はヘンだ。困ったものである。またガチガチのイシアタマになりかかっているのかも。(たぶん疲れているから頭がまわらなくなって意味も無く混乱しているだけだと思う。)

子供にオセロで負けた:がおー。○X#$?&%@¥$*※〜!!気晴らしが逆にストレスになった。(おいおい。)

閉鎖作業:2月28日午前中、温泉新道の閉鎖作業をする。役場の産業振興課に連絡して、本日 正式に完全閉鎖する旨を伝え、問い合わせにも“通れません。”と返答してくれるよう依頼しました。案内板も観音山の麓に移転したらどうかと提案しました。観音堂は来訪者を望んでいますので、ここを正式な登山口にすれば、ちょうどいいことになるのではと思います。観音堂は温泉から10分くらいなものですし遊歩道には道標が設置されています。和文字の下なので初めての方でも判りやすく、石段が整備されていて風情もあります。麓には案内板の設置スペースも充分あり、車も4,5台はとめれます。和気富士の登山口に設置してあるお知らせファイルにも通行禁止の文書をセットしました。温泉のフロントにも置かせてもらい、問い合わせがあれば(鵜飼谷北稜ルートの方がたった100mの近場ですが、掘り返るとマズイので、)階段が整備されている観音山を薦めるようにお願いしました。先日、地主さんに“これを追加掲示します。”といって了解を得ていた通行禁止のラミネート文書を地主さんの張られたロープに取り付ける。ルート上のガイドロープや新旧のコースサイン(懐かしい8年前のものもけっこうありました。)を撤去し、ゴミも拾っておく。前ノ峰ではトラロープで閉鎖してラミネート文書をつけ、朽ちかけた道標を撤去する。“もう歩きおさめかな。”なんて思いながら下山。最後にくぐっていけないように物々しくトラロープを追加して張って作業完了した。もうこれだけやれば勝手な解釈で踏み込まれることはないでしょう。(いつまでも中途半端な通行禁止処置では、松茸山の閉鎖時までいいかげんな解釈をされるようになっちゃいますからね。正直あせっていたんですよ。)なお、案内板を移転するように提案したしましたが、すでにかなり朽ちており、廃棄した方がいいくらいに思えました。(防腐剤が効いてなく押せば倒れそうです。)今思えば、温泉新道は見所もなく、あまり面白いルートではありませんでしたが、私がはじめて“手入れ”したルートで、開拓整備のいい練習になった思い出のルートなんです。ゆっくり歩けば岩場や眺めには、やはりそれなりの風情があり、和気アの中ではありきたりでも よそなら好ルートだったでしょう。なんか淋しいです。松茸テープ撤去作業もアプローチが遠くなってやりにくくなるので、やっぱりできるだけ早く田んぼから岩山に新ルートをつけよう。うん。私が作業用としてしかトレースしないだろうから迂回路なしのハードルートでいいや。できたらクライミングエリアも整備して冒険志向の方専用の“第6のエリア”になるかも。

スラブバイパス:チンネ・スラブルートを開拓するためのアプローチで、鷲ノ巣へいくのに涸れ沢を出る所から反対方向へ藪をこいだが、結果的に整備したアプローチルートは尾根上を素直にたどる踏み跡がわりと明瞭だったのでこれにしました。しかし、去年打ち切ったイベント“奇跡の水を捜せ”でスラブを下降してから鷲ノ巣を登り返す場合、あまりにキツ過ぎることを実感した。やっぱり面白くなくなるスラブ下部分からショートカットしてトラバースするバイパスがほしい。やれば4時間とかからずすぐ出来るだろう。ということで、地図には記載していたが、整備は後回しになっていた。(おいおい。)裏銀座コースでもこのバイパスが必要なので、遅ればせながら本日3月1日に整備しました。3時間の作業で、距離にして50mくらいのトラバースルートが出来て随分ラクチンになった。高低差40m距離80mくらいあるのを余計に登り降りせずにすむ。(しかも涸れ沢は去年の台風で掘れて歩きにくくなっている。)ただし、トラバース中間の急斜面の岩場にはえていた大木が台風で根ごそぎ倒れており、岩が剥き出しになっていました。この部分はこの大木のおかげで成り立っていただけにちょっとした難所になってしまいました。なんとかやりすごせるようにしましたので、ご了承ください。なお、道標はまだで、コースサインの銀テープしか設置していません。

カップメン:山でコンロを使う時、最初はジフィーズを面白がっていたが、面倒でイマイチ美味しくないので、今ではもっぱらカップメンです。(山屋としては不精で贅沢な話ですみません。)カップメンの利点は食いつけていてハズレがないこと。さらにコッヘルが汚れないことでしょうか。ただし、小袋に かやくやスープや油がゴチャゴチャ小分けされているコダワリものはゴミを飛ばしてしまいやすく、こぼさないように気を使って面倒です。カップも発砲スチロールは割れる心配があるので、紙かプラのものがいいです。さらに重要なことが形です。ドンブリ型カップのはかさばる上にお湯が大量に必要ですので、コップ型の普通サイズがおすすめです。汁を飲み干すことを念頭において選びましょう。(うっかりビッグサイズを買ってタポタポ腹になった知人もいます。)また、作り方を厳守するのは山屋らしくないという気もします。ぬるま湯で、しかも3分待つことなく堅めなのをワシワシ喰う図太さも必要です。(ノンフライタイプは4分かかる上、熱湯でないとマズイし、いざとなっても堅くてかじれないので山には不向きです。)冒険クライマーなどは、壁の中で食べる時はもっぱら袋ラーメンをかじっているそうです。(まるでベビースター。)適当に粉スープを薬みたいにのんでは水を飲み、お腹の中で調理しながら消化しているそうです。(うえっ。)もっぱら粉スープのないチキンラーメンが定番だそうです。(やってみると結構カライ。)後から入れる油などのものも思い切って全部まとめて最初にぶち込みましょう。この方が簡単であらゆることで絶対いいです。特に後のせタイプの天ぷらは、絶対最初から入れておきトコトンフワフワにしてから食べている私です。(この方が絶対ウマイ!と確信しております。貴方も同志?)理想の山用カップメンは、紙もしくはプラのコップ型で普通サイズ。小袋分けされていなくてふやかし時間も短く、そこそこウマイ98円以下の特売品となります。(おいおい。)運良く該当品をスーパーなどで見つけたら何個か買いだめしておきましょう。日付切れなんて気にしない気にしない。もし気になるなら、正露丸を持っていくまでです。(おっ、おい!)

ゴミだらけじゃないか!:3月2日、和気小の体験学習で観音山から和気富士までガイドする。楽しいひと時をすごしましたが、観音山山頂はゴミだらけで、縦走路にもゴミが結構落ちていました。神ノ上方面はゴミがなかったのにこっちはひどいものでした。地主さんも怒りそうです。楽しい山歩きを続けていきたいなら、ゴミをしない落ちていたら拾うなにも採取しない踏み荒らさない地面を掘らない松茸時期の入山禁止などのキマリ事を厳守する。(くれぐれも“救済策はないの?”なんて馬鹿なことをいわないこと。ハッキリ言って取り合いません。)温泉新道がいい例です。地主さんや地元地区の方を怒らせば簡単に和気アは閉山になります。というより、これからはそうなる前に私が閉鎖します。大事な和気アを荒廃させるためにいろいろやってきたんじゃないからね。白神山地以上に素晴らしい山だと思っておりますので、正直なところ閉鎖(入山規制というべきか。)した方がいいかなと思っているくらいなんですよ。(地元の人が入山するだけの以前の姿に戻したいということです。)でもそれじゃファンの皆が可愛そうだから我慢しております。(この気持ちをわかってくれる登山者がはたして何人いるだろうか。)ああ。疲れているなあ。やたら感情の起伏が激しく、自分でもオカシイほど過激な考えになっているのが判ります。

ダンガメ稜ルート開拓状況:2月のいつだったか憶えていないが、冷たい雨の中をカッパを着込んで、登山口からダンガメ岩の上端までは整備しておいた。3月4日、時折ひどい突風のふく中、その続きをし、ボルダー地帯を抜けてあとは平坦なシダの中を300mで分岐という所まで整備した。ノコは切れ味がかなり落ちていたが、石をこすったりしていよいよ切れなくなった。使いづらいのを我慢してギコギコやったおかげでひどいマメができ、痛さもあって作業能率も落ちた。日没の6時にリタイアしたが、確信部を整備完了できたのは満足できた。ダンガメ岩はあえて正面を直登すると面白いし、小亀岩もあり、風情ある苔むした枯れ巨木もあえてまたぐようにルートをとり、展望のいい岩場にはいちいち立ち寄るようにもしてある。ボルダー地帯ではあえてボルダリングもできるようにしているし、面白いコース取りをかなり意識し、理想どおりに実行できている。これはなかなかの仕上がりである。東壁から鷲ノ巣、チンネ・スラブ取り付きにショートカットするつなぎのルートとはいえ内容はザイテン並(距離は短いが、キツさは上かもしれない。)である。このルートは鎖をつければ不安なく下降できるものになるが、登りでは邪魔くさいものになり、面白さを失わせかねないので、あえて鎖はつけません。(つけたらホント鎖だらけになってしまいます。)また、特別の許可(本当は許可したくないのを許可してもらっています。)をもらっている地主さんの植林帯(シキビを植えたりもしています。盗られると困ります。)に、早々にキジ紙ティッシュがいくつも落ちていたので、腹がたちました。やっぱりこのルートは地図にも載せず、道標もつけないバリエーションルートとします。さらに麓の入り口はあえて刈り残して判りにくくしておきます。

道標をどうしよう。:去年の台風で、そうでなくても朽ち掛けだった道標が吹き飛んだり欠けたり読みづらくなっており、4月から更新(これを機会にバリエーション化するルートの道標もはずします。)してまわろうかと思っていましたが、いっそ私がこれまでつけた道標は全て撤去してしまおうかとも思っています。リピーターの方なら道標は要りませんし、初心者は書籍のルートをたどればいいのです。(間違えたらそれもいい勉強です。)道標などなくても遭難にはならないでしょうし、冒険心を満足させるにはあえてその方がいいかもしれません。分岐にはテープのコースサインだけがあるというのでいいのかもしれませんいままでおせっかいをやきすぎていたのかもしれないと思っています。また、コースサインも要所のみとし、明瞭なら他人が設置したものでも撤去しようかとおもっています。和気アくらいきっちり道標が設置されている山もそうないでしょう。たいていの里山は熊山でも道標があるのは書籍にのっているルートの半分以下ですし、大勢人が来るならあえて設置しない方がいいのです。ロックガーデンも地獄谷には一切道標はなく、それによってうまく登山者を規制できているのです。私がイジリはじめた頃の和気アはマッタクといっていいくらい登山者はいませんでしたし、ルートを整備してもすぐに藪にのまれて荒れてしまう状態でした。その頃とはるばる遠方からツアー客が大勢やってくる現在ではあまりに状況がちがっていますので、ロックガーデンを見習って、私の整備したルートは全てバリエーション化した方が正解なのではないだろうか。たいていの里山の登山道がそうであるように、地図には載っているが道標のない半バリルートというのが本当は一番いいのかもしれない。道標は、地面に落ちていたり、ボロボロで読みにくかったり、完全によめない状態であったりしても、あえて放っておくのがいいのかも。登山者が善意でとり繕ってくれたりしますし、ほとんどの人は単なる確認で、読めなくても“それらしきもの”さえあれば充分なのですから。困ったじゃないかなんていう登山者には、(キツイことをいうけれど、)もっとウデをみがくか、素人同士でやらずにベテランのいる山岳会に入りなさいということにしておくのが正解なんだろうなあ。道標は更新せずに自然消滅させるべきなのかなあ。ううむ。もうちょっと考えてみよう。そうそう。一事が万事じゃないからね。過激にならずケースバイケースで柔軟な対処をしたいし、道標設置や地図掲載は、登山者数をコントロールするためにも状況をみながらつけたりはずしたりするべきだからね。ああ、これも結構面倒で大変だなあ。でも頑張ってやらないとね。うん。

ダンガメ稜開拓状況2:3月7日、出勤前の午前中だけ続きをやりにいく。今日は初夏みたいな陽気で暑い。“ダンガメ岩”はやっぱりこのルート最高のいい味をだしている。ブッシュと岩場を交互にこなして急坂をつめると“小亀岩”。ここからはゆるやかになり、ボルダリングが楽しめる岩があちこちにある。最初の丸い岩の南側は3mある垂直壁なのでかなり本格的なボルダリングになる。ゆくゆくはアプローチも整備しよう。その反対側にある小岩で、勝手につけた課題“曲者”?級にチャレンジ。ちっぽけな岩なので飛びついてかぶさり、そのままズリあがってやろうと、“ランジ”したが、やはりクセモノ。膝をいやというほどぶつけて敗退。(馬鹿丸出し。)続くこれまた勝手な課題“ゲロッパ”?級はカエルになったつもりで飛びついて、スメアリングとバランスでゴマカシながら一気にかけあがってクリアする。どれだけ心からカエルになりきれるかがすべてだ。(うそうそ。)ゲロッパの上からのながめはいい。他にも試してみたい岩がいくつかあるが、遊んでいるわけにはいかず、オマケにぶつけた膝が痛い。課題設定の続きはまた今度にする。黙々とシダと潅木を刈りながら進むと鷲ノ巣方面の眺めがいい岩場があったので展望所にする。さらに進むと松が茂ってきた。ここで時間切れ。あと150mほどで合流点だろう。残りの半分しかできなかったが、また続きは明日。いよいよ開通せまる。かな?

というわけで、3月8日、またまた出勤前の午前中続きをやる。今日も暑い。松の枝を払っていよいよ東平尾根本体に突入した。ところが、下草のない林になって方向を見失いそうになる。コースサインの金テープを忘れて来たので、ラインを特定するのに手間取る。あと100mもない所まできているのだが、いよいよアヤシクなったので、中断して登山道まで強引に突破してみる。大ハズレしたがなんとかM2にたどりつく。戻ろうとするが、また迷い、なんとか戻ると時間切れ。無意味な時間つぶしをしただけであった。今日は、たった50mしか前進できなかったではないか。次回こそはちゃんと金テープを持ってきて開通させよう。

お買い物と迷走ドライブの須磨アルプス:オハヨー山岳会の記録です。ここのところ雪は雨になり、すっかり春めいてきたので、もうこのまま暖かくなるのかな?なんて思っていたら、よりによってひどい寒波の襲来である。県北は暴風雪だ。だが、(2月は県南まで雨だったので中止になったが、)今回はなんとか県南は天気がもちそうである。行き先を大山の宝珠尾根から神戸の須磨アルプスに変更することにした。この須磨アルプスはかつて加藤文太郎らが神戸槍と称して遊んでいた山であり、写真で見るとかなり面白そうだ。すでに、播磨アルプスと小野アルプスは踏破していたので、気にはなっていた山で、最後に残った和気アのライバルアルプスである。ただ、あまりに規模が小さいので、今回みたいなことがないと、わざわざ行く気になれなかった。今回うまいぐあい(?)に行けることになったものの、途中で団地になってしまう書籍の紹介ルート(六甲全山縦走のスタート部分を行くもので、須磨海岸から登り、ポートピア建設のために削り取られてできた団地の中を通ってから核心部に登りなおすというもの。どうみても歩く気になれないよ。)はやめて、核心部だけを往復することにした。それでも3時間もかからないので、すぐそばにある義経で有名な一の谷を訪ね、ついでにポルトバザールのモンベルのアウトレットショップで買い物をして帰ることにした。(なんかおかしな雰囲気だが、Kさんはこの計画をきいて歓喜した。)

3月12日、朝8時 和気鵜飼谷温泉集合。国道2号線を姫路へ。相生からは高速みたいになり、たった2時間、料金も300円で須磨ICにつく。インターから1キロそこそこで登山口の高倉団地である。ここが、もと高倉山だった場所で、須磨アルプスの核心部へはのり面に設置された長い階段を登っていくというなさけなさ。すぐそばに路肩駐車できる場所もあるが、ちょっと先の無料でトイレもある奥須磨公園の駐車場に車を置く。10:20 スタート。車道から階段へ。西風が強く冷たい。階段は吹きさらしで手や耳が痛いくらい冷たい。まるで雪山みたいにこごえそうだ。フードをかぶりポケットに手を入れたまま黙々と階段を登る。遊歩道になり、すぐに展望台のある栂尾山(とがのやま。読めんでしょ。)山頂。面白い木を見つけたり、わざと道をはずれて岩場をショートカットして遊びながら、遊歩道みたいな登山道を横尾山へ。地元の人しか通らないような枝道があちこちにある。芝刈りされて公園みたいになった山だ。横尾山から先は、いよいよアルプスたるゆえんの核心部である。さっそく鎖のついた岩場の下りになる。わざと鎖をもたず、かつて文太郎達がやったであろうことをできるだけ再現してみることにした。取り付きたくなる岩があったが、降りるのが難しいので途中まででクライムダウンする。眺めたかぎり、(なぜか)期待した程ではなかった。踏みはずしそうなくらい幅のせまい階段を下ると最低鞍部で、道標がある。岩場を登り返し、振り返ると、おおっ!さっき降りてきたザレかげんの岩場が大岩壁になって見えるではないか。これはいい。ここはなぜか風がしずかだったので、しばらくここで周りを見まわして休憩。まだ11時。早いので北側が切れ落ちた馬の背を越えて核心部を終えた東山まで行く。またも岩場をショートカットして東山の山頂まで登り返して写真を撮るが、まだ11時すぎ。計画通り引き返して、さっき眺めのよかった馬の背の岩場で昼食にすることにした。戻るとやっぱり風はおだやかで、最高の場所である。一番いい場所を陣取って弁当をひろげる。他の登山者も歩いてきたが、ここで食事にしているのは我々だけである。じっと横尾山の岩壁を眺めているとやたら悪ふざけがしたくなる。12時前、昼食を終えて階段脇の岩の上をトレースして登り返す。なかなか面白い。階段も鎖もなかった文太郎の時代に思いをはせながら岩遊びをする。横尾山からはおとなしく遊歩道を引き返し、また風の強い階段をこごえながら下山した。どうもここの山がなくなったせいで、風が核心部ではなくこの団地を吹き抜けるようになったみたいである。車に戻ると13時。このまま帰ったら15時には解散である。やっぱり観光とショッピングをしよう。まずは一の谷の古戦場に行こう。途中で道を間違えたら、なかなか戻れない。大回りしてやっと海辺にでた。2号線ぞいをここらあたりと目を皿にして捜すが、“戦いの濱”と彫られた白い碑があっただけ。がっかりして、早々にポルトバザールに向かう。真っ先にお目当ての“モンベルクラブ”を訪ねる。Kさんは靴まで買っている。皆もここでなにかしら買い物をして、仕上げにフードコートで名物“明石焼き”420円を食べて帰路につく。ところが、またもや第二神明のインターまで行くのに道に迷う。今度はいよいよトンチンカンになって迷走し、止まった信号機で偶然インターの道標をみつけてなんとか高速にのる事ができた。(やれやれ。)かなり下を戻ったせいか、帰りの高速代は100円で済んだ。夕方5時、鵜飼谷温泉に帰着。無事解散。なんか今日の記憶は、買い物と迷走ドライブばかりで、そういえばハイキングもしたなあという感じであるが、(おいおい。)須磨アルプスは、小規模だが、“誰も歩いていないあの岩稜をトレースしてやりたい。”とか、“おそらく文太郎達もこんなことをして遊んだはずだ。”なんて具合に遊ぶと楽しい山である。それに、この山でまた一つ近代登山の黎明期に触れることができたのが、正直うれしかった。

とりあえず開通3月14日、またもや仕事前の午前中にダンガメ稜の開通作業をしに行く。ウチの近所は頻繁にあちこちでゴミを野焼きしており、その度に洗濯ものがとってもスモーキーになってしまう。(近所の焼き焼きおばばや焼き焼きおじじには“焼き焼き戦隊ジジババン”とあだなをつけているくらいである。)いよいよ今日は頭痛がするほどの臭さにたまらず、モンクをいいに行ったり(おお。)、ほったらかしの焚き火に水をかけたり(おおお。)してまわり、取り掛かりが1時間も遅れてしまった。10時に作業現場に到達。金テープをつけながら前回迷いながらも通過した経路をたどる。しかし、同じ様な獣道に惑わされ、またもや強行突破。M2から金テープをつけながら下降し、なんとか下からの金テープと合流できた。枝を払い、コースをそれていた金テープを除去して、とりあえず開通できた。(やれやれ。)今日もこれだけで時間切れ。早々に下山する。あとは平坦部分のシダを50mほど刈って、金テープや岩場の黄ラッカーをつければ完成である。M2の標識はつけるが、このダンガメ稜の道標はつけない知っている人のみ、M2の標識から南西に踏み跡をたどればよい。このルートは上部はなだらかだが、独標の小亀岩からふもとのダンガメ岩までは結構急なザレた岩場が多く、初心者が下降するにはロープがほしくなるくらいである。でも、あえてロープも鎖もつけません。(つけると収拾がつかなくなりそうなくらいだからです。)モロい岩の足場を初心者が踏み崩したりしてルート自体が台無しになりかねないので、団体ツアーなどの大勢での通過は危険かつ無理である。当初から言っていた通り、ベテランやリピーターの方が個人的に楽しむためのルートにしておきます。(ホントこれで正解だったと思っています。うんうん。)なお、植林帯に地主さんが植えているシキビには、採取禁止の警告文書をつける予定です。

さてその翌日の15日、(おいおい。)今日は早めに作業開始。金テープをつけながら登り、ボルダーのアプローチも整備する。10時にはM2へ。ここの道標を書き換えて引き返す。シダの刈り残しを刈って、岩場に黄ラッカーをつけて下山するが、最後のダンガメ岩でラッカーがきれた。あと2、3の○をつけるだけだったが、また今度。きょうは作業がよくはかどったことに満足しながら会社に出勤する。(るんるん。)あとは残りの黄ラッカーをつけて、採取禁止の警告文書をつけて地主さんに完成の報告をすれば、終わり。ボルダーのアプローチは“ゲロッパ”“曲者”だけでなく、“大曲者”“ホンチャン”“二段岩(仮称)”も整備した。ただし、現在の私に登れるのは、まだ“ゲロッパ”だけである。(クライミングシューズなら“曲者”もいけると思う。)あとは“カンテ”(稜線からは少し降りた所にあります。)のアプローチも整備したい。もっとよく見てまわれば、まだ他にもボルダリング課題ができるかもしれない。いじりがいのあるなかなか楽しい新ルートが出来たと思う。

今年は大変:いま現在のFOS少年団の会長は継続してもいいが、親父の農作業の手伝いもしなくてはならんし、消防も相変わらず出てやらなくてはならんし、いよいよ4月からは和気幼小のPTA会長になるし、オマケに6月と10月は岡山国体の馬術競技(会場は蒜山で、山岳縦走もここです。)の運営の手伝いをしにいかなくてはならない。ああ、なんか今年は特に忙しいことになりそうだなあ。(でも、気持ちの持ちようではそうツラクはない。少しは楽しみもあるからか。)これで和気アの面倒をみながら、なおかつオハヨー山岳会ではあちこちで山遊びをしようってんだから、これはもう完全に仕事はできんな。うん。(おいおい。)もし、係長(ウチの会社では一番ツライ役職。K係長など、もう休み無しで24時間仕事のことで頭がいっぱいという感じ。オマケにヘタするとすぐ降格。)なんかにならされたらもう頭がバクハツしそうである。(心配せんでも誰がお前なんか出世させるもんか。)ヒラ社員の幸せをしみじみと感じる今日この頃。でもこれだけのことを引き受けてやってるサラリーマンなど他にはまずいないよなあ。もしやっている人がいたら、仕事なんて真剣にやってるハズがない。いや、やれるワケがない。まちがいなく永久ヒラ社員であり、経営者からみれば問題社員である。まあ、問題社員でも少しは世の役にたっているヤツがいるんだよってところでしょうかねえ。ああ、いいんだか悪いんだか。それにしても、女房はよくまあ私をここまで遊ばせてくれるよなあ。愛妻にただただ感謝。

究極のマズさ:ついにあの“黒糖ヨーグルト”が完成した。(また例の冷蔵庫で発見した。)ホンチャンのカップは真っ黒けでヨーグルトのイメージとは程遠い。勇気をだして食べてみる。ぐえっ。まっずい! 試作品もマズかったが、ホンチャンはもっとマズイ。まさに筋金入りのクソマズさである。一口でこうだから3口も食べたらモドしそうだ。(おいおい。)だが、個食タイプのこのヨーグルトは120gもあるのだ。はたしてこれを最後まで食べきれるツワモノがこの世に一人でもいるだろうか。ホント、“オハヨーが作るとどうしておいしくなるの?”なんて宣伝しておいてこれはないだろ。オハヨーのイメージを一撃の下にブチ壊しにする商品だぞ。はたしてこんなモノを販売していいのか。(コラコラ。)なんて言ってたら、引き合いがほとんどなくて、発売と同時に消えるかもということです。やっぱりね。まぼろしの黒糖ヨーグルトか。なぜか希少価値を感じはじめた私。怖いもの見たさの希望者にこの究極のマズさを体験させてあげるのも面白いかもね。(やめとけって。)

荒神ー(こうじんぐろ)開通:3月24日、朝9時から宗堂池の奥に向かう。アプローチ部分を適当に整備しながら去年つけたコースサインをたどってコウジングロへ。アプローチの沢は大抵涸れているのだが、一昨日から2日間降り続いた雨のせいで今日は水流があり、えらく滑って難渋する。雨上がり時にはアプローチで思わぬ苦戦を強いられることが判ったので、この沢部分のみポイント的にロープをつけてやるべきか。アプローチは沢をたどるように設定し、構想どおりうまくバリエーションの様相を呈することができた。沢登りのツメで岩壁に乗り上げた格好である。コウジングロ全体を1時間かけて調査し、右下にはずれて飛び出た岩場も面白い立ち寄り場にできないか調べたが、去年トレースした左端ルート通常ルートの右側の盛り上がったところをトレースするもので、わずかに角度がキツクなるが、スッキリしていて楽しい。)しかこれといったものは見つけれなかった。とにかく今日は、あちこち部分的に濡れているので頻繁に足が滑る上、つかんだ枯れ木が折れて転倒したり(死ぬかと思った。)、脚下のもろい岩が突然崩れたりしながらの中で、トラバースしたり登ったり下降したりを何度もくりかえした。(もちろん軽登山靴でノービレイ。)おかげで、13時にはルートを確定して下山したのだが、ひどく疲労した。寒の戻りで時折雨まじりの強風が吹く中での作業であったせいもある。コウジングロは80mくらいであるが、110mスラブより急坂で、ルンゼ状に窪んだりしていない上、横のブッシュに逃げることもできない。まさにハイキングとしては極限レベルの岩遊び場になっている。裏銀座コースのラストの登攀にもっともふさわしく、チンネ・スラブや鷲ノ巣などでモチベーションをあげておいてから取り付かないと、ほとんどの(普通の)人は涙目になること請け合いである。もちろん、このルートは本格的とはいかないまでも登り専用のバリエーションルートであるから鎖などはつけません。(つけたら価値(面白さ)がなくなってしまう。)しかも、とにかく好きな所を上端まで攀じればいいので、黄ラッカーのコースサインも最低限のものにし、上部はあえてつけないようにします。とにかくこれで裏銀座コースが開通できたことになる。あとはコースサインをつけ、撤去予定の道標をはずせば、完成だ。裏銀座コースは、健脚なクライマーなら急げば3時間くらいで完踏できるだろうが、あまりのハードさに脚がガクガクになる。もしかして怪我もするかもしれない。できるだけ奥壁先端やいろんな展望場に立ち寄ったり、ダンガメ稜でボルダリングして遊んだりして、ゆっくり展望をたのしみながら、5時間くらいかけてのんびり遊んでいってほしい。また、そうやって遊べるようにわざわざ用意がしてあるのである。無視して足早に通りぬけるにはあまりに勿体ない景色(いや絶景)のオンパレード。これでもかといわんばかりの多彩な遊びたくなる岩場めぐり。和気アの6つの岩場のうち半分の3つを立て続けにまわるわけだが、疲労のため感動できなくなるから、これ以上欲張ってはいけない。(残りはまたの機会にまわしなさい。)第4の岩場のバットレス周辺は本格バリエーションもあるくらいなので、一般には天神尾根しか開放できない(他はすべきではない?)し、第5の岩場のザイテンも本格バリエーションと展望のある藪漕ぎルートがあるが、ミチオルートしか一般開放していない(これも、他はすべきではない?)し、と なると表銀座コースとしてのピークハント21に、(かなりキツイが、)愛宕尾根を下降して天神尾根を登り返すのを追加すれば、(一般ルートに限るが、)表裏あわせて5つの岩場を満喫できることになる。(正直これでもう充分。)さてはて、第6の岩場をどうしよう。一般的な稜線縦走の表銀座に組み込むか、ベテラン向けの名物岩場めぐりの裏銀座に組み込むか。いや、どちらもハードになりすぎるから組み込めない。和気アは一泊二日で満喫できるといっていましたが、二泊三日になるかもしれません。(ごめんなさい。)もちろん、もしかしてまだ一般化するバリエーションも、登場するかもしれないし、今からあまりきめつけないほうがいいか。でも、もしこの先、バリエーションはできても一般ルートができなかったら、あと2年先といっていた和気アが来年には(結果的には)完成することになる。ううむ。はたしてどうなりますやら。おっと、そうだ。ちなみに2年後の2007年は和気アルプス襲名10周年になるんですよ。なにかまたイベントを企画して、お祝いしなきゃね。

新ルートの仕上げ:3月26日、朝8時からコウジングロルートの仕上げにかかる。一般道からの分岐点はトラロープで閉鎖していたが、ロープをずらし、“←奥ノ峰への一般道”の道標をつける。(アプローチはこの道標の右を直進すればいい。)アプローチの沢や枝沢には金テープと黄ラッカーのコースサインをつける。(バリエーションルートなので道標はつけません。)枝沢の滑る部分にコブロープをつける。荒神ーの取り付き部分はツワモノなら正面を突っ切れるが、撤退もできるように、できるだけ簡単な部分をたどるようにガイドロープをつける。ここも悩んだ末に、滑りそうな部分にコブロープをつける。これで、ここまで上がってから思い直しても引き返せるようにできた。本体の登攀は、ほとんど黄ラッカーのみで、直登する本ルートと、それより盛り上がった左ルートにコースサインをつけた。(分岐と合流点は大きいマークをつけています。)どちらも同じくらい面白く、本ルートを登っているところを、左ルートから撮影するとなかなかいい映像になる。合流してから先は、一応黄ラッカーをつけたが、どこをトレースしてもよい。簡単につめるなら左よりに、もうちょっと登攀を楽しんでいたいなら右よりに登ればよい。トラバース道から奥ノ岩へ向かい、(台風で吹き飛んだのかオカタイボランティアに撤去されたのか判らないが、)“荒神ー展望所”のフダをつけ、奥ノ岩のフダもつけなおした。縦走路に出て、分岐の道標を撤去する。ここまできたついでに、ザイテンバイパスを確認しに降りると一ヶ所のみ倒木で通りづらい部分があったので整備しておく。奥ノ峰へむかい、宗堂池への分岐の道標も撤去し、エスケープ出口のトラロープのフダも取る。小屏風入口の道標を撤去して、バリエーション化完了。気になっていた白岩山のトラロープを更新しにいくと、まだもちそうなことがわかった。かれこれ6年間 西日にさらしてきたのだが、たいしたものである。完全に色あせているが、あと何年もつものやら試してみることにする。小屏風から大屏風に戻り、大屏風トラバース取り付きにある涸れ沢を直登するルートをつくる。(黄ラッカーのコースサインのみ。)これはコウジングロルートを登ってきた人に、少しでも岩部分を多く辿れるようにしてあげようとサービスしたもので、じつは最初の開拓時に登っていたが、この日までかくしていたものである。さあ、これでコウジングロルートが完成だ。一般道を下山すると、松茸テープが延長されて張られていた。ここのテープ除去は御大師山同様に後回しとする。すでに昼3時半。いろいろ雑用もこなしたので、バテたが、おそい昼食をパンで済ませ、夕方4時からダンガメ稜の仕上げにかかる。植林帯に“シキビ取るな。”のフダをつけ、ダンガメ岩に黄ラッカーをつけて完成。一応東平尾根の分岐まで登ってコースサインをチェックする。ルートそばの岩で、ボルダリングできそうなものは、まわりをかるく刈っておいた。あいかわらず“ゲロッパ”しかクリアできないが、“曲者”“大曲者”“ホンチャン” “ニ段壁” 大ホンチャン”を整備し、ゲロッパ裏の“クラック”も整備した。またここからダンガメ稜フランケ(側壁)のカンテ(出っ張り岩)までも整備しておいた。(狭いカンテ上から下を見ると涼しくなる。)下山中、フランケに立ち寄って、登り返して遊ぶ。このフランケも、整備してやりたいが、今日はここまで。6時半、暗くなった中を車にもどり、帰宅する。これで、新ルートが完成したわけだが、裏銀座コースとしては、鷲ノ巣バイパスの道標つけ宗堂池方面への道標撤去をしなくてはならない。また、この時ついでに黒壁”のフダも撤去するつもりです。体中クタクタ(ボロボロ)になったが、今回完成した新ルートの素晴らしさに満足している。コウジングロルートによって屏風エリアは一変に最高クラスの楽しい岩場になったし、ダンガメ稜では面白い岩遊びが次々できるようになっているフランケを整備すれば、鷲ノ巣やチンネ・スラブにひけをとらない場所になりそうだ。ボルダリング対象になる岩もまだまだでてきそうだ。ここだけで一日すごせそうな感じすらしてくる。東壁エリアとのつなぎ(バイパス)として手をつけたのに予想以上の楽しさにひかれてしまっている。南に見える“オベリスク”も台座ごと攀じてやりたいし、それをいえば、前壁の北端ルートもやってみたいし、小屏風の直登もしてみたい。ああもう。なんでこう次々とやりたいことがでてくるんだ。まったく私の相棒はどこまでスゴイんだあ!(クタクタなのに煩悩だらけ。)

裏銀座仕上げ作業:3月30日、ささやかな家族サービスの後、午後から裏銀座の仕上げにいく。まだクタビレがとれておらず、正直ツライが、やらねばならない。まず、気になっていた宗堂池からの登り部分をチェックし、倒木を処理する。鷲ノ巣登山口から登りなおし、鷲ノ巣スラブバイパスに道標をつける。分岐の黄ラッカーも大きいマークにしておく。鷲ノ巣を登り、傷んだ古い道標を補修更新する。尾根をたどり、途中見晴らしのいいように細工もし、黒壁の入口の道標をはずして、金テープだけにする。(そばにある消えかけた鷲ノ巣の案内板をファンの誰かがマジックで上書きしてくれていました。ありがとう。)最後に宗堂池方面の分岐の道標をはずして、山の学校のみの道標にする。これで、宗堂池周辺のルートのバリエーション化も完了できた。(ホントに遅くなりました。)時間は16時。ついに、裏銀座の仕上げも完了した。(やれやれ。)ついでに山の学校手前の鎖場も藪を処理した。バテてはいるが、時間があるので、ヨロヨロとダンガメ稜フランケを調べにいく。適当な所から藪に突っ込み、2回目のトライでトラバースしてフランケの最下部にたどり着いた。前回登った部分を確認し、全体を把握したあと、カンテ手前下部の一番広い部分を下降し、登り返してあそぶ。傾斜は40度、距離は35mくらいか。カンテそばに向かって上に登ると傾斜がきつくなり、ツルツルになった。足に踏ん張りがきかなくなって、ノコ(左手に持ったままだった。)が邪魔に感じはじめた矢先、アテにしていたホールドがボロボロで、つかむと崩れるシロモノであることが判った。うむむ、困った。(ホント私にはよくあるパターン。)不安にかられたとたんに足がズリズリ滑りだした。やっばー。とにかく両手でなにかにさばらないとマズイ。アセる。今、両手両足がすべてゴマカシタ状態で、落ちたらオシマイな岩壁にさばりついているのである。あくせくしながらノコを上の岩棚へ置き、左手をホールドして(確実なのは左手のみの状態で)右手でつかめるものはないかいろいろ捜す。いまにもはがれそうなホールドしかない。足が滑る。もう仕方ない。覚悟をきめて一番マシと思われるホールドをつかみ、右上に上がる。うまく細いネズが生えていたのでこれをにぎってホッとする。ノコを置いた岩棚にはいあがって生還。ふう。久々に極限状態ちかくになったわい。先ほどの恐怖と緊張でまだ脚が震えている。このフランケはカンテ周辺のみ中級であとは初級である。とりあえず突破できたので満足。さて、初級部分をどうするか。一番広い部分は110mスラブのスモールサイズみたいで、和気アではアリキタリであり、登山道から離れているので、わざわざここまで寄り道するほどの内容ではないようにも思う。(他所ならゼッタイ整備対象になるだろうが、ここではまわりが凄すぎてこれでも物足りないのである。)とりあえずバリエーションのスラブとしておこう。うん。前回登った登山道近くの広いスラブ部分のみ登り切った部分を軽く枝払いして、一般開放とする。ボルダーもチェックしたが、カンテの横を足掛けで登る“ベリーロール”(じつは去年突破していたのを再登した。)を追加しただけにとどまった。まあ、課題設定はやりだすとキリがないので、適当なのが2、3あればもういいだろう。私のオススメは、簡単な“ゲロッパ”(飛びつくのと横のホールドを利用して攀じる2方法があります。)といまだにクリアできない“曲者(くせもの)”と、この“ベリーロール”くらいである。いよいよフラフラになって18時すぎに下山。帰宅する。また、ハデに疲れた。

裏銀座ついに完成!:本当なら大々的に発表して、大公開したいところだが、バリエーションといってもいいくらいの部分もあり、地主さんや地元に迷惑がかからないようにしたいのと、大勢や素人にモロイ岩を踏み砕かれるとルートが崩壊されてしまうので、公開しません。中高年の登山ブームで、中にはロクなリーダーのいない素人だけの大団体(確実に破壊者で、遭難予備軍です。)も結構あるようなので、こういった登山者達を呼び込まないよう警戒せざるを得ない。ピークハント21を基本としたもの(本当はまだ未完成です。)である表銀座コースは、ほとんどが元から整備(今でも和気町が整備している。)されていた縦走路をたどり、ラストのザイテンとあと少々の部分のみ私が整備したものであり、初心者でもOKなので、あえて制限はしない。(必要ない。)しかし、裏銀座コースは鷲ノ巣から尾根を下る部分以外はすべて(約90%以上。)私が整備(廃道復活を含む。)したものである。大勢の地主さん達の温情の賜といってもいい。そして作った私自信が自画自賛する傑作中の傑作、まさしくこれまでの集大成である。元エキスパートクライマーであるベテランロートルが個人的にトレースすれば、おそらく笑いが止まらないだろう。楽しい一生の思い出になると思う。(反面、初心者だらけのヘッポコ団体(おいおい。)がトレースすれば、遭難しかねないのでご注意ください。)

HP更新:新ルートが完成したら、地図もやり変えなくてはならんし、HPの文章も考えなくてはならんし、夜中にコツコツやっていくしかない。しかし、もう疲労の限界。頭が、ぼおーーーーっとしてなあんにもできんではないか。はかどりの悪さに自分でも呆れてしまう。しかも、こんな時にかぎって頭の中で、ヤリたいバリエーションが、セミヌードの女性のように私を誘惑するのである。くそう。ヤリてえ。ナニとバリエーションはヤリたい時ヤルに限る。(あーこりゃこりゃ。)もうHPなんか放っといて―――とは、いかんな。やっぱり。ううう、欲求不満。疲労で自制心ゼロ。まさに妄想にかられた変質者のように危険な状態。でも、2日間 深夜2時までかけてなんとかHPを更新しました。ああ疲れた。

裏銀座テストウオーク:じつは例によって、裏銀座コースを通してあるいたことがない。まあ大丈夫だろうとタカをくくっていたが、やっぱり他人にすすめるからには踏破しておこう。というわけで、4月7日、トミおじさん達 芦屋ロックガーデンの猛者6人とともにテストウオークする。10時に和気駅で落ち合い、ワゴンで藤公園駐車場へ。10:20、スタート。鎌尾根リッジを登り、前壁の頭で小休止。クライマーズテラスで前壁を一望し、独標へ。さすがに皆クライマーだけあってハイカーなら歓声をあげるのにノーリアクション。奥壁から写真を撮って奥壁の2つの展望所と鎖を降りた先端も立ち寄る。(もちろん皆 鎖など持たない。)東平尾根のM2からダンガメ稜を下降する。カンテまで立ち寄り、ボルダーのゲロッパ、ベリーロール、曲者(くせもの:なぜか今回は登れた。ウレシー。)さらにはフランケまで登って遊ぶ。麓近くのダンガメ岩で12:10昼食。なんとうなぎ寿司やフルーツをいただき感激。(ううん。なんと贅沢な昼食。しかし、すごい余裕。ちなみに皆 私より高齢だが、ロープ等 軒並み10キロのザックを背負っていた。)チンネ・スラブをチンネの頭まで往復し、さすがに皆の口数も減る。それでも鷲ノ巣ではスラブ中央をフリーソロで突破される方もいてさすがである。宗堂池に下山するころには私も皆もかなりバテる。“これを登ったら温泉が待っている。”と皆をあおってコウジングロに取り付く。ところが、壁の下部でトミおじさんの脚がつってしまった。ザックを私が持ち、メンバーがロープで確保して踏ん張れない脚をダマシながらの80mの登攀。(いやあ。ロープがあってよかった。)30分かかって突破し、エスケープルートで登山道へはいあがり、そのまま縦走路へ。日電歩道から小屏風を割愛したが、やむをえまい。時間は15時半。北稜ルートを下山して16時ちょうどに温泉へ。皆には温泉に入ってもらい、私はデポしておいた自転車で藤公園へ。急いだので30分で着く。ワゴンに自転車を積み、自宅で降ろして皆をお迎えに。和気駅まで送って17時 無事解散。いやあ。疲れた。ううむ。これは想像以上にキツイ。だいたい奥壁先端は余計だったし、ダンガメ稜のフランケ登攀も余計だった。ボルダリングもほどほどにして体力と時間をセーブすべきであった。さもないとチンネ・スラブの往復と鷲ノ巣登攀でガクガクになる。チンネの頭までの往復は、すでに歩いているならこらえてほしいくらいであるが、そういうわけにもいくまい。そして最後のコウジングロは取り付きの枝沢のアオミドロがいつのまにかひどいドロドロのスライムになっており、ホントにこれをたどるのといいたくなるほどであった。足を滑らしながらの遡行で、そのまま岩壁に乗り上げるので大変である。ここではさすがに全員ヘルメットをかぶった。もう温泉の牽引力なしには突破できないであろう。とてもこのあと和気富士まで縦走する気にはなれなかったし、これ以前にアプローチでザイテンの登攀などあったらもうダメであった。たとえ5時間程度とはいえ、これほどしつこくスラブ登攀をさせられてはたまらない。ちょっと案内文書を訂正しなくてはならん。“余計な立ち寄りはせず、マジメに歩け。ナメるな。遊ぶな。バテるぞ。”なんてね。

HP更新2:というわけで、さらに更新しました。とはいえ、トミおじさんは足がつるし、転倒して顔を切ったメンバーもいたし、私も翌日の8日は朝から左膝が痛くて一日中びっこをひいていたし、本日9日になってもまだしびれていて、ちょっと無理をするとうずく。明日予定だったオハヨー山岳会のハイキングをキャンセルした。まったく、短いくせに なんてハードなコースなんだ。(作った自分が信じられん。)ううむ。今回は、我ながらキツ過ぎないようにしようと心掛けていて これだから呆れてしまう。マジメな話、踏破した自分自身が脚を壊してしまったようなコースを他人にすすめていいものだろうか。裏銀座は、若くて健脚で技量もある本格派の登山者(今どきおらんでそんなヤツ。)向けのコースといえる。(まあ、なにはともあれ早く脚を治さないとね。)

膝痛:4月7日の裏銀座テストウオーク後、翌8日 朝起きると左膝がひどく痛い。さらに翌9日になっても痛むので、大事をとって10日の山は中止して休む。少しづつ回復して13日にはかなり良くなったが、14日に2時間半の和気アのガイドをしたため、また翌15日朝起きたら もう最悪レベルの激痛。動かし始めが特に痛いが、ムリして動かしてると痛みがうすらいでくる。しかし、そうして朝動かすと昼からはじっとしていても痛いくらいになる。(20年ぶりに思い出すが、たしか馬でもこういう跛行(びっこ)があり、関節炎の“飛節内腫”だったような。温めながら数ヶ月静養しなくてはならん。)かばって仕事していたら右足首まで痛くなってきた。しかし、16日には早くもかなり回復。でも、17日には消防の出初で突っ立ちぱなし。さらに18日には親父の手伝いでいろいろ運びまわってムリをした。予想通り19日 朝起きたら、ホントに最悪の激痛。(こりないねえ。)かばって仕事したら、右足首から左腰、あげくは右腰とあちこち痛みはじめた。かれこれ10日間もびっこをひいていて、その日はいつにも増してガクガクになっているので、会社仲間から心配されるが、“山で遊びすぎました。”というと呆れられた。1年前に使用期限のきれた湿布薬があったので、はってみると翌日にはまたかなり回復した。しかし、以後は回復が進まずじまい。やれやれ。もう若くはないんだなあ。こんな傷みですらこんなに長引くなんて。うずいて寝苦しかった日もあって、くたびれがひどく、傷みに過敏になったせいか奥歯までしみるようになった。(就寝時の噛み締めのせい?)正直、山を引退しなくてはならんかとも考えました。“もういい加減にしてマジメに仕事に打ち込めよ。”と神様が言っているようにも思えました。ついに26日、妻のすすめに従って病院へ。関節炎で水が溜まっているといわれ、ちょっと怖いような太い注射器で1本分の水をぬいてもらいました。(すごく刺したが、痛くなかったです。)すると、痛みがほとんどなくなりました。2週間分の薬とちゃんとした湿布薬をもらいました。再発しないように気をつけながら、しばらくおとなしくしてなくてはいけませんが、神様が山を許してくれたみたいです。(見放したのかもね。)なお、本当は4月中に白テープ取りと清掃及び道標整備をし、5月からもいろいろ和気アのバリエーションをこなすつもりでしたが、これは6月まで我慢します。岩山の台三郎谷ルートの開拓(おおっと、またバラした。)も今期は無理かなあ。まあ、再来年の10周年までに全てを完成させればいいか。うんうん。(でも、完成した後も、まだまだいろいろ面白いモノができるかもね。もしかして本当の完成なんてないのかも。とりあえず、“一応の”完成にむけて頑張ります。)

四十肩?:左肩を動かすと、時として激痛があります。筋をちがえたのかな。続けて動かしている分にはなんともないのですが。これも関節炎なのかも。やれやれ。若くないなあ。もう体中ガクガクボロボロ。腰も筋を違えそうになるし、なんか老人みたいです。いままでのクタビレが出ているのかなあ。適当にリハビリしていかなくてはならん。ちなみに、奥歯がしみるのを先日診てもらうと、やはり虫歯がありました。(ちゃんと治しました。)ヒマラヤなどひと月以上も外国の山に入っていくなら、あらかじめ虫歯までちゃんとチェックしておかなくてはならんし、健康に不安がある場合はなにかとやっかいだろうなあ。さてはて、この左膝と左肩をいかにうまく治すか。今後も山を続けていきたいならこれが全てといえる。

脚の具合:5月6日、かれこれ膝を傷めて1ヶ月になる。以前みたいな激痛ではないが、相変わらず疼痛があり、不安で かばっているものだから肝心の脚力がなくなり、そのくせ体重は3Kgも増加し、シワヨセをくらって体中あちこちが傷み、事態は悪化しているようにも思える。もしかしてこれ以上はよくならないかも。うううううう。もうこんな膝いらない!こんな足などナタでぶった切ってゴミ箱に叩き込んでくれる! ついにブチきれた。わざと左足に負担をかけ、走ったりしてどこまでもつか試してやった。すると意外と耐えるではないか。用心のため、夕方、仕事から帰ると病院へ。膝は治ってきているし、肩も治療しなくてはならんほどでもないとのこと。(ああ。よかった。)腿とふくらはぎの筋がつったような痛みがあるが、これは1ヶ月かばって脚力がなまったせいであり、あまり大事にすべきではないとのこと。むしろしっかり鍛えるべきで、きたえて筋力をつければ膝に水が溜まるのを予防できるという。ほとんどの人は膝に水が溜まるとクセになるというが、そうではない。それを恐れて鍛えることをしないから、筋力不足で膝が傷みやすくなる結果、再発してしまうのである。もし、体重80Kgの私が、腕力程度しか脚力がなかったら、立つのがやっとで、2,3歩あるけばガクガク、膝も傷んでしまうだろう。脚力とはかなりの力(何十キロを何時間も支える力)があってこそはじめて意味があるのであり、膝を大事に思うならとにかく鍛えなくてはいかんのである筋肉がつけば自前のサポーターになるし(適度な締め付けをするというたぐいのサポーターは、逆に悪影響を与えることがあるので、あまり安易に装着すべきではないそうです。)、筋力を鍛えることは同時に筋や骨も鍛えることになり、ダブル効果で再発防止になるそうだ。(そうか。よしよし。)というわけで、5月8日、PTA主催のドッジボール大会に出場。(PTA会長だからしかたないのもあった。)ところが、はじめの体操でジャンプしたら痛みが急にひどくなり、試合中につい 飛び跳ねたりもしたせいか、午後からかなり痛みだした。(またか!)動かし始めが特に痛いのは以前と同じだが、関節そのものより膝周りのスジがつったみたいな感じである。やっぱり、やらなきゃよかったか?(ちょっと後悔。)翌日になっても つったみたいに痛む。しかも膝に限らず脚全体が痛い。(かなり後悔。)ううむ。本当にこんなことしていいのか不安になるが、つらいのを我慢して、かばわず動かして体重もかけてやる。つった痛みを解消するべくめったにやらないストレッチ体操もする。(これがリハビリというものか。ツライもんだなあ。)夜、ふろあがりに体操をしてストレッチしていて気づいたが、本来利き足だった左腿の方が太かったのに、なんと右腿の方が太いではないか! というか、左腿がやせている。ちょっとかばっていただけなのになんでこんなにおとろえるんだ? そもそも私は他人よりかなり太い腿をしており、とくに左は筋骨隆々だったのになんたることか。(まあ、この腿の筋肉による基礎脚力があったから今まで太っても平気だったのかもしれない。)つい、筋トレを意識して、軽く跳躍などもする。この時は膝がもつことを確認してチョット安心したが、後で腰が痛くなってきた。(おいおい。)でも、痛いのを我慢してリハビリ体操を続行する。そして本日5月10日、朝から腰が痛くてツラい。膝も相変わらず痛むが、腰の痛みで まぎれている感じ。(なんか返ってひどくなっているような。)まだまだ体操程度しかすべきではなかったか。ああ、リハビリは難しいなあ。傷んだのをこれ以上壊さないように鍛えるのはホント大変だ。でもやるしかない。

再発:5月12日、リハビリをやり過ぎたせいか、昨日は腰の痛みがひどかったが、今日は比較的ラクになった。ちょっと体を休めるべく昼寝して一日中ゴロゴロして過ごす。5月13日、かなり調子がいいので、朝方はリコの散歩をし、妻と買い物をして歩きまわる。昼過ぎにうたた寝して目覚めると、左膝がはれている。ええ?!見るからに素人目にも判るくらいはれているではないか。病院へ行くと、さっそく水を抜きましょうといわれ(おいおい。)、また前回の3分の2ほど水をぬく。リハビリのやり方がまちがっており、屈伸などしないで、足を伸ばしたまま腿を鍛えるように言われた。やっぱり後もう2,3ヶ月はかかりそうである。つらいなあ。ヤケになりそうなのをこらえるのに苦労しています。不安は、治っても当分無理はできないということ。気長にやらなくてはいかん。世の中には、もっと大変な人もいるのだからこんなことでへこたれたり、ヤケになるのは甘えというものだ。うんうん。はげましてくれた女房に感謝。

近況報告:膝のリハビリは順調にすすんでおります。5月21日にはオハヨー山岳会で阿波村の布滝(のんだき)をピクニックしてきました。いつか落合渓谷から遡行して、こいつを登ってやろうとタクラんでおります。(こんなことを書くと、また小豆島みたいに かのベテラン鈴木氏に先をこされそうですが。)PTAやFOSなどの行事をこなし、6月2日から5日まで、蒜山に泊り込んで国体リハーサルの馬術競技の役員をしてきました。4人部屋でしたが皆さんお疲れでモノ凄いイビキ。初日は一睡もできず、翌日からはこちらもお疲れで割と眠れ、最後は負けないくらいの大イビキをかいていたようです。フリー練習馬場の監視と試合場への案内が仕事でしたが、午後からはメインの試合を観戦でき、かつてのライバルだった人が現役で第一人者として活躍したり、次世代の方が登場していたりして、感慨深くなりました。それにしても、21年のブランクを経てもなお、戦況や馬の把握ができる自分に感心しております。思ったのは20年以上たっていて、馬の大型化がすすんでいる(私の頃はほとんどいなかった聞いたこともないような外国産馬が7割も占めていました。)のに、競技レベルはほとんど昔のままで、むしろ安全性を考慮したぶん優しくなっていました。また、女性選手も多くなっており、馬もなんか上品になっているように感じました。(引き馬も1本綱で、乗り降りに脚立をつかうなど、一昔前なら怒られそうなことです。私の頃は、馬は気性が荒く危険なもの。試合は命がけ。今はなくなった野外騎乗など五体満足で生還できたらラッキーという競技でした。)理事であり馬の恩師であるO氏に今までで最高傑作の馬をきくと“旭昇”とのこと。これは20年以上前の私の全盛期に愛馬ブラックヘッドと共に活躍していた馬です。京産のスコルピオ。専修のユウコク。ライバルだった馬達。あらためて熱き時代に活躍できたことを幸せに思いました。O氏もなにかにつけ私とブラックヘッドのことを話にあげられており、私も20年前の自分と愛馬がいれば、今でも十分活躍できただろうなあと思っております。(まあ、昔凄かったのを鼻にかけると嫌われるだけなので、自分からは言わないようにしております。)ああ。もし、家庭も仕事もなく馬に入り浸っていれたらなあ。スゴイ相棒をつくってひと暴れしてやるのに。いやまて、それなら世界中の山という山を踏破できるか。もうヒマラヤにこもっちゃうかも。(コラコラ。まったくもう。)

80リッターのザック:まだ膝が完治していないのにこの夏にまたテント泊山行をしようと思って買っちゃいました。ところでどこにいこうかなあ。日本の夏山の一般ルートで、前回の穂高以上に感激できるモノがあるだろうか。ううん。ちょっと悩んでいます。(やっぱり私の悩みはこんなことがメインです。)

アクセス2万件:05年6月13日。ううむ。ついにここまできたか。ところで1万件はいつだったけ。んん〜と。んん〜と。(逆スクロールして捜している。)どこだあ。ううんとお。(まだ捜している。)もう。どこだたっけ。(いやになってきた。)おかしいなあ。どこだあ?くそう。(もう!こんなページを作った自分にハラがたつ。なんて馬鹿なんだ。まったく。アホの中の大アホウめ。)んん―――――おっ! あった!(やれやれ。)04年1月2日。はじめから2年7ヶ月かかったのが、1年6ヶ月で1万のアクセスがあったとは。加速している。人気がでている。これは、あまり馬鹿なことばかり書くとヒンシュクをかう。堅苦しいことばかりいうと嫌われる。まいったなあ。今度こそ慎まなくちゃあならん。(また。毎回これいってますね。ホント。)和気アのHPを検索するとまたいくつもできている。どれも皆さん感激のご様子です。実際、○○アルプスを名乗るほとんどの低山が、“アルプスらしからぬ。”とか“名前負け。”はては“アルプスをかたるな!”などとボロンチョにケナされている中で、和気アだけは特別みたいです。なんと、自由書き込みの掲示板ですらホメることはあってもクサしているコメントがひとつもないのです。(これは凄いことです。ああ。正直にうれしい。)よく見ると私のこのHPを見るように勧めているものがやたら多い。うっ。まいったなあ。(ホント。)和気アの情報なんかより私個人の“山”のボヤキが一番ハバをきかせているメチャクチャなHPなのに。(だったらいい加減になんとかしろよ。といってもムリか。)ただ、膝を傷めてからすこし山から離れたことで、短絡的かつ落胆かげんだった頭を冷やせた気がします。すこし距離をもって“山”を見るのもいいことかもしれませんね。自然保護もイシアタマにならず、やたら制圧的で不満をあおるようなやり方はせず、みんながうなずけるものにしていきますよ。物事は面白くなければ続きませんからね。保護活動も楽しんでやっていかないと。うん。みなさんのHPを見て元気がわいてきて、同時に明るさも取り戻した私です。和気アを喜んでくれた皆さんの存在が、私のエネルギー源なのを実感しています。皆さんに感謝。

手伝い:6月16日、親父に頼まれて畑作業を手伝う。梅雨入りしたくせにカンカン照りが続いていたので、小川からバケツで水をくんで運ぶ。膝はほとんど痛まないほど回復していたが、延々としゃがんで作業した後での無理な姿勢での水汲みと両手に20キロのバケツ運び。しかもこれが何度も往復となり、さすがに膝が心配になる。そう。いつもやってる時は痛まず耐えるんだけど、後になって痛みだすんです。もし、これだけコキ使っても痛みださなければ完治したといえるが、はたしてどうか。―――夕方。ズキズキズキ・・・。やっぱり。まったく。何度ぶっ壊せば気がすむのか。自分の馬鹿さに腹が立つ。しかし、73歳の親父が自分達のために作ってくれた野菜だし、手伝わん訳にもいくまい。しかもいかにお達者なジイ様の親父であろうとキツイ水運びを任せるのは息子として気がひけたのである。ああもう。雨さえ降ればしなくて済んだのに。4日たっても痛みはひかない。くそう。もうほとんど治っていたのに完全に元のモクアミだあ。痛みは内側の下骨の頭部分の限られた場所であり、朝の内がツライが、夕方はラクになる。21日、病院へいく。2週間前にもうこのまま大事にしていれば大丈夫と言われていた先生もさすがに呆れ顔。症状を確認して痛む部分が半月板ではなく下の骨の頭であることから靭帯と骨が癒着しているかもということで、痛む部分に直接注射しますといわれる。うう。痛ッタソウ。チクッ。んぐッ!いってええ。我慢。我慢。薬を注入しているが入りにくいらしい。“はい。いいですよ。”といわれホッ。“これで治ってしまうパターンが多いので、期待していいですよ。”とのこと。ええっ!ホント!!(でも、これでまた痛くなったなんていって来たら今度こそ怒られそうだ。)やった。すこし違和感がある程度で痛いほどではなくなった。翌朝も車から降りたときに痛みがほとんど無かった。いつも朝は出勤時にびっこをひいていたが、今日は朝から快調である。よしよし。無理をしないように気をつけて今度こそ完治させるぞ。うん。

復活:6月26日(日)、オハヨー山岳会で山行する。片道30分の滝見散歩と片道30分のこぶりな岩山登りのコラボレーション。今回もライトな内容である。(と、思っていた。)それならば参加してもよいかという者(犠牲者。)も加わって、前回より増えて8人とにぎやかになった。朝8時 和気鵜飼谷温泉集合。国道を北上し美作から黒尾峠を越えて10時には流し雛で有名な鳥取の用瀬町へ。滝をめでながら昼食をとるには時間が早いので、先にここのトンガリ山である三角山(みすみやま)を涼しい内に片付けてからお目当ての三滝渓へ行くことにする。三角山はこぶりながら修験の山で、標高516m。ガイドブックには急坂だが登り30分とある。鎖場もあるが、まあ、ライトな岩山であろう。(と、思っていた。)面白そうだが、これだけのためにわざわざここまで来る気にはなれない。膝を痛めたおかげで、三滝渓とセットにすることでここに登る機会を得た次第で、リハビリ山行のつもりである。登山口の女人堂まで車で行けるとあるが、かなり道が細い。ヒヤヒヤしながら無理やり突っ込むと3台くらい駐車できる広場があり、切り返せてホッとする。のどが渇きそうなので、カメラと水を持って軽装で10:20スタート。私は膝の負担を軽くすべくダブルストックを使って4WD形態で登る。急坂だが木陰歩きが続く。乾いた風が吹いており、思ったより涼しくて助かったが、岩場は無くなんか期待ハズレである。休み休みかれこれ30分登ったがまだまだ山頂につかない。なんかこれはキツイぞ。あちこちに鎖場が現れるが、ささやかなものばかりで、不必要でひつこい感じすらする。おそらく老人の参拝者のために設置しているのだろう。結局、変わり映えしない急坂を小1時間もかかって山頂についた。くそう。話がかなり違ったではないか。(それでも登ってしまう自分にもあきれる。)ストックを持ってなかったらリタイアだったろう。山頂には大きくかぶった大岩があり、裏に古いホコラが祭ってある。かなり朽ち掛けているが、彫り物などはなかなかの芸術品である。眺めのいい岩場から眼下に町を見下ろすと、30分だから標高差は200mくらいかと思っていたが、400mくらいある。キツイはずである。(今回はナメて地形図無しだった。)麓で見上げた時からなんか妙に高い感じはしていたが、やっぱりね。しばらく涼しい風に吹かれて写真を撮ったりしてくつろいでから下山開始。想像よりかなりハードだったので、膝が心配になり、かばうようにゆっくり降りるが、2度も滑って転んでしまった。30分で車にもどり、すぐに三滝渓へむかう。案内板に導かれるままどんどん山懐に入り、かなり人里から離れたところで12:30三滝荘につく。先客の家族が釣堀でイワナを釣っているくらいで日曜日にしては人気がない。三滝方面入り口まで乗りつけると、なんと!通行禁止のフダとロープでトオセンボしてあるではないか。なんじゃこりゃあ。土砂崩れのせいらしいが、ここまできてそれはないよ。ううむ。致し方ない。ここは山岳会らしく、行ける所まで行ってみよう。皆 賛成。(おいおい。)車を適当な路肩に駐車して、トオセンボをまたいで前進する。整備工事をしている最中であることが伺われるが、今日は休みでだれもいないので、かまわず先にすすむ。急な階段になる。またこれが長い!いいかげんバテかげんなので、かなりキツイ。これでもしショーモナイ滝だったらと思うと腹がたってくる。汗だくになって三滝の釣り橋に到着。おお。これはなかなかいい滝ではないか。高さは70m。右側には綺麗で広大なスラブが厳しくそそり立っている。キツかった分だけの素晴らしさはあったのでプラマイゼロと言う感じ。それはさておき、ここまで別に通りにくい部分はなかったではないか。いつまでもトオセンボしやがって。お役所仕事はこれだからね。強行して正解であった。13時、遅めの昼食をとり、皆には待ったをかけて釣り橋から先の対岸の廃道ぎみの遊歩道を一人で偵察する。ガイドブックには5分で展望所につくとあるが、ものスゴイ急な階段で、汗だくになる。膝がいよいよ心配だ。(なのに登ってしまう自分にホトホトあきれる。)10分以上かかってなんとか展望所につく。しかし、木が茂って展望はない。白糸の滝というのもあるらしいので捜しまくるが、これまた木が茂って谷間もなにも見えないではないか。がっかりして戻るとHさんが心配して途中まで登ってきていた。(心配かけてすみません。でも、皆 来なくて正解でした。)13:40、撤収。14時すぎには車にもどり、途中 恒例の買出しをして帰路につく。この頃になって、なんかやけに暑さがこたえだした。(後で気温が35℃あったことを知る。)汗をかきすぎたのか。頭が痛い。ダブルストックをやって肩こりと首こりをおこしているせいもある。フラフラと17時 鵜飼谷温泉帰着。無事解散。今回もあきらかに無理をしすぎたが、膝は大丈夫だろうか。(いつも同じこと言ってますね。)皆にとってもライトな内容とはいえないものであったと思う。(まあ、皆もうすうす覚悟はしていたでしょう。うん。)翌日。心配したが、膝は痛くない。これは、治ったといっていいかも。やった。うれしい。藤本 復活!(でも、跳んだり走ったりはまだダメです。)

7月17日:ずっと前のこと、家族で来たら夕方4時を過ぎていたので入山拒否された三徳山の三仏寺 投げ入れ堂。オハヨー山岳会のライトな山行のトリとして今回6人でリベンジすることにした。近くには沢伝いに遊歩道がある小鹿渓という片道30分のライトな名渓もあるので、これとセットにして、三朝温泉にも入るといった なにか社内旅行みたいな内容である。朝8時 和気鵜飼谷温泉集合。9時には院庄へ。インターそばにある“豚平ラーメン”が凄くウマイとの情報があるので、帰りに寄ろうといって場所だけ確認して先を急ぐ。人形峠を越えて鳥取県に入ると、信号機のない空いた道路で、10時には早くも三朝町に入った。このレインボウロード(橋の欄干が7色に塗られているだけ。)は快速ドライブを堪能できる道だ。さっそく三徳山をめざすが、なぜか山奥に入っていく。道端には山水の給水場がいくつも設置されていて ほのぼのとした気分になるが、なにかヘンだ。かなり入り込んでから道を間違えていたことに気づく。地元のお婆さんに尋ねるとこのまま行っても通り抜けれるとのこと。引き返すのがオックウなので、そのまま山を乗り越えて先に小鹿渓にいくことにした。道は舗装してあるが、ドンドン細くなっていく。草刈されているから通行できるが、茂っていたらとても車で乗り込むことはできなかったであろう。これは地元の人しか通らない道である。山をてっぺんまで登って乗り越し、なんとか麓に降りれた。回り道をしたが、小鹿渓の入り口の駐車場に10時半に着いた。私とHさんとNさんは沢の足作りをして沢登りする。残り3人は遊歩道をハイキング。ハイキング組は早々と先へすすんで見えなくなった。沢の3人は巨岩のゴーロを乗り越えながらの沢登りで、けっこうキツイ。小滝しかないが、深い淵が多く、防水対策が不十分だったので、苦戦をしいられる。最初の大きな淵の中にクジラみたいな岩があるので、ザックをおろして空身で泳いで登ってみる。泳ぐとなかなか面白い。大きな淵は3つあり、いずれも小滝が越えられないので、遊歩道の階段で巻く。2番目の雌淵の岩場で待ちくたびれているハイキング組を発見する。すぐ上の雄淵で11時半 昼食にする。私が空身で雄淵で泳いでいるのを見て、Kさんも泳ぐことにした。淵の対岸の切り立った岩壁の奥まで泳ぐと、水が冷たく私は体が冷えて泳ぎにくくなり、ちょっとあせったが無事に戻ってこれた。写真を撮って遊歩道を引き返す。30分歩いて12時半 車に戻り、三徳山へ。三仏寺の門前の路肩に駐車して水を飲んで空身で出発。用心深いK2さんのみザックを背負っていく。寺に入るといきなり拝観料として400円をとられ、なにかキモイ絵のお札をもらう。さらに投げ入れ堂へ行くのに200円をとられ、タスキをもらうが、これはあとで返却するものだった。13時 登山口。登山道はドロで滑りやすく、面白さより険しさが勝っている。修験目的だからしょうがないか。しかも岩場は馬の背の部分くらいで、期待したほどではなかった。全体的にオーバーユースによる侵食で荒廃しており、コモの土嚢で補修している。(三朝温泉にここを世界遺産にしようというカンバンがあったが、どうみてもやめといた方がいい。これ以上荒れたらもうオシマイである。)文殊堂は工事中。鎖場の鎖も撤去してあり、通過しにくかった。地蔵堂の廊下をまわり、鐘楼堂で鐘をつく。納経堂も工事中。馬の背の岩場を越えると岩壁があらわれ、観音堂の暗い裏をまわると投げ入れ堂が目の前にあらわれた。ええ!ここまで来たのに下から眺めるだけ?!てっきり廊下に立てれると思っていたのにアテがはずれてガッカリ。それに、なんか投げ入れ堂は建物としては妙に小さく、人は入れない感じだ。これはまるで単なるデッカイ神棚である。朽ち加減といいどうりで脚部の組み方が貧弱で適当な訳である。ううむ。汗ダクダクでここまで来てこれだけか。帰りにもう一度鐘を思いっきりついて憂さ晴らしをする。14時すぎ 下山して温泉にむかう。橋のたもとの公共浴場(300円)へ皆をおろして、車をとめれる場所をさがしてうろつく。うまいこと空き地をみつけて駐車し、私とHさんだけ川原の露天風呂(無料)に入る。周りから丸見えだが かまうもんか。かけ湯をすると、熱ッチイ!これはちょっと熱すぎるぞ。我慢して湯船に入り、先客の4人のジイさんと適当に世間話をしていたが、さすがにゆっくりつかってはいられない。早々に退散。皆がでてくるのをまって15時 帰路につく。2つの道の駅で買い物をするが、ラーメン屋につくのが早すぎるので、奥津渓に寄り道して30分ほど時間をつぶす。よし。5時ならもうやっているだろうと、うまく5時ちょうどに豚平ラーメンにつくが、シ―ンとしている。見ると6時からになっているではないか。なんで確認しておかなかったんだ。よく見ると この店は昼も夜も2時間づつしかやってない。なんたる店だ!諦めてこの先にあるもう一つの美味しそうなラーメン屋“さつまラーメン”にいくが、これまた閉店であった。一同ガックリ。あああ。むなしく6時 和気に帰着。無事解散。霊験アラタカなるキモイお札はゴミ箱に捨てた。(おいおい。)だって本当にヘンな絵で、生理的に受け付けないんだもん。オマケにお金かぞえてる坊主の姿が妙に頭に浮かぶし。坊主たるもの清貧でないとね。

オーバーユース:投げ入れ堂の登山道のオーバーユースをみて、大山も然り、痛々しさを感じてしまう。(その点、割とマイナーな新庄村の毛無山などはブナ林が綺麗でよかった。)本当に大切なものは、妙に最近安売り感がしてきた世界遺産などには絶対に登録すべきではないのだ。熊野も知床も馬鹿なことをしたものだ。(おいおい。)塩釜冷泉など名水百選に選ばれたばかりにマナートラブルで取水禁止になっているし、百名山もオーバーユースがひどいという。山(自然)にヘンな付加価値などつけない方がいいのである自然の恩恵は、地元の知る人のみが利用しているくらいがバランスがとれていいのだ。ハワイのハナウマベイのことを思い出す。そこは20年前は規制もなく すごく小さな小魚が手の平のパンにたくさん群がってきていた。私は今の規制され お金をはらってビデオ鑑賞しないといけなくなったハナウマベイでも、初めてだったので見かけた魚たちに感激したが、20年前を知る女房はかなりショックを受けていた。お目当てのかわいい小魚たちがいなくて大きな魚しかいない。昔とは生態系が全然違っているのだそうです。女房いわく“もうあそこはハナウマベイじゃない。” 破壊した後になって規制しても悪化を止めるのが精一杯。復旧にはかなり時間がかかるでしょう。その長い間、ここでは皆から相当なお金を集め続けるわけですが、人はお金を払った分だけ権利を主張し、“ワシはお客様だぞ。”と、謙虚ではなくなります。自然保護に一番大切な“謙虚な気持ち(いわば優しさ。)”を皆から奪えば、かえって破壊が進みます。全てにおいてという訳ではありませんが、得てして規制のためにお金をとるのは逆効果になりがちです。お金をとるくらいだからスゴイのだろうと皆は期待し、もっと押し寄せたあげく、ガッカリしたら元をとるべく何か悪さをして帰ります。しかも修復に大金をはたくと、たいていが遊歩道や階段など様変わりするようなガッカリ対処しかなされません。(立山の室堂周辺の道はコンクリートだらけだ。)やがて観光客が減少したあとに本当に取り返しのつかない大きなキズを残すことになる。修復は、カネをかけずに済ます方が自然にも優しいのである。根本的にはオーバーユースに対処するのではなく、オーバーユースにならないように過剰に呼び込まないことが大切なのだ。とはいえ、既に観光産業で成り立っている所では呼び込まざるをえないだろう。北アの各地や、近場では大山や蒜山がそうである。そこではもはや本来の素晴らしさは過去のこととして諦めて、ガッカリ対処がなされた今の状態を楽しむしかないのだ。(悔しくても事実です!)女房がショックを受けたハナウマベイで喜んでいた私みたいに、皆は本当の素晴らしさが失われたことも知らずに喜んでいるのである。しかし、過疎の村では“豊かな自然”しか売り物がないのも事実で、自然を多少犠牲にすることで地元も観光客も大勢が喜んでいるのである。観光開発されてなければ、ほとんどのレジャーは成立せず、室堂なんか遭難のメッカだろう。観光開発して本来の姿を犠牲にするか、静かにそっとしておくかは難しい決断である。和気アではバスを乗り付けてくる集団登山者もいますが、幸か不幸か、観光化して採算がとれるほどではない。気持ちとしてはもっと有名になっていっぱい来てほしいけど、我慢。そう我慢。やっぱり本来の素晴らしさを失いたくないからね。賑やか過ぎず淋し過ぎず。里山としてバランスのとれた状態をキープしよう。うん。最近の観光客は賢くなっていて、温泉なども循環式ではない物を求めるようになっている。自然もやがては本来の素晴らしさが求められ、それをキープしていたものだけが賞賛されるようになるだろう。その時まで我慢。うん我慢。温泉新道は残念でしたが、和気アは優しい心をもったファンが多いから私がヤキモキしなくてもうまくいくでしょう。そう、ハナウマベイみたいには絶対にしないぞ。うまくバランスをとって、ゆくゆくは破壊も規制もなくし、30年後に次世代の方と一緒に訪ねても、“あの時と同じだ。和気アはやっぱりいいなあ。”といわれるようにしますよ。(ううむ。我ながらこのコラムはちょっと痛烈だなあ。まあいいか。だれも読んどらんじゃろうから。)

電動ジャイロ:観光のために自然が傷つくのはしょうがないと諦めるのがクヤシくて、猿知恵だして考えた私の観光対策案です。本来の素晴らしい自然をキープしたままで観光するには、無排気の電動小型ヘリで空中散策するしかないと思いました。できればタケコプターみたいなのが理想です。(まだまだ無理か?)トヨタさんでも日立さんでもホンダさんでもNASAでもいいから開発してくれないかな。もちろんこれは観光客むけで、登山者は歩くことが楽しいわけだから利用しないでしょうけど。でも救助にも使えるし、いいでしょう。なお、盲導犬も寿命のないロボット犬ができたらいいでしょうね。ソニーさん、これならアイボを改良すればすぐ実現できそうに思えるのですが、どうですか。

中途半端な田舎はクサクてウルサイ!:私ん家のまわりでは野焼きゴミ焼きがひどいと以前言っていたが、時期によっては農薬も飛散して健康被害が心配である。まさしくダイオキシン劇毒薬に汚染されており、都会の方が空気がおいしくて綺麗なんじゃないかと思うくらいである。しかも、夏は夜通しウルサイ!騒音被害で睡眠不足に悩んでいます。(もうボロボロ。)まず、夜中カエルが田んぼ一面でゲコゲコ合唱しているだけでなく、夜中2時ごろもセミがシャーシャー鳴き続け、明方4時からは本格的にミンミンいいだします。そして朝5時からは年中無休で“ヨ○オカ犬”がヒャンヒャン鳴き出します。(これがまた鉄工所の中で響いてウルサイ!しかもハスキーでカン高いので最悪。)そして6時からは早起き老人のデッカイ話声と笑い声。今朝にいたってはさらに朝7時から ぶいいいいいいいいんん!と草刈り機の音。どこの馬鹿ジジイだと覗いてみるとウチの親爺でありました。もう引っ越そうかなあ。(ホント。)

膝の完治祝いで八淵へ:膝が治った。しかし、本当にまた山を本格的にやっても大丈夫かどうか試してみたかったのと、今期のオハヨー山岳会は軟弱な内容ばかりだったので、気合のはいった沢を思いっきりやりたかったのとで、一番のお気に入りの沢にまたいくことにした。そう、滋賀県 八淵である。内容は抜群。ハードでありながら手軽で、勝手がよく判っているので申し分ない。今回で3度目である。勿論、ナメてはいない。前回同様、アイスバイル(ハンマー)、ピトン(ハーケン)各種、カムナッツも一揃い持っていく。長女に加え今回は次女も誕生日プレゼント代わりとして沢につれていく。子供2人を連れて行くのはかなり難しくなるかもしれんが、まあこれくらいのハンデがないと3回目としては面白くなかろう。うん。

8月12日、AM6時 和気鵜飼谷温泉P集合。高速をとばして、9時半 登山口のガリバー旅行村に到着。平日のせいか上の方の駐車場に乗り入れさせてもらえた。オートキャンプの家族で賑わっている。本格装備をそろえた20人くらいの沢屋の団体さんも準備をしていた。トイレをすませ、子供たちに装備をつけさせて10:20スタート。なじみの林道を歩き、沢へ降りてわらじをつける。先行していた20人の団体沢屋さんが最初の魚止滝の鎖場でキャーキャーいっている。装備はスゴイが素人集団である。どうやら単なるアウトドア講習会の一環らしい。しばし待つがグズいので、岩の反対側を攀じて先行する。ゴーロをこえると凄いゴルジュが現れる。難関 障子滝とそれに続く唐戸滝だ。今回は水量も普通なのと3度目ということで、圧倒されることなく2人の子供を指導しながら梯子や鎖場を攀じ登る。長い鎖を登山道まで這い上がり、そのまま登山道をたどり、大摺鉢に到着。混雑していないので、思い切って泳いでみる。意外にも浅くてつまらなかった。先月の小鹿渓でデカイ淵を泳いでいたからかもしれない。先の小摺鉢でも一泳ぎする。15mの屏風滝を高巻き(ルート端が崩落したのか絶壁でちょっと怖かった。)、30mの貴船滝の前を鎖で沢に下り、鎖とハシゴを登り返して、貴船滝の上で12:30 昼食にする。小滝をどんどん直登し、七辺返し滝を突破する。さすがに子供達がバテてきた。“あとどれくらい?”ときいてくるので、2時間のところを1時間だとをウソをつき、30分たっても15分だとダマシながら先へすすむ。今回は子供がグズいので、小休止はとらずにスローペース(?)で遡行し続けたが、意外と皆ついて来れた。なんとか“核心部、初心者は危険”の札があるまぼろしの滝にたどりつく。今回もうまくロープがあり、無事に越えれた。さあ、あとの難関はひとつだ。ところが次女がよろけて、左手を突き指して腫れ上がらせてしまった。これではロープがにぎれない。しかし、ここまできたらなんとかして突破するしかない。最後の難関は完璧なゴルジュの二段の滝。ここもちゃんとロープがある。アッセンダー(持ってきてよかった。)をセットしてこれをにぎって登らせて、一段目の滝口におりる。あとは対岸のロープを登るだけだ。次女はかかんに自力で登りだしたので、私は右隣をフリーソロで伴登し(自分でもよくこれをフリーで登ったなあと感心する。)、二人そろって無事に完登した。あとは流木のつまった小滝を一つ越えてのんびりと平流を歩く。やがて登山道の橋が現れ、14:30 ここで遡行終了。スローペースで小休止なしなのが返って早いのは沢でもいえることで、(かなりみんなバテかげんだったが、)子供2人連れでも予定時刻に踏破できた。わらじを脱いで登山道をガリバー旅行村へ下山する。皆くたびれていたが、下山も小休止なしで1時間下り続けて、大摺鉢まで戻る。ここで最後の写真を撮って遊歩道を帰る。16時 下山完了。大津あたりで渋滞したが、20時 鵜飼谷温泉着。無事解散。

私の膝は大丈夫であったが、次女は顔も虫にさされて腫れ上がってしまった。さぞかし忘れられない誕生日になっただろう。(おいおい。)

今年は白馬へ:2年前の穂高以来、また北アへ行きたくなった。でも、正直なところ穂高以上の山が見つからない。(また。敵をつくるようなことを。)しかたなく初心者のころ狙っていた白馬にした次第である。じつは日本の山は2年前の穂高で満喫した。もう日本の山はどうでもいい。今はマッターホルンに登りたいよう。それがかなったらさっさとヒマラヤへレッツゴーだ。グズグズしてたら行きそびれるぞ。だけど金が足りない。というものである。コージツの店員さんにこのことをうちあけると、店員さんも“それ 正解ですよ。”といってくれた。まあ、人それぞれだろうけど、同じ志向の方なら解るでしょ。しかし、5泊6日の穂高をやっちまうと4泊5日の白馬は気合が入らないなあ。かといってナメるとヒドイ目にあいそうだし。まあ、今回は長女が白馬に行きたいといいだしたのが行き先決定になったわけなので、単なる子供サービスである。

唐松岳テント山行:2人分のラーメンが一度に作れる大きいコッヘルを買い、また長女と二人で8月23〜27日でのんびりと白馬三山縦走を計画していたが、今年はFOS少年団で2回もキャンプ(どちらも徹夜。)しているし、休みは行事の連続で、夏バテしているのか、ボーッとして準備がどうにもはかどらない。しかも、期間中にかぎって天候がずっと悪そうである。(こういうのって呪われてるみたいでホントにイヤだ。)最初からあまりやる気がなかったが、間近の21日に台風が突然発生し、期間中ごろの26日に直撃しそうであることからいよいよ行くのが億劫になった。(もう最悪。)天気が悪そうでもとりあえず麓まで行ってみた方が後悔しないのでは?いやいや費用がバカバカしいなどと、あれこれ悩みながらもせっかく取った連休を有効に過ごしたいという思いで準備をすすめる。しかし、出発前夜の22日夜、あと少しというところで気力も時間もなくなった。はあ〜。もう家でゴロゴロしていようかなあ。行く前に既に疲れきっている。開きなおって風呂でくつろぐ。まてよ。5日間もゴロゴロしていたら返って病気になりそう。しかも台風がそれて晴れたりしたら後悔で頭がバクハツするかも。よし。やっぱり行くぞ。うん。そうだ。行き先を白馬から唐松にしよう。なんたる名案。出発は早朝6時ではなく9時ごろにすればいい。それなら準備を完了できるし、適当に車に積み込むだけで、向こうについてからパッキングすればいい。夕方、明るいうちに標高1400mの黒菱駐車場につくようにしよう。最悪、ここで車中泊して帰るだけでもいいや。まあ、八方尾根を往復するだけなら少々吹かれてもなんとかなるだろう。台風がくる前にさっさと来た道を下山すればOK。8月23日 車内泊、24日 唐松岳テント泊の2泊3日だが今の状況ではこれが限界である。計画変更を家族につげてやっぱり行くぞと宣言する。それでも不安で渋る妻を説得し、いよいよ当日。朝7時起床。できている準備物をワゴンに積み込み、残りも適当に放り込んで準備完了。9時半に出発。高速にのってから忘れ物がないかチェックするが、まだ頭がまわらず、箸を忘れたことしか確認できない。(正直、ホント箸をよく忘れる。)サービスエリアで割り箸を拝借し、事なきを得る。降ったり止んだりの天気のなか高速を走り、16時 豊科ICから国道を北上する。天気は少しよくなってきている。八方の駐車場にある案内板で目指す黒菱駐車場への道を確認してぐんぐん山を登っていくと牛が放牧されている。思わぬ牛のお迎えに長女も喜ぶ。黒菱に着くと夕方6時前。暗くなる前につけたので計画通り。カフェテリアは既に閉まっていたが、トイレはあるし、北東の空が晴れて展望がよい。ここは広くてなかなかの穴場である。あちこち歩きまわって登山道やリフトなどの確認をし、レトルトカレーとパックご飯を温めて(大きいコッヘルなので、2人分のカレーとご飯をいっぺんに温めれた。買ってよかった。)、夕日に染まる雲海を見ながら夕食をとる。携帯もなんとか通じて、iモードで山岳気象を調べると明日の午前中は晴れるらしい。(午後からはくずれる。)やっぱり来てよかった。妻にも晴れることを電話する。ここには車が3台とまっていたが、中に1台 人が乗っているアヤシゲな車内泊を繰り返していそうなワゴンもあった。今夜はフラットにしたワゴン車内で寝たが、座席のデコボコが馴染めず、少々まどろんだくらいで朝になる。(面倒でも駐車場にテントを立てるべきだったかなあ。)24日、朝5時起床。パンで朝食をすませ、パッキングする。私が17kg、長女が7kgくらいか。どうせ1泊だけならテントでなくて小屋泊まりでもいいかと思ったが、台風がそれたら連泊してやるつもりもあるのであえて重荷を背負っていくことにする。アヤシゲなワゴンが気になるので貴重品をすべて持ち出して6時スタート。第3リフトは7時40分からなので、ゆるやかに見える登山道を歩いて登る。ところが、この登山道はひどい急坂であった。わずか160mを登っただけだが、重荷ではかなりキツイ。黒菱平で霧に迷いながらグラートクワッドリフトの乗り場までいくが、登山道は旋回して第3リフト駅のそばに戻ってしまった。最初にあったいかにも旋回しそうな自然研究路 トレッキングコースをたどればよかったのだ。(視界がきかないとホントに困る所だ。パンフも地図も詳細がなく、新旧ゴチャゴチャにルートがいりくんでいるので、公園の迷子になる。)ダラダラと登って最終リフト駅そばの八方池山荘に着き、トイレをきくと隣の建物がそうだとのこと。すぐそばにりっぱなトイレがあるのに、調べずに山荘に訊いたことを恥じる。トイレをすますと7:40で、リフトが動き出した。ううむ。たかが300m登るのに1時間半もかかるとは。思いがけず迷わされたせいもあるが、これなら最初から7時半までゆっくりしてリフトにのればよかったわい。グズグズすると完全にリフト利用者に追いつかれるので、早々に出発する。しかし、トイレから先も道標はなく、旋回ルートや廃道などが多くてどっちにいけばいいのか判らない。間違って旋回してしまったという山荘泊まりのオバチャンにダメなルートを教えてもらい、ならばこっちかと、トラバースした木道をすすむ。途中にもまた道標のない分岐がいくつかあったが、旋回しそうな側のルートをさけ、一番しっかりした木道をすすむと南側をトラバースしながら高度が上がっていき、約1時間で第3ケルンまでこれた。まったく。霧の中、お初な登山者にとっては、ここまでを迷わずくることこそ核心部であるといえなくもない。視界がないのですぐ下にある八方池にはよらず、先へすすむ。上の樺をすぎ、ささやかな雪渓で涼しんで、登っていくと立志登山の中学生の大部隊とすれちがうことになった。(八方山荘からの早朝アタックしての帰りだったのだろうか。)10時半 丸山ケルン(下山ルートはケルンの20m手前を右折なので知らずに直進しないこと。)にたどりつくと、なんと白馬三山が雲の中から見えているではないか。感激!!なんと高い。そして美しくカッコいい。不帰ノ険も岩壁が見える。しばらくビデオや写真をとっているとまたマッシロになってしまったが、ああ ここにテント張りたいなあ。(でもここでは夜中にふき飛ばされてしまうかもしれない。)長女も同感。もうここで、この眺めで満足である。来てよかった。ここまでは重荷の割りになだらかだったせいか標準タイムそこそこできていたが、さすがに5時間たって1000m以上登るとバテてきた。ああ。リフトを利用していたらバテなかったのに。(ホント。)休止時間が長くなって午前中に唐松山荘につけそうになくなった。長女が雷鳥を発見する。親鳥ばかりの3羽で、1羽は登山道で座り込んでしまった。しばらくビデオ撮影するがキリがないのでおいはらって(おいおい。)通過する。切れ落ちたトラバースになり、ふらつかないように注意しながら通過するとすぐに唐松山荘についた。12時半。6時間半かかったことになる。トントントン。おりしも小屋の人達が窓を板でふさぐ作業をはじめた。夕方から本格的に崩れるらしい。受付をすますと、明日の午後はヤバくなるので、はやく下りた方がいいですよとのこと。とりあえず話のタネに昼食は小屋のレストランで千円のうな丼を食べる。まわりは雲だらけだが、唐松山頂が時折姿を見せている。食べ終えたら雨がポツポツきだした。テン場は祖母谷へのルートをかなり下ったところにあり、10張りくらいしか場所がないが、誰も先客はおらず、結局今宵は私のテント1張りだけであった。テン場につくとザーザー降りになった。一番手前のきれいに整地された場所に決めて、カッパの上着だけ(重登山靴の場合、ズボンは靴を脱がないとはけないのです。)をきて作業する。テントを立てている間、ザックには防水シート(コージツでもらった粗品だが、緊急時に荷物を雨から守るにはスグレモノである。)をかぶせておく。フライを張って(テン場には先人が使った小岩があるので、これをおもりにして張ると風にもよく耐える。ペグでは地面がやわらかくて余り効かない。ローインパクトのためにもペグは使わずに小岩のおもりでテントを固定したほうがいい。)いる時に娘にテント内に入らせ銀マットを敷かせると、ザックを渡してタオルでふかせる。下半身ずぶぬれになって最後に私が入り、早々に着替える。天気予報通りである。これはもう晴れないだろう。娘も着替えさせ、ウレタンフォームの個人マット(銀マットではなく、波状に厚みをもたせたもので、たたむことができる。全身用だったがかさばるので切って半身用にしたらなんかすごくいいものになった。200g。ホームセンターで2千円。)を敷いてやると、娘は昼寝を決め込む。私はタオル1枚でなんとか荷物すべてをふくことができた。ココアを作って一息つく。14時、相変わらずザーザー降っているし、そばではグーグー寝てるしで、私もサーマレストの個人マット(厚みは1cmくらいにしかならないし、すぐに突き破ってしまいそうなゴム状のものだが、扱いの手軽さと傾斜があっても滑らないことのありがたさで今回採用した。北アのテン場はよく整地されているので、マットは薄くてもちゃんと寝れることが判っていたし、銀マットよりも寝心地がよい。半身用で500g。コージツ4千円。サーマレストとしては安い。)を広げて寝る。16時ごろ目が覚めたので、ベンチレーターから外を見ると、アレ!?晴れてる。晴れてるぞ!ときおりパラパラくるが、視界は良好で山頂が見えている。娘をたたき起こし、カッパを着こんで、防水袋にカメラとビデオを入れ、コンパクトザックにいれて唐松岳山頂に向かう。山頂までは急坂で結構高度差があるので、何度も往復する気にはなれないが、最初のザレ場はコマクサの群生地だし、鞍部からは不帰ノ険のながめが最高である。天気はドンドンよくなって山頂につくと雲海の上に五竜も剣も立山も白馬も全部見える。写真やビデオを撮影し、後からやってきた小屋泊まりの人達とも仲良くなって、30分くらいのんびりくつろぐ。ああ。もう最高。最後に(終わりかけのコマクサばかりだったが、)わりとシャンとしたのを撮影し、小屋でバッチと水(飲用500mlで300円。)4本を買ってテントに戻る。晴れているので、テントの外でレトルトを温めて夕食にする。私はカレー(うまい。)、娘は牛丼(大ハズレ。しかもなんともクサイ!)を食べる。今回は食欲があるので、レトルトを温めたお湯でラーメンをつくることにした。レトルトを温めている時すでに1匹の虫が飛び込んでおり、かなりいいダシがでているが気にせず水を追加して棒ラーメン(インスタントとしては馴染みがなく、今回が初めてだったが、通常の袋ラーメンよりコンパクトなので、予備食には最適。2食入で100円。)をつくる。3分とあるが、山では5分煮てもやや硬い。この間に何匹かまた虫が飛び込む。やっぱりね。気にせずに正解であった。取り出せず麺の中に行方不明になったものもおり、思わぬ具入りラーメンができた。うん。なかなかウマイ。(わははは。)小屋の方でも食事で慌ただしくしているようだ。片付けて、携帯を持って小屋まで登り返し、鞍部で妻に電話する。なんとかつながったが、iモードはつながらず、山岳気象は判らずじまい。妻が心配しているので、やはり明日早く撤収しよう。テントに戻って今日のビデオを再生して見ていると外が真っ暗になった。20時から就寝する。娘はよく寝ているが、私はなんか暑苦しくて寝づらい。悪天候になっているのが気になる。しかし大した風ではないし、雨もしれている。暑いので服をぬぎ、しまいには夜中2時になってパンツ1丁で寝袋に入ってやっといいかげんになった。ううむ。嵐がくるというのにこんなカッコウで寝るなんて。まあ。いいか。ぐーぐー。25日、目が覚めたのは予定を30分オーバーした5時半。外は完全にマッシロ。でも風はしれているし、霧雨である。パンをかじりテント撤収。6時半に小屋まで登ると小屋泊まりの皆も出発する用意をしていた。お先にスタート。最初の切れ落ちた地域を通過してホッとする。悪天だが風は涼しいし、雨は降っていない。下りではバテることなく、ドンドン下る。ダメ元で来ましたという30人くらいの団体さんとすれちがう。休むことなく下って、八方池に立ち寄る。まったく展望がないが、しばらく休憩。なにか天気が良くなっているように思える。池から下っていると晴れ間ものぞきだした。リフトが動いているらしく、登山者や観光客が結構登ってきている。こんな天気なのによくまあ来るねと感心しながらリフト駅にくると麓まで晴れているではないか。なんでこんなに晴れているんだ?まあいいや。リフトに乗ろう。そうすれば牛糞をふまずに車にもどれる。リフトは楽チン。車に戻るとちょうど10時。下りは3時間半であった。なんかあっさり。(登りも丸山までは標準タイムに近かったが、バテたためにひどくタイムオーバーしてしまった。重荷だからといって時間がかかるわけではない。バテなければ大差はない。しかし、バテたら本当にしんどくて大変である。重荷では急坂でのペース配分が大事だ。)いつのまにか結構車がとまっている。アヤシゲなワゴンはいない。カフェテリアをのぞくが、たいしたことないので、さっさと帰ることにした。麓までくだり、最初案内板を見た駐車場で温泉をさがすと目の前にあるではないか。第一郷の湯とある。ラッキー。しかし閉まっている。ガッカリ。娘が手前に足湯があるのを見つける。おお。こっちはちゃんとお湯が出ている。しかたない。これでガマンするか。脚をつけると熱チイ!おい。これまたえらく熱いぞ。ゆっくりできんじゃないか。道の駅白馬でそばを食べて運転しているとお腹がいいのとさっきの足湯の効果でやたら眠い。事故りそうになったので、道の駅松川で15分仮眠してスッキリする。ううむ。凄い睡魔であった。最後にわさび農園でわさびソフトとわさびコロッケをたべて帰路につく。19時半、無事帰宅。台風は東京の方にそれていた。道理で。くそう。こんなんなら連泊してればよかったか。まあいい。台風というのは判らんものである。唐松小屋の人も拍子抜けしただろうし、あの団体さんは歓声をあげただろう。翌日から2日かけて、テントなど干してから片づける。テント、雨具、シュラフカバー、山道具は結構シート物が多いのに気づく。今回、まあ有意義な連休であったと思う。もし、諦めて出掛けてなかったらと思うとやっぱりよかった!うん。よかった。

閉鎖作業:9月4日(日)、消防の防災訓練のあと和気アの松茸山の入山禁止ロープをはるつもりでいたが、夏風邪で体がひどくだるい。ボーっとして気力もなく、なかなかとりかかれない。もう!来週はPTAのキックベースだし、再来週は運動会だし、休みは使い切ってるし、今日やらなきゃどうする。(イライラ。ボー。)結局、午前中はテレビを見て過ごす。天気予報で、なにやら大型の台風が近いうちにこちらに来そうである。おお、こりゃいいや。こいつをやりすごしてからでないと、今日つけても飛ばされちゃうもんな。(去年がそうでした。)うん。よし、今日は止め。体の休日にしよう。と、そのままボーーっと一日を過ごす。6日夜、期待したとおり、大型の台風により和気はスゴイ風がふいた。去年の倒木災害が再来してないか不安になるくらいであったが、幸い雨は少なくてすんだ。とりあえず、やれやれ。これでどうやらロープ張りは20日頃になっちゃいそうです。まあ、去年まで5年もHPで入山禁止をよびかけ、ロープを張り続けているので、そうあせらなくても皆さんわかってくれていると思います。(なんか勝手。)そうそう、HPの更新もしなくてはならん。7日、ちょっと手直しするつもりが、つい いろいろいじってしまった。おかげで更新にえらく手間取っています。(でもかなりいいものになりそうです。)しばらくお待ちください。

9月11日(日):昨夜から明方に雨が降り、グランドコンディションの都合で町連合PTAのキックベースボールは中止になった。幸い天気は回復してきているので、これなら和気アのロープ張りができそうである。しかし、先日の台風で飛び散った家まわりの片付けもしなくちゃね。やってると、庭の草の茂っていること。ついムキになって草取りに午前中は費えた。午後からは妻が久々に家族でお出かけしたい(今年は行事におわれてロクに家族サービスできてなかった。)というので、そうだな。午後からだけではロープ張りも中途半端になるし、今日は家族サービスデーにしとくか。ちっとは妻のご機嫌をとっておかないと山に行かせてもらえなくなるからなあ。うんうん。ということで、午後はペットショップの犬を見てまわって1日が終了しました。かくて本日も閉鎖作業はできずじまいでしたやっぱり20日ごろになっちゃいそうです。でも、今年はホントにダラケているなあ。というか精神的な余裕がないなあ。わけもなくクタビレている気がします。特に今度の運動会(今回から内容がかなり変更になった。)のことではいろいろ心配しています。こいつが済めばかなり気分も楽になるんだがなあ。それにしても残暑がキビシイなあ。皆さんご自愛ください。

板馬見渓谷沢登り:岡山県の最高峰 後山を兵庫県の板馬見渓谷から沢登りで登ってやりたい。(私にとって、岡山県側からじゃツマラナイんですよ。←また。敵をつくるようなことを。)これは、かなり以前から企んでいたことであったが、今期の沢の閉めとして実行することにした。遡行図も情報もないが、すぐそばに林道が平行しているから大丈夫だろう。というわけで、9月17日、オハヨー山岳会の4人で、朝8時 鵜飼谷温泉に集合。北上し、志引峠を越えて、兵庫県へ。10:30麓の水汲み場のある駐車場から沢スタイルでスタート。カーブをまがった先の小屋前から入渓。MさんとKさんは足の調子が悪いので、ところどころ沢に入る程度で、主に林道を歩く。車で乗り付けられる上の駐車場まで、つまらんコンクリ林道を歩けば40分のところを、私とHさんは2時間かけて板馬見渓谷を遡行する。小滝ばかりだが釜で泳げる。興ざめする林道の石垣や、塀のような堰堤もあるが、ナメが多く、なにより水がすごく綺麗(ホントに綺麗!)なので少々物足りないものの楽しく歩けた。Mさんは途中でリタイヤ。残り3人は12:30不動滝で最後のひと泳ぎをして昼食。このままソーメン滝までつめてから行者コースのハイキングにするつもりでいたが、山頂までいくとなると、体力的 時間的にかなりキツイので、不動滝からハイキングに切り替える。(ソーメン滝は左の枝沢にあり、遡行していたらたどりつけずじまいで、ハードなツメになってしまうとこだった。)行者コースをたどるが、ひどいドロ壁の連続で、ず〜っとロープにすがっての登りになる。ちょっとした岩場(左上にエスケープする巻き道もあった。)もあって、なかなか楽しいが、くだらんものまでゴタイソウな名前がつけられている。沢ですでに足にきているせいか、後々延々と続くドロ急坂にウンザリする。これが行者コースと名うってなければクレームもののルートである。(ううむ。以前の投げ入れ堂もそうだが、やたら急坂なだけでツマラン。和気アの岩山の新ルートこそ行者コースというにふさわしい。よし。和気アに“本当に楽しい”行者コースをつくってやるぞ。でも、あちこちの岩場に変な行場の名前を付けたりはしませんよ。キリがないですからね。)沢登りのあとで、さらにこんなに登るのははじめてで、すっかりバテてしまった。14:30後山山頂。ガスってきたので、早々に おごしき山へ下山し、平成の大馬鹿門(知ってます?)の写真をとる。ここから下りはじめたとき、はぐれた仲間を捜索している人に出会う。下の仲間への伝言をたのまれて下山するが、とたんにルートがあやしくなる。10分ほど降りたり戻ったりうろついたが、Kさんがネズの倒木が絶妙に隠した下山ルートを発見してくれた。やれやれ。あやうくこちらまで遭難しそうだったわい。下山ルートは、ケモノ道みたいにかなりトラバースし、コースサインも少なく地図にも載っていないので、ホントに迷いやすいルートであった。かなり下山し、途中でであった人に伝言を伝えたついでに、私達と同じ所を迷って強行下山したのではないかと言い添える。さらに下ると、行者コース分岐の手前で警笛をふく人に出会う。案の定、訊くとはぐれて強行下山したご本人であった。危険箇所はないから、諦めずに薮をこげばかえって早く下山できそうだと思っていたがそのとおりであった。ご本人は、捜してくれている2人を迎えにまた登り返していった。(ホント皆さん、ご苦労さま。)いよいよ膝がわらいだしたころ不動滝までもどり、さらに延々ウンザリするコンクリ林道を30分くだって17時前に車につく。もう、ガクガク。Mさんが、はぐれパーティーのメンバーと退屈そうにまっていた。どうもお待たせ。フラフラになって19時に和気に帰着。かなり疲労し、脚がだるくてしかたない。そんなこんなで明日は小学校の運動会である。うええ。いろいろ出場することになっているが、もうガクガク。ううむ。どうなりますやら。

そんなこんなで翌9月18日、はじめてとなる“ふれあい運動会”。騎馬戦、綱引き、リレーまで出場し、もう満身創痍。なんとか無事終了し、やれやれ。(正直、PTA会長としてかなり不安だったが、30分も早く終わった。反省点もあるが、できんこともないことがわかった。)ううむ。我ながらよくやるわい。

閉鎖作業:9月20日、筋肉痛の体に鞭打って朝10時から16時まで6時間かけて全ての登山口にトラロープをはって入山禁止の札をつける。疲労で頭までボーッとなりながらもなんとか作業を完了する。なお、去年のキツメの文書の掲示はやめました。もう充分判ってくれていると思うからです。翌、本日9月21日、ミスって登山地図がパーになったが、HPを更新する。(皆さんお待たせしました。)登山地図はまた来年春にゼロからつくりなおします。もう頭も体もボロボロ。

概念図:今回のHPの更新で、一番悩んだのは隠したルート(宗堂池周辺とダンガメ稜)の扱いでした。いかにベテランであろうと、荒神ー直登ルートくらいのレベルになれば、文書だけの情報ではトラブルに陥るかもしれません。さて、どうしたものか。今まで、くどいくらい同じことを訴えてきており、皆さんのご理解はかなり得られていると思っておりますので、迷ったあげく 今回、概念図をサービスすることにしました。(見てもリピーターでなきゃ判らんでしょうが。)さらに、裏銀座も概念図をつけました。(こちらも、かなり判りにくいと思います。)裏銀座は第1から第3までの岩エリアのガイドと一緒に読むことで、はじめて全貌が見えてきます。というか、これだけの情報がないと危険です。全て読むのは大変でしょうが、大変なだけの素晴らしさはあります。チャレンジされる方は、第1から第3までの岩エリアのガイドから必要事項を裏銀座のガイドに転記入して、まず、自分オリジナルのガイドを作成してください。(やると結構楽しかったりする。)それだけの熱意がある方なら歓迎ですし、山にとってもいい人にちがいありませんから、これでよしとします。これから開拓予定の剣沢ルート(また、予告をしてしまった。)も概念図での紹介にする予定ですし、まだまだこんなバリエーションじみたハードルートがいくつもできそうなので、この路線で規格統一していこうと思います。関連した他のページも読みあさらないと掌握できないように、わざと熱意を試すようにして山にとっていい人(山にふさわしい人)だけがトレースできるように操作します。というか、操作しなくてはならない。遭難やトラブル防止のためにもね。うんうん。

不安:フロンもアスベスト(天然鉱物で、人工のグラスウールではありません。ホント混同されやすい。)も、良かれと思って普及しきった後になって、悪いことが判って回収に大騒ぎである。その時は化学的、医学的に問題を見つけられなかっただけのこと。誰が悪いというのではなく、世の中にそこまで英知がまだなかったからしかたないといえば、それまでである。(酷な話ですが事実です。)しかし、この分では、あとどんな物がダメになるのだろうか。ゆくゆくもっとトンデモナイ大騒動になりそうで不安である。かといって疑心暗鬼にすべてにおいて否定的な見解をしていては、生活できない。ものごとには、不慮の事故みたいに、どうにもならない犠牲や失敗はつきものである。失敗で犠牲がでても、その悲しみや苦しみが無駄ではなかったと言えるようにするには、真摯に失敗を認め、迅速に対処改善することである。そのためには、なによりも心の広さ頭の柔らかさといった“賢さが必要である。(おおっ!久々に文学的な見解だ。)チャレンジ精神を失わず、かつ失敗を繰り返しながら、人類は進歩し、反省することで少しづつ賢くなってきた。(私もそうです。)これからも失敗しながら賢くなっていけばいい。(うんうん。)人類全体を賢くさせるには、失敗は大きければ大きいほどいい。(おいおい。)と、思えば、少しは不安も薄れるか。(さあねえ。)

国体日記:10月22日、蒜山の馬術競技会場へ大会役員として赴く。いよいよ岡山国体の開催である。着いたその日はまれに見る寒い日で、あられまじりの雨が降り続き、風がふいて凍える。タカをくくってカッパを着ず雨に濡れ、鼻水が止まらなくなった。仕事は馬場馬術の練習場で呼び出しをするのだが、暇そうでいて気を使うなんとも苦手な部類のものである。その日から5人雑魚寝で、ひどいイビキに眠れず風邪が悪化する。23日、相変わらず雨。“晴れの国”国体がどうしたんだという感じ。ゴアカッパを着込んで完全体制で臨むが、風の通り道にじっと立っている仕事なので、しんしんと冷えてくる。24日は天気がよくなったが、鼻水地獄。オマケにタイムテーブルの校正ミスでドジを踏み、うろたえる。(もう最悪。)25日に快方にむかうが、今度は咳きが出だす。ううむ、ツライ。26日になってやっと落ち着くが、ストレスと運動不足に大食らい(なぜかずっとバカ食いしてしまっていた。)で、頭痛がしだした。27日は頭フラフラ状態。でも11時にはすべて終了し、開放される。やれやれ。大会中は、試合はまともに見られず。なんか風邪ひいて苦しんだだけの国体であった。リハーサル国体の方が、自分にとっては新鮮であったせいか、いろいろ感じることがあったが、今回は淡白であったようにも思う。でも、まあ与えられた中では精一杯やったつもりである。昼すぎに帰宅し、しばらくくつろぐと、体調も回復する。留守中 和気は相撲で盛り上がり、長女は優勝した鳥取県のプラカード持ちをしていて、勝利の女神といわれてとてもうれしい経験をしたとのこと。(新聞の取材も受けたらしい。)

痔ロウ:肛門から2センチほど脇にあるちょっとしたシコリ。痛くも痒くもないため、いつ頃からあったのかは憶えていない。もしかしたら学生時代(20年以上前)にできたのかもなどと怪しげな記憶すらわいてくる。何年前いや、十数年前に痔が悪くなった時にできたのだと思う。(まあ、どうでもいいや。)オデキの芯みたいなものだろうと思っていたのだが、こないだの蒜山での国体中に風邪と寝不足で疲労したためか、ちょっと大きくなった。知り合いのSさんが、去年痔ロウで1ヶ月入院したことがあったので、じつはワシもケツにシコリがあるんじゃというと、とりあえず医者に見てもろうといたほうがええとのこと。Sさんの場合はひどく腫れ上がり、熱もでて大変だったらしい。ほっとくとロクなことねえぞ。というので、11月7日、その方面では有名な瀬戸の某肛門科を訪ねる。まあ、熱もなんもないから、薬をもろうてお大事に。で済むじゃろうと、タカをくくっていたが、先生は診察するなり、痔ロウじゃ。手術せにゃおえん。とアッサリ言い放った。えええ!!これっぽちのオデキの芯みたいで熱も痛みもないのに手術?しかもこれからすぐ入院して明日にも切ろうとのこと。ちょっ!ちょっと待ってくれえ。何年いや十何年も前からつきあっているモノをなんでそんなにセカシて取らにゃあならんのじゃ?会社やPTAや消防やFOSや山岳会などいろいろとコトワリをいってまわらんとおえんからとシブると、会社はアンタの命や健康の面倒はみてくれんのでと、そんなもんホットケといわんばかりである。(なんとも職人カタギな先生である。)来週じゃおせえ。そんなら明後日、9日に入院して10日に手術じゃ。入院は3週間じゃ。(おいおい。まだここへ入院すると決めたわけじゃないぜ。)そんなにワシのケツを切りたいのか?と思っていると、手術前の検査といって、いきなり検尿コップを渡される。へっ!?なんかドンドン事が先に進んでいくぞ。コップを下駄箱の上において外へでて女房に電話する。女房も戸惑いながらしょうがねえわとのこと。保険証を出しているから、逃げ帰るわけにもいかず、とりあえずトイレでオシッコをとって処置室にもどると、これまた姉御肌な看護婦が、そこに置いたら横になってといい、ホイホイと採血してついでに化膿止めの注射。耳たぶからの止血検査もしながら入院の手続きと手術の概要を説明する。こっちはまだ迷っているので頭にはいらんよー。で、部屋は個室もあるけど二人部屋と三人部屋があるけど、どれにする?(んなこと、考えてられねえよー。)どれでもいいです。と適当にいうと、そういうわけにはいかんが。んんと、三人部屋は年寄りと一緒で車がうるせえが、部屋代はタダ。カーテンがないのでプライバシーはないけどそれでもええん。(他人の前でケツ出すことになる。)はあ。それでいいです。じゃあ三人部屋ね。(決まってしまった。)はい、今度はレントゲン。お次は心電図。ほら、力を抜いて。と次々に検査をされ、これを読んで署名してねと同意書を渡される。最後に下剤を出しとくから薬局へいってといわれて開放。はああ。薬局に行くと、手術ですか頑張ってください。ところで、薬剤手帳は作られますか?へっ?なんですそれ?ああ、べつに医者にはかかっていませんし、薬も飲んでませんからいりません。(もう、そんなもんいるかい!ほっとけ。)ふう。ああああ。ついに入院か。手術だってマイッタなあ。帰宅し、会社や学校などに連絡をして一息つくと気疲れしたせいか注射のせいか、すごく眠くなって夕方まで寝入る。起きてもぼーっとして気合がはいらない。ストレスのせいか化膿止めの注射をしたのに頭にデモノができまくる。なんかケツのオデキまでうずいてきた気すらする。3週間は長く、いろんな用事をキャンセルせにゃあならん。マイッタなあ。連絡とすべきことは・・・ええっとお。ダメだ。頭がまわらん。翌8日、出勤して、こうこうで迷惑かけますと事情を説明する。事務仕事など自分しかやらないことを説明して引継ぎをする。ううむ。これで一応大丈夫かな。たぶん。まあいいや。もうイライラしてもしょうがない。なるようになれだ。なお、あとで知ったが、痔ロウは痔とはまったく異なり、原因不明で治療は手術しかない。放置すると肛門が2つもあいたりし(げげっ!)、奥に広がると本当に大変なことになるので、早期に手術して正解のものです。

入院:9日夕方、入院して3人部屋へ。9時には早くも消灯。聞きしに勝る車の騒音と振動、コンビニのカンバンで夜通し明るい。空調も故障していて(なんたるオンボロ病院。)冷え込むし、ううむ。寝苦しいなあ。イビキは誰もかかないようだな。ほっ。ヨカッタ。だが、1時間後、足を骨折しているYさんがグオーッ!とすごいイビキをかきだした。部屋全体が振動するぐらいの大音響である。もう!リハーサル国体も本国体も合わせて10日間もずう〜っとイビキに悩まされ、それで体調を崩したのに、こんどはここで20日以上も悩まなくてはならんのか。2時間もすると、イビキは小刻みになり、静かになったような気がした。だが、うう〜と、うめきだし、ブハーッと大音響。こりゃ完全な睡眠時無呼吸症である。こっちはびっくりして飛び起きた。それが何度も繰り返されて、もおおお!これじゃ寝られんよー。退院が近くなったころは打ち解けたので、イビキと無呼吸になっていることを本人に伝えたが、女房に耳栓を買ってきてもらって対処したものの夜中の睡眠はあきらめて昼寝でカバーすることになった。10日、夕方3時、いよいよ手術。テレビドラマでみたことのあるたくさんのライトの実物をみてびびる。生まれて初めての手術である。手術台に横になっているのになかなか先生がやって来ない。待っている内にだんだん緊張が高まって、脳貧血ぎみになり、背中に冷や汗が出る。外来診察が延びたといって先生が来たのは15分後。おお、緊張して汗かいてるな。ははは。(先生がぐずいからじゃ。)脊髄麻酔。痛いよというが、痛くはなかった。その代わり足先が凄く冷たくなった。うつぶせにされてすぐに手術開始。切り開いたようだが判らない。時折ジジッというのはレーザーメスか?その音がする時だけかすかにしみるような痛みがある。おお。イボもあるな。ついでじゃ切っておこう。(そうなの?サンキュー。)脱肛はまた今度じゃ。(え?ひどくなったらもう一度手術しにこにゃあおえんのん?うええ〜。)よし。で、終わり。さっさとまた診察にでていった。時間はせいぜい5〜10分で虫歯の治療より早い。その日は夜中9時ごろまで連続して点滴。11時頃、麻酔もきれてトイレにいく。翌日、手鏡で肛門を見てたまげた。肛門から左前に7センチ、深さ2センチの傷がパックリと口をあけていた。肛門までザックリと括約筋もまとめて切断されているが、にじむくらいの出血しかない。縫っていないのはこのほうが再発しなくていいからとのこと。そのせいで痔は2週間だが痔ロウは3週間も入院しなくてはならない。盲腸でも1週間なのに3週間とは長い。排便時の痛みもなく順調そのもの。それだけにたいくつである。読んでみようと買ったが、まったく読んでなかった井上 靖の“氷壁”を4日かけて読んだ。かつては大人気だったというがやたら硬苦しくて間延びしたように長くてイマイチ面白くない。さらには新田 次郎の“孤高の人”上、下を6日かけて読む。みょうにヒーロー的に加藤 文太郎を扱っていて、笑える部分もあったが、失恋した相棒にふりまわされて遭難する(この理由と状況はフィクションです。)ので、またこちらも女が原因で遭難するのかと男の性を哀れむばかりである。ちなみにこの中に出てくる藤沢 久造とは藤木 九三のことだ。うん。3週目になるとゴロゴロ病になって気力もなえたが、予定より2日早く(希望したらOKがでた。)、11月29日、無事退院しました。しかし、家でちょっとうごきまわっても目がまわりそうになり、えらく体力がなくなっていることを痛感した。結局、29日はゴロゴロすることしかできなかった。

開放作業:11月30日、午後から夕方にかけて4時間かけて入山禁止のロープを回収してまわった。まだオシリには傷口がひらいており、ガーゼをあてているというのに登山道入り口から気にかかる部分までかなり歩き回った。(ホントよくやるねえ。)久々の運動なので、はじめはやや喘息ぎみであったが、なぜか足はよく動き、汗だくになって汗がオシリにしみたが、作業を終えると心地よかった。やはり山はいいなあ。入院中に和気アはすっかり色づいて、うれしいことに今年はまだまだ紅葉が見頃である。9月初めに台風の強い風をうけたが、それだけで、9月20日の閉鎖時に登山口周辺の倒木をチェックし、通行可能にしておいたので、開放時のチェックに異常はなく、作業は楽だった。今年は裏銀座を完成したものの、4月に膝を痛めて、治るのに7月までかかり、白テープ除去や整備作業ができずじまいであった。オマケにこのオシリの完治は来年1月になるようなので、また作業がおくれそうだ。やれやれ。

感激!!東壁登山口:開放作業の最後に東壁登山口にいくと、土建屋のユンボとトラックが登山口そばの山中で排水路の工事をしていた。なんと入口のゴミの山がきれいになくなっているではないか。防獣フェンスも撤去されてサラ地の上に置かれている。ほおおおお。感激し、工事していた方に聞くと、ここの水路工事のついでに撤去してくれと依頼されたとのこと。土地は町のものでしたが、区が町へ要望し、町から工事依頼されたとのこと。フェンスは必要ないとのことで、あとはゴミ捨て禁止のフダをたてるだけにするらしい。いやあ。わざとここを登山口にしたのも、実はこうなってくれたらいいなあと期待してのことでしたから、もう大感激である。フェンスにつけていた登山口の道標を付け替えて、ルンルン気分で帰宅した。なお、和気駅にも入山禁止のビラをもっていき、本来はダメでしょうが、よければ貼ってくださいとお願いしていたので、回収にいくと去年同様に一番目に付く柱に掲示してもらえていました。本来は収拾がつかなくなるので、たとえ営利目的でなくても個人が掲示物を駅に持ち込むこと自体ナンセンスであるにもかかわらず、受け取ってくれた上 一番いい場所に掲示してもらえたなんて特例中の特例でしょうね。それだけ登山者の利用があるということでしょうか。うう。うれしい!

ナビなんで携帯自体はコンパクトなのに説明書はこんなにブ厚いんだ!オマケにやたらと無意味な機能があって、ホントにこんな操作をする人がいるのかといいたい。携帯は2年前にカメラ付きのものに機種変更したが、説明書はこれまで読んだことが無い。電話をかけれて、メールができて、まれに写真が撮れればいいのであって、iモードなど山岳天気予報(ちょっとハズレたけど、これは有難かった。)しか見たことが無い。いまだに押したことのないボタンもあるくらいだ。(我ながらモノグサでオジン臭くなったと思う。)だいたいパソコンですら薄い説明書は読んだが、あとは会社仲間にきいたり、自分でいじったりしてなんとかセットアップもHPの立ち上げもしてきたのだから、やればなんとかなるものである。うん。しかし、今回、親父のワガママで、新車にナビをつけたら、またえらくブ厚い説明書を読まなくてはならなくなってしまった。ETCまでついており、キーをまわすと、“カードがはいっていません。”といい。ちょっと走ると“ポーン。ビックス情報を受信しました。”なんて訳わからんことをいうし、走行中にポーン!ポーン!とうるさいし、家に近づくと“ぱっぱらぱーん!”とファンファーレまでなるのである。ええい、やかましい!イラついて事故りそうだ。ナビについては知識がゼロに等しいので、我慢して最初から読んでみるが、理解するのにクタビレはて、何日もかかってしまった。もっとも途中で何度も寝てしまったし、読み終えた頃にはもう最初の部分はキレイサッパリ忘れてしまっていた。大事に思える部分はページの端を折っていたが、これだけでもえらく多い。オマケに新車の説明書までブ厚くてABSなど3文字の英字がたくさんあって、なんのことだかさっぱり判らん。もういいや。困ったらその時読もう。なんか車まで電子制御だらけで走るコンピューターになってしまったなあ。有難い安全性向上の装置なんだろうけど、どこまで頼るべきものなのかなあ。完全に頼りきったら、なにかあったら対処できないだろうし、まったく利用しないのも勿体無い。山でも迷わないようにGPSを持っていきたいが、はたしてどれだけの精度があり どれだけ有効なのか不安なので、大金をはたいて買う気になれないでいる。(ついている携帯もあるしね。)だいたい何年も前に2万円でストップウオッチみたいな高度計を買ったが、(展望のない沢登りで、現在地を知るためでした。)それすら一度も持っていったことも利用したこともないのである。天気は雲で読み取り、現在地は歩数で把握し、迷っても冷静にコースサインを見つけだせれば、磁石と地図だけで充分である。平生から状況をよく見て危険を感じとる習慣をつけておけば、判断力もついて、たいていの困難には対処できるものである。ドライブだって、たいていは案内板がでているし、おばあちゃんに聞いてもいいし、引き返してもしれている。ナビはなくてもそんなに困ることはないのである。でもまあ、せっかくだから使ってみよう。どんなものかためしに、東岡山の会社から自宅までガイドさせてみた。“到着予定時刻は何時何分です。”などとシャレたことをいうが、なんだ?おいおい。山陽ICへ誘導しているぞ。500円ってなんだよ。1区間だけ高速にのれっていうのか。馬鹿かコイツは!逆らっていつも通りに走っていると、“次、何百メートル先を左です。”と、交差点のある度ごとに手前でしつこく3度づつ進路変更を要求してくる。なにがなんでも高速を走らそうとナビも必死である。くどい!ワシはワシの好きなようにやるわい。とことんナビを無視して、瀬戸からの一本道になったとたん、“到着予定は何時何分です。10キロ先を右です。”といってやっと大人しくなった。やれやれやっと諦めたわい。なんとも強情なヤツであった。なんかまだ設定をいじくらんとおえんみたいだ。やれやれ。なお、ボイス選択に関西弁というのがあったからこれも試してみる。“ぼちぼち700メートル先を左へいってな。”などと言い回しこそ違え、同じことをガイドしている。はじめは笑ったが、すぐにあきた。(まあ、こんなもんか。)これからも使うことはほとんどないだろうから、操作なんてどうせ忘れちまう。その都度またブ厚い説明書を読み返さねばなるまい。便利なんだか煩わしいんだか。

ちょこっとハイキング10月は国体直後の疲労でダウンし、11月は痔聾の手術で入院して2回もオハヨー山岳会の山行をすっぽかしている。さすがにこれ以上大人しくしているわけにはいかん。が、まだお尻にガーゼをあてているので、軽い内容にせざるをえない。今月は地元 和気アルプスの裏銀座の新ルート部分であるダンガメ稜を案内がてらここでゆっくり遊ぶことにした。12月17日 朝9時、のんびりと鵜飼谷温泉に集合。新ワゴンで移動。和気中学校の裏手に駐車し、麓を東へのんびりと歩いてまわり、10時 東壁登山口から入山する。去年もそうだったが、誰であろうか、松茸期間中にトラロープがナタで切られたり、札が捨てられたりしており、ちょっと悲しくなった。(地主の許可をもらっていても、こういうことは、よくあります。松茸入山者の中には面白く思わない人がいるのです。応急処置をしておいたが、また整備しに来なくてはなるまい。今日は結構寒い。前壁まで登ると、雪が舞い始めた。見ると北方面の山間には雪が降って真っ白になっている。すぐにここも本格的に降りそうだ。通り雪であろうから引き返さず、カッパを着込んで対処する。みるみる本降りになり、あたりはホワイトアウト状態になった。まるで雪山。裏壁の鎌尾根に立つと風がとてもつめたい。奥壁に立ち寄るため、ザックをおろすと雨蓋には雪が積もっていた。奥壁にトラバースしていると、また天気が回復し、さっきの風雪はなんだったのかと思ってしまう。上の展望所と先端の鎖場を下降して絶壁の淵まで往復してザックに戻る。東平尾根をM2までたどり、いよいよ新ルートのダンガメ稜へ。視界がひらけて鷲ノ巣が見えると皆歓声をあげる。うん。岩と緑のコントラストが美しい。11時、ボルダーゾーン到着。ザックを降ろしてボルダリングをして遊ぶ。最初のやさしい課題“ゲロッパ”でも、ボルダリング初心者の皆は苦戦する。フランケ(側壁)のノーズ(突先)に案内すると、皆がおっかなびっくりな中、Kさんは余裕で手を振って見せた。しかし、第2の課題“ベリーロール”では健闘するも皆敗退。最後に簡単そうで登れない課題“曲者”をトライするが、私も登れず、なんとか端っこをNさんが突破する。冷たい北風を避けてフランケの取り付きに下降し、12時前 昼食にする。皆のザックからはリンゴやみかんなどいろいろな食べ物が出てきた。私がラーメンを作って時間をくっている間に、皆はフランケを登り返して遊ぶ。最後に下部にあるダンガメ岩も登り返して遊び、12時半に下山する。車に戻り、温泉で解散したら、まだ13時であったが、今回は寒さがひどく、風邪をひかないようにしたかったのと、結構ハードな内容でもあったので、皆はちょうどいいくらいだとのこと。帰宅すると、私もなぜか疲れを感じた。体がなまっていたとはいえ、寒い中での岩遊びは体力を思いのほか消費することを知った。

 

 

2014年8月末、OCNのページ・オンからFC2へ引っ越し作業していて、容量が1メガ以下でないとアップロード出来ないことになったため、この「作者の部屋」は現時点(移転時)で5分割してアップしました

そのせいもあって、なんか今までより 一層読み辛くなってしまいました。(わははははは。)

それでも、ワシゃあ、読む!という方は、こちらをクリックしてください。

 

もう読まないというなら、

トップへ

inserted by FC2 system